第35話 殺生石 其之二

 源翁が安隠寺に戻ってから一週間が経った。


 私が当初予想した通り、毎日寝不足との戦いになった。やることの多さに目眩を感じてしまうほどだ。それでも一つ一つ片付けて、再び賀毘礼山に九尾の狐を祓いに行かなくてはならない。

 かなり慌ただしかったが、私が留守にしている間に溜まっていた必要事の相当数は片付けた。

 地元領主の結城直光への事態の説明、葬儀など檀家の対応、寺の運営費のやりくり等々だ。寺を空けた期間が長かった為、これらをやるだけで四日を要してしまった。それでも仕事は雪だるま式に山積みになっていく。葬式は待ってくれないし、毎日の修行もあるのだ。

 世の中の平和が一番だが、私に平和が訪れるのかはかなり心配だ。こうして寺の仕事をしながらも、白い魂を封じた岩の祓い方を検討し、その準備には余念がない。

 

 こうした毎日を過ごしながら、山を降りてから十日目の昼のことだった。源翁が自室で計画書を認めていると、弟子が来訪者を告げた。

「大和尚様。安倍有重さまともう一人のお客様が来ております」

「さすが有重どのですね。もう来ましたか。ご苦労様です。今行きます」

 私は弟子にそう言うと、書物を脇に寄せて筆を置き、すぐさま自室を出た。黒光りするほど磨き上げられた廊下を通り、玄関へと行くと、そこには安倍有重と身なりの大層立派な男性が立っていた。

 身なりの立派な男は、四十代から五十代くらいの細身で、背はそれほど大きくはないが、額には深々と三本の皺があり、細く吊り上がった目は例えようのない迫力を持っていた。この男は相当な権力闘争を勝ち抜いてきたとみえる。足利に倣って直垂を着てはいたが、素材は木綿で、非常に繊細な蒼で染められていた。

 庶民が何十年と働いても手に入らないこの服装は、間違いなく貴族だといえる。

 私は貴族があまり好きではないが、世話になった有重の手前もあるのでなるべく丁寧に挨拶をすることにした。

 源翁は土間へと降り、二人に深く頭を下げた。

「源翁心昭と申します。遠いところまでご足労いただきありがとうございます。立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」

 身なりの立派な男性は、私をギロっと睨み、頭も下げずに「うむ」と言って寺に上がった。自分の紹介は部屋に行ってからという事だろう。

 私は先頭に立って歩き、二人を寺の客間へと案内した。

 客間は二つあるが、そのうち小さい方の部屋にした。聞かれてはまずい話をするにはこちらの方が良い。

 部屋にはすでに人数分の座布団と、それぞれ小さな座卓も置かれていた。床の間の掛け軸は水墨画の鶯の絵に差し替えられ、床板には近くの笠間で焼かれた花器に白い卯の花が活けてあった。弟子達が常に気を利かせ、裏で動いてくれるのは有り難い。

 程なく茶を持った弟子が襖を開け、正座で恭しくお辞儀をした後、全員にお茶を配った。

 弟子が部屋から出て行くと、客間は一気に静かになった。上座に男と有重、下座に源翁が座った。部屋の中にはピリッとした緊張感が漂い、男の荒い鼻息が不気味に響いた。

 大して歩いていないのにこの鼻息の荒さでは、普段から身体を全く動かしていないのだろう。よく見れば男の額には薄らと汗も滲んでいる。

 それで喉が渇いたのではないだろうが、男は、何も言わず座卓から茶器を掴み、茶を一気に飲んだ。そして、不満そうな顔をして茶器を乱暴に座卓に置いた。隣の有重が、すみませんという目線を送ってきたので、私は何も言わない事にした。

 ようやく落ち着いたのか、男が急に話し始めた。

「ふむ。中々いい寺だな。京のように無駄に大きくないし、飾りもほとんどないのが良い」

 太々しい顔で、この寺を全く誉めていない所がやはり京の都の貴族だ。貴族なので曹洞宗ではなくお金を持っている臨済宗贔屓なのもあるだろう。私は腹が立ったので、この役人の名前を覚えない事に決めた。

