第6話 記憶の中の“彼”

「多分、正面玄関の方にある」

「何で? あそこは先生やお客様の通るところ……ああ、そっか。転校生だから、朝は正面玄関を通って、校舎に入ったのね?」

「凄い。よく分かったなあ」

 感心をあらわにし、驚きの中にも笑みを交えた表情になる早川。

「傘は恐らく、そのとき正面玄関の傘立てに挿して、そのまま。下足箱がこっちだから、そこの傘立てを使ったと思い込んじゃったってわけ。疑うんだったら、このあと付いてくる? そっくりの傘だと分かってくれると思う」

「そ、そこまで疑ってはないわよ」

「よかった。でも、僕がどじをしたおかげで、君まで巻き込んで悪かった」

 頭を下げる早川。先ほどの寺沢と違ってきっちりしていて、お辞儀と表現するのがふさわしい。

「い、いいよ、そんなに足止めを食らったわけじゃないから」

 大げさだわとあわあわしながら両手を振る須美子。

 と、そのとき後ろから、くすくすっと笑い声がした。気恥ずかしさからか猫を被っていた寺沢が、つい吹き出したようだ。

「――あはは。早川君て、案外抜けてるとこあるんだね。ほっとした」

 ころころと楽しそうに笑う寺沢。これには須美子の方が内心、ひやりとした。

(直美ちゃん、地を出すからって、いきなりその言い方は)

「え? ほっとしたって、いったいどういう目で見られてたのやら」

 幸い、早川に特に気にした様子はない。むしろ、より打ち解けた口ぶりになったと感じられた。

「勉強も運動もできて、格好いい。完璧な男子に見えてた」

 ここぞとばかりに、早口で述べる寺沢。一度たがが外れると、一気に走るタイプだったのね直美ちゃん――須美子は密かに嘆息した。

「たった半日で、そんな風に思われていたなんてね。これから悪いことできないな」

 冗談めかして微笑む早川。それからはたと思い出したみたいにきびすを返し、「それじゃ、さよなら」と出て行く。

「あ、わざわざありがと! 車に気を付けてよ!」

 須美子がそう声を掛けて見送ると、寺沢も似たり寄ったりのフレーズを口にした。

「――で、須美ちゃん。何で急に車に注意みたいなこと言ったの?」

「だって早川君、教室を出るときの様子から言って、急いでいたでしょ。なのに傘を戻しに来たってことは、かなり時間を無駄にしたんだろうなって思ったから。このあと正面玄関にも回るはずだし」

「なるほどー、須美ちゃん凄い」

「大したことないわよ。それよりも直美ちゃん、さっきはびっくりした。急に堰を切ったみたいに……」

「あれは成り行きっていうか」

「向き合って、あれだけ言えるんだったら、私が手伝わなくても大丈夫なんじゃないのかなあ」

「そんなことないよ、全然。手伝ってくれた方が絶対に心強いし。ね、お願い」

 じっと見上げるように見つめてきて、手を拝み合わせる寺沢。

(さっき、私がいなくて、直美ちゃん一人だったら告白まで行けたんじゃないかしら。そうだとしたら、私はお邪魔だってことになりそうだけど)

 よほどそう言おうかと思った須美子だったけれども、人の恋路を目の当たりにできる機会なんて初めてだし、関心がある。やっぱり寄り添ってみようと考え直した。

「分かった。私だって経験ないから、たいした力にはなれないけど。それでもいいんだったら」

 須美子が答えると、寺沢は傘を放り出し、両手で須美子の右手――傘を持っていない方の手を取って一度上下させると、「ありがとう、約束だよ」と大きめの声で言った。

 大げさだなあ、とまた思った。


 夕食後、須美子に吉井からの電話があった。

 クラスは違っても、帰りは直美を含めた三人揃って学校を出ることが多いのだが、今日は委員会活動の日に当たっており、隣のクラスで委員を務めている吉井とは一緒に下校できなかった。

「どうしたの? 何かあった?」

 お互い、まだ携帯端末の類を持たせてもらっていない。なので、相手から電話が掛かってくること自体は珍しくない。ただし、時間帯がいつもは土曜や日曜の午後が多くて、平日の夜というのはなかなかないのだ。

「直美から電話もらって、協力してねって言われた。たった一日で、転校生にいかれちゃったの、あの子?」

「あー、そうみたい。私も協力することに」

「へえ。須美子はほんと、男に興味ないんだねえ」

「ないわけじゃないわよ。何て言うか、理想が高いのかな」

「それはともかくとして、だ。直美からの頼み事、私は一応、保留したよ」

「えっ。何で」

 意外な答を耳にして、若干だが動揺を覚えた須美子。電話を握り直す。

「何でって、だから一応よ。私ゃ、その早川君とやらをまだ全然知らないんだから。可能性は高くないと思うけど、私だって一目惚れするかもしれないし、内面ていうか中身を知った上で好きになるかもしれないじゃないの」

「はあ、言われてみればなるほどだね」

 ちょっと早まったかな。須美子は改めて転校生の姿を思い浮かべてみた。

(見た目はマル。運動もできるみたいだし、勉強も得意。その上、優しい性格。だって、間違えて持って行った傘を忙しいのにわざわざ引き返して持って来てくれたくらいなんだから、優しいに決まってる。女子に意地悪をすることがあるかどうかは、まだこれから見てみないと断定はできないけれども、多分ない。気遣いのできる人って感じだった)

 確かに、これから好きになるかもしれない。現時点でも、ちょっといいな、とは思う。

(だけど)

 須美子は電話口で軽く目を瞑り、“彼”の面影を思い起こそうと試みた。

 “彼”こと“十字星の男の子”。それは約五年前、遠出して観に行った天文関連の催し物会場でのこと。家族とはぐれてしまい、心細くて泣きそうになっていた須美子は、同じ年頃の男の子に助けられたのだ。会ったのはその会場が初めてで、名前も知らない。

 実は顔立ちすら、もはや明確には覚えていないのだけれども、意志の強そうな目と口元が印象に残っている。泣きそうだった須美子を元気づけ、笑わせて、心細さを忘れさせてくれた。結局、両親と合流するまで、ずっと一緒にいてくれた“彼”に、幼い須美子は恋心を抱き、それは他の誰にも言わないまま、今も続いている。

(やっぱり、早川君でも“十字星の子”にはかなわない)


 つづく

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