泡沫の探偵 凶器に潜む殺意
大川夏門
第1話
六人もの人がいる中静まり返る洗面所……とはいっても一人は遺体となって横たわっている異常な空間ではあるが。それをしゃがんで突きながら、不気味に独り言を呟く男の声だけが響いている。
「んー、これは胸を一突き、即死だね」
男は遺体を目の前にして淡々とした口調で言った。
そばには刃渡り二十センチメートルほどの包丁が床に転がっている。女性の遺体の胸のあたりには深い刺し傷があり、そこから流れ出たであろう大量の鮮血が浴室の床に付着した水滴と交じり濁っている。そして鼻をつくほどの生臭いにおいがあたりに立ち込めている。
「け、警察に連絡してきました!」
外からスーツを着た男が額の汗を拭いながら小走りで彼らに近づいていった。
「ありがとうございます。それでは警察が来るまでにちゃちゃっと解決してしまいましょうか」
そう言って、男はすくっと立ち上がり、ジャケットを羽織った女性からバスタオルを受け取るとそれを遺体にかけた。
「さて、では状況を整理しましょう。まずここは株式会社カンパニーインターフェースのオフィスとして利用するために賃貸契約を結んでいて、社長の自宅の隣に位置する部屋、そうですよね、社長の大橋さん」
同じ男が続けて話した。
「ええ、そうよ。でもここでこんなことが起こるなんて……」
大橋と呼ばれた女性は俯き加減でそう答えた。彼女はフォーマルでありながら華美な装いでなんとも気品のある出で立ちである。
「そして事件が起こり、社員の加藤さんが殺害された。そして第一発見者の平岡さんが上げた悲鳴をたまたま近くにいた僕が耳にして駆け付けたというわけです……そうそう、申し遅れました。僕は
先ほどから遺体や辺りを調べ上げている男がそう言った。
「緊急事態ですから……それにあなた何も言わずに入ってきたでしょ」
一人の女性がそう言い放った。
「まあ細かいことは気にしないでください。ところで悲鳴の主はそちらの方ですね?」
「は、はい、わ、わたしはトイレに行った後、て、手を洗おうとして、そ、そしたらシャワーの音が頭を洗っているという感じじゃなくて、それでドアを開けたら……」
平岡と呼ばれた女性がひどく動揺したように、途切れながら声を紡いだ。
「貴重な情報提供ありがとうございます。では先ほど容疑者の方々から聞いたお話をまとめるとしましょう」
「そんな、容疑者だなんて……そもそもなぜあなたがこの場を仕切ろうとしているんだ」
先ほど警察に連絡をしたスーツを着ている男性が言った。
「片山さん、あなたは加藤さんの同僚ですよね。アリバイがない限りあなたも容疑者です。そこのところお忘れなく。そして私はこの中で唯一、事件時にここにいなかった。この場を取り仕切るには適任だと思いますがね」
小山にそう言われて片山は僅かに眉をひそめた。
「被害者はどういった方だったのですか?」
「私の昔からの友人よ。誘ったら入社してくれたのよ。仕事に対して真面目で人に恨まれるようなことはしていないはずよ」
大橋は動じることもなく被害者である旧友の人柄を語った。
「そうですか、お答えいただきありがとうございます。では次にここにいる皆さんのお話をしましょう。まずは社長の大橋さん、あなたは事件が起こる前はリビングにいましたね。そしてそこには社員の片山さんもいました。二人は仕事をしていて事件が起こったことは大橋さんの友人の平岡さんの悲鳴を聞いて知った。間違いありませんか」
「ええ、間違いないわ」
大橋はまたもや表情を変えることなく言った。
「では現場を確認しに行きましょう。皆さんリビングに移動しましょう」
彼らはぞろぞろとリビングに移動した。
到着すると小山はシンクを見遣った。そこには調理器具は一切ないが、液体せっけんが入っている、似たような容器が三つ置いていた。
「被害者の加藤さんは入浴していたようですがそれはたまたまですか?」
「私が指示したのよ」
髪をかき上げながら大橋が言った。
「大橋さんが?それはなぜですか?」
「ここのところ仕事が立て込んでいて大変だったのよ。それもお風呂に入る時間も惜しむくらいに。それもようやく落ち着いてきたから入浴するように言ったのよ」
「なるほど、それなら彼女が無防備になることも予想できていたんですね。片山さんと大橋さんは」
大橋は一瞬むすっとした顔になったがすぐに平静を取り戻したようだ。
「あら、そんなことで人を疑うの」
「いえいえ、僕は思ったことを口にしただけですよ。お気に障ったなら謝ります」
小山は軽く頭を下げたが悪びれた様子はない。
「ちなみに事件前後に部屋から移動していませんか」
「あ、大橋は俺たちの部屋に一度だけ来ています」
カジュアルな服装の短髪の男が言った。
「あなたは野村さんですね。俺らというのはあなたと平岡さん、そして上村さんの三人ですか」
「はいそうです」
上村と呼ばれた女性が答えた。