「して、お前は本当に九尾の狐の魂を封じ込めたのか?」

 身なりの立派な男性は、結局名も名乗らず話し始めた。兎に角偉そうで高慢な態度を崩さないのは、一介の坊主など話をしてやるだけでも有り難いと思えと思っているのだろう。完全に貴族の振る舞いで、殿上人以外は人間にあらずと本気で思っているのだ。実に哀れな御仁だ。

「陰陽助さま。まずは、源翁さまから経緯を聞いた方が良いかと」

 男は、口を挟むなとばかりに有重を憎々しげに睨んだ。

「有重。何がどうなったのかという結果を知って、命令するのが私の仕事だ。細かい話など聞く必要はない。それにお前は九尾の狐の魂は、かの殺生石に封印されたと言っていたではないか」

「分かりました。では、源翁さま。お願いします」

 有重の助け舟のおかげで、この男性が陰陽助という役職なのは分かった。

 陰陽寮の次官。つまり二番手だ。そんな陰陽寮の二番手がわざわざこんな田舎まで来たのは、全ての手柄を自分の物にしたいが為だろう。ただし、この男にはそううまくはいかないと言ってやりたい。有重の話では、従三位の安倍有世がこの話を仕切っているという。となれば、たかだか陰陽助が何を言ったところで全てを有世に持っていかれるだけだ。この陰陽助は、功を焦るあまり全体が見えていないようだ。

 ふと、有重を見ると口をへの字に曲げていた。有重の憮然とした表情から察するに、有重は、心底この陰陽助を連れて来たくなかったのが分かる。私も頭に来ていたので、有重と同じ表情をしたかったが一応貴族様なので自重し、話を進めることにした。

 まずは、礼儀として頭を下げた。

「陰陽助さま。此度はこのような遠い僻地までいらしていただき誠にありがとうございます。安隠寺一同歓迎いたします。結論から申しますと、九尾の狐の魂は、その殺生石なるものに封印しましたが、今後はその岩をどうにかしなくてはなりません」

「何故だ?封印してあるならもう大丈夫なのではないか?」

 怪訝そうな顔をした陰陽助に、源翁はわざとゆっくりと分かりやすく話をする。

「はい。今回の封印はあくまで簡易的なものなのです。誰か悪意のある者がそれを破ってしまう可能性があります。破ったとしてもその魂が再び牙を向くまでは数年はかかると思いますが、次に九尾の狐が復活した時は、数万の軍隊を以ってしてもまず祓えないでしょう」

「な、何?あ、有重、話が違うではないか」

 青い顔をして陰陽助が有重を見た。有重は平坦な声で陰陽助に答えた。

「いえ。私はその可能性があることも、まだ完全に祓い切れていないこともお伝えしました。その上で今後の話を進めると何度もお伝えしてあります」

「そ、そうだったか?」

 何という浅い男か。この陰陽助は、手柄を上げたいという野心がある訳でもなく、私に恩賞でも渡して自分を誇示したかっただけなのかもしれない。であれば、これから彼の表情は百変化するはずだ。これからが祓いの本番だとは、露にも思っていなかったのだろう。恐らく彼の専門は暦か漏刻で、怨霊についての知識は皆無に違いない。ただ、処世術には長け、偉そうな態度を取るだけでここまでのし上がってきたようだ。それはそれで凄いことだが。

