ファントムの召喚

小手毬

第0話


会社が入っているビルをでた中園莉子は夜空を見上げる。

 三月になっても夜はまだ肌寒く吐く息も白い。夜空には綺麗な月と星空が見えた。

 マフラーに顔を埋めふと思い立って、近くのビルに入り、ガラス張りのエレベーターに乗り込み一番上のボタンを押す。


 四十五階。


 このビルの最上階にある展望台だ。落ち込んだ時や気分を変えたいときに時々立ち寄る場所。


 会社での出来事は自分の心に不快感を残したままだった。

 原因は同僚の平松。

 莉子の上司でもなければ業務上でも上の立場でもない。だが、平松は度々、他の人の業務に口を出してくる。人の業務の領域にまで手を出してくるので周囲からは煙たがられていた。だが、なぜか直属の上司のお気に入りということで咎める者もいないため、余計に調子に乗っていた。

今日は、莉子の担当でもない仕事でなぜか平松に呼び出されて叱責されるという理不尽極まりないことまで起きた。

後で気がついたみたいで謝ってきたが許すつもりなく、その場を離れた。


 エレベーターはビルの外側に面していて、外の景色が見えるようになっている。エレベーターには莉子だけだったので途中で止まることなく一気に最上階へと上がっていく。

 莉子はドア側とは反対側に寄って、目の前から眼下に変わっていく景色を眺めた。

 近くのビルからの明かりや地上の車や街頭の光を見ていると日常のことを忘れられそうな感じがする。


 モヤモヤした気持ちのまま家に帰るのが嫌だった。


 エレベーターのドアが開き、フロアーの奥へ進む。自販機で入場券を購入して、展望台のゲートに入場券をかざし入る。

 平日の夜ということもあって、あまり人は多くない。

 通路をゆっくり歩きながら外の景色を見ていく。広々とした空間に照明を落とした、落ち着いた雰囲気が気に入っている。

 ところどころで携帯で写真を撮っている数人の客を見かける。楽しそうな姿を見ても今の莉子には何の感情も湧いてこない。その横をすり抜けながら莉子はお気に入りの場所へたどり着いた。


 この場所はビルとビルの間を抜けて遠く先まで見渡せるようになっている。昼間だと遠くの山々も見えるのだが、夜は街のイルミネーションだけが見える。

 街中の道路に沿って灯りが続き、そこに車のライトが加わり更に明るく照らし出している。建物の灯りと道路の灯りを何となく眺めている。


 心が落ち着いてくるのが分かる。


 昼間のことがまだ残っていたのが消えてく。心の奥にくずぶり続けるものを抱えながら、通常の仕事をしていてもあの怒鳴り声を思い出して集中できなかった。

 

 キラキラと輝く夜景を眺めて感じる。いつまでもこんな気持ちを持ち続けたいわけではないと。

 ガラスに映る自分の姿はとても疲れた顔をしている。こんな自分を見たいわけではない。

 視線を落とし、もう一度ガラスに映る姿を見ると自分の姿の隣に見慣れぬ服装の人物が移っていた。

目の錯覚かと思ったが。こちらを見ていてその人物と目があった。

 どこの国の服装だろうか、それとも仮装だろうかと振り返り確認するが、そんな服装の人はいなかった。もう一度、目の前のガラスを見る。やはり見たことのない服装をした男性が立っている。


 男性の服装はマントのようにも見えた。その男性はこちらを見て何か言っているようにも見える。


 外からの映像でも写しているのだろうか。気がつくと手が勝手にガラスに伸びていた。


 はっ!


 手がガラスに吸い込まれていく。

 驚いているうちに身体が傾いてガラスに近づいている。

身体に力が入らなくて、顔のすぐ前までガラスが迫っていた。目をつむるが、身体はどんどん傾いているのが分かる。

 少しパニックになった。このまま外に出てしまったらどうなるのか?

 不安が横切る。


 冷たい風が頬を掠め全身が冷気に包まれたのを感じて目を開けた。手が無意識に何かを掴もうとしたが感触はなかった。

 不意に眼下を見て後悔した。宙に浮いた自分に気づく。

 ビル下の歩道が見えた。遥か下に小さな人影、先ほどまで見ていた街の街頭が目に飛び込んできた。


 背筋に冷たいものを感じた瞬間、体は自分の意志に反して宙を舞うように動いて、それまで感じなかった重力を全身で感じた。


 落ちる!!!


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