第30話 突然のお別れ
レイがまた、シャナラの部屋の前をウロウロしていたことに驚きつつ、ルルタは頷いた。
「お話をしてきましたけれど」
「どんな話だ」
不意にシャナラが言ったことを思い出して、ルルタは言った。
「レイさまもシャナラさまに呼ばれて話をされたんですよね?」
「おい、僕のほうが聞いているんだぞ」
レイはムッとしてそう言ったが、揉める時間がもったいないと思ったのかすぐに話し始めた。
「寵妃さまは、僕がお前のことを騙しているんじゃないかと思ったらしい。最初お会いした時はえらくご不興だった。まったく冗談じゃない、何で僕が、平民の小娘を騙してまで妻にしなくちゃいけないんだ」
「へ、平民の小娘って……」
事実だが、本人に向かって言うだろうか。
ルルタの様子などいつも通り大して気にせず、レイは尊大な態度で胸をそらす。
「僕の目的は寵妃さまに信頼していただき、末長く縁を結んでいただくことだ。そのためには、寵妃さまが気に入っているお前を妻として大切にしている
話しているうちに興奮してきたのか、レイは頬に血を上らせて声を荒げる。
「利用価値がなくなったから離縁するなど、そんな近視眼的な考えで結婚という切り札を使うわけがないだろう。寵妃さまは、僕のことをそんな底が浅い小策士だと思っているのか」
「気にするの……そこ?」
思わず漏れたルルタの言葉など気にもとめず、レイは口から唾を飛ばさんばかりの勢いでまくし立てる。
「お前がどんな人間かなんて、そんなことはどうでもいい。お前がどうしようもなく気の利かない、駄馬並みの薄のろな役立たずだとしても、妻として迎えるからにはそれ相応の扱いをする。そんなのは当たり前だろ。一体、何だってそんなことをわざわざ説明しなくちゃいけないんだ」
「レイさまって凄いですね」
ルルタは思わず感心する。
レイはルルタ個人には、愛情はおろか興味も関心もない。だが国王の寵妃であるシャナラの信頼を得て宮廷に権力を築くという政略のために、愛情を持っている妻と何ら変わらず大切にするつもりなのだ。
殿上人たちの「打算」は、一般的に考えられているような目先の利益を得るためだけの方策ではない。これから先、何年、何十年先の宮廷の勢力図を緻密に計算し、その考えに自分の言動をすべて合わせるものだ。
その思考から生まれる言動は、うつろいやすい一時の熱情に基づくものよりもよほど確固としている。
「今ごろ気付いたのか? まあ目端の利かないお前にしては上出来だがな」
レイはツンとした顔で顎をそらしたがその表情を見ると、感心されたことにまんざらでもなさそうだった。
「僕がそう答えたら、寵妃さまも納得して下さった。思ったより出来たかただったな。クランスカ家がルルタのことを大切にするのであれば出来る限りのことをする、くれぐれもよろしく頼む。そう言って、わざわざ
ルルタは驚いて顔を上げる。
「シャナラさまは正妃になられるつもりがないのですか」
「僕も驚いたが、誰であれ正妃の後ろ楯になれれば、クランスカ家が権力を握りラガルドを抑えられる」
答えてから、レイは不意に苛立ちを露にして淡い金色の頭をかく。
「寵妃さまは何度もお前のことを頼むと言って、保証書を出して下さった。それが寵妃さま手づから書かれたものだったんだ。これは、お前のことをそうとう気に入っているだなと思ったよ。そう考えるのが当然だろ? 普通であれば考えられないことだからな」
「シャナラさまが自筆の保証書を……?」
ルルタは言葉を失う。
「保証書」は、自分に仕えていた者の能力、人柄、信用性を請け負うことを証明するものだ。
多くは型通りの書式に則ったものが出されるだけだが、主家の個人的な言葉が付け加えられる、ましてや自筆の書となれば飛躍的に価値が上がる。
そのような高待遇をルルタのような一介の侍女に妃が与えるなど、およそ考えられないことだ。
シャナラは持てる力の全てを使って、自分を守ろうとしてくれている。
ルルタは、手の中に残るちぎれた編み紐を握りしめる。
今すぐシャナラに会いに行き、先程のひねくれた態度を謝りたい。
にわかにソワソワし出したルルタを、レイはジロリと睨む。
「自筆の保証書まで出して下さったというのに、お前は一体何をやらかしたんだ?」
「やらかした?」
レイは不機嫌そうに言葉を続ける。
「呼び出されて話をされたんだろ? お前を寵妃さま付きの侍女から外すと」
ルルタはレイの顔をマジマジと見返した。
「外す……?」
「そうだ。しばらくはマーリカどのが身の回りの世話をするらしい」
レイは悔しげに渋面を作る。
「まったく、これじゃあ何のためにお前を妻にするのかわかったものじゃない。まあ自筆の保証書を出すくらいだ、頃合いを見計らってまたお前を侍女に戻すのも難しくないだろう。それにしてもこんな体たらくじゃ困る。いいか、寵妃さまのお心を掴み続けるのが僕の妻としての第一の責務と心得て……お、おい、ルルタ、どこに行く気だ!」
突然駆けだしたルルタの背中に向かって、レイは驚いて声をかける。
だが、ルルタの耳にはレイの声は、否、他のどんな音も周りの景色も入って来なかった。
頭の中には、寂しげに微笑むシャナラの顔だけが浮かんでいた。
(お前はとてもいい侍女だった)
(私は……お前に会えて良かった)
(ありがとう、ルルタ)
シャナラの部屋の前にたどり着く直前、ルルタの前に背の高い影が立ちふさがった。
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