「では、その…源翁?だったか、結局どうすれば良いのだ?」

「はい。その話しをする前に、まずは有重どのに御礼を申し上げさせていただきたいのですが」

 私は陰陽助に顔を向けた。陰陽助は、最初の勢いを失って黙ってしまっている。それを了承と受け取り、私は有重に一礼して御礼を伝えた。

「安倍有重さま。あれだけ早く対応してもらった事が、此度の九尾の狐の封印へと繋がりました。特に出雲のお札は非常に重宝いたしました。ありがとう御座いました」

 すると、有重は薄く笑みを作ると、毒気の抜けた声で言った。

「国津神の方が効くと思いまして、出雲に急遽作ってものです。お役に立てて良かったです」

 私は思わず吹き出しそうになるのを抑えた。

 朝廷にいながらにして天津神よりも国津神のお札を優先するとは中々に度胸が据わっている。勿論、今回、天津神のお札にも大変にお世話になった。ただ、元の国から来た九尾の狐を向え撃つなら、高天原にいた神様よりも、元々この国を治めていた神様の方が頑張ってくれそうには思えた。それに、あのお札には大国主と共に素戔嗚の力が込められていた。杵築大社ならではという組み合わせで、これほど強力な組み合わせは他にはないだろう。

 これに伊太祁曽神社や物部神社のお札を併せればより大きな効果があるかもしれないなどと考えていると、陰陽助がわざとらしく咳払いをしたので、この話はここまでとなった。

 陰陽助は、怒りの声で話題を切り替えた。

「天津神は天皇家の祖先である素晴らしい神様だ。国津神の話はそれくらいにしとけ。で、その殺生石の封印とやらは何をどうするのだ?」

 国津神の話が余程気に食わなかったのか、陰陽助はしかめ面で、偉そうな雰囲気を復活させた。ここから先が真剣勝負だ。私も顔を引き締めた。私も少し前のめりになって説明をする。

「殺生石については、どうすれば良いのか拙僧も色々考えました」

 そう言いながら私が賀毘礼山の方角を見たので、陰陽助と有重も其方を見た。もちろん其方に何かある訳ではない。ただ、お堂を守る五平たちを思い出したのだ。あの集落にはあの集落の生活がある。事を急がなければならない。

 それにしても殺生石か…

 面白い名前を考え出す者もいるなと、これにはいたく感心した。有重宛の文に書いた毒を吐き出す岩の噂は、瞬く間に京中に広まったようだ。そして、たった一週間の間に、誰が呼んだかあの岩は、殺生石と呼ばれるようになっていた。何処にあるのか謎なのがまた大衆の興味を引いているようだ。

「まず、殺生石は私たちの背丈の半分以上の大きさがあります。あの大きさでは後年になればなるほど発見しやすくなります。誰か悪意のある第三者がお札を剥がし、経を唱え、封印を解いてしまえば即座に九尾の狐は復活します。そのような理由で、殺生石にずっと見張りを付けるのも現実的ではありません。さすれば、拙僧、あれを破壊してしまうのが最も適した祓い方だと考えております」

 陰陽助は私の提案に驚いて、私の顔を二度見した。

「そ、そのような邪の物を破壊できるのか?」

「はい。特別に清めた金槌でなら、破壊できます」

「そ、その際、九尾の狐が復活することはないのか?」

「はい。私が心を込めて魂を粉々に砕きますので、その場で復活することはございません。ただし、後々、その砕けた魂が再びくっつき復活することはありましょう」

「そ、それでは意味がないではないか」

「いえ。意味はあります。それは期間が関係してくるからです」

「期間?」

 陰陽助は訳がわからないと言う顔をして、手拭いで額を拭きながら有重を見た。有重は落ち着いた顔で大丈夫だと頷いている。それでも、陰陽助は、手柄どころか責任問題になりかねないと思ったのか、遠くを見ながら思案し始めた。つくづく今の陰陽寮は人材不足のようだ。横にいる有重は涼しい顔をしている。

 仕方ないので、私は助け舟を出してやった。

「単純に封印が解かれるのであれば、九尾の狐の復活は数年から数十年後ですが、拙僧が心を込めて細かく砕けば、復活までは早くとも数百年はかかるかと」

「数百年だと…」

 陰陽助は額の皺を深くして、数百年か…とブツブツ言い始めた。どうやら自分の責任にならないよう事を運ぶため、頭を高速回転させているようだ。そして、悪そうな笑みを浮かべた。頭の中では、今この時代の自分に責任が降りかかる事はないので、後は後世の人間に対応して貰えばいいと思ったに違いない。

