第11話 過去編 【室町時代 山城国 陰陽寮 安倍有重】其八

 書庫の中は、カビ臭い割には風通しが計算されているので、夏でもそれほど暑くはない。にも関わらず頼子は大粒の汗をかいていた。集中を通り越して瞑想に近い思考を繰り返している為、いつも以上に発汗するのだろう。

 あまりに汗がすごいので、有重は資料を読むのをやめ、頼子の頬と額を手持ちの布でそっと拭った。それでも頼子の集中は切れない。

 一体この頭の中で何が創造されているのだろうか?


「そう…憑きもの筋ではない…なんて言うの…」


 今、頼子は憑きもの筋と言った。憑きもの筋は、超自然的なものが人間や事物に憑依するという一種の信仰だ。但し、『獣狩り』は単なる憑きものではない。憑きものは、狐や狼や蛇などの動物が人間に取り憑き、その憑かれた人間の人格が凶暴な獣のように豹変するのが一般的だ。この場合、人間にはほとんど不利益しかない。『獣狩り』は、それとは違い、九尾の狐と戦える能力が付くものだと考えられる。


 有重は、発注書をもう一度見た。


 確かに憑物付きが憑依されそうな動物が揃っている。頼子もそこが気になるのだろう。

 ぱっと見ただけでも、狼、熊、蛇といったところが注文されている。

 これらを捕まえるのも一苦労だが、この発注書によれば、狼は群れの統率者で激しい気性のもの、熊も猛々しい雄、蛇は白蛇となっている。それぞれに馬が数頭買えるような値段が付いているのも気になる。これだけの値段のつく動物を何に使ったというのだろうか?


 普通に考えて分かるのであれば、とっくに『獣狩り』は復活しているはずだ。分からない事は考察するしかない。気になった事をとことん調べ、その上で思考を廻らすしか道はない。


 有重は、頼子の手を引っ張りながら書庫の更に奥へと向かった。何か足掛かりになる書物があるかもしれない。頼子は遠くを見つめたまま有重に付いてくる。たまに何かを呟くが、それに意味を見出すことはできない。

 今まで調べていた書庫の上には明り取りがあったが、奥に行くに連れて明り取りがなくなっていく。奥ほど明るくすれば良いと思うが、この部屋はそういう造りになっていない。何か理由があるのかもしれないが、単純に増築した結果かもしれない。


 有重は、段々と暗くなる奥へと向かい、書庫の中心くらいのところに来た。


 通り抜けようとした本棚の床が、みしみしっと嫌な音をたてた。思わず跳ねよけ、もう一度その床を踏み直してみた。やはり不安げな音がする。このまま体重をかけると抜けて落ちてしまいそうだ。侵入者を防ぐためにわざと音が出るようにしているのかもしれないが、単純に床材が古いのかもしれない。

 頼子を奈落に落とす訳にはいかないので、有重は慎重に体重をかけてみた。抜け落ちそうな音はするものの、どうやら大丈夫そうだ。大きく息をして心を落ち着かせ、有重はゆっくりと進み始めた。


 それでも、この下に落ちたら地獄に行きそうだと思ってしまう自分の小心ぶりに嫌気がさす。


 そこから奥はさらに薄暗くて背表紙が読みにくい。古い匂いもより濃くなり、空気の周りも悪い。

 先にあるはずの書庫の終点はもう暗くて見えなかった。そこまで調べるには明かりが必要になる。そして、奥の見えない書庫を進むには、少しばかりの勇気がいる。明かり以上に問題なのが、何処に何の書物があるのか分からない事だ。

 今気づいたが、何故だか奥の書棚には区分けの表示がどこにも貼っていないのだ。これでは何がどこにあるのか全く分からないではないか。

 何故、これだけ膨大な書物の区分けがなされていないのか理解できない。

 有重がここの管理者であれば、何がどこにあるという目録を始め、書庫にも貼り紙をしておく。歴代の管理者は何をしていたのかと言いたくなる。


 いや、待て。


 有重は、ここに来て逆だと思い当たった。

 分かりやすくしないのは、本当に重要な書物が簡単に持ち出せないようにするためだ。本棚は無数にある。この中から重要な書物を見つけてみろと先人たちから言われているのだ。

  

 やってやろうではないか。なんと言っても日本の命運がかかているのだ。


 闇雲に一冊一冊見ても、正解には辿り着きそうもない。きっと何か仕掛けがあるはずだ。

 有重は、本棚を丁寧に見てみた。全て檜造りで同じ大きさだ。視覚に全てを集中させ、上から下まで本棚を見た。

 ふと何かが気になった。何だ?何が気になった?

 有重はもう一度本棚を見た。しかし、その気になった理由が分からない。それから何度も本棚を上から下まで見たが、何の変哲もない本棚が見えるだけだ。

 何かの本の題名が気になったのか?

 それはない。題名ならさすがにその本に手が伸びるはずだ。では、何が気になったのか?残る可能性は本棚自体だ。

 まずは、手で触ってみる。檜の触り心地が素晴らしい。腕のいい職人が丹精込めて造った本棚なのは分かった。だが、触り心地などは二の次だ。何が気になったのかを解明しなければならない。

 隣の頼子は、思い詰めた顔なのだが若干嬉しそうにも見えた。何か足掛かりが掴めたのかもしれない。


 頼子の汗を拭いてから、自分も頼子のように深く思考したいと願った。


 有重は、本棚に集中した。

 勘違いではない。何かが気になったのだ。

 じっと本棚を見る。そして、ついにその正体が見えた。ああそうか。そう言うことか。

 有重は、隣の書棚を見てみた。そして、気づいたことの正しさを確信した。全ての書棚にそれが適用されているのだろうと確信した。

 何だか、途轍もなく大きな謎かけを解いたかのような気分だ。


 これは中々気付けない。しかし、先人たちは、苦労してこれを造ったのだ。これには敬意を表するしかない。


 有重は、本棚のある法則にようやく気づいた。本棚の端に秘密があったのだ。本棚の端の板には必ず年輪が分かりやすく浮き出ており、その年輪が漢数字に見えるようになっていたのだ。一番手前の本棚は、二二と二が二つ見える。隣の本棚は三五と見える。これが何の数字なのかが分かれば、きっと正解へと導かれるはずだ。


 有重は、これが何を意味しているのかを考えた。

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