2日目:炎の河

 ゴウゴウという水の流れるような音で、僕は目を覚ました。手元に時計は無い。真っ暗だ。

 だんだん頭がはっきりしてきて、記憶も戻ってきた。頭上に大きな石があってそのせいで暗いようだ。足を踏ん張り全力でそれを押し上げた。わりと簡単に持ち上がり、外の明かりが見えた。手から血がつたっているのが薄明かりで分かったが気にせずにもうひと踏ん張りして石を押し退け、石の山からはい出す。

 はい出して、思わず自分の目を疑った。

 開けた場所。暗いけれど、河の真っ赤な光で足下はよく見える。地面は砂のようで、どうやらここは砂漠だった。それなら地平線が見えるはずと目を凝らしたが地平線があるはずの位置には遠くの赤い河の光が見えて、それはまだ上の方に続いていた。頭上に広がるのは闇。なんとなく球体が宙に浮いているような気もするけど。何だここは。ここは、どこだ。

 赤ん坊の頭ぐらいの大きさの石がごろごろ転がっている赤い砂漠を、みんなの名前を大声で呼びながら歩く。返事は無い。赤い河の流れる音がうるさいだけ。河に近づいてみると盛んに蒸気が上がっていた。ずいぶんと熱そうだ。試しに何か入れてみて渡れるかどうか見ようと石山をかき分けて木の枝かなにかないかと探していたら僕のかばんが出て来た。続いて明日香のリュックサック。曹や氏縞や喜邨君、それに公正の鞄も出て来た。同じ場所から出て来たのは僕のいたバンガローでは荷物をみんなひとまとめにしてたからなのかもしれない。明日香の荷物もあるから、この近くに明日香が埋まっているかもしれない。

 手当り次第にあちこちの石山を崩していくと、幾つ目かの石山で、明日香を見つけた。出られるだけの隙間すきまを作ると自分からい出てきて、そのまま僕に抱きついてわっと泣き出した。そしてすぐに、きまり悪そうにはなれると、周りを見渡して愕然がくぜんとした表情をした。

「ここ……!」

 すぐに近くの石山を崩し始める。そうだ、明日香一人見つかったからと言って安心してる場合じゃない。他の男どもも見つけなくては。

 明日香を見つけた隣の隣の石山からつかさ氏縞しじまと一緒に見つかって、その近くの山から喜邨きむら君が自力で出て来た。でも明日香が探しているのはどうやら公正のようで、名前を呼びながら必死で探している。

「お、明日香発見」

 聞き慣れない声がして、まだ崩していなかった石山の影から公正がひょっこり姿を現した。

「公正……!」

 駆け寄る明日香。ここってアレだよね、ホントだったんだ、でもどうして。そんなよくわからないセリフを並べ立てて公正を揺する。公正は片眉を上げて顔をしかめ

「知るかそんなもん。アンドロイドはコントロール三人残して後は全部封印されたはずだろ」

 公正も何だかわけのわからない返事をする。明日香もわからなかったようで「コントロール……?」と繰り返した。

「なんだよてめーら。ここ、知ってる場所なのか?」

 喜邨君が明日香を突き飛ばす。明日香がよろめいて、近くの岩にしりもちをついた。うつむいたまま、口を開く。そして出て来た言葉に耳を疑った。

「えっと……簡単に言うとね、ここ、地球の裏側なの」

 ……は?

 何も無い空間に向かってしゃべり倒していた。何かうわの空だと思ったら突然走り出した。何考えてるのかわかんないよね。気味が悪い。脳裏に教室で何度もきいたうわさ話が巡る。こんな電波なこと言いだすなんて。けれど電波なのは今居るこの場所もそうだった。地球の裏側なんてありえないよ。何言ってんだよ。でも、じゃあここはどこだよ。

