第38話 殺生石 其之伍

 山道に難儀したこともあり、私たち一行は、下総国から常陸国に入るのに六日を要した。


 普通に歩く倍以上の時間はかかったが、人夫たちが丁寧に運んでくれたおかげで、輿には傷一つ見られない。それもこれも十六人の人夫たちが手を抜かずに道を切り開き続けてくれたおかげだ。

 その道中、別個の野盗に二回も襲われたが、これも人夫の戦闘担当が難なく退けてくれた。小三郎たちには今の倍の給与を払ってもお釣りがくる。捕まえた野党は、全員兵士に引き渡した。数人は改心してほしいと願う。

 他方、私たちの方は、小さな怪異を散らすことの繰り返しだった。


 山を越えるのに四苦八苦していた我々であったが、常陸国に入ってからは進む早さが格段に上がった。

 

 下総国は山がちだが、常陸国は平地が多い。

 大凡六百年ほど前に書かれた常陸国風土記によれば、常陸国は、土地が広く、土が肥え、海山の産物もよくとれ、人々が豊かに暮らし、常世の国のようだ。と言われてたように、道一つとっても非常に歩きやすくなった。

 常陸国を東進することたった二日で、山と野原ばかりだった街道に、ほのかに潮の香りが漂った。

 弟子達も、敏感にその匂いを感じているようだ。

 鼻を効かせると、干した魚の匂いもした。ああ、海だと私は何となく感動した。

 元々海のある場所で育った源翁は、潮の匂いを好いている。何というか、海の周りで育つと海に敏感になるし、その恩恵と災害の大きさから、菩薩と閻魔を足したような想いが形成されていくのだ。私の育った佐渡海峡と鹿島灘では、波の荒さも匂いも全く違うが、何か戻ってきたという感覚になるのは共通している。

 そして、私たちはとうとう海が見えるところまで来た。陸の街道が海の街道へと繋がったのだ。

 ここから先は街道を北へと進むだけだ。

 友部ではあの一膳飯屋に寄ってみたかったが、この人数では入りきれない。残念だが、イソウラと友部正武に挨拶するのみにする事にした。

 目標にしてきた友部がもう間も無くという事で、皆の顔にも若干の安心感が見えた。弟子たちに甘い顔をする訳にはいかないが、人夫たちにはずっと緊張を強いてきたので、友部では少し長めに休憩を取ろうと決めた。


 海岸沿いの街道は、往来がとても多く、通行する人の足で道が均らされている。起伏もなだらかなので山道に比べると驚くほど早く快適に移動できた。

 足元がいいとここまで進む早さが違うのかと驚いてしまう。スイスイと進んだ私たちは、海の見える街道に入ってから僅か半日で友部の町に入ることができた。少し進むと、あの独特な長屋街が見えてきた。街道に沿うように長屋が内陸に向かって多く続いている。あれを見ると、ああ友部に来たなと思える。

 町に入ると、道で遊んでいた童子たちが、わーすごいー、あれで殺生石運ぶのかな?などと騒ぎながら源翁たちを囲んだ。どうやら、イソウラの話が広まり、源翁はこの町の有名人になっていたようだ。

「これは大切な道具だから、触らないで見るだけにしてね」

「えー、ちょっとだけ触らせてよー」

 などと弟子たちが、童子の対応に回る。

 私も見ているだけではまずいので、弟子たちに混ざって童子の対応に回った。しかし、港町の童子はなかなか手強い。普段から力仕事をしている上、気性の荒い人々に囲まれているので、全く物怖じしないのだ。ある意味で怪異よりも手強い。童子たちは、男の子も女の子も何とか輿に触ろうと屈強な人夫を突破して近づいてくる。なにしろ小さいので、身体で弾くにも限界がある。 

 小さなお客さんに囲まれて立ち往生していると、どこからともなく海人族が数人現れ、子供たちに「うちの親分が、そこの源翁さんに話があるってよ。ちょっと通してやってくれ」と言ってくれたので、子供たちは文句を言いながらも渋々輿から離れた。

