第2幕 推しの強い女
「だって好きなんだもの!」
ひとけのない渡り廊下の奥隅で、少女の声が辺りに響く。目尻に涙を浮かべ紅く染まった額と頬には、羞恥のそれに負けないくらい強い意志をにじませている。
その勢いに気圧され、呼び出したはずの自分が狼狽えてしまう。こういう予感はあったものの、いざ直面すると面食らう以外何も出来なかった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、なんてベタな回想の入り方をしてみる。
今日は、苦手な朝を押して、いつもの倍以上の早さで朝のルーティンを終わらせた。爆速で自転車を漕ぎ散らかして登校した。何故なら目的があったから。ヤツが一クラスに2人くらいはいる登校早めにする勢であることは既に知り得ている。
果たして着くや否や、問題の人物を発見する。課題らしきものを机に広げイヤホンを耳に着け、身体をWの時に揺らして浸っている。いやそれ勉強する気ないよなと判断を下した。突如現れた自分に驚く深山に、有無を言わさず拉致恫喝脅迫手段選ばず実力を行使した。具体的に言うと、話したいことがあるんだと告げて腕を掴んで歩きだした。
彼女は初めは混乱していたようでほんのりと抵抗していたが、途中で観念したのか俯いて大人しく連行された。四階と屋上を行き来するための六畳間くらいのスペースがある階段室。
そして、向かい合って、詰問と押し問答が始まった。
「消せ」
「…………え、何のこと?」
「昨日スマホのロック画面を見た」
淡々と事実を告げる。
これだけ言えば伝わるだろう。
その言葉を受けて深山は動揺を見せる。目を点にした後、告白は……?と思わず溢れたような独り言が聞こえたが気のせいだろう。強いて言うならお前が罪を告白するんだよ。
そして記憶を手繰り寄せること数秒、ただ一言、「あっ」と思い当たったのか、やっべーとすこぶる気まずそうに顔を背けた。
その顔を掴んで無理矢理俺の方に向ける。そうして視線を逸らさないでいると、ジリジリと後退していく。追う。やがて壁に追い詰められて逃げられないと悟ると、目をぐるぐるさせながら俺の腕手を振り払って叫び始めた。
「な、なによ、人のスマホを盗み見するなんて信じられないファンやめます!!」
「ファンやめていいからスマホ貸せ」
「やだ」
「いいから貸せ」
「やぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜!」
首をぶんぶん水平に振って逆ギレの上てっていこうせんの構えを見せてくる。意志が鋼タイプ。
しかし、だからといって逃げるわけにもいかない。気が動転して真っ当に所有者にスマホを返してしまったが、返す条件として消すことを約束させるべきだったと気付いたときにはもう遅かった。しかし、まだ手遅れではない。一刻も早く何としてでも消去させねばならない。
「駄々をこねるな」
「本当に消したいというのなら実力で勝ち取ってみせなさい」
スマホを挑発げな眼差しで振りかざす。その言葉を待っていた。
俺は売られたら買い叩く主義だ。買い言葉の大安売り。
「言ったな?」
「ちょっ、仮にも乙女の身体をガチでまさぐるつもり!?」
「大義名分を得たのでな」
「このご時世にそれヤバいって!大して名分でもないし。通報!通報!ヤダってば!駄目!迫られてる!!近い、近いってば!限界っっっ!」
手に持っていたスマホを奪おうとするにじりよったが、全力で避けられて後ろに回り込まれた。それでも再びくるりと正面に回り込んで壁と挟撃する。そのまま深山が抱えたスマホを奪おうとするが、全力で身体を縮こまらしゃがみ込んでしまった。
したらばと、問答無用で深山の腕をこじ開けてスマホを奪おうとする。クロスした腕が熱したはまぐりのように少しずつ開いていく。と、こちらを見た深山と目が合うや否や、開いた腕の隙間からヘッドバットをクリティカルヒット。ゴチンと頭蓋骨と頭蓋骨が間接キスをする音が鳴り響いた。
互いに額を押さえてうずくまる。この女、流石鋼タイプ、いしあたますぎる。しばらく頭の周りをお星様がくるくると周遊していた。
なんとかお互いに回復した後は、強攻策を一度放棄することに。お互いにしゃがみ込んだまま、俺は諭すように優しく言い聞かせた。
「いい子だから諦めて早く渡そう、な?」
そして、冒頭のセリフである。スマホを抱きかかえて渾身の絶叫であった。どれだけ受け入れたくないんだ……。
深山はとうとう横にコロリンと倒れると、そのままダンゴムシのように丸まってしまった。地べたへの抵抗がなさすぎる。