 陰陽助は、声を弾ませて聞いてきた。

「ふむ。その…源翁とか言ったか。殺生石の封印を守るよりもお前が破壊した方が、九尾の狐は、その…数百年という長い期間復活しないと言うのだな?」

「はい。殺生石の在処が知れ渡れば、誰か邪な者が社会を混乱させるために封印を解かないとも限りません。そうなれば、早ければ数年も経たずに復活する可能性もあります」

「数年…」

 陰陽助は満足そうに大きく頷いた。非常に分かりやすく腹は決まったようだ。

「あい分かった。殺生石の処分はお前に任せる。必要な人員と物資はこの有重が早急に手配する。必ずや殺生石を破壊するように」

「承知いたしました」

 私は感情を表に出さないよう返事をしたが、陰陽助にそう聞こえたかは分からない。

 善は急げとばかりに、私は一旦部屋を退出し、自室で必要な物を手紙に認め、有重に託した。

「ではこれをお願いします」

「しかと受け取りました。早急に揃えます」

 有重はそう言うと、早速私の目録に目を通した。そして、この場ですらすらと文をいくつか書くと、外に待機させていた馬借に渡した。必要なものの発注だろう。この手早さは素直にすごいと思う。

 ある意味で怨霊退治を源翁に命令した形になった陰陽助は、有重を引き連れ、小躍りするように京へと戻って行った。

 九尾の狐の後始末を命じ、その復活を数百年遅らせたとすれば、それは、確かに手柄としては大きい。私にはどうでもいいことだが、役人にとっては一族の今後にも関わってくるので大きな事なのだろう。


 非常に申し訳ないが、有重には全てが終わってから礼に行くことにし、私は、自分でしなければならない準備に取り掛かった。


 まずは、あの岩をお堂から然るべき場所へと運ぶための輿を用意しなければならない。勿論、殺生石は、結界の関係上普通の輿では運べないので、地元の宮大工に特注しなければならない。値は恐ろしく張るはずだが、ここを手抜きしてはいけない。運搬途中で絶対に落とせないし、岩に施した結界も決して崩してはいけないからだ。最高の職人にお願いして、輿の中に禁足地を作れるくらいの物を造ってもらわなければならない。

 輿と同じくらい重要な物がある。

 肝心要の殺生石を破壊する為の金槌だ。魔除け、破魔の仕様になる事から、金槌は関東では造れない。これは有重に全面的にお願いをした。彼なら破魔の金槌を造れるたたら場を知っていることだろう。

 もう一つやらなければならないのは、人足の確保だ。いかに屈強な男でもあの重さの岩を運ぶのは確実に苦労する。四人を三交代か四交代で回すくらいでなければ、殺生石を運びながら山は越えられない。

 それだけの人夫を揃え、しかも長期間拘束するのだから金額を含めてこれも厳しい交渉になるだろう。ただ、有重は、日本の有事なのでお金の心配はしないで下さいと言っていた。それを信じて説得にかかるしかない。


 今思いついた事を書き出し、それぞれの期間を考えながら、源翁は日々の業務へと戻った。


 次の日の朝。

 源翁は弟子たちに九尾の狐の事で出かける旨を伝え、早速、地元で有名な宮大工の所へと向かった。

 短期間に必要な人足を揃え、輿の工期を短くするなどかなり厳しい交渉が予想される。

 まだ朝も早い時間なのだが、東に輝く太陽はすでに煮えたぎっていた。北陸から関東に移り住んだ時に一番参ったのがこの北関東特有の太陽の強さだ。夏などは、本気で火傷をするのではと思えるほど強烈な暑さを突き刺してくるのだ。京の夏も暑かった記憶はあるが、北関東のように肌を焼く感じではなかった。

 手拭いで汗を拭いながら、源翁は町を北へと進む。

 結城の街はそれ程大きくないので、街並みはすぐに林と田畑に変わる。すでに農作業は始まっていて、農家の親子が、畑の雑草むしりと水やりに奔走していた。この太陽の下での作業は、想像以上に大変なことと思う。ご挨拶にと、私が農家の親子に礼をすると、子供が手を振り、親は礼をしてくれた。