「うー、あとちょっとだったのにー」

 と何人かが悔しがっていたが、さすがに海神族の言う事には逆らえないようだ。

 海神族は薄く笑って「では、こちらへ」と案内を始めた。

 よく見れば源翁たちを案内するのは、あの一膳飯屋で暴れた三人だった。見覚えのある刺青だから間違いない。

「どうも、お久しぶりです」

 私がそう言うと、三人とも深く頭を下げ「どうもその節は…」と殊勝なことを言う。

 イソウラの言っていた通り、酒が入らなければ礼儀正しい人間のようだ。


 三人は私たちを、町からさほど遠くない海沿いの大きな屋敷へと案内してくれた。

 門番に「源翁さまをお連れしました」と言うと、大きな門が音を立てて開いた。京の朱雀門が開くような荘厳な開門で、門が開き切るまで、皆がそれが儀式のようにじっと見ていた。

 中からは、イソウラに勝るとも劣らずの刺青を全身に入れた男が出てきた。これだけ立派な刺青が入っているところを見ると、相当な幹部なのは間違いない。

「どうぞ。こちらへ」

 案内してくれた三人とは門前で別れ、私たちは屋敷へと案内された。

 恐ろしく広い玄関先の土間に輿を置かせてもらうと、イソウラの屈強な部下が五人、輿を守るため土間に入ってくれた。私たち二十人は、そのまま屋敷の客間へと案内された。

 途中途中にある掛け軸や置物は、かなりの大物の武士ですら手に入らなさそうなものばかりで、イソウラの力の強さが窺い知れた。弟子たちは、それだけで縮み上がってしまったようだ。大物の屋敷にはその人柄が滲み出る。このイソウラという人物は、人格、美的感覚に優れているのがすぐにわかる。

 通された客間も驚くほど広く、五十人入ってもまだ入りそうな場所で、全面畳ばりだった。これほど多くの畳を揃えるとは凄いと言わざるを得ない。ほとんど毎月畳大工が入っているのではないだろうか。

 人夫や弟子たちが畳を踏んでいいものかと顔を見合わせて思案しているので、私が一歩を踏み出した。

 ささっと進むと、客間の中ほどに人数分の座布団が敷いてあった。

 私たちの人数はすでにここに伝わっていたようだ。まるで足利氏のような情報網だと思う。足利氏は情報と武将の質で他を圧倒している。イソウラは全国の海を駆け回っているので、情報の重要性を理解しているのだ。


 全員が座布団に座ると、見計らったかのように奥からイソウラが現れた。


 無駄な動き一つなく部屋へと入ってくる。はだけた服からは立派な刺青が覗き、同じような紋様が全身を覆っている。最も立派なのはやはり顔の刺青だ。これぞ海の男といった感じだ。

「ようこそいらっしゃいました」

 イソウラはそう言うと、一礼して全員の並ぶ前にどかっと座った。

「先日は、困っているところを助けていただき本当に助かりました。イソウラ殿の屋敷にお招きいただき光栄です」

「いやいや、そんなに畏まらないでください。こちらこそわざわざお呼びしてすみません」

 相変わらずの礼儀正しさだ。

 こちら側の人間は、何故ここにいるのか良くわかっていないので、えらく緊張している。

「ここに来られたという事は、例の準備が整ったという事ですか?」

「はい。お陰様であの文が本当に二日後に京に届いたとの事で、これだけの早さで準備ができました」

「そうですか。友部正武も鼻高々ですな」

 お互いに笑うが、他の人間は何が可笑しいのか分からないので微妙な顔をしている。

「これを聞いて安心しました。私も友部正武もその後を心配しておりましたので。彼にはいい報告ができます」

「殺生石を祓うのに、これ以上ない助けでしたとお伝えください」

「分かりました。ここ常陸国は朝廷とは浅からぬ因縁があります。ですが、今回は過去の事を水に流し、日本のために手助けするというのが筋。何か手助けすできることがあれば、何なりとお申し付けください」

