手紙屋と素敵な贈り物
緑丸 鉄弥
「お手紙をお持ちしました」
空が白み、もうすぐ夜明けとなる頃にソイツは現れた。
黒いスーツに身を包み、シルクハットを目深に被っていて表情はほとんど見えない。シルクハットから僅かに見える髪は赤で、体躯も小さい。
昔童話で見た化け猫のようにニッコリとほほ笑んだ口元がとても印象的だった。
「お手紙をお持ちしました」
そう言った声は高く、斜にかけた郵便鞄から大きな小包を取り出す。真黒な箱には白い紙が貼ってあり、子供が書いたようないびつな字で自分の名前が書いてある。
「お代はもういただいておりますので、わたくしどもはこれで」
小包を机の上に置き、ソイツは丁寧に礼をして、闇に消えていった。
煙が消えるように、フッと。
「(あれが、……)」
この世には、一身上の理由により住所を公表できない者がいる。まさに自分がそうだ。麻薬の密輸を副業にしている自分の、このアジトの住所は誰にも教えていない。
しかし、たとえ公表していなくても、こういった裏稼業をしている者のところに届く手紙や小包はやっぱりある訳で。
そんな時に来るのがアイツだ。先ほどの黒スーツ。
俺自身はあの小さいアイツしか見たことが無いが、同業はもっと背の高い男が来るというし、かと思えば巨乳の女性が来るというやつもいる。
年齢も人数も名前すらも分からない謎の便利屋。アイツは自らの事を『手紙屋』と言っていた。
いつも指定した時間にキッチリ姿を現し、丁寧な対応と仕事が逆に不気味だ。
「(頼んでいた薬が……)」
そしていつも丁寧な梱包。取引先は裸のままアイツに渡していると言っていたから、きっとアイツ、またはその仲間が包んでいるのだろう。
噂では生きた人間も依頼をすれば運んでくれるという。
「(ホント……不気味なヤツらだ)」
息を細く吐き、コンクリートを打ちっぱなしにした部屋を見渡した。明かりとり用の小さな窓から太陽が細く光を通した。
****
朝になった。
ビルの屋上の縁に座り丸くなった背中に昇り始めた太陽の光があたり、ポカポカと暖かい。
エレンはシルクハットを脱ぎ、フゥと詰めていた息を吐いた。
あの客の家はいつも変な匂いがするから嫌だ。
日本人にはない赤毛が風に揺れる。深い青の眼もこの国には似つかわしくなく、同僚の誰一人として同じ眼も同じ髪色もいない。
出身も生まれた時代も違う者が集まっているのだから、気にせず仕事に取り組めばいいという言い分は大人の言い分だ。まだまだ精神が子どものエレンに取っては、「みんなと違う」というだけで自分が異様なもののように思えるのである。
ピピピピピ
ジャケットのポケットに入れた携帯電話が鳴り、エレンはびっくりして意識を戻した。びっくりした拍子にシルクハットを落としてしまい、シルクハットは遥か下に落ちて行ってしまう。
「あーあ……」
ガクッと肩を落とすが、あれを誰かに拾われては困る。
エレンは今まで座っていた縁を蹴り、そのまま下へ落下した。
どんどん重力の所為でスピードが上がっていく。
もうすぐ地面に激突する、というところでフワッと落下速度が落ち、エレンは怪我をする事なく地面に足をつけた。
肝心のシルクハットと言えばビルの周りに植えられた植え込みの上に落ち、エレンはまたそれを素早く目深に被った。
「もしもし」
まだ鳴っていた携帯に出ると、電話の向こうでハァとため息をつく声が聞こえた。
「エレン、電話が鳴った時はできるだけ早く出るようにと言ったでしょう?」
母のような、姉のような、そんな暖かみのある女性の声がエレンの耳をくすぐった。彼女は
「ごめんなさい。帽子が下に落ちちゃって……」
「まさかまた高いところに?」