 檀家の話によれば、宮大工は今日は家にいるらしい。どう交渉しようかと、私は思い悩んだ。


 ひと昔前は、宮大工と言えば京の宮大工と相場が決まっていたが、最近は、関東——ここ下総国にも寺社仏閣が多く建てられるようになり、地元の宮大工の質が上がってきている。そして、人の集まる所には必ず神社仏閣が建てられるので、彼らは非常に多忙なようだ。

 そんな中ではあるが、日本の為に輿造りをやってくれるように交渉をまとめなければならない。

 源翁は道行く人と挨拶を交わしながら、街の北の外れに着いた。

 檀家が教えてくれたその場所は、田畑と森に囲まれた人気のない場所で、北へと伸びる街道の他には農具を入れてある小屋が見えるくらいだ。街道の周りは丈の低い緑で埋まっていたが、その緑に抗うように人一人が通れる細い道が右手に見えた。その道の先を見ると、庭に多くの木材が積まれた家屋があった。

 尋常でない量の木の板や丸太がうず高く積み上げられており、あれはどう見ても職人の家だ。草むらのバッタを踏まないよう、慎重に歩きながらその家を目指す。

 庭に置かれた板や器具を倒さないように玄関に到達すると、私は大きな声で「棟梁は居りますか?」と呼びかけた。

 しばらく静かであったが、奥からドタドタと足音が聞こえると、家の引き戸がガラッと半分開き、胡麻塩頭の老人の顔がにゅっと出てきた。さすが宮大工の家だけあって、戸は全く引っかからずスッと開いた。

「おう。誰だい?」

 さらに戸を開け、上半身裸で括り袴を履いた背の小さな男が出てきた。

 檀家の八つぁんによれば、この男性は皆から棟梁と呼ばれる宮大工の職人で、この辺りでは、彼なくして良い物件は建てられないと言われている人物だという。出立ちからして根っからの職人といった感じだ。

「拙僧、案穩寺の源翁心昭と申します」

「ああ、案穩寺の源翁さんか。何か建てて欲しい建物でも?でもなあ、今、ちっと忙しいんだよ」

 まあ、そう言うだろうとは思っていた。

 私はできるだけ顔に笑顔を貼り付けてお願いをする。

「建物ではあませんが、棟梁に急遽作っていただきたいものがあります。お忙しいのは重々承知ですが、棟梁を腕利きの大工と見込んでお願いしたいのです」

「はっ、ワシが腕利きだ?だったら大工は皆が皆腕利きにならあな」

 仏頂面で胡麻塩頭を掻きながらそう言う割には、声が嬉しそうだったので、私は話を先に進めた。

「実は、拙僧、近いうちに人の半分ほどの岩を遠くへ運ばなければなりませぬ。その岩を運ぶための輿を造っていただきたいのです」

「はい?輿??」

 まさかそんな物を造って欲しいと言われるとは思っていなかったようで、棟梁は一瞬難しい顔をしたが、すぐに真面目な顔になった。神社仏閣でないものとあって逆に職人魂に火がついたようだ。

「ふん。で、どんな輿にすればいいんだい?」

 もう設計図を頭に描いているのだろう。やはり根っからの職人だ。

「はい。先ず何はなくとも頑丈なもので、一度固定した物は絶対に落ちないように、そして、ここが重要ですが、対魔仕様にしてもらいたいのです」

 棟梁は、ああ。と納得したように頷いた。

「なるほどね。噂のアレを運ぶ輿ですかい。そりゃあ、並の輿じゃ無理だぁな。まあ、まかしとき。いつまでにあげればいいんですかい?」

「それに必要な道具が届くまでにあと十日はかかりましょう。それまでにお願いしたいのですが」

「十日ねえ…」

 棟梁は目を上に向けて算段している。納期が十日というのはいかにも早すぎるが、何かあってからでは取り返しがつかない。少し無理な期日を言って、それに近い日程であげてくれれば良い。

