魔法使い、異世界に立つ
綱渡きな粉
第1話 魔法使い、異世界に立つ
仕事辞めてやったぜ! ハハッ!
何考えてんだよ俺ぇ……。もう三十歳だぞオイ。趣味らしい趣味もないから貯金はあるけど、この歳で無職はやべえよ……。いや三十歳童貞だし職業は魔法使いか? 君を笑顔にする魔法は一つも持ってねえよ?
……あー、馬鹿言ってないで仕事探さなきゃ。でも働きたくねえなぁ。一度働き始めたら休まず働き続けられるんだけど、一度間隔が空くと何にもする気起きないんだよなぁ。
ボロアパートの一室で布団にくるまってゴロゴロしてる三十歳独身無職とかもはや産廃だろ。自分で言ってて泣けてくるわ。
はぁぁぁ、どこかに働かなくても生きていける世界とかないかなあ。
「あるよ」
いや、ねえよ。
「てか誰だよ」
突然聞こえた謎の声にツッコんでしまったが、本当に誰なんだ。もしかして盗聴されてる? 思考盗聴とかやめてや。エロい妄想垂れ流すぞ。
「私は異世界の女神オルテルテ」
「あっ、宗教は間に合ってまーす」
昔から寄付とか宗教勧誘とか街を歩いてると腐るほどされてたからね。マジであの人達なんなの? ノルマでもあるの? 救われる為に金払うとか嫌すぎるし、顔も知らない相手に寄付したところで得られるものなんてない。むしろこっちが寄付して欲しいくらいだっつの。神様も現金なやつだよ全く。
「三十歳、無職、独身、童貞、エトセトラ——」
「やめてやめて死んじゃう。もはや呪いの言葉だよ呪詛だよそれ」
そんで、この世の悪を鍋にぶち込んで煮詰めたものに比例する呪詛の塊がこの俺ってわけね。泣いた。
「そんな魔法使いであるあなたを異世界へと迎えたいの」
「貶すだけ貶して異世界に放り込もうとするな!」
こんな使えない産廃おっさんをどうする気だ。運動能力だけなら、というか逃げ足だけなら、まぁ、それなりに自信があるけど戦えって言われても無理だからね? 立ち向かった瞬間、秒で殺される自信なら誰よりもあるよ? そもそも命の奪い合いなんて世界でも有数の治安良しな生まれの平和ボケした国民にさせないで。腰抜けちゃうからさ。
「大丈夫、あなたに戦える力を授けてあげる」
「いや戦いたくねえって言ってんじゃん! 本当にアンタ話を聞かねえな! 神か⁉︎」
「アイアム女神」
「うっせぇわ‼︎」
——と、盛大にツッコんだ瞬間、眩い光が辺りに満ちて視界は白一色となった。
「目がァァァァァァァァァ‼︎」
知ってる? 強すぎる光を直視すると目って痛くなるんだよ? おじさんこの歳で初めて知ったや……。
あまりの痛みに涙を流しながらも、状況を確認しようとチカチカする目を周囲に向ける。が、やっぱり何も見えない。マジであの自称女神許せねえ。
ただ、視界を奪われようともその他の感覚が嫌でも訴えかけてくる。
鼻を突き抜ける異国の香り。肌を撫でる風。耳に流れてくるさまざまな会話に誰かが踏んでくるような足の痛み——。
「痛えよ! 誰か知らんけど俺の足踏んでるって!」
つい声を上げるが、それでも相手さんは足を踏みっぱなしだ。嫌がらせにも程がある。
「今俺の足を踏んでるヤツ! 覚えとけよ! 俺の目が回復したらすぐにでもグーパンかましてや、る——」
ようやく痛みも引いてきたので恐る恐る瞼を上げると、視界一杯に映ったのは爬虫類顔だった。
「あっ、えっとぉ……」
聞いてない、聞いてないよ女神様。転移して目の前に人食ってそうな巨大トカゲとか聞いてない。そもそもここどこ? なんで如何にも路地裏って感じの場所に出しちゃったの? 逃げ道ないじゃん。食われるじゃん。愛用のサンダル履かせてくれてることには感謝するけどこれはないだろ……。ゲーム始まっていきなり全力ぶっぱの魔王と対峙するのは糞ゲーなんよ。
目を逸らしたら頭からパクっといかれそうな気がするので、目は合わせたまま、ゆっくりと足を引き抜く。その間も巨大トカゲに動きはなく、ただじっと俺を見下ろすばかりで、逆にそれが怖かった。
何とか足を引き抜いたものの、次の動作を全く考えてなかったことに気づいた。どうする……。
「おっ? そこの兄ちゃん、もしかしてうちの子に何か用かい?」
巨大トカゲと見つめ合っていること数秒、トカゲの横から立派な髭を生やした長身のおっさんが現れた。
「てか、そんな路地裏の入り口で何やってんだい?」
「い、いやぁ、実はこの子に足を踏まれて動けない状態だったんですよ」
嘘は言ってない。もしかしたらこの巨大トカゲが足を置いてた下に転移したのかもしれないけど。
「ありゃりゃ、そりゃ悪いことした。申し訳ねえ! これで許してくれねえか?」
そう言っておっさんは俺の右手に硬貨を数枚握らせた。
「あっ、どうも」
「いやいやこっちが悪いんだ! 今度から気をつけるよ!」
おっさんは豪快に笑いながら手綱を引いて巨大トカゲを連れて行った。そして、ようやく俺は路地裏から出る。
視界に飛び込んできたのは、まさに異世界と呼ぶに相応しい光景だった。見たこともない食べ物に美味そうな料理、それを売る屋台。そして建ち並ぶ外国的な建造物の数々。何でできてるのかは定かではないが、きっと現代日本みたくコンクリートを使っているわけではないだろう。
——そして、何より!
「けもみみや。けもみみがおる……!」
頭頂部からぴょこんと立つ人間のではないそれ。しきりに動いているので飾りということもないであろうそれは、異世界に来たんだという実感を得るに足るものだった。
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