咲く前に枯れた花の名前は

おもち

1

 友だち付き合いも勉強も、それなりに上手くやっているつもりの高校生活二年目。じわりじわり近づいてくる進路という厄介な敵さえいなければ、それ以外は自由気儘なスローライフを満喫中。

 GWが終わり、夏期講習の文字が目につくようになった頃。なんとなく、本当になんとなく、胸が締め付けられる感覚を覚えた。


 先輩の好みは可愛い子、清楚系って聞いたよ。じゃあ髪、伸ばそうかな。メイクの練習なら付き合うからね。いつでも話聞くから、相談してよね。

 二年になってからずっと、小さく聞こえてくる会話が鼓膜に刺さるようになった。毎日のように刺さる棘が心臓にも届き始め、正直なところ意味が分からず途方に暮れた。

 今日も話に花を咲かせる四人組、真ん中にいるアイツを横目で追う。アドバイスをもらったのか、スマホの画面を食い入るように見ているのを。


 特別親しい仲じゃない。ただ同じクラスなだけ。まあ、うん、挨拶はするか。あと、数学で分からない問題があると聞きにくる。答えられるだけの頭があるのが嬉しい、数学は頑張ろうとやる気になってテストの点も良くなった。

 そんな関係でしかない俺のことだ、なんとも思ってないに決まっている。良くて数学の得意なクラスメイト程度の印象しかないのは知っているんだ。


 明確に「好き」かと聞かれると言葉に詰まる。嫌いじゃあない。吹奏楽部でトランペットを吹いている時の真剣な表情にハッとしたり、髪を耳に掛ける仕草が気になるだけ。

 だから落ち込むはずない、好きな人がいると知っても。告白したいと言い出しても、好きになってくれるかなと不安そうにしていても。


 もやもやとした気持ちが膨らむのをゲームに夢中になっては忘れ、得意な問題を解いてすっきりした気持ちで塗りつぶした。

 数学のノートを見せてと言われても笑っていられる、古典を教えてくれとも自然に言える。だから違う、きっと、特別な「好き」ではない。




 ただのクラスメイト、少し話をする女子。そう思うことにした頃、あの光景を見てしまった。俺は衝撃の事実を知ったんだ。友だちの、付き合って1ヶ月記念を祝った日に。

 友だちの惚気を聞くのは結構好きだ。応援したくなるし、羨ましくもなる。昨日初めて手を繋いだだの、毎日一緒に帰っているだの、あんまりにも嬉しそうに話すから嫌な気にもならない。お幸せに、と笑った時だった……俺たちのいるファミレスに先輩が入って来たのは。

 先輩とはもちろん、アイツが好きな陸上部の先輩だ。手足が長くて姿勢がいいのと、マスクしていても分かる顔の良さ、典型的なモテる先輩だな。将来はマラソン選手と言われ、大会では表彰台の常連と聞く。凡人にとっては雲の上の存在だ。

 まじまじ見て目が合っても厄介だ、一方的に知っているのに挨拶するのも変だから、知らん顔しておくか。


「あ、先輩!」


 いやいや、声かけるのかよ。ここは他人のふりだろ、あーあ。あ、そういえばお前も陸上部だったな。

 立ち上がる友だち、笑顔で近づいてくる先輩。俺、どうにか愛想笑い。こういう時、立った方がいいのか? どうなんだ?