「お金はどのくらい?」

「言い値で大丈夫です」

 棟梁は驚いた顔をしたが、ならばと、もう一度計算に入った。腕を組み、上下左右に忙しく顔を振りながらしばらく考えていたが「では…あっしの信頼できる職人を最低でも十人、いや十五人は用意したい。そいつらが頑張って…まあ納期はギリギリいけるかな。そうなると、どでかい家を一軒建てるのと変わらない額になりますぜぃ」

「では、それでお願いします」

「うぉう!!太っ腹だな。ぃよし!!じゃあ、今すぐに取り掛かるぜぃ。いやあ、噂の殺生石とやらはそれだけ凄いってことかいな。腕が鳴るってもんですぜぃ」

 棟梁は、満面の笑みで力こぶを叩いてみせた。年に似合わず筋骨隆々で、さすがは大工といった所だ。私と言えば、どこもかしこも傷だらけで、大きな傷を負った背中と腕には未だ薄布が巻かれている。

「その殺生石とやらはどのくらいの大きさですかい?」

「そうですね。縦は私の半分くらいで、横は二人の人間が腕を繋いで輪を作ったくらいですね」

「縦は大体三尺、横は五尺くらいか…」

「仕様は後で説明に参ります。ですから、先ずは職人を揃えてください」

「はっ。そんな説明は要らねぇよ。こちとら、何百と寺社仏閣を建てているんだ。まかしときって。菩薩でも閻魔でも運べるようにしてやるからよ!!」

「ありがとうございます。では、よろしくお願いしたします」

 私が深々と礼をすると、じゃ、俺はもう行くぜぃと、棟梁は扉も閉めないでどこかに走って行ってしまった。

 本当に期日までに上がるのかは何とも言えないが、あの棟梁ができると言ったからにはできるのだろう。私は苦笑いしながら棟梁の家の扉を閉め、寺に戻る事にした。

 細かいことは棟梁の弟子が寺に説明に来てくれるだろうと考えながら街道を南に戻る。緑の森から次第に街の風景に変わっていく。と言っても結城は京や鎌倉のような街並みではなく、府中を小規模にしたような街並みで人も少ない。しかし、私はこれくらいの規模の町の方が好きなのである。何故と言われても困るが、人の多い所があまり好きではないという裏返しかもしれない。

 人が少ないと言っても、結城はそれなりの町だ。もう昼近くなっているのもあり、道すがら挨拶する都度、殺生石の話を聞かれる。正直、これほどまでに話が広がっているとは思いもしなかった。やはり九尾の狐とは、人々の心に残る大妖怪なのだなと改めて思う。

 

 棟梁の弟子が寺を訪れたのはもう夜になってからだった。

 青い顔をして、棟梁が他の仕事を軒並み遅らせて困っていると懇願されてしまった。しかし、日本が滅びるのと仕事が伸びるのはどちらが良いですか?と言うと一気に協力的になってくれた。

 御神体の岩の正確な大きさと形を伝えると、弟子は日本を救う為だと言って、走って戻って行った。

 あまり褒められたやり方とは言えないが、時間がないので許してほしいと勝手な事を思ったが、それが許されるほど世の中は甘くない。全てが終わったら、迷惑をかけた施主へお詫びに行かなければならない。


 それから数日間は、今度の旅に連れて行くことにした弟子達の修行を中心に、更に長旅の用意を進めた。

 四人の弟子を選抜し、その四人には、対怪異の術式の施し方を伝えた。寺に残す六人の弟子たちには、私のいない間の寺の維持管理を伝えるのに費やした。

 後日、棟梁の弟子が意気揚々に輿の設計図を持ってきた。

 彼はこれほどの輿は、日本広しと言えど誰も造ってはいないと豪語したが、確かに設計図を見る限り素晴らしいものが出来上がりそうだ。値段は家が一件というよりも屋敷が一軒という値段だったが、払うのは私ではなく陰陽寮なので何の問題もない。