「わっ……我輩は物知りだからよく知っているぞ! 地球の内側にはマントルというマグマのモトみたいなのが入っていて、だから地球の中に空間なんてあるはずが無いんだ!」

「俺だって物知りだ! 地球には重力が働いているからそれのせいで地球の中心部に落っこちるはずだろ!」

「遠心力も働いているし、それにそのマントルの構造を中心部まではっきり目で確認した人はいないでしょう?」

 みんな黙る。曹も氏縞も喜邨君も、僕も、呆然ぼうぜんと辺りを見渡す。地平線が無い。空が無い。頭上に広がる真っ黒な空間。どこまでも続いて端は上の方に続いている赤い河。わりと近くに何か液体を噴き出している山がいくつか見える。

 本当に、ここは地球の裏側なのか。本当に、ここは僕らが居たのとは違う、世界なのか。

 喜邨君が水(?)をすくって飲もうと赤い河に近づいた。

「近づかない方がいい。やけどする」

「何なんだよこれ。水じゃ、ねーよな」

「マグマみたいなもんさ。向こうでは川に流れるのは水で、ここでは代わりにこれが流れてる」

 公正の言葉に喜邨君は面白くなさそうにふん、と鼻をならして河を離れた。

「……てめー、ここに来るなりいきいきとしやがって。向こうでしゃべらなかったのはキャラ作りか。格好つけヤローが」

「しゃべれたら会って三十秒で罵詈雑言浴びせられたんだけどな。地殻性キャンセラーの副作用さ」

「チガクセェ……?」

 手のにおいを嗅ぐ。血なまぐさくもなんともねーけど、としかめ面する喜邨君に、公正は大げさにため息すらついてみせた。喜邨君のぷっくり膨らんだ頬に薄く青筋がたつ。公正は気にしたふうもなく目の前の大きな岩山を指差した。

「取りあえず最寄りの水山すいざんのシェルターまで歩こう」

「水山?」

「向こうでいう火山だよ。火じゃなくて水を吹く山」



 トレンチ水山のシェルターは古いコンクリート造りの地味な四角い建物で、中は大まかに区画分けされていて、それぞれの区画で小さな村ができていた。大きな音をたてて稼働する換気扇の下ではたいていかがり火が焚かれていて、そこで炊事をしていたり暖をとっていたり数人がその火を囲んで談笑していた。かがり火の周りには大小も色も形もさまざまなテントが並んでいた。社会の教科書の写真に載っていたスラムみたいだ。

「あれー? もしかして、フレッド?」

 比較的かがり火に近いテントから出て来た男の人が公正に気づいて声をかけた。

「あっ? アラン! お前まだここにいたのか。 ……っと、ああ、この人は俺の知り合いさ。アランっていう」

 よろしく、とアランが頭を下げる。

「おい公正、フレッドって何だい。っていうかこの人外国人じゃないのかい? 髪茶色いし目も青いし。何で日本語通じるんだよ」

「通り名だ。アランも本名じゃない。ここでの言葉は特殊だから誰が何しゃべっても自分の国の言葉に聞こえる」

 ひそひそとしゃべっている僕らの隣で喜邨君が飯! 曹と氏縞が水! と何やら初対面の人に要求している。明日香はあきれ顔だ。

 ここではなんだから、と共用スペースを離れて長期滞在者用の居住区に案内された。取りあえず入れてもらったアランの部屋は意外と広く(喜邨君がでかいせいで狭く感じるけど)みんな場所に余裕を持って座ることができた。思い思いの位置にみんなが腰をおろすと、さっそく公正と明日香が口を開いた。

「アラン、今回の地震、アンドロイドが関係してるだろ」

「私も公正も戻れたのは良かったんだけど……この人たちはあっちの世界の友達? みたいなもの。この人たちもきちゃったの。ねえこれ……どうなってるの」

 アランはしばらく眉間にしわを寄せて考えているのか単に不機嫌なのか分かりにくい表情をして黙っていたが、やがてくせの強い茶髪を掻(か)いてため息をついた。

「お前らがここに戻ってきてしまったと言うならアンドロイドが関係しているのは間違いないが……どうしたらいいと聞かれてもな。俺には分からん」

 棚から水瓶を取って戻って来た。その中の水をわんに注ぎ分け、僕らに配る。

「アンドロイドって何なんだ」

 喜邨君がきく。

「指示されたこともアンドロイド自身がしたいことは何でも失敗無くこなせるように人工的に造られた性能抜群の人間モドキだ。たいてい美形で、黒服を着ているのが特徴といえば特徴だが……見分けがつくほどは人間と違いがない」

