ある人喰い魔法使いの最後の晩餐

京々

1-1 食べないで


 ガラガラと重厚な柵が閉まる音がする。俺の後ろで。


 ああ、とうとう俺の命運も尽きたな。

 頭のどこか冷静な部分でそう考えるが、俺自身はそう冷静じゃない。体は誰が見ても分かるくらいガタガタと震えているし、涙も鼻水も垂れ流しでみっともないったらない。

 ほら、柵の向こうの軍のお偉いさんがせせら笑っている。


「新人君、何もそう脅えることはない。第一子の魔法使いと言っても、人語は操るしちょうど先日人間を食したばかりだ。すぐに食われることはなかろう。一ヶ月間、世話をしたら終わりだ。それまで食われないように世話をすればいい」


 その間に食われる者しかいないからこんなに脅えているというのに!

 と、反論できたらいいのだが、できたところで一時的に俺の溜飲が下がるだけだ。世話の期間が短くなるわけでもない。


「はは、精々頑張ってくれたまえ」


 二重の柵が閉まりきり、お偉いさんの声も遠のく。

 二重の柵の向こうには更に厚さ五十センチはあろうかという重厚な金属製の扉が何枚もあって、更にそれらが高い壁と鉄条網に囲まれた広い敷地の中にあるということを、外から来た俺は知っている。


 厳重に過ぎる。

 しかし、それに足る化け物がこの中に隔離されていることもまた有名なことだった。

 今の俺はまさに獅子の檻の中に放り込まれた子羊に違いなかった。


「音がしない……今は寝てるのか……」


 現状確認のために出した声は、自分でも哀れに思うほど掠れきっている。

 まあ仕方がない。俺、多分近い内に食べられて死ぬし。


 身よりもなく金もなく、一応目的はあるけど先立つものが何もない。そんな俺だが、目的を果たすためには一番近道だろうと思われる王国の軍に有り金叩いて入隊を志願した。

 俺には目的しかなかったから、軍に入れば食い扶持も稼げるし目的に近づけるなら一石二鳥かなと思ったのだ。


 しかし、無事入隊はできたものの、研修期間に仲良くなった同期にうっかり俺の目的を零してしまったのが不味かった。

 うんまあ、俺の目的というのが有り触れている上に超無謀なのだ。そんなん出来るわけないだろと笑われ、気づけば俺は同期の中で死に急ぎ野郎と有名になってしまった。こんなことになるなら言うんじゃなかった。


 で、軍の新人には試練というか生贄というか、そう、人食いの化け物の世話係を新人から出すという悪しき風習があったのだ。ちなみに大昔に化け物を手懐けた人が存在するらしいので新人の試練だ成功すれば一気に昇進だと言われているが、国軍の記録の中には世話係で食べられなかった奴はいないらしい。泣けてくる。


 当然ながらそんな役やりたい奴なんぞ誰もいない。今までは新人の中でも身元とかしっかりしてなくて死んでもいい奴に押し付けていたらしいが、案の定白羽の矢が立ったのがこの俺だ。満場一致で放り込まれた。


 一応世話係としてやることといえば、毎日化け物の拘束具の点検をすること、用意された化け物の食事を運ぶこと、以上だそうだ。

 しかし、それってつまり化け物と直に接触するってことだ。そりゃ死ぬって。

 化け物は雁字搦めに拘束具付けてるらしいが、同じ空間に住まなきゃならないだけで死ぬって。


 相手は強力な魔法使いだ。手も口も封じられていたところで、人間なんて無詠唱で一捻りだろう。

 俺は陰鬱に溜息を吐いて、その微かな音にすらビクついた。ああ、欝だ。


 未だにガタガタ震える体を押し付けて蹲っていると、どれくらい経ってからか、奥から音が聞こえてきた。ジャラジャラと大量の鎖を引き摺る音だ。


 息も心臓も止まった。勿論恐怖で。

 いっそのこと、ショック死できたらどれだけいいだろうか。生きたまま魔法使いに食べられるとか嫌過ぎる。


 俺は魔法使いも、魔女だって見たことがある。人間と相違ない容姿、いや人間なんかよりもずっと整った美しい容姿をしていた。しかし、その美しい容姿で、生きたまま人間の皮を剥ぎ肉を噛み千切り、内臓を引き摺り出して脳みそを啜るのだ。無理、嫌、死にたくない。


 ガチガチと歯がなるのを、歯を食いしばって音を立てないように努めた。恐怖で嘘みたいに涙が零れて、体が冷え切っているのが分かる。


 音はどんどん近づいてくる。やめてくれ、こっちに来ないでくれ。

 祈るように手を組み、姿を見たくない一心で身を縮こまらせ目を硬く閉じた。


 鎖の音は最初部屋を隔てた向こうにいたけれど、多分もう俺のいるのと同じ部屋まで出てきている。暗い場所に音だけが響いた。


 もう食べられるしかないんだろうか。だとしたら痛くないようにお願いしたい。

 一時期は目的を果たすまで死ねないとか思っていたけど、普通に無理。ここまでくると詰みだ。来るなー、来んなー、食べないでー!