 そんなこんなで棟梁に輿を発注してから一週間が経った。

「大和尚様。棟梁がいらっしゃっています」

 朝の修行をしていると、弟子の一人がそう伝えてきたので、私は修行を一旦中断して、棟梁を迎えに玄関に向かった。

 玄関にはやはり上半身裸の格好で、棟梁が大工道具を腰にぶら下げて立っていた。

「輿の件ありがとうございます。進捗はどうですか?」

「おお、それだけどよ、みんなが余りにも気合い入れちまったんで、もうできたぜ」

 私は驚いて、一瞬言葉を失った。

「もう、できたと?」

「ああ、できた。見るかい?」

「ええ、是非」

 そんなやり取りがあった数分後、棟梁を先頭に、十数人の職人が徒党を組んで寺にやってきた。弟子たちが総出で彼らを境内の広場へと誘導する。

 名だたる職人たちが担いでいるのがその輿のようだ。輿には紫の布が掛けられ、持ち手の部分しか見えない。しかし、その持ち手にもそれぞれ意匠が施され、単に造ったのではなく、最早美術作品の域に入っているのがすぐに分かった。その輿を運ぶ職人に続いて、輿に被せる屋型を数人の職人が運び入れられた。これも紫の布で包まれている。

 寺に来ていた檀家からお参りに来た者まで全員が、その輿を見ようと我先にと駆け足で境内の広場に集まった。弟子たちも、最早修行どころではない。

 寺の内外で仕事や修行をしている弟子達が、こんな時間に勢揃いする機会などほとんどない。仮にも坊主なので下世話な話はしないものの、庄屋の屋敷と同じくらいの値で造られた輿がどんなものなのか、皆が興味津々といった感じだ。普段なら、叱り飛ばしている所だが、今回は私も見たいので大目に見る。

 職人達が境内広場の真ん中に到着すると、棟梁が輿を運ぶ職人達の前に出て音頭を取った。

「慎重に降ろせよ!!」

 棟梁が叫ぶまでもなく、職人達は境内の中央に大きな筵を二重に敷いた上で、まずは輿を乗せる台を置いた。そして、台の上にその輿をゆっくりと丁寧に降ろしていく。

 よく見ると、輿の台には、鳥や魚、多くの神様たちが彫られていた。この職人たちは一つも手を抜く事なくこれを造ってくれたのだ。

「一、二の、三!」

 全員の掛け声と共に輿は台の上にゆっくりと置かれた。続いて輿の台の隣に屋型の台が置かれ、紫の布に包まれた屋型も台に置かれた。

「ふぅー」「いやー、緊張した」「ようやく終わったぜぃ」などと職人達がゴツい手をぶつけ合いながら談笑を始めた。この職人達の笑顔を見るだけで、とても良い仕事がなされたのが分かる。

「おい!!お披露目がまだだぞ!!ったくよぉ」

 棟梁に怒鳴られた職人達は、まあそうだよなぁなどと言いながら、輿の周りに立った。そして全員が紫の布に手を掛けると、棟梁も同じく布を持った。

「準備はいいか?いくぞ、そぉれ!!」

 紫の布が綺麗に舞うと、大きな輿が姿を現した。

「おお!!」

 境内にいる皆が思わず声を出し、輿に見惚れた。

 いやはやこれは驚いた。言い値でいいとは言ったが、これほどまでに素晴らしい物を造ってくれるとは思わなかった。

 棟梁がどんなもんだいと、私に顔を向けた。私は、棟梁に頭を下げるしかなかった。

 輿の持ち手には、魔除けの意匠として素戔嗚、大国主、不動明王などが彫られ、肩を乗せる箇所には、人夫が少しでも楽になるようにと、分厚く柔らかい布が巻かれている。荷台には、可動式で岩を挟み込める固定枠がしつらえてあり、この固定枠で殺生石を挟み込み、その周りを頑丈な紐で縛れば、輿をひっくり返さない限り岩は落ちない仕組みになっていた。更に頑丈に固定できるように、その固定枠外側の四隅にも穴が開けられていた。棟梁は、端を結んだ固定用の紐を通して、襷掛けに岩を固定するようにと言った。固定枠と紐でガッチリと止めればさしもの殺生石も落ちはしないだろう。