……なぜ彼女は自分の行動が分かるのだろうか。温和はお母さんだから分かるのだ、とエレンの直属の上司である銀髪はほほ笑んだのを思い出す。そうか、母だからなのか。
エレンが小さく納得しているのが聞こえたのか、また温和が息を吐いた。
「エレン、お仕事が終わったのなら帰ってきなさい。朝ご飯用意してあるから」
そう言ってプツンと電話が切れた。エレンは温和の作る暖かな料理を思い出し、家……手紙屋関東支部の本拠地であるシロガネに向かって走り出した。
****
手紙屋は、基本的に人間でないものが仕事に就いている。
他の支部には妖怪や妖精、物好きな浮遊霊がいるらしい。
らしい、というのは、互いに自分の仕事に手一杯で、他の支部に誰がいるのか把握しているのは各支部長ぐらいなものである。
関東支部はほぼ全員が支部長の能力で命の時間を止められている。
エレン自身、今の支部長と出会ってすぐに命を止めてくれと願った。特に理由はない。「不老不死」という言葉に幼い好奇心が働いたからであった。
シロガネの街はとても高貴な匂いがする、ような気がする。
他の閑静な住宅街でもいいような気がしたが、支部長曰くここには時間の歪みがあり、彼はその歪みを正すためにここにしたらしい。しかし、本心は違うと彼の秘書をしている温和が言った。
他の支部の支部長は山奥や人も電気も来ない辺鄙な場所に住んでいる者が多いそうで、自分はこんなにも優雅で快適な場所に住んでいるんだぞと誇示したいだけなのだという。
「ただいまー」
白い階段を上り、観音開きの玄関扉を開く。
エントランスホールを囲むように半螺旋状の階段が二つあり、吹き抜けになった天井からシャンデリアが吊り下がっている。靴は脱がず、扉横に置かれたコート掛けにシルクハットを近くに置かれた踏み台に上って掛けた。
その脇に二つ、子供用のロッカーが置かれており、「エレン」と書かれたロッカーにエレンは自分の郵便鞄を入れた。
「あーエレンー」
ちょうど階段を下りてくる男性がいた。
短めの銀髪と白の浴衣を揺らし、オレンジ色の瞳をトロンと垂らしてダラダラと降りてきた男。
これが関東支部支部長のプルートである。
人間ではないらしいが、彼が何者か、時間を操る能力があること以外まったく分からない。
「おかえりぃ」
「プルート!」
間延びした声の彼の胸に、エレンは嬉しそうに飛び込んだ。
ほんのり酒の匂いがするところを見ると、きっと朝まで自室で飲んでいたのだろう。無類の酒好きである彼の部屋は書斎に置かれたたくさんの酒瓶から漏れる酒気で霞ができるほどだ。
「お疲れさまぁ。大変だった?」
「ううん! 全然!」
まだまだエレンの精神年齢は幼いままだ。エレンはプルートを父のように慕っていた。プルート自身がどう思っているのかは分からないが、嬉しそうにエレンの赤毛を撫でているのを感じると嫌な感情は持っていないようだ。
フワッと浮遊感がして、プルートに抱きあげられる。
慌ててプルートの首に腕を回し、彼の女性のようにしなやかな手が背中を撫でられる感触に自然と笑みがこぼれた。プルートの綺麗な手で撫でられるのは、大好きだった。
「あらエレン。おかえりなさい」
プルートの肩越しに声の方を見ると、赤茶の髪を下で二つに結んだメガネの女性がいた。彼女が先ほど電話をしてくれた温和である。
片手に厚手のファイルを持ち、ずれた丸いメガネを正す姿はいつぞやかに伝え聞いた「生徒会長」の雰囲気を持っていた。
「食堂に食事を用意したわ。それから、あとで報告書を提出してね。簡単なものでいいから」
「はーい」
温和が機械的に話す時はだいたい仕事の話をする時だ。普段は穏やかに話す温和だが、仕事モードになると無感情で冷たくなる。なので、エレンはあまりその声が好きではなかった。
「ご飯?
