最後のわがまま

兎舞

だからでしょ

(おっと……)


 俺は両手にソフトクリームを持ちながら、正面衝突しそうになったグループを慌てて避ける。

 通り過ぎてから手元を確認するが、ソフトクリームは無事だった。ホッと息をついて戻る。


「お待たせ」

「おそーい」

「しょうがねえだろ、すげー並んでたんだから」


 ほら、と、片方を、文句たれる姉に渡した。途端にむくれ顔が笑顔に変わる。自分勝手で我儘で気分屋なのはよく分かっているから、今更腹も立たない。


「やっぱ混んでるねー」

「当たり前じゃん、ゴールデンウィークの鎌倉なんてさ」

「でも一番いい季節じゃない? 夏よりも、これくらいの季節のほうがいい感じだよね」


 言いながら立ち上がると、姉のワンピースの裾がふわりと翻った。俺が一番好きな服だった。見るともなしに眺めていると、服の向きがくるりと変わる。


「何ボケっとしてるの、ほら、あっちいこ」


 小町通りの人混みを、手を繋いで歩きだした。


◇◆◇


『明日、暇だよね』


 昨日の夜、部屋でだらだらしていたら、唐突に入ってきた姉に暇を断言された。


『勝手に決めんなよ』

『用事あるの?』

『……ないけど』

『じゃあ、早起きしてね』

『は?』

『鎌倉。朝一で行こうね』

『鎌倉?』


 なんだそれ、と追及しようとしたが、あっという間に出て行ってしまった。

 俺は呆れつつ、再びベッドに転がる。胸の内では疑問と不満が洗濯中の服のように回っていた。


(彼氏と行けばいいのに……)


◇◆◇


「ここってどんなご利益あるのかな」

「ちょっと待って……」


 鶴岡八幡宮の参拝の列は、初詣ほとではないにしても結構な行列だった。並びながら聞いて来た姉に答えるために、俺はスマホを取り出す。


「えーと……、勝負運・仕事運・出世、安産、縁結び・良縁、だってさ」


 画面をスクロールしながら読み上げる。しかし聞いて来たくせに姉は興味無さそうにあらぬ方向を見ていた。


「聞いてんのかよ」

「なんか、普通だね」

「何でも叶うってことだろ」

「やっぱいいや、並ぶの飽きた」


 突然くるりと身をひるがえし列から離れる。俺はまたか、と思うことすらせず、後を追いかけた。


「ママたちにお土産買って行こうか」

「まだ時間早いじゃん。荷物になるし、後で良くね?」

「またこのお店に戻ってくるのめんどくさい。あんたが持つからいいじゃん」


 勝手な理由だけ並べると、さっきから手に持って悩んでいた藍染のコースターやランチョンマットをレジへ持って行った。

 戻ってくると、ほら、と袋ごと自分に押し付けてきた。


「新居用にも買えば?」

「……喉乾いたね、あのカフェ可愛い」


 そしてまた勝手に歩き始めた。




「このレストラン来たかったんだよねー、入れてよかった」


 散々歩き回った挙句、江ノ電に乗ってやってきたレストランは、眺望も料理も最高だった。当然人気店のようで店内は満席だ。ただ、少し遅めの入店だったためか偶然待たずに入れたことで、俺はやっと一息つけた。