「ちなみにお三方の関係性をお教え願えますか」
「三人は大橋、社長の高校生からの友人です。たまたま集まっていたので連絡してから来ました」
「そういうことでしたか、当時は仲が良かったのですか?」
「仲は良かったのですが、大橋は人気者だったので彼女と仲のいい他のグループともめたことがありました。でも少しだけですし、昔のことですから」
野村が話す中、平岡だけが大橋を睨みつけていた。
「平岡さん、どうかしましたか?」
「……いえ、なにも」
「……そうですか。まあ仲は良かったんですね。皆さんも大橋さんに入社するように誘われたんですか?」
「平岡だけ誘ったわ」
「そうなんですね。話を戻しますがとにかく大橋さんは三人の部屋を訪れた時に殺害する機会があったと、他には?」
「彼女の様子を見に行ったわ」
大橋は彼を睨みつけながら言った。
「彼女というと、加藤さんのことですか。またなぜそんなことを?」
「……お昼がまだだったからみんなで食べに行こうと思っていたのよ。だからいつ上がるのか気になったの。私もいつ髪を洗おうかと思っていたから」
「そういえば頭洗いたいって言ってたのは聞きました」
上村が言った。
「それはその部屋にいた大橋さんのお友達の三人は聞いていたのですね」
「それは俺と加藤も聞いていました」
「ああなるほど、片山さんも聞いていましたか。順番待ちをしていたというのは嘘ではないみたいですね」
「順番待ちってわけではないけど……」
「あ、大橋は頭を洗うときシンクで洗うんです。時間がもったいないって言って」
野村が会話に割って入った。
「そんなこといちいち言わなくていいわよ」
「ああ、どうりで台所に洗剤の容器がたくさんあるわけだ、納得しました。それで、他の方はいつ部屋を移動しましたか?」
「上村が途中でトイレに行ったのと平岡が加藤さんの遺体を見つけたとき部屋を離れてます」
野村が言った。
「ほうほう、今までの話をまとめると彼女を殺害できる可能性があるのは大橋さん、平岡さん、そして上村さんの三人ですね。では次に動機に心当たりはありますか」
「そんなもの私にはないわよ」
「この中では社長であるあなたに一番動機がありそうですがね」
「さっきから何よ!あなたは私に何か恨みでもあるの!?」
大橋が声を荒げながら小山に詰め寄った。
「いやいや、とんでもない、状況を整理しているだけですよ」
小山はこの状況を楽しんでいるのか笑いながら彼女をあしらった。
「あの……」
平岡がおずおずと口を開いた。
「どうしました?」
「私は加藤さんとは面識がありません。ここに来たのも初めてで彼女を殺害する動機なんてありませんよ」
「ああ、そうなんですか。というと他の二人もそうですか?」
「いや、俺らは一年くらい前に何度かここに来ています」
小山の質問に野村が答えた。
「ふむふむ、その時から大橋さんはこんな感じですか?」
「……え?ええ、まあ」
「ふふふっ……」
小山は愉快そうに軽快な笑いを発した。
「おっと失礼、大体わかりましたよ。この事件の真相もあらかたね」
「も、もうわかったんですか!?」
片山が声を上げた。
「まずは大橋さんあなたが犯人だと仮定するとどんなことが思い浮かぶでしょうか」
「わからないわね、犯人じゃないもの」
小山はその言葉を無視して続ける。
「大橋さんは加藤さんが無防備になるタイミングをわかっていた。もちろんこのフロアを自由に動けたほか、犯行を行う十分な時間がありました」
「……あっ」
「どうしました?」
「……いえなんでも、続けて」
「では続けます。その動機ですが、先ほど昔の話をしてらっしゃいましたね。貴方の仲の良いグループと彼らがもめていたということがあったそうじゃないですか。加藤さんはあなたの旧来の友人ですよね。今ここにいる大橋さんの三人の友人は彼女が亡くなったというのに第一発見者の平岡さんを除いてそこまで動揺している様子がありませんでした。もしかして昔、何かあったのではありませんか?」
「昔ちょっと言い合いになったこともあります。でも私たちはそんなこと今さらどうとも思っていませんよ」
上村が動揺した様子で言った。
「三人は気になんてしないでしょう。でも大橋さんはどうでしょう」
「え?」
大橋は呆気にとられた様な表情をしている。
「加藤さんが彼らと揉めていた所為で、大橋さんの人間関係はその煽りを受け不安定になっていた。そこで一方的に恨みを募らせていたが今日たまたま友人が来たことで彼らに罪を被せることを想いついた、こうは考えられませんか?」
小山が話し終えた後しばらくの沈黙が続いた。
「……ええ、そうよ。私が加藤を殺した」
「そうですか、動機は?」
「すべてあなたが言った通りよ」
大橋が口を開き、再び沈黙が訪れた。
「……そんな単純な話だったらよかったんですけどね」
「ど、どういうことかしら」
大橋は明らかに動揺した口調だ。