「プルートはご飯まだなの?」
「うん。あと、
そう言って、エントランスホールを超えた先にあるドアを開ける。
そこが食堂で関東支部の手紙屋である十二人が全員座れるほどの長テーブルと、その後ろには大きなたくさんの窓。豪華な調度品とそれに似合う椅子が十二脚きれいに並べられている。
その一つに黒いスーツを纏った男性が食事をしていた。黒い髪を真ん中で分け、あまり感情の読めない表情で温かいスープを飲んでいる。
男性がこちらに気づき、真っ黒な瞳で小さく会釈した。彼が
「おはようございます、プルート。おかえりなさい、エレン」
「おはよぉ。今日のおつゆはキャベツスープ?」
「はい。それとエレンにはハンバーグがあります」
「ハンバーグ!」
ハンバーグの単語にエレンはプルートの腕から降り、食堂の横から入れるキッチンへ走った。大理石の調理台にはラップの掛けられた皿が置いてあり、その中に温和特製の和風ハンバーグが入っていた。
タレがこぼれないようにそっと台の上から取り、レンジに入れる。
ここの家では食事の盛り付けはセルフサービスなので、チンして温めるのも鍋を火にかけるのも自分でやらなければならない。
「朕のスープはどれ?」
プルートがどこに隠し持っていたのか、日本酒が入った小瓶を持ってフラフラとキッチンに現れた。
コンロに置かれた鍋に気づき、丁寧に盛り付けをするエレンとは対照的にプルートはスープ皿に雑に盛り付ける。彼がキッチンから離れると小瓶の中身は既に空になっており、シンクの中に置かれた。
「あ、そうだぁ。ねぇ、エレン」
「なに?」
ダイニングに戻るついでに冷蔵庫からウイスキーの瓶を取り出し、プルートはそのままラッパ飲みをする。
レンジのタイマーが鳴った。
「あとで朕の部屋においで。話があるの」
プルートの自室に呼ばれる時は何かあると思え。
外見年齢が一番高い
小さな頼みごとではない。何か大きな、危険な仕事を頼む時に彼の自室に呼ばれるのだ。
エレンの笑顔が引きつるが、プルートは気にせずそのまま上座の席に座り、食事を始めた。
****
プルートよりも遅く食事を終え、エレンは二階にあるプルートの書斎の前に立った。
重厚な扉がいつも以上に重く見えた。
心配してついてきてくれたらしい本見がしゃがんで、エレンの顔を覗いてくる。
右手につけていた腕時計を見ると、ここに立ち往生してから三十分は経っていた。
「大丈夫?」
「う、うん……大丈夫」
「エレンはまだ小さいからそんなに危険な仕事ではないはず」
「そんなに危険な仕事ではない」と言われても「
足が動かないエレンを見かねて、本見が代わりに扉を開けた。
ムワッとした酒気が扉を開けた途端に廊下に流れ込んできた。本見の眉間に皴が寄る。
「ちょっとここで待っていて」
そう言って本見はエレンを廊下に置いて、書斎の窓という窓を開けた。
新鮮な空気が、部屋の中央に置かれた休憩用のソファで何種類もの酒を浴びるように飲んでいたプルートを包み、プルートが不機嫌そうな顔で本見を見上げた。
「窓なんか開けてなぁに?」
「エレンが来ています。私はともかく、未成年の彼にこの空気は毒です」
本見の静かな声にプルートは顔をしかめ、ローテーブルに置いた酒瓶を書斎の端に置いた棚にしまった。
「エレン、もういいよ」
本見の声にエレンは恐る恐る書斎に入る。プルートは不機嫌そうに自分のデスクに戻り、本見に扉を閉めるよう指示をする。
本見が扉を閉めたのを確認し、プルートは椅子をクルッと回転させてデスク前に立つエレンに顔を向けた。
「さてと……エレン、さっそくだけど次の仕事に行ってもらいたいんだ」
普段の間延びした声ではなく、不機嫌を隠しもしない鋭い声で一枚の紙を差し出した。あまり口答えしない方がいいだろうと直感したエレンは、おとなしくプルートが差し出した紙を受け取った。