「あちこち回り過ぎだって。俺もう疲れたよ」

「なんだ若いくせに。情けないなぁ」

「食ったら帰ろうぜ」

「やだ。まだやり残してることあるから」


 最後の一言だけ、やけに真剣な顔つきで言うと、またくるっと表情を変えて外を見る。海面の照り返しが眩しくて、まるで真夏のようだった。


「もっと早く来ればよかった」

「……え?」

「なんでもない……。あんた、明日は?」

「明日?」

「予定、あるの?」

「……ねーけど」

「やっぱりね」

「なんだそれ」


 少し不貞腐れて姉を睨むが、ニコニコしながら供された前菜を食べ始めた。

 おいしーい! と歓声を上げる顔は、ちょっとびっくりするほど可愛かった。

 俺は慌てて自分の分を一口で食べきった。


◇◆◇


「一日って短いね」


 あれからまた電車やタクシーを使い倒して鎌倉から江の島、藤沢まで遊び倒した。

 確かにあっという間だった気もするが、それ以上に体力が底を尽きそうだった。


「そりゃ、こんなにぎちぎちに遊んだらあっという間だろ……。なあ、もう帰ろうぜ。土産も買ったし、母さんメシ作って待ってるよ」


 時間を確認すると、普段ならとっくに夕食の時間だった。


「平気よ。ママには今日は帰らないって言ってあるから」

「え?」


 じゃあ、行こうか。


 唖然とする俺に姉は当たり前のように手を差し伸べる。俺はぼんやりしながら、その手を取った。

 まだ子どもの頃は、こうして手を引いてもらって遊んだな、とか、記憶とも呼べない懐かしさを感じながら。




 ホテルは、昔不倫ドラマの舞台になった一流ホテルだった。どの部屋からも海が見えるというのがウリらしい。


「ほんとだ、めっちゃ海見えるー」


 姉は窓を全開にする。海風はカーテンだけじゃなく、姉のワンピースも長い髪もかき乱した。俺は混乱しながら、テラスに出て姉に並んだ。


「何考えてんだよ……」

「ん?」

「帰ろうぜ、もう」

「やーよ、もうチェックインしちゃったし。勿体ないじゃん」

「帰ったら俺が払うよ。だから……」

「いいじゃん、最後くらい」

「最後、って……」


 俺は視線を落とす。すると、姉の左手に光る大きなダイヤの指輪が光った。


「結婚するだけじゃん、別に、いつでも……」

「そうだよ、結婚するんだよ」


 だから、と言っただけで、姉は俺の首に腕を回してきた。


 俺はしばらく動けなかった。そしてそっと抱きしめ返す。

 耳に響く音が、潮騒なのか、泣き声なのかは、考えないようにして。


◇◆◇


『いいお式でしたね』

『素敵な花嫁さん』

『おねーちゃん、きれいだったー』

『新郎も格好良かった』

『おじさん、緊張してたよね、あれ』


 チャペルからぞろぞろ出てくる参列者たちの会話をBGMのように聞き流しながら、俺は親父たちから離れて新郎新婦の控室に向かった。


◇◆◇


 あの日、家に帰る途中、お互い一言も口をきかなかった。

 家に帰ってそれぞれの部屋に入るときに、我慢できずに俺から声をかけた。


「なんでだよ」

「……ん?」


 いつもと同じ顔の姉が振り向く。


「だから……」

「なんで、って?」

「だって、俺、弟だぞ」


 今聞くことか、と思いながら。


「弟だから、かな」

「え……?」

「あんただから、我儘言えた」


 なんだ、それ。

 姉の答えが全く理解出来ず、もう一度問いかけようとしたが、俺が声を発する前に姉は部屋に入って扉を閉めてしまった。


 その日のうちに、姉は荷物をまとめて婚約者と住む予定の新居へ引っ越して行った。


◇◆◇


コン、コン。

 控室の扉をノックすると、披露宴会場のスタッフらしい女性が中から開けてくれた。

 奥に、二人が並んでいた。


「おー、今日はありがとな」

「いえ、あの……、おめでとうございます」

「ありがとう。はは、なんか照れるな」


 喜びが全身から溢れるような婚約者、いや、義兄の笑顔に、俺もつられて笑い返した。


 義兄の後ろでは、何故か悲しそうな顔の姉が、純白のドレスに身を包んで座っている。式では顔を覆っていたベールは今は取り外され、さっきより大きなティアラが部屋のライトに反射して輝いていた。

 不意に、あの日に見た婚約指輪を思い出した。


 俺は姉から視線を外し、義兄に向き直った。


「あの……、姉貴を、よろしくお願いします」


 俺の改まった様子に、義兄はちょっとだけ驚いたように眉を上げる。


「勝手で、我儘で、気分屋で、何考えてるか全然分かんない面倒くさい姉貴ですけど」

「おい」


 姉の怒ったような声が飛んできたが、無視する。


「幸せにしてやってください」


 そう言って深々と頭を下げた。そのままの姿勢でいると、ぴかぴかの靴先が視界に入る。同時に下げていた頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。


「おう、任されたぞ」


 ホッとして顔を上げると、更に満面の笑顔の義兄と目が合った。

 

 その後ろにいる姉の目から、何かが流れたように見えたが、きっとあれは嬉し涙だろう。


 俺は二人に背を向けて、静かに扉を閉めた。


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