「あ、なるほど! お邪魔したら悪いですね」

「可愛くない後輩だなぁ」


「……ぁ」


 先輩は一人じゃなかった。中途半端に腰を浮かした状態で、斜め後ろにいた人に気づいて動けなくなる。

 これで三年生の先輩だったら驚きも少なく挨拶して終わっただろうが、そこにいたのは去年まで同じ教室にいた同級生だった。

 黒くて真っ直ぐな髪、冷たく見られるのが嫌だと本人が言っていた一重の目、ひらひら振られる日焼けしていない白い手。

 入学した時に隣の席だったから初日から話したし、特定のグループに属さない者同志、他愛のない話をする機会は多かった。


「水瀬」

「久しぶり、でもないかな?」

 しかし、クラスが別れると余程のことがない限り交流がなくなるタイプの俺、曖昧な返事をして誤魔化す。今はそれどころじゃないのが本音だけどな。

 俺の気まずさと居心地の悪さを察してくれたのか、去年同じクラスだったのと笑う水瀬に頷き、またなと言って離れた席に向かう先輩。良く出来た人だな。




「……知ってたんだ?」


 残っていたメロンソーダを一気飲みしてから聞いてみる。向かいでジンジャーエールを飲む友だちは驚いた様子もなく、平然と首を縦に振った。

「一回だけ、一緒に帰っているのを見たことがあってさ」

 言いふらすこともないから言わなかった、と続く言葉が鼓膜を揺らして脳に突き刺さる。言わなかった友だちの真面目さ、優しさを思うと何も言えずに俯いた。


 そうか、そうなんだ。そうだったんだ。知らなかった、知りようもなかった。

水瀬はしっかり朝練もある弓道部、授業が終わったら帰るだけの帰宅部とは全く違う生活を送っている。今も同じクラスで他愛のない話をする仲なら、もう少し早く知れただろうか。

「あ、あー、もしかして……」

「違う。水瀬は去年同じクラスだっただけで、彼氏ができたなら良かったな、って思う。だから、違う」

 握ったままのグラスの中、溶けた氷が音を立てて崩れていった。うっすら残るメロンソーダの名残を見つめ、自覚したくない気持ちがあるのを認める。


 名前をつけたくない感情に閉じ込める方法を知りたい。膨れ上がる前に、コントロールを失うより早く、今ならまだ間に合うはずだ。

「いや、なんというか……あー、彼女ほしいな~と思っただけだよ」

 自分に言い聞かせるように呟く。言い訳に聞こえなくもないが、まるっきり嘘というわけでもない。浮かびそうになる顔を打ち消して、水に戻る寸前の氷を睨んで奥歯をぐっと噛み締めた。

 こんな風に、全部溶けてなくなればいいのに。明日も教室で交わされるだろう会話も、照れくさそうに笑う顔も、視線の先に広がるグラウンドも。





「頑張ってくるね」


 ついに「その日」はやってきた。ピンク色に塗られた目蓋と唇、先の方だけ巻かれた髪、緊張した面持ちで背筋を伸ばす横顔。帰り支度をしていた手を止めるには十分だった。

 頑張れ、行ってらっしゃい、連絡ちょうだいね。一つ一つの言葉に頷き、鞄を持つ手に力が入るのが見えた。

「あ……」

 思わず追いかけ、声をかける寸前で思いとどまる。なんて声をかければいいんだ? その前に、かけてどうする?

 好きになった人に告白しようとするクラスメイト、その人には彼女がいると知っている自分。事実を伝える意味があるのか。ただのクラスメイトなのに?

 遠くなる背中は廊下の角を曲がって見えなくなる。声をかけていたら、気づいてくれていたら、なにか変わるだろうか。


「……駄目だろ」

 無性に悔しくなった。なにも言えないのが、見ているだけなのが、臆病で卑怯な自分に腹が立つ。

 だから走った。急いで追いかければ間に合うかもしれない。廊下を走って、階段を一段飛ばしで駆け降りて、下駄箱に上履きを押し込んで外に出た。

 帰宅部仲間をかき分け、グラウンドへ向ったであろう後ろ姿を探す。見つかれ、見つかれと願いながら。


「……あっ」

「え?」

 見つけた。見つけたと同時に漏れた声が届き、視線が真っ正直からぶつかった。怪訝そうに首を傾げられて本気で焦る。先輩には彼女がいるなんて口が裂けても言えない、その前に会話を盗み聞きしていたと知られるわけには……。