 入り口の隅でブルブル震えていると、やがて音が止まった。俺のすぐ近くで、である。


 すぐ近くで、頭を垂れる俺のすぐ正面に気配がする。

 俺の死にそうに息を切らした感じと違って、ごく平静な息遣いが聞こえる。

 こちらを見下ろしている視線を感じる。


 しばらくしても動かないので、俺は恐る恐るゆっくりと、そりゃもうゆっくりと目を開いた。


 石畳の地面と、その前方に小さな、餓鬼が履くようなエナメルの赤い靴がある。可愛らしく丸いシルエットのそれには、足首に不釣合いなゴツい金属の足枷がついて、そこからぶっとい鎖を幾本も引き摺っていた。


 何も考えず、俺はゆっくりと視線を上へ滑らせる。


 子鹿みたいな華奢な足には白いタイツを履いていて、そこにふわりと白いレースとビーズに彩られた黒いスカートが降りている。太腿にはこれまたゴツい革のベルトがキツく巻かれていて、それが手首に同じく巻かれたベルトと繋がっていた。これでは碌に手も上げられなさそうだ。黒いコルセットの上に白いふんわりとしたブラウス、肩のところにも拘束用のベルトがばってんに締められていて、その上の細い首には足枷と同じような重そうな首輪が掛かっている。首輪からもジャラジャラと鎖が落ちていて、それが両足首の足枷とガッチリ繋がっていた。


 首輪の上に載ったこれまた小さな顔は、にんまりと笑みを浮かべている。桜貝のような唇、まろい曲線を描く頬、髪は白と黒のツートンカラーで、スカートの裾のところまで広がっている。レースのふんだんに使われたボンネット、それの陰になっているにもかかわらず、血のような鮮やかな赤色の瞳がうっそりと細められているのがよく見えた。全体的にあどけないのに瞳だけが壮絶に色香を感じさせる、絶世の美少女だった。


 しつこいまでに彼女の容姿を細かくつらつらと挙げたわけだが。

 一言で言うなら想像を絶していたのだ。昔見た魔女にも匹敵する美人だ。


「君が新しい世話係?」


 俺と目が合って、やっと彼女が口を開いた。子供独特の甘い声の中に、媚を売る娼婦のような響きがあった。

 俺は未だにガッチリと祈りの形をした手を解くことなく、静かに頷く。震えも涙も鼻水も、驚くほどぴたりと止まっていた。


「ごめんごめん、そんなに脅えないで。次は殺さないように気を付けるよ」


 多分毎回言っているのだろう。信用ならん。


「魔法使いのナグだよ。驢馬ろばの魔女の第一子さ。君の呼び名は?」


 魔法使いに名前を教えてはいけないのは常識だ。魔法使いは名前一つあれば容易く相手を害することができる。だから呼び名を教えろと言ったのだろう。

 俺は口を開いた。


「ヨーテ。故郷を滅ぼした魔女に復讐したいとかほざいてたら、貧乏くじを引かされた。短い間だろうけどよろしく」


 するりと皮肉げな自己紹介が出てきて、自分でも驚いた。


 俺、たまにこういう時あるんだよな。緊張し過ぎだかなんだかで振り切れて、頭のどこか冷静な部分が前面に出てくる。火事場の馬鹿力って奴か? ううん、ちょっと違う気もするけど。昔この状態で口八丁だけでヤバい状況を切り抜けたこともある。

 今回も上手く作用してくれるかは、まあ希望的観測すぎるが、ガタガタ震えて何も話せないよりはマシだろう。


 彼女は俺の豹変振りに少しだけ目を丸くして、すぐににまにまと笑った。

 何でコイツこんな笑顔なんだ。餌が来たからか? なんて嫌な奴だ。


「なんだ、酷い顔だからてっきり脅えてるのかと思ったけど、案外平気そうだね。おいでよ、君の部屋を教えてあげる」


 彼女──ナグはそれだけ言うと、重そうな鎖を引き摺って踵を返した。

 ムニャムニャと歌うようになにかを呟きながら、部屋の奥へと入っていく。


 よく見れば足枷から引き摺る鎖には人の頭ほどもある鉄球が一桁じゃ足りないくらいは付いていた。

 とりあえずそんなん引き摺って歩けるナグの怪力に俺は戦慄した。

 見た目は綺麗だが間違いなく彼女は化け物だ。

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