 答えながらアランは僕が鞄から取り出した科学びっくり大百科に目を留めた。

「それ、今までの地震の震源とか載ってないか?」

 載ってたような気もするがうろ覚えなのでそのまま渡す。アランは数ページパラパラとめくり、目的のページを見つけて息をのんだ。環太平洋造山帯とアルプス・ヒマラヤ造山帯の部分に特にたくさんの赤い点が書き入れられた世界地図。

「こりゃあ…アンドロイドが全処分されたのは数年前のはずなんだが…。何だこれは…」

「アンドロイドって地震と何か関係あるわけ」

 リュックから多少つぶれた菓子パンを十個ほど取り出しながら喜邨君がまた質問した。

「あるの。アンドロイドが地震を起こしてあっちに渡ったりしてるんだって。暴走したアンドロイドが起こしてるのかもしれない」

 明日香とアランによると、アンドロイドの脳はシステムと呼ばれ、造られてから数年もするとガタがきて暴走しやすくなるのだそうだ。暴走したアンドロイドは、たいてい殺戮さつりくを好み、システムをまとめているフォルダからの指示もそのうち聞き入れなくなる。そしてこの世界からの出口をつくって表側へ出たものもあるという。

「機械は永遠じゃない。いつか必ずガタが来る。だから数年前に全部処分された。俺はそう聞いたんだが、さっきの口ぶりからして全部処分されたわけじゃなかったのか」

 アランが公正に視線を流し、公正はすっと目をそらした。その横から曹が顔をつっこむ。

「我輩は賢明だから手っ取り早い解決法を思いついたぞ! アンドロイドに割れ目つくってもらってそこから帰ればいいのだ!」

「それも一つの手だがその後またこっちに戻されては意味が無い。となると…アンドロイドを今度こそ全処分しないとな」

「……適当に言ってるだろアラン」

「悪かったな、俺らは色んな奴らの話を聞きかじってるだけで深くは知らねえんだよ。ここの人間は深入りはしない。誰も、誰にもな」

 公正は何か言い返そうとして途中でやめ、口の前に人差し指をたてて静かに、と合図した。曹と氏縞も喧嘩をやめて、みんな聞き耳を立てる。

 外からざわめきが聞こえてくる。だんだん近づいてくる。銃声が聞こえる。叫び声が聞こえる。

 ばっ、と入り口の布がたたき落とされて地面に散った。ごとりと何かを床に取り落とし、入って来た男がその人相の悪い顔でにやりと笑う。抜き身のサーベルを片手に下げていて、その切っ先には先ほど落とした人間の頭……。こみ上げて来た吐き気に慌てて口を覆う。

「アンドロイド……っ!」

 アランが壁にかかった拳銃を取り、そのうち一丁を僕に投げてよこした。弾は装填済みのようだけど待って僕使い方知らない。銃なんて撃った事ないって。公正はどこから出したのか細いロープを数本手に持って戦闘態勢になっていた。

 アンドロイドはひひ、と楽しそうに口をひん曲げて笑い、足下の頭をけり飛ばした。そしてサーベルを振り上げて一気に距離を詰めてきた。驚いた拍子に渡された拳銃の引き金を引く。安全装置まで外してあったらしく(危ないだろが!)撃ち出された弾が左にそれてアンドロイドの右肩に命中する。アンドロイドはうめき声を上げて標的を僕に定め、突進してきた。

 カキン

 金属音とともに飛来物が宙に跳ね上がった。少し離れた土壁にサーベルが刺さり、軽くえぐって床に落ちる。獲物を失ったアンドロイドはその場で急停止し、サーベルの方へ向きを変える。