「いやね、なんでさっきまであんなに容疑を否認していた人がこうもあっさりと自白したのかが引っかかりましてね」
「……もうあきらめたのよ」
「誰かをかばっているんではないですか?」
「……」
大橋は何も答えない。
「大橋さんが犯人でないのなら残りは片山さんか平岡さんのどちらかが犯人です。そして犯人は二つの過ちを犯しています。一つは現場に凶器を残したこと、そしてもう一つはターゲットの行動を勘違いしてしまったことです」
「ターゲットの行動を勘違いですって?」
大橋がつぶやくように言った。
「ええ、まずは凶器についてですがこれが仮に大橋さんが用意したものだとするとおかしいですよね」
「というと?」
片山が首を傾げながら言った。
「この家には調理器具の類は一切ありません。僕の推理では大橋さんはたまたまここに訪れることになったお三方に罪を被せようとしたことになります。そして彼女はそれを認めました。なら常に包丁を持ち歩いたりしていない限り凶器を用意することはできません」
「それは、たまたま今日料理をしようと――」
「それなら先ほど外に食事に行こうと言ったことと矛盾します。友人が来たから予定を変更したと言えばその可能性もなくはないと思います。しかしそれなら包丁はどんなケースに入れて持ってきたのですか?」
「それは――」
「当然、何かに入れてきているはずです。普通、包丁を持ち歩くならそうします」
大橋は俯き加減で大橋の様子を窺っている。
「そしてもう一つ、犯人はターゲットの行動を勘違いしてしまったのです。そしてそれは……あなたのことを言っているのですよ」
小山は笑みを浮かべながら一人の人物を指さした。
「平岡さん、あなたが犯人ですね」
一瞬の静寂が辺りを包んだ。
「はっ!ばっ……そ、そんなわけがありませんよっ!」
平岡が短く叫んだ。
「そうですね、なぜそのような推理に至ったのかまだ説明していませんでしたね。あなたは入浴中の被害者の胸のあたりを包丁で突き刺しました。ターゲットが入浴しているであろうことをあらかじめ予測していて。おそらく凶器はここに来ることが決まってから購入したのでしょう」
「そ、そんな、加藤さんが入浴していたことを知っていたのは大橋と片山さんだけです。私はそんなこと知りませんでした。それに動機もありません!」
たじろぎながら平岡は声を荒げた。
「そうです、あなたは知らなかった。加藤さんが入浴しているということを、そして加藤さんを殺害する動機も彼女を殺害するつもりさえなかったでしょう」
「だったら――」
「そう、そこが問題なのですよ。ならなぜあなたは彼女を殺害してしまったのか、それは入浴しているのが大橋さんであると思っていたからです。そしてこのことは大橋さんもすでにお気づきかと思います」
「え!?」
驚愕を顔に浮かべる平岡は、相変わらず俯いたまま話を聞いている大橋の方を向いた。
「大橋さんは事件の前、皆さんに洗髪するということを伝えています。そしてそれを聞いた人たちは彼女がシンクで頭を洗うことを知っていた。平岡さん、初めてここに来たあなた一人を除いてね」
「違う……私は――」
「あれ、お忘れですか?まあ人を殺した後です。しかも人違いだった。動揺していたのでしょう、あなたは私に『シャワーの音が頭を洗っているという感じじゃなくて』と伝えました。なぜ頭を洗っていると思ったのでしょうか。シャワーを浴びるなら頭以外にも洗う場所はあると思いますが」
「う、うっ……」
平岡は僅かに後ろに後ずさった。
「平岡さんは大橋の周りの人間に嫌がらせを受けていたのではありませんか?」
「……ええ……ええ!そうよ!私はこいつの取り巻きにいじめられていた!しかも知らん顔して私に近づいてきた。私なんかが人気者と一緒にいたらみんなに良く思われないことくらいわかるはずなのに!……でもそのことは忘れようとしていた、していたんだけど、こいつが社長になって成功していることを知った、そして入社しないかと誘いを受けた。その時思ったの、こいつはまた私のことをこき使って嫌がらせをしたがっているんだって。もちろん誘いは断った。でも許せなかった。妬ましかったの!」
「……そうですか、でも本当は、大橋さんは平岡さんのことを思っての行動だったんだと思いますよ」
「……は?」
「大橋さんは先ほどやってもいない罪を被ろうとしました。その行動だけで彼女はあなたを思いやっていたことがわかります。どうですか?大橋さん、真実を教えてください」
長い沈黙が訪れた。その後、大橋はようやくその口を開いた。
「……さあ、どうでしょうね」
「……大橋さん、あなたは優しいですね」
また静寂が訪れた。
「う……うわあぁ!」
叫び声が沈黙を破った。
いくつものサイレンの音が近づいていた。
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