 イソウラは真剣な眼差しで私を見ている。わざわざ常陸国の歴史を出してまでの申し出。この心意気を受けないのは礼に反するというものだろう。

「ありがとうございます。我々は、殺生石を輿に乗せた後、殺生石を常陸国から下野国に運びます。友部から下野国までの間だけでも警護していただけると助かります」

「承知しました。我ら海の民、陸戦もお手のものです。お任せください」

「では、一刻も早く殺生石をこの輿に乗せなければなりませぬ故、私たちは現地に向かいます」

「そうですか。少しお休みいただきたかったのですが、事は急を要します。無事を祈って、我ら海神族はここでお待ちしています」

「山の環境にもよりますが、一週間もあれば戻れると思います。では、そろそろおいとまさせていただきます」

 わざわざ玄関まで見送りに来てくれたイソウラに全員で頭を下げると、人夫の疲労回復のために街の茶屋で一服した後、賀毗禮山へと急いだ。


 この街道は賀毗禮山までは平坦な道なので、麓の集落までは今日中に入れる。皆にそう伝えると、人夫たちは交代を早めて、輿の移動を早めてくれた。

 途中でイソウラの事を考えた。

 私たちは朝廷の要請で動いている。それにも関わらずイソウラは輿の護衛を引き受けてくれた。彼は日本の危機だからと言うだろうが、それでも普通なら受けないだろう。神話の時代、この地では大きな争いがあった。ここ常陸国は豊な地であったので、地元の人間が朝廷の軍勢に多数殺められた。イソウラたち海の民も多くが殺されたことだろう。朝廷側に付いてその先陣を切り、この地を朝廷の直轄地にした建御雷神も経津主神も猿田彦も、結局は彼らが力を持つことを恐れた朝廷に殺された。最後に残ったのは、天香香背男を倒した朝廷の女神である建葉槌命だけだ。

 まあ、それからもう千年以上の月日が流れているが、人間、虐げられた恨みは中々忘れないものだ。それでも協力を申し出てくれたのだからイソウラは相当にできた人間だと思う。


 源翁の予想通り、その日のうちに薩都という町に入れた。ここが賀毗禮山の麓の町だ。


 賀毗禮山は古来より信仰の聖地だった。

 九尾の狐がここを選んだのは、山の持つ豊富な霊力で人が近づかない事もあるが、山の霊力を自分の物にして力を付ける狙いがあったのだろうと、私は思っている。

 山に入る前の補給は薩都で最後だ。塩と魚の干物は友部で買ったので、ここでは野菜と米を買った。

 間も無く夜になるというところで、私たちは山の近くまで歩みを進めた。山に入る前にあの寺に寄って、墓に眠る山伏の海燕に報告をする為だ。

 賀毗禮山の麓の町は、ほとんど山の中ということもあり、相変わらず人気がなく静かだった。僅かに平地のある丘陵地に固まるように長屋が並び、その先にあの寺がある。そこから遠くない場所には薩都神社があり、かつては賀毗禮山の中にも社があったそうだが、峰が険しく参拝が困難なため移動したと言う。

 ただ、賀毗禮山を登った私が思うに、常に霊気が濃いため怪異が多く、神職ですら常駐できなかったというのが真相だろう。それに加え、立速日男命という祟り神が賀毗禮山の峰に移ったという伝承があるので、あの山頂には人間にはどうにもならない祟り神が埋まっていた可能性もある。

 そう考えると、やはり海燕という修験は相当な人物だったのだと改めて思う。もしかすると海燕が立速日男命の御霊を祀ってくれていたのかもしれない。九尾の狐と立速日男命が向かってきてはさすがに勝ち目は薄い。幾重もの幸運が重なった上で私は今こうして生きているのだと実感する。

 私たちが勾配のある坂を登り切って寺に入ると、どういう訳か、境内の庭に村人たちがほとんど全員集合していた。

 どうやら友部からこちらに向かっているという情報を誰かが届けたため、私たちをもてなそうと集落の方々が集まってくれたようだ。

 折角集まってくださった方々に挨拶をしないわけにはいかない。源翁は、隊列の先頭に立って村人に挨拶をした。

「皆様。私は源翁心昭と申します。お揃いで出迎えていただきありがとうございます。我々は明日、殺生石の眠る賀毗禮山へと入ります。皆様の安寧のため頑張りますので、よろしくお願い致します」

 私は、村人たちに頭を下げた。

 村人たちは、歓声を上げて私たちを歓迎してくれた。ただ、皆の顔が晴れやかかと言うとそうでもない。どうやら、噂の殺生石が近くにあることが鼻高々ではあるが、同時に恐怖も感じているようだ。 