「しゃがめ!」

 あわてて頭を下げた僕たちの頭上をロープが通過する。そのまま公正は中腰に成りぶんぶんとロープ付きの刃物を振り回してアンドロイドを威嚇。サーベルを拾ったアンドロイドは小馬鹿にしたように嗤ってすっ、とロープをくぐり襲いかかってきた。慌てて引き金を引く。

 ガン、ガン、ガンと数回撃った後にガチンとむなしい音がした。弾切れだ。どれも当たることはなく、アンドロイドは半ば匍匐前進のようにロープをかいくぐり近づいてくる。

「く……来るなっ!」

 喜邨君が何かを投げた。それがアンドロイドに命中し、一瞬閃光がはじけた。

「──ッ!!」

 金属音の混ざった叫び。耳をつんざいて頭蓋でガンガン鳴り響き、思わず耳を塞ぐ。アンドロイドは腹にさびたサーベルが一本刺さったままのたうち回り、かと思うとふらりと立ち上がって去っていった。頭上ではまだロープが回っている。……止まった。

 廊下をのぞき、アンドロイドが走っていった方向へ共用スペースまで戻ったがアンドロイドの姿はもう見えなかった。はあ、とそろって息をつく。いきなり死ぬかと思った。

「……修徒。お前どこで銃の撃ち方を習った?」

 曹にきかれて固まる。いや、だから初めてだって。実際いいとこには当たらなかっただろ。

「構え方が堂に入ってた」

 氏縞まで。気のせいだって。

「あのう……」

 喜邨君のズボンのすそにを小さな手がすがりついた。

「パンを……分けてもらえませんか……」

 せた七、八歳の少年。ボロボロの麻服。ボサボサの金髪の影で緑の目が光る。

「あの、けてきちゃって、すみません……。さっきあっちで見かけて、食べ物たくさん持ってるの、見えたから」

 少年と対照的に極限まで太っていて、割といい服を来た喜邨君はしばらく少年を見下ろしていたが、やがて栄養価の高そうな大きなカスタードパンを黙って突きつけた。少年はパンの大きさにわ、と一瞬目を輝かせ、でもやはり申し訳無さそうに礼を言った。そのまま立ち去ろうとする。

「おい。名前ぐらい名乗らねーか」

 びくっと少年が立ち止まり、怖々と言った感じでゆっくり振り向く。

「ヘンリー。妹は、エレン」

 指差した先にとても小さな急ごしらえのテントがあった。

「おら。妹の分」

 驚いたことにあの食い意地世界一の喜邨君が二個目のパンを差し出した。しかしヘンリーはパンを見つめて突っ立ったまま受け取ろうとしない。

「いらねぇのか」

「くれるのはとてもうれしいけど。……ボクたちが食べるわけじゃないから、妹やボクの分としてくれるなら、いらない」

 ……どういうことだそれ。明らかに今栄養が必要なのは喜邨君ではなくヘンリーのほうだぞ。

「ボクはパンの運び代として分け前をもらうから、それでいいんだ。これ、今日の朝ご飯。昨日頑張ってこんなにいっぱいもらえて」

 腰に付けた籠の底に、消しゴムほどのパンくずが五、六個見えた。それでもヘンリーは誇らしげに胸を張る。

 なにか、違和感。笑顔なのに、緑の目が無表情に見えるのは気のせいだろうか。

「お兄ちゃん達、いい人だから首都に入れるかもしれないね」

 ヘンリーはもう一度ありがとうと繰り返し、共用スペースへ戻っていった。

 しばらく共用スペースの方向をながめて沈黙していたが、やがて喜邨君が口を開いた。

「ショートに入れるって何だ? でけーショートケーキの中に入ってそれ食える、みてーなイベントか?」

 気が抜けた。食い意地張りすぎな聞き間違いしやがって……。

「この世界の首都のこと。スカイ・アマングっていう、ほら、あの空中都市の一つ」

 明日香の指差す頭上は真っ暗で何も見えない。とりあえず、あの辺に何か浮かんでいるらしい。アランがそういえば、と話を継いだ。

「近所の奴らが噂してたな。スカイ・アマングの規律が厳しくなって市民が減りがちだって。暴動が起きたとかで正規市民が減ってて、だから流民でも善良な者を選んで受け入れてるんだとか」

