第10話 過去編 【室町時代 山城国 陰陽寮 安倍有重】其七
有重と頼子は、書庫へと足を踏み入れ、 まずは手前にある出納帳の書棚へと向かった。
その書棚に沿って角まで行き、逆側へ回ると、本がびっしりと詰まった同じ棚がずっと奥まで続いている。
そういえば、いつの間にか匂いが気にならなくなった。自分と頼子の中に歴史が入り込み、匂いも含めてこの場所を研究の場と認識したのだろう。
頼子は私の手をぎゅっと握り、何かぶつぶつ呟きながらもう片方の手で髪をいじっていた。彼女は知的興奮を得ると。こうして髪を指でくるくるしたり、かき上げたりと手が忙しくなる。
有重は、思考の海に浸かる頼子を見ながら、ここまで真剣にやってくれる彼女に感謝した。そして、手を少しだけ強く握って手を決して離さないようにした。こうして繋がっていると、有重もより深い思考ができるような気になるのだ。
有重のもう片方の手には、歩きながら頼子が手に取った二百年ほど前の道具の注文書がある。
何故彼女がこの本を手に取ったのかは分からない。何かが気になったのだろう。有重が注文書を少し見てみると、その中身は凄かった。呪術をする際に使う道具の注文書をまとめたものだったのだ。
ただ、これを真に価値あるものにするには、怨霊退治や呪いの類に詳しい者の助力が必要になる。今の自分ではこれを価値あるものにできないのが歯痒い。
有重は、優秀な成績で陰陽寮に入ったが、怪異そのものや、呪具や神器に精通している訳ではない。単純に勉学ができるから入ったというだけだ。この手の怪異や呪具については、これから経験を重ねて詳しくなるしかない。おまけに、今の環境でそれらを習うのも無理だ。いまの陰陽寮には怪異に詳しい者がいないのだ。卜占専門はいるが、怪異専門の陰陽師はとうにいなくなっている。
有重の経験値がほとんど無に近い以上、それに詳しい人物を探し、助力を得なければならない。難易度が高いのは、助力を得る人物が信用できる人物でなければならない事だ。これを悪用されては、九尾の狐よりも始末が悪い事になりかねない。妖よりも悪い人間の方が始末に悪いのはいつの世も同じだ。
「頼子さん。さっきの注文書は呪具の注文書でしたよ」
「本当?」
現実に帰ってきた頼子は注文書をペラペラとめくった。そして、再び思考の世界へと帰って行った。
私は彼女の手を握り、他にも気になるものがないか本棚を見つめた。隣の頼子は、髪が巻き髪になりそうな程、指を使って器用にくるくると巻いている。
「憑物を祓うのとは違うし、かと言って諏訪神社の御頭祭とも違うし…」
ブツブツとそんなことを言いながら、思考の海にどっぷりと浸かっている。考えがまとまったら、何か教えてくれるかもしれない。
結局めぼしい本がなかったので、有重は、もう一度道具の注文書を見てみる事にした。何に使うのか分からなくとも、何を用意すれば良いのかは覚えることができると思ったからだ。
注文書には、明らかに常軌を逸した物が多数注文されていた。
狼や蛇などの動物はもちろん、その動物の生き血、臓物、そして聞いたこともない呪具やお札の数々、極めて高価な鉱物や宝石、聖地の水など何に使うのか想像もできない物が多い。これらを使って何をすれば、何が起こるのか、そして、『獣狩り』とはどのような者なのか。興味は尽きない。
二人で寄り添うように歩いたので、棚の端に行くのに時間がかかった。
道具の注文書を一旦棚の上に置くと、有重は、この注文書と同じ時期の出納帳を取り出した。パラパラと頁を捲ると、陰陽寮の支出にしては膨大すぎる箇所を見つけた。
膨大な支出は、九尾の狐が出た時期と退治された時期に合致し、何より重要なのは、この発注をしたのが安倍泰成とあった事だ。あの九尾の狐を怪異と見抜き、真言を唱え九尾の狐の変身を解いた人物だ。
やはり、予想は間違っていなかったようだ。
「間違いない。安倍泰成は、九尾の狐を祓うには陰陽師だけの力では難しいと分かっていた。そして、これらを使って『獣狩り』を創りあげたんだ」
絶賛、深考察に没頭中の頼子も、手をギュッと握ってきた。概ねそうだと言いたいのだろう。
さて、であれば最大の問題を解決しなければならない。
確かに、注文書に書かれていた物を使って、何らかの儀式のような事をしたのは予想できる。しかし、その儀式がどんなものなのか、そして、『獣狩り』は実際問題どのような力を持っていたのかは、全く分からないままだ。呪術に詳しい人物を尋ねる前に、少しは予備知識を持っていたいところだ。
「口寄せとも違う…でも、あれは動物も…降ろせる…だとすれば…」
頼子も一生懸命に考えてくれているが、資料が少なすぎる。ここはもう少し書庫を探してみるべきだろう。ここまでの諷示があるのならば、何かしら残っている可能性もある。
ではどこを探せば良いのか?と有重は考えた。
九尾の狐の資料は少数だがある。しかし、そこには『獣狩り』の事は何も書かれていなかった。では、他にそれが書いてありそうな書物があるのだろうか?
「狼、蛇…」
頼子は小さな声で言う。どうやら彼女は発注書にあった獣が気になっているようだ。
有重も負けじと頭を働かせる。当時の安倍泰成も表立って記録を残す事はできなかった。しかし、こうして発注書をわざと残してくれていた事を考えれば、後世の人間に何かを伝えたかったとも考えられる。であれば、見つけにくい何かに、見つけにくくそれを残していると考えたい。
何だ?何にそれを残してくれたのだ?
有重は必死に考えた。
頼子に良いところを見せたいとの邪念もあるが、それが結果に結びつけばまさに一石二鳥だ。
薄暗い書庫の中で、有重と頼子は、手を繋いで立ったまま必死に頭を回転させた。
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