第29話 一体、何をやらかしたんだ。

 シャナラが髪につけてくれた編み紐は、ルルタにとって一番の宝物だった。

 そこには積み重ねてきた献身と思いがシャナラに届いた喜びと誇り、これから先もシャナラのそばに居続ける夢と未来が編まれていた。

 それを事もあろうに、与えてくれたシャナラ自身が取り上げ、無惨に引きちぎった。

 怒りに似た悲しみをルルタの胸をいっぱいにした。


「お前の婚礼祝いにはこんな粗末なものではない、最高級の品を贈るつもりだ。一流の細工師を呼び寄せて、いま都で流行っている中でも一番上等なものを作らせる。私の装身具を見て、どんなものが好みか選ぶといい。それとも着物やケープのほうがいいか? 何でもお前の好きなものを取り寄せよう」


 いつになく雄弁な言葉からシャナラの焦りが伝わってくる。

 ルルタは唇をぎゅっと結んだ。

 シャナラは自分のことを何もわかっていない。

 そんな悔しさと怒りが後から後から溢れてくる。

 こんなにそばにいて懸命に仕えているのに、自分の気持ちをまるで理解してくれていない。

 自分の思いなど、何も届いていないのだ。


「ルルタ、何か言ってくれないか」


 顔を上げようとしないルルタの前で、シャナラは途方に暮れたように呟く。ルルタの肩に触れようとするように手を上げるが、迷った末に再び下ろすことを何度か繰り返した。

 気配からシャナラの困惑が伝わってくる。


「ルルタ、頼む。笑ってくれないか」


 自分のことを何もわかってくれないシャナラなど、もっと困ればいい。

 そう思い、ルルタは頑なに押し黙り丸めた体に力を入れる。

 シャナラはしばらく黙っていたが、やがてかすれた声で言った。


「お前は私にたくさんの物をくれたのに、何ひとつ返すことができなかったな」


 シャナラが立ち上がる気配を感じ、ルルタはわずかに顔を上げた。シャナラは表情を隠すように、顔を背けていた。


「私も……お前に何かしてやりたかった。少しでも、お前が私にくれたものを返したかった。こんな身の上だから何もしてやれることはなかったが……それでも」


 思わず立ち上がったルルタに向かって、シャナラは微笑んだ。美しい笑顔だったが、何故かルルタの目にはシャナラが泣いているように見えた。


「ルルタ、お前はとてもいい侍女だった。……お前に会えて良かった」


 ありがとう、ルルタ。

 

 シャナラはそう言った。

 ルルタは驚いてシャナラの顔を見つめる。

 

(何で……そんなことをおっしゃるんですか?)


 そう聞きたかった。

 だがどうしても言葉が出てこなかった。



18.


 仕事に戻るように促され、ルルタはシャナラの部屋から退室した。

 何かを諦めたような、無理に微笑んでいるようなシャナラの様子が気になり、ひどく胸騒ぎがしたが、結局何も聞かずに部屋を出た。

 シャナラに編み紐を取られた怒りが、ルルタの心を頑なにしていた。


(細工師を呼び寄せるとか、豪華な一点物の飾りを作らせるとか、そんなもので誤魔化そうとするなんて。ひどい)


 高価な飾りや貴重な宝石よりも、私の手作りの編み紐のほうがお前にとっては価値があるのだな。

 お前がそんな風に思ってくれているとは知らなかった。済まなかった。


 シャナラがそう言ってくれたら、自分がこの編み紐をもらった時にどれだけ嬉しかったか、毎日髪を洗う時に丁寧に外していつも専用の箱の中に収めている、それくらい大切にしていたのだと切々と訴えることができるのに。

 シャナラはそんなことはひと言も言ってくれなかった。


(いくらシャナラさまでも許せない。謝ってくれるまでうんと丁寧に接して、仲良く話してなんてあげないんだから)

 

 ルルタは手の中に残ったちぎれた編み紐を握りしめる。

 目通りの間を抜け、控えの間の扉を開けた瞬間、ルルタは足を止めた。目の前に、彫像のような美しい姿勢を保ったマーリカが立っていた。

 慌てて目尻に浮かんだ涙を指先で拭い、ピンと背筋を伸ばす。

 マーリカは感情の浮かばない静かな瞳を、ルルタのほうへ向ける。


「寵妃さまの御用は済みましたか」

「は、はい、仕事に戻るようにと言われました」


 マーリカは表情を変えずに言った。


「では、すぐに仕事に戻るように」

「はい」


 ルルタは頭を下げて回廊へ出る。

「なぜ、マーリカが控えの間にいるのか」という疑問が心をかすめたが、それも一瞬のことだった。

 すぐにまた、シャナラに対する腹立ちと自分の気持ちがわかってもらえない悔しさで胸がいっぱいになる。

 侍女らしからぬ荒っぽい足取りでズンズンと回廊を歩いていると、不意に柱の影から見慣れた小柄な人影が現れた。


「ルルタ」

「レイさま?」


 ルルタに婚約の話を持ちかけてから、シャナラを正妃にするためにはりきって奔走していたようで後宮でも姿を見かけることがほとんどなかった。

 会うのは久しぶりだ。

 作法通り挨拶をしながら、ルルタはレイの少女のように繊細な容貌に浮かぶ表情がいつになく険しいことに気付く。

 果たしてルルタが言葉を終える前に、レイは噛みつくように言った。


「お前、一体、何をやらかしたんだ」

「え?」


 ルルタはきょとんとして首を傾げる。


「何のことですか?」

「いま、寵妃さまの部屋から出てきただろう。話があったんじゃないのか」


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