「流民?」

「ここは万引き犯から大量殺人者まで、ありとあらゆる犯罪者が送られてくる流刑地なのよ。シティーの規律が厳しくなればどんどん流刑にするからその分首都の人口が減る。だけど流刑者の方は流刑者同士この地で結婚して子どもが生まれて人口が増えている。だから親は流刑者でもイイ子なら市民になるのを許可しますっていう制度なの」

 イイ子、なあ。公正が笑う。都合のいい人間ってことだろうな。

 ウウウウウウーーーーーッと警報音が響きわたった。雑音まじりの聞き取りにくい声がシェルター内の貧民街に響く。聞きとれないまま声は終わり、警報音だけ長く続いた後、わああぁぁぁんと反響して消えた。

 貧民街が急に騒がしくなる。すぐ近くのテントを五十代ぐらいのおじさんが手際よく畳み始める。換気扇の下で焚かれていたかがり火に子ども達がどこからかバケツいっぱいに泥で濁った水をよたよたともってきて代わる代わるぶっかけ火を消す。女の人は夕食の準備が途中だというのに調理用具を大急ぎで片付け、男の人の手伝いをしている。

「おい修徒、何をぼさっとしてる。さっさと手伝え」

 アランも破れたテントをそのままばさばさと畳み始めていた。あわてて端を持って手伝う。

「なぁ、何があるんだよ」

 喜邨君がパンを片手に腹をさすりさすりアランに尋ねる。僕もそれは疑問に思っていたから代わりに聞いてくれたのは有り難いけど………パン食ってないで喜邨君も手伝え。力持ちのくせに。

「もうすぐここは水没するからな。高台のシェルターに数日間居候させてもらうんだ」

 指差した先に小さな丘があって、その頂上付近に大きな建物が見えた。アランによると、普段は多くの人が耕作や商売をするために平地に降りていて、雨期にだけ高台のシェルターに戻るのだそうだ。

「あ!さっきのお兄ちゃん!」

 ぱたぱたと走って行く女の子を追いかけていた男の子がくるっとこっちを振り向いた。

「パンくれたお兄ちゃん、エレンを捕まえて!」

「あぁ?」

 周りをちょこまかされてうっとうしかったのか既にエレン捕獲済みの喜邨君。なんだ、妹を追いかけてたのか。喜邨君は不機嫌面のまま片手でひょいとエレンをつまみ上げ、あんまり兄貴を困らすなとひと言言ってからヘンリーの前にエレンを降ろした。

 一通り手伝いを住ませ、僕らも荷物を持ってシェルターを出た。作物がほとんど生えていないような畑が坂道の両側に広がっている。赤黒く炎の河の明かりで照らされて、まだ鎮火しきっていない焼け跡のようにも見える。どちらにしろ、ここで生きていくのは容易ではないだろう。首都に行きたい人はいっぱいいるだろう。僕たちが行ける可能性はずいぶんと低いかもしれない。

「アラン、質問。さっき首都の話してたけどさ、新市民になるための申請ってどこですればいいんだ?」

 あれ、公正ここの人間なのに知らないのか。

「市民になるのか? ……高台のシェルターに受付があるからそこでしろ。スカイ・アマングは規律が厳しい。規律に殺されても知らんぞ」

 登り坂がだんだん急になってきた。汗がほおをつたう。体の大きな喜邨君はかなりしんどそうだ。曹と氏縞はお互い自分の方が疲れにくいのだ頑丈なのだと汗だらだらでぜえぜえ荒い息で口論していた。この分だと僕の後ろの明日香はすごい疲れてはあはあいってるだろうな。荷物もってあげようかな。荷物持つよ。重いだろ。と言おうと振り向く。

