第3話 不憫な悲哀と思わぬ接点
陽の落ちかけた薄暗い街を自転車で走っていく。新調した自転車のブレーキは、下り坂でスピードを落とすのには危ないくらい効いてくれる。俺のお口のブレーキもちゃんと効いてくれたらあんなことにはならなかったのに。
今日は火曜日だが放課後練はオフだった。普通は月曜オフなのだが、昨日は新入生へのアピールのためにオフを返上で練習をしたため、振替で今日になったのだ。しかしオフといえど自主練はするという暗黙の了解があるので1時間ほど自主練をして、現在帰路についている。
それにしても最悪な1日だった。1時間目にあんなことがあってからそれ以降の授業は全く身が入らず、何度か叱られた。2年のスタートからこんなことでは先が思いやられる。彼女との恋愛に関してはすでにお先真っ暗であるが。
ブツブツとネガティブを吐き出しながら漕ぎ続け、本吉原駅に到着した。最近、国の登録有形文化財になったらしいキノコ型の屋根のホームに入ると、幸か不幸か、潤井さんがベンチに座って電車を待っていた。まあこれはそんなに珍しいことではない。練習がない日に帰りの電車が同じになることは今まで何度もあった。だからといってアクションを起こしたことはないんだけど。
今日の一件でなんだか居心地が悪かったので、彼女から離れたホームの端っこで電車を待つ。もうこれから潤井さんと話すこともないんだろうな。話しかけても迷惑だろうし、話しかけられることもない。そう考えるとなんだか……
なんだか寂しいな
あっけなく終わってしまった淡い恋にどうしようもない喪失感を感じながらスマホを起動する。今日は失恋ソングを聴きたい気分だ。サブスクで失恋ソングのプレイリストを選択し、イヤホンを耳にあてがおうとしたそのときだった。
「やあ!お疲れ様。和田くんだよね?」
肩をツンツンと指で突かれ振り返ると、潤井さんがニコニコと微笑みながら上目遣いで俺を見ていた。信じられないかもしれないが本当に彼女が話しかけてきたのだ。
「え!?あ、うん、そうだけど」
テンパっている姿を見せないように、頑張って平然を装う。
「帰りの電車一緒ってことは今日はオフなのかな?あ、コミュ英隣の席だね!これからよろしく!」
「う、うん!うん!よろしく!!あ、ごめん、コミュ英で変なこと聞いちゃって」
例の失態を謝る。これで正直引いたとか言われたら救われない。それにしても俺が岳南電車で登下校していることを彼女が認識してるのに驚いた。
「あー!全然大丈夫だよ!ちょっと面白かった」
「そっか!良かった……。でも急に話しかけられてびっくりしたよ。俺たち今日まで話したことなんてなかったからさ」
話しかけてくれて嬉しいと素直にいえばいいのに、びっくりしたと言ってしまうどうしようもない逆張りを披露する。
「うん、ちょっと……実は和田くんに前々から話したいことがあってさ、いいタイミングだったし」
「話したいこと?」
「うん、和田くんあのね……お願いがあるんだけど……」
彼女がぐいっと近づく。え?この感じまさか。
「私の……」
近づく彼女に息がかからないよう呼吸を止め、唾をごくりと飲む。次に続く言葉に期待を込める。
「私の……」
「う、うん」
「私の野望に協力してほしいの!」
「ん、野望!?」
想像もしていなかった言葉に思わず大声を出してしまった。彼女はそんな俺に対してよくぞ聞いてくれましたといった感じで話を続ける。
「そう!野望!私の野望はね、野球の応援に箏曲部の演奏を参加させることなの!私ね、昔から高校野球が好きで、自分の演奏で選手を勇気付けることが夢だったの。だから吹奏楽部に入りたかったんだけど、親からは箏曲部じゃなきゃダメだって言われちゃってさ」
「そ、そうなんだ」
「そうそう!自分自身お琴はすごい好きだから結局箏曲部に入ったんだけど、やっぱり野球応援は諦めきれなくて。それなら、箏曲部の演奏も野球応援に参加させちゃえばいいんじゃないかって思ったの!自分の好きなお琴で頑張る選手たちを勇気づけたいって。琴の演奏って静かと思われがちだけど、ロックなものは心揺さぶられるくらい迫力あるんだ!だから和田くん、協力してくれないかな?野球部の君が味方だと心強いんだけど……」
彼女が真っ直ぐ俺を見た。見かけによらず明るい人だとは思っていたが、ずっと遠くから見ていた彼女からは予想もできない大胆な野望を聞いて、俺が今まで感じていた緊張は消えていったようだ。
この野望、率直にいえば面白いと思う。プレイしている俺たち選手側からすれば、他校とは違う奇抜な野球応援であればあるほどテンションは上がるものだ。だけどそれが不可能に近いというのも野球をずっとやってきた俺は知っていた。
「確かにそれができたら面白いかもね。でも野球応援は吹奏楽部が演奏するっていうのが世の中の常識だし、それが風物詩。そこにメスを入れることに賛成する人はなかなかいないと思う。ちょっと難しいんじゃないかな」
「うん、難しいと思う。とってもとっても。出来ない確率のほうが遥かに高いのももちろんわかってる。けど、頑張る選手たちにお琴で勇気を与えたいの。だからやってみたい、挑戦はしてみたい!だってさ、どんなことでも一歩踏み出してみなきゃ始まらないと思うから!」
2、3歩歩いた後、彼女は振り返って笑顔でそう言った。何事も挑戦してみたいという彼女の姿勢は、自分にはあまりに眩しく、そして尊敬できるものだった。
「挑戦……」
この言葉が頭をぐるぐると回る。まだやってもいないのに暗に不可能だと彼女に宣告した自分が醜く思えた。それと同時に彼女と共にこの野望に挑戦すれば、今までの逃げてばかりの自分に終止符が打てるのではないか、憧れの彼女に近づくことができるのではないか、そう考えている自分もいた。
「一歩踏み出さなきゃ始まらないか……。そうだよな、やってみなきゃわかんないよな。わかった、やろう!挑戦してみよう!俺に何ができるかわからないけど、できることは協力させてもらうよ!」
彼女の光に当てられた俺は彼女の挑戦に加担することにした。自分を変えるために、彼女の隣に並べるように。
「本当に!?やったああ!ありがとう和田くん!」
彼女の白い手が俺の手をぎゅっと握り、上下に振る。心の底から喜んでくれているようで俺も嬉しい。
「これからよろしくね和田くん!あ、くれぐれも野球優先にしてね。疎かにしたらダメだからね。約束ね」
ピッと出された彼女の小指に、俺も小指を絡める。
「了解です!そういえば、なんで今になって提案してきたの?練習オフの日とかは電車一緒になること結構あったし、そのときに言ってくれても良かったと思うんだけど」
「あー、なんか今日のコミュ英のやつで話しかけやすい人なのかなって思ってさ!思い切って話しかけてみたのです!」
ニコッと笑いながら彼女は敬礼のポーズをした。驚くべきことに1年の時を超えて一歩踏み出したあの大失態の結果は、思わぬ良い方向に向かっていたらしい。兎にも角にも、ヘタレで何も出来なかった野球坊主は本日、憧れの姫君との間に壮大な野望を叶えるという思ってもみない接点ができたのだった。
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