「……あ、いや……あの、さ……頑張れよ」

 なにを頑張るかは知らないけど、そう言って誤魔化す。頑張れ。叶わなくとも、行動することが凄いんだ。一歩も動けない、情けない自分と比べたら。


「ありがとう。行ってくるね!」


明るい笑顔と声を置き去りにして、走っていく背中を見送った。もう届かない寂しさ、虚しさと共に手を振って。




 上の空で家に帰り、味のしないご飯を食べ、風呂に入って宿題もせずにベッドに潜り込んだ。瞬く間にやってきた朝に眠い目を擦り、いつも通りの授業を受け、こうやって世界は回っていくんだと悟った。


なのに……。


「せっかく頑張れって言ってくれたのに、駄目だったよ。告白したんだけどね、彼女がいるんだって……」

 人もまばらな放課後の教室で向き合っている。短くなった髪の毛を弄りながら、昨日とは違うぎこちない笑顔で笑うアイツと。

「……だから、髪」

「無理して伸ばさなくて良くなったから。こっちの方が似合うと思わない?」

 作り笑いを見るのが嫌だった。どうにか笑おうと必死になっているんだろ? 泣きたいのを我慢して話しかけてくれた? それとも、聞かれたくないから自分から話した?

「短いのもいいと思うよ」

 本当はそう言いたかった。慰める術も持たないなら、傷つけないような言葉を選ぶ優しさはあると思いたかった。


「長いままのが良かったのに」


 でも、こぼれ落ちたのは言ってはいけない言葉。直後に襲いかかってきた後悔と見開かれた瞳、口許を覆った震える手。

 下を向くと顎のラインで切り揃えられた髪で顔が見えなくなる。昨日までは肩より少し長かったのに。綺麗だったのに。無理に変わろうとしなくても良かったのに。


「ふぅん……別に、もうなんだっていいけど」


 ぷつん、糸の切れる音がした。聞いたことがないくらい細くて頼りない声に、全てが終わったんだと感じる。吐き出した言葉は取り消せない。

 もう明日からは気軽に話しかけられないだろう、天気の話しですらできない気がしてならない。

 確かめる気力もなく、顔を見るのも難しい状態だ。自分が招いた結果、うちひしがれる資格はないよな。

 教室を出ていく足音を聞きながら、顔を上げられず床を見つめた。苦しい、悲しい、申し訳ない、どうしようもなく傷つけた罪悪感に押し潰されそうだ。


 ここにきて漸く、好きだったんだなと自覚した。自分の手で終わらせてから気がついた、気がついてしまった。くるしい、心臓が痛い。

誰もいない教室で立ち尽くす。早く帰ればいいのに、足が床に張り付いて動かない。


 手遅れだ。もう跡形もなく消えてしまった。余韻でも残してくれたら浸れたのかな。寂しくて虚しい気持ちの行き先が見つからなくて胸が締め付けられる。



「……好き、だったんだな」



 馬鹿だった。言葉も態度も、なにもかも足りなかった。もう遅いけれど。どこから間違えた? なにが正解だった? どうしたら良かった?

 言えなかった。言わなかった。気づくことから逃げたのは怖かったからだ。誰も悪くない、悪いのは全部俺だよ。

だから蓋をしよう。誰にも知られず、知らせずに葬ることで忘れよう。


 のろのろと上げた顔に当たった夕日の眩しさが目に染みる。痛みを訴える鼻の奥、強く噛みしめ過ぎたせいで痺れ始めた顎、手のひらに食い込む爪。ぐちゃぐちゃになった頭を抱え、肺が空っぽになるまで息を吐いた。


「ごめん……傷つけて、なにも言えなくて、なのに間違えて……ごめんな」


 言わずに終わってしまった気持ちを、果たして「初恋」と名付けてもいいのだろうか。

でも、そうだな、他の名前が思いつかないから、きっと初めての「特別」だったんだ。認めなくてはいけない。短くても、消えてしまっても……。一言の重みと共に。





枯れてしまった花の名前、確かにそれは「恋」だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

咲く前に枯れた花の名前は おもち @omochi-shiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