「何よ。さっさと歩いてよシュウ。疲れたの?」

 何で僕よりずっと平気な顔してるんだよ……。汗一つかいてない。これじゃ僕が荷物持ってくれないかな〜って明日香に無言の要求をしてるみたいだ。

 前に向き直ってざくざく歩き出す。アランの横を走っていたエレンがドテッと転んだ。明日香が僕を追い抜いて駆け寄る。エレンは抱え起こされるなりわああっと泣き出して明日香にしがみついた。

「ったくエレンは…お姉ちゃん、ごめん。ありがと」

 ヘンリーがエレンを回収し、だから走るなと言っただろうがと叱る。

「ヘンリー君、エレンちゃん、お父さんとお母さんは一緒じゃないの?」

 明日香の言葉に、ヘンリーはしばらく首を傾け、

「顔、覚えて無いんだ」

 泣きべそをかくエレンの頭を撫でながら無表情にそれだけ答えた。



 高台のシェルターは巨大なドーム型で、あちこちに四角い窓のある個室に分かれていた。玄関ホールは細長く広くなっていて、中央に大きなかがり火が焚かれていた。もちろんその上には風と騒音をまき散らす巨大な換気扇。僕ら平地のシェルターの住人の来訪に、高台のシェルターに常住している人々のうち数人が歓迎の意を示す挨拶あいさつを棒読みして部屋を案内する。案内人の後ろをついていく僕たちを個室の影から興味深げな視線が追う。

 僕の個室は明日香の部屋の隣だった。五十六号室。窓の一つが水山に面していて、赤い河がよく見える。コンクリートむき出し、そこそこ広いがお世辞にも綺麗(きれい)と言えないほどにほこりの積もった殺風景な部屋。ベッドもコンクリート製で、マットも布団も無く、枕もコンクリートでできている。ものすごく寝心地が悪そうなのでベッドの上に寝袋を広げた。これならまあ、眠れそうだ。

 コンコン、と戸をたたく音がして喜邨君が入ってきた。

「おぉー。ここなら河見えるな」

 水山に面した窓のそばにどすんと座り、外を眺める。座高が高い喜邨君は座っても窓の外が見える。

「河なら喜邨君の部屋からでも見えるだろ」

「両隣が曹と氏縞。さっきから互いの部屋を行ったり来たりして全く同じようにしか見えねぇ部屋なのにどっちの方が立派な部屋か競い合っててうるせーの」

 …御愁傷ごしゅうしょう様。確かに少し遠くからぎゃあぎゃあとカラスのようにわめくやかましい声がする。近所迷惑だ。

「お、ここは静かだな」

 くそ公正がノック無しで入ってきた。ノックしろよ。公正だと分かっていたら鍵掛けて閉め出してやったのに。

「首都の新市民の申請、全員分してきたぞ。結果は明日だってさ」

「行って何をするんだい。まだこのシェルターのこともよくわかってないのに」

「アンドロイドシステムの司令塔がどこかにあるはずだ。あるとしたら首都は有力候補だろ。探そうと思って」

 断り無く隣にしゃがむ。おー、ここならよく見えるな、喜邨君と似たようなことをつぶやいて腰を降ろしてから首をのばし、再び中腰に戻る。

「シルエット? 何のだよ」

「システム司令塔。暴走したアンドロイドでも、自爆か何かの機能はいきてて司令塔から処分が可能だったはずだ。全処分されたはずのA型がまだ残ってるってことは、何か……」

 僕と喜邨君の視線を浴びて公正は口をつぐんだ。

「詳しいのな、公正」

 公正は答えず、じっと僕を見た。

「何だい」

「……別に」

 もう寝る、と立ち上がった。鞄にくくりつけた時計は深夜十時をまわっていた。どうりで眠いわけだ。喜邨君もあのやかましい部屋でどうやって寝るんだとグチりながら立ち上がり、どすどすと出て行った。

 照明代わりのろうそくの火を消し、寝袋に潜り込む。河の光が窓から差し込んでいた。換気扇の重たい音が低く壁をふるわせるのが聞こえる。きれいだ、と素直にそう思った。その光の色に、部屋に響く音に、懐かしいとも思ったけれど、それがどうしてなのかはわからなかった。



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