「どうだい?」

 言いたい事が多すぎて、即答できない。私は輿を魅入られたように見ながら、ようやく棟梁に御礼を言った。

「いやはや、とても素晴らしい輿をありがとうございます。最早、美術品のようです。持ち手にすらこれだけ魔除けの神や仏がいれば、九尾の狐とて暴れるのは不可能でしょう」

 もう少しまともな事を言いたかったが、それを言葉で表現するのは難しいように思えた。

「そうかいそうかい」

 はっはっはと豪快に笑いながら、棟梁は、「次!!屋型いくぞ!!」と叫んだ。

「おう!!」という野太い返事と同時に、隣の台に置かれた屋型の紫色の布が舞った。

 屋型が見えると、職人たちは皆満足そうな顔をした。

 屋型は、濃い紫を基調とした織物で囲われた立派なものだった。直方体に近く、目隠しに降ろされている織物は四面とも巻き上がるようになっており、殺生石を輿に入れた後で輿に取り付けられるそうだ。紫の織物は、結界を強める為、随所に破魔の絵が裁縫され、対魔の造りとしては申し分なかった。これに有重にお願いした特製のお札を貼り、私と弟子達が輿の周りで常に祈れば、まず封印は解けない。

 それにしても、ここまでの意匠をこの短期間で作り上げた全ての職人達に脱帽だ。

 私は、輿と屋型をじっくりと見させてもらった。

 持ち手の意匠も目を見張る物があるが、岩を乗せる台の四隅にも四獣の青龍、朱雀、白虎、玄武が彫られており、これが今にも動き出しそうなほどの迫力だった。この全てを京の職人ではなく、下総国の職人がやったというのだから恐れ入る。

 これだけの物を造れる力を持った職人が北関東にもいる事を示したかったに違いない。


 境内の広場には、いつからいたのか近所の檀家達も多数いた。合わせれば三十人はいるのではないだろうか。


 これだけの人数がいるのは…ああ、そうかと、私は手を打った。

 職人達が神様にもこの仕事を知らせる為、運びながら太鼓や鉦を打ち鳴らしたに違いない。これだけ素晴らしい造形物なら、皆に楽しんでもらった方がいい。私は、皆に近くで見てもらう事にした。

「皆様。どうぞ、近くでご覧になってください」

 そう言うと、檀家、弟子たちが輿へと雪崩れた。

「すごい…」「これ棟梁が造ったの?」「あそこの彫刻は俺が彫ったんだ!!」などなど多くの人が思い思いの話を展開し、境内は軽い祭りのような雰囲気になった。

 皆が輿に集まっている間に、源翁はこれだけの物を造ってくれた職人たち一人一人に感謝を伝えて回った。

 それが終わると、弟子と共に、棟梁にこだわりの箇所と魔除けの意匠について解説してもらいながら、この輿の仕様を確認した。彫刻と織物は近くで見ると更に見入る物があり、万感胸にせまる。それを見ている職人達も実に誇らしげだ。

「棟梁。これで私たちも安心して出発できます。これほど期日のない中、これほど素晴らしい仕事をしてくれた事に感恩報謝し、必ずや殺生石を鎮めて参ります」

 棟梁は若干はにかみながら、胡麻塩頭を掻いた。

「難しいこたぁ分かんねぇけど、俺たちぁやれることをやっただけよ。後はあんた達の仕事だ。頑張ってくれよな」

 満面の笑みでそう言う棟梁に深くお辞儀をして、私は祓いを必ず全うさせると心に強く想い、気合を入れた。

 弟子達ももう心を切り替え、それぞれの仕事について考えてくれているようだ。


 徐々にではあるが、旅の準備が整いつつある。まずは持っていくものの選定だなと私は気合を入れた。

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