 村人たちの対応を弟子に任せ、私はこの寺の住職の元へと赴いた。寺の中にも歓声が聞こえたようで、住職は寺の入り口ですでに私を待っており、どうぞこちらへと海燕の墓へ案内してくれた。

 墓には海燕の戒名が彫られた真新しい石が置かれ、花が添えられていた。

 私は、その墓石の前に立ち、これまでの報告をした。

「海燕どの。其方のお陰で、九尾の狐を封印することが出来ました。其方がお堂に入れてくれた賀毗禮山の御神体がなければ間違いなく私はここにはおりません。私たちはこれからその御神体を那須の地まで運び、今後数百年の間、九尾の狐が現れないように祓いの儀式を致します」

 報告を終えて墓石に祈ると、私は墓石に頭を下げた。

 どこかであの厳つい顔が笑った気がする。彼が山頂に九尾の狐がいると伝えてくれたからこそ、九尾の狐を封印することができたと言っていい。源翁は、感謝の意を込めて、最後にもう一度墓に手を合わせた。

 祈りと報告が終わると、私と住職は無言で墓を後にした。ここには全てが終わってから良い知らせを持ってもう一度来なくてはならない。

 二人で庭に戻ると、私は住職にお願いをした。

「海燕さまの墓を丁寧に作っていただいてありがとうございます。迷惑を承知でお願いしたいのですが、本日、一晩、野営地として御寺の境内をお借りしたいのですが、良いでしょうか?」

「ええ。もちろん大丈夫です。狭いですがお好きに使ってください。村人も源翁様たちがここに泊まると思って、酒を用意して集まっています」

「そうですか」

 二人で思わず笑ってしまった。

 境内は、もうほとんど祭りの様相だった。娯楽の少ない時代だ。これもまた集落には必要なことだろう。

 集落の人々と完全に打ち解けていた弟子たちは、私と住職が戻ると、町人達の場を外れて足早にやって来た。

 まずは、料理上手な円来が聞いてくる。

「あの。御住職さま。炊事場をお借りしたいのですが…」

「あ、そこは心配なさらなくとも大丈夫です」

 住職が笑いながら言う。

「どういう事ですか?」

 怪訝な顔をする円来に、住職は炊事場を指差して「もう先に女衆が炊事場を使っております」と言った。確かに女衆たちが一箇所に固まって忙しそうに動いていた。

 それでは自分達の出る幕はないと、弟子たちは「何から何まですみません」と頭を下げた。

「いえ、この集落の人間は皆源翁さまに感謝しております。ですから今日は薩都の郷土料理をご堪能ください。二十人いても三十人いてもお腹いっぱいになる料理が出て来ますよ」

 住職の言葉通り、すでに酒が入って出来上がった男衆を跳ね除けるように、女衆が食べ物を乗せた膳を運んできた。

「これは、凄いな」「いやはや、食べ応えがある」「ふふふ。山登り前にちょうどいいな」

 などと言いながら、男衆と共に酒を飲んでいる人夫たちもほくほく顔で料理が並ぶのを見ていた。

 人夫たちは男衆と気が合ったのか、皆が顔を真っ赤にして大声で話している。

 薩都は山の麓にあるものの、海までも近く、友部で海産物も手に入る。お盆には山菜料理と共に海産物の料理も並んだ。これには人夫たちが皆色めきたった。まさかこんなところで海の幸が食べられるとは思ってもみなかったのだ。

 ここから先は大宴会だ。

 いくら常陸国が豊かな場所でも、これほどたくさんの食材を使う機会はまずない。女衆によると、秋祭りの数倍は頑張ったとのこと。この集落始まって以来の豪華な食事を作ったのだということだろう。

 山の幸は新鮮で、鮎なども塩焼きになって出てきた。米と味噌を使った餅のような食感の食べ物も非常に美味しくいただけた。初めは遠慮していた弟子たちも、今や満面の笑みでご馳走を頬張っている。

 こういう時は、僧だから食べないなどと詰まらない事を言わないで、皆で楽しむに限る。

 この場にいる人々の幸せそうな顔を見ているだけで、こちらも幸せになる。幸福も不幸も伝染するのだ。幸福な時代が続くように、明日からは気合を入れ直さなければならないが。