「だって仕方ないじゃん!」
昨日、深山は倒れ、その友達の浅利に引っ張られ連れて行かれた。その後、その床には俺と一つのスマホ。みんな持ってる林檎スマホ。正直どれも似たようなものばかりで確信はなかったが、なんとなくケースに見覚えがある気がした。
それで、状況的に深山の物だと見当を付けた俺は、念の為何か確定させる手がかりがないかと、スマホのスリープを解いてみた。そこには当然ロック画面が映る。そこの画像には、
自分が写っていた。
深山も写っていた。
それぞれ少し若かった。
中学入りたての頃だった。
お姫様だっこをしていてされていた。
あまりの恐怖に涙が止まらなかった。呆然自失とはまさにあのことなのだろう。ひとのスマホだというのに落としそうになってしまった。元々画面の端が割れてはいたが。
急いでスリープにしようと電源ボタンを見つけるが、指が動揺でブレにブレてそれも叶わなかった。早く自動でスリープになってくれと祈り続けた。
なぜ同級生とのツーショットを設定している。しかも俺の記憶にはない。心当たりないではないが、数多あるうちの一瞬のことなので当然だが。
その画面には、今では絶対に深山に見せることのない笑顔で俺が楽しそうに笑っていた。
だから俺はこうして動いた。ツーショットを消させるために。今回の俺のように、あんなもん簡単に他人に見られてしまう。そうすれば俺の過去が詳らかになってしまう。これ以上の情報漏えいは何としても防がねばならない。だが、これほど抵抗するとは予想外だった。
つまりそういうことなのか。いや、もう確実にそうだ。そうなのは分かりきっている。分かっているが聞きたくない。聞きたくないがそれでもどうしても聞かずにはいられない。聞くにしても聞きづらすぎる質問になるが。目の前で丸まる深山に、改めて俺は問いただした。
「好きなの、俺のこと?」
「…………いや、まあ、その、ちょっとだけ?」
「ちょっとなら消せ」
「察してよ!!こんな辱めあんまりよぉぉぉぉぉぉ!!」
仰向けになってジタバタと身体全体で感情を表現させたあと、手で顔を押さえて呻き声を伸ばし続けている。
「なんで羞恥心持ってるのにそんなこと出来るんだ」
「女は度胸」
「捨てちまえ」
「ついカッとなって?」
「罪の自覚もありと」
開き直りが潔い。手の施しようがないのかもしれない。
「犯罪じゃないからいいじゃん!お金を払って撮ってもらったの!私はこれを所持する正当な権利があります!」
むくりと起き上がり正座をすると、片手を天高くに掲げ自分の正当性を主張し始めた。
チェキ一枚+スマホで二枚撮影で千円。我々ながら結構お高い商売をしていたものだ。そう商売である。売って権利を譲渡した。つまり深山が全面的に正しい。ぐうの音も出ない。
だからといってそんな正論認めるわけにはいかない。SAN値直葬クールパック速達便がいつでも発送準備出来ている状態とか発狂もんよ。俺は俺自身と俺のキャラクターを守らないといけない。
「2000円やるから消してくれないか」
「3000円払うから見逃してくれないか」
あまりにも真っ直ぐな目に真顔で即レスされる。
それを許してしまうと俺はクラスの女子にカツアゲしてるだけのクズになってしまう。冒頭のセリフ通りに本当に恐喝するやつがいるか。誇張表現だよ。せめて説得を目指そう。論理的にいこう。
「……それを誰かに見られたらどうなると思う?」
「笑って受け入れてくれた」
「違う、そうじゃない」
クラスメイトと二人、お姫様だっこのツーショット。そもそも見られたいわけがない。なのにその論理が通じない。
「アサリとタメチーと家族と部活の先輩と中学の友達と先生だけだから安心して」
「それは安心じゃなく、ただとどめを刺しただけだ」
あまりにも広範囲に拡散されていた。考えうる限りそれなりに嫌な広まり方だ。出来るだけ俺の過去は誰にも知られたくないんだ。
「大丈夫。コラだと思われたから安心して」
「それは安心だが、お前の信頼ガタ落ちしてないか不安になる」
名前が出た浅利と為近は、この深山とセットで三人仲良しトリオ。為近は何をするか分からない人間びっくり箱で有名。浅利は緩い雰囲気から飛び出す強いオタクオーラ。深山はたおやかな深窓の令嬢。この中に一つだけ嘘が混ざっている。ヒントは深山。
「やっぱり駄目だった?」
「駄目しかないが?」
「クラスの誰もこの笑顔を生で見たことはないんだと、スマホを見られるたび優越感に浸ってただけなのに!」
「せめて情状酌量狙えよ、罪の上乗せをするな」
「分かった。ならいっそ私を殴ればいいわ!それはそれで本望!内角を強めにお願いします」
「そんな殴る気無くすこと言うな」
度胸を見せるな度胸を。
ついでに性癖も見せるな。
しょーもない冗談に気勢をくじかれてしまう。多分冗談だと思う、1割くらいは。
座り込む深山に手を差し出し、身体を引っ張り上げる。
見事に薄手のカーキのカーディガンが汚れて白くなってしまっている。手で払ってやると最初は拒んでいたが今や嬉しそうにされるがままである。こういうのこそセクハラ呼ばわりするときだろうに。
最後に鬱憤を晴らすため、リクエストに少し応えて頭を強めに叩いてやる。
「ホコリついてたぞ」
「痛い……ふへへへへ、転がって良かった」
「バーカ」
「へへへっ」
頭を押さえて上目遣いでこちらを見つめる。毒気を抜かれてしまった。
そして訪れるつかの間の沈黙。どう話を切り出したものか逡巡していると、先に深山が口を開いた。
「ねえ、私がどれだけ驚いたか分かる?入学して教室に入ってクラスメイトの顔を見回したらあの花籠光宙がいたんですけど?あまりのことに正気を失って気絶しちゃった」
「それか病弱お嬢様認定の原因」
「まあ実際昔はそんな時代もあったけどね。ちょっと身体が弱かったもので。今はおかげさまでこのとおり運動部に入って元気に運動してるし」
「そりゃよかった」
「本当に、ピ、花籠くんのお陰なの。あなたを見て、憧れて、頑張って、少しずつ運動するようになって、今ではすっかりこのとおり。病気怪我一つない健康体よ」
「昨日倒れたのは」
「持病の癪です」
「今どき言わんぞ」
「あなたに愛してるって言われて死なない人間がいますか!?」
「いや、おるやろ……」
「おらん!!!!」
「おらんか……」
おらんらしい。今度ムカついた人間がいたら試してみよう。
深山と話していると脱線したまま本筋に帰ってこれない。
どうやら、本当に俺のことが好きみたいだ。率直なのことを申しますと、そうじゃないかと考えては告白されたときの対応を20通りは妄想した気もする。
で、いざ現実で直面すると、その20通りとは全く違う言葉が口をついた。
「気持ちは嬉しいんだ本当に。本当に嬉しいんだけど、でも、今は誰とも付き合う気になれないんだ」
心がここしばらく、ずっと喪に服している。プラスの感情をどうしても上手く処理が出来ない。
幸せに気を許して気を抜くとふわふわと思い出してしまう。
家族で食卓を囲んだ日のこと。病院の色味の薄い匂い。波が平らになる音。花に包まれた冷たい身体。煙突から上る煙。
そうすると、スッと心が冷たくなって、今と向き合えなくなってしまう。まだ当分はこのままだろう。
それにもう一つ。周囲からのブーイング。外での嫌な出待ち。エゴサすると叩かれていて。ファンとアンチというものの怖さを思い知った。それに怯んで、中途半端なまま終わりにして逃げ出した感情の欠片をまだポケットにしまったままだ。
だから断るしかない。深山が嫌いとかじゃない。過去の自分なら可愛いレディに告白されたら誰であれ瞬く間に快諾しただろう。
ただ時期が違う。
目処は寝そべり続けているけれど、いつか気持ちの整理が着いたなら応えられるかもしれないけど。
「まあ友達からなr「当たり前じゃない!茶化さないでよ。推しは推しです私はそこまで堕ちてはいませんああいう追っかけが私は一番嫌いなんです」
時が止まる。
その止まった間に見えないよう心の中で泣いた。それなりにしっかりと泣いた。お付き合いする気がないからと言って、モテたいかモテたいかで言えばかなりモテたい。それが俺の隠さない素直な気持ちだった。そのせいで酷い目にあったけれども。
一瞬でも浮かれた気分になった自分を殴り倒した。なんのかんの言っても浮ついてしまう自分がほとほと嫌になる。
そっか……。ただの推しか……。
てっきりファンは全員推しと付き合いたい厄介なものだと思っていた。推しとは付き合いたいけど、推しが誰かと付き合おう者なら荒れ狂う夜叉となりアンチにも狂信者にもなる。そういう奴らを目の当たりにしてきた。
そういうのと違うファンもいるのか。
目の前の真剣な顔したファンをまじまじと見つめる。
いつもなら、ふざけて倒れたり目を逸らしたりして茶化す彼女は、そんな俺の目を真っ直ぐと見つめ返して告白した。
「私は、サーカスで輝くあなたのファンです」
どうやら本当に俺は、彼女のただの推しらしい。
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