 集落の男どもが私の知らない歌を歌い始めた。どうやらこの辺りの民謡らしい。

 それを聴きながら箸を進める。

 それにしても豪華な食事だ。他方、この村の人々が日々の暮らしにも苦労しているであろうことは明白だ。私は、住職に言って、後日、この寺に御礼を寄付をするので、村の皆に還元するようにお願いした。住職は、二つ返事で了承してくれた。

 もう境内は戦場のような騒ぎになっていた。

 料理を作る者、運ぶ者、一緒になって食べる者、風呂へと案内する者などなどがごっちゃになって、歌を歌い、酒のを飲み、踊りを踊り、笑い、叫んでいた。

 すっかり男衆が出来上がった頃に、料理が一段落した女衆がどっと押し寄せ、他所では見られない歌と踊りを披露してくれた。とても動きの美しい踊りで、能とも違うこの地に昔から伝わる踊りなのだそうだ。驚いた事に楽師もいて、竹笛と鉦、太鼓で場を盛り上げてくれた。単なる農村とは思えない文化があって驚かされる。

 考えてみれば、常陸国には、九尾の狐を封印する際にお札を使わせてもらった大甕倭文神社があり、そこでは社建葉槌命が祀られている。大甕倭文神社はかつて大甕倭文神宮と呼ばれていた。神宮であったという事は、祀られている彼女は朝廷でもかなりの高位の存在であったということだ。そのような地であれば、このような文化が伝わっているのも頷ける。ただ、その社建葉槌命はこの国の豪族、国民を多数滅ぼした存在でもあるが…

 音楽と踊り、料理を楽しんでいると、横に焉斎がやってきた。

「私はこのへんにして、あちらの輿の見張りをしています」

「うむ。分かった。あまり気を張りすぎないようにな」

「承知しております」

 焉斎は、宴の腰を折らないよう気配を消して静かに輿へと向かった。あの金槌を渡してから彼は一皮剥けたと思う。このような自覚ある行動が取れるのは、一人の人間として成長した証だ。

 円来は円来で、新しい料理を会得しようと女衆に混じって真剣に話を聞いている。

「この料理はどうやって作るのですか?」

「これは赤餅と言ってなあ、もろこしで作るのさ」

「ほうほう」

 などと情報を収集している。旅の中のどこかで赤餅が出てくるかもしれない。

 私も楽しんでばかりはいられないので、情報収集をすることにした。集落の長の横へと行く。

「時に、その後、賀毗禮山の様子はどうですか?」

「はい。嘘のように静まっています。あれほど禍々しい気を放っていた山が何事もなかったかのように静かなのです。お陰で怪異も出ませんし、獣も静かになって畑も荒らされていません」

「そうですか。それは良かった」

 裏を返せば、未だあの封印が解けずに効いているという事だ。

 賀毗禮山の中にひっそりと存在する集落の人々が、厄災を起こさない為、誰も入れないように祠を守ってくれているのだ。彼らには感謝しかない。

 私は、五平とおりんの顔を思い浮かべた。あの二人の屈託のない笑顔は忘れられない。きっとあの兄妹は仲良くやっている事だろう。あれほど絆の深い兄妹は見たことがない。彼らの為にも、一日でも早く殺生石を運び出さなくてはいけない。

 そんな事を思いながら、私は賀毗禮山を見た。

 今は賀毗禮山の丸い山の影だけが見えるだけだ。以前は、常に漂う霊気で薄雲に覆われていた感じがあったが、そんな嫌な感じはもうない。これほど大きな山の一帯を支配下においていたのだから、九尾の狐の力は尋常ではなかったのだなと改めて思う。


 向こうでどっと笑いが巻き起こった。


 人夫たちが集落の人間に混ざって踊り始めたのだ。あの真面目を絵に描いたような小三郎も手を叩いて笑っている。見れば、弟子たちも無理やり踊りに加わらせられていた。

 これを戒める事はしない。人間楽しめる時は楽しむべきなのだ。

 踊りと歌と皆の話し声が、夜更けまで境内を包んだ。

 

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