紙はメールの本文を印刷したもののようで、依頼内容は一切書かれておらず、待ち合わせの日時と場所だけがあった。
本見が横から指を伸ばしてきたのでその先を追うと、紙の左端に小さくプルートの字で依頼人と思われる人物の簡単な情報が書いてあった。
「今日の午後二時にヨコハマにある大きな桟橋に集合。依頼主は
「チューカイニン?」
聞いたことのない単語が出てくる。恐る恐る聞いてみると、プルートはキョトンとした顔でこちらを見ていた。機嫌は多少戻ったようだ。
「仲介人っていうのは、クスリの買い付けだったり、いろいろと表じゃ気まずい仕事のワンクッションの役割をしている人のことだよぉ。この前教えなかったけ?」
そういえば一週間くらい前に、同じ外見年齢七歳の
エレンは気まずそうに苦笑いした。
「ともかく、」
コホンと咳払いをして、プルートが部屋の空気を戻した。
「今が十時だから、少し休んでから行けばいいと思うよ。それじゃ、よろしくね~」
プルートがニコッと笑って手を振られ、エレンは嫌とも言えずスゴスゴと書斎を後にした。
扉を閉め、息を吐く。
西原和歩。どんな人物なのだろうか。
字面からは女の子らしい名前だな、ということしか読み取れない。
一階に降り、廊下を玄関を背にしながら左に曲がった。風呂場へ続く暖簾の横がエレンの部屋だ。
部屋に入ろうとしたとき、自室とは反対側のドアが開く。
「あ、律斗」
「あ、エレン」
エレンと同じくらいの体躯に深緑の短い髪と深緑色の目が印象的な、手紙屋一元気な奴である。
彼の首にかけられた紐リボンに気づき、エレンは仕方ないなと息を吐いてそれを結んでやった。
「律斗、お仕事?」
「うん! 今日はリット、ペットショップからペットを運ぶお仕事なんだ!」
嬉しそうに話す彼に、エレンは頑張ってねとだけ言って部屋に戻った。
あまり手紙屋の間で仕事内容の話をすることはない。自分の仕事に集中できなくなる場合があるからだ。ベッドに横になり、もう一度紙を見る。
「(嫌だなぁ……)」
何か、嫌な予感がする。
こういうときの第六感というのは敏感に何かを感じ取る。しかし、仕事は仕事だ。
エレンは鞄の中身を整理し、少しだけ仮眠を取った。
****
二時ぴったりにエレンは指定された大桟橋に立った。
海風が心地よく、平日なのにも関わらずたくさんの人がいる。芝生が引かれた場所にはお弁当を広げる親子連れ、ベンチにはカップルが二人の世界を作り上げていた。
出かける前にプルートから聞いた相手の背格好を思い出しあたりを見渡すが、それらしき人物は見えない。
ピピピピピ ピピピピピ
上着のポケットに入れた携帯が鳴った。慌てて受話ボタンを押すと、知らない声が聞こえる。
「もしもし? あんたが俺の依頼した手紙屋さん?」
高いような低いような中途半端な声が耳に響く。どこか楽しそうな口調に、エレンは小さく咳をしてから気持ちを立て直す。きっとこの電話の主が依頼主の西原和歩だろう。
「はじめまして。わたくしが依頼を受けた者です。もう指定された場所に来ているんですが……」
もう一度キョロキョロと辺りを見回すが、やはりそれらしき人物はいない。
「あぁ、忘れてた。下に降りてきてくれない? そこにいるから」
彼は事細かく降りる場所を指示してきた。指示された人気のないスロープを降りる。
木の板が壁面に打ち付けられ、明かりは点いていない。
場所は合っているはずなのに、また本人はいなかった。携帯はすでに切られ、エレンは仕方なくスロープを降りていく。
ヒュンッ
遠くで空気を切る音がする。そしてタンッという音が続いた。歩みを進めるたびにその音が近づいてくる。
三回音がすると、何かを抜き取る音が聞こえ、そしてまた三回タンッという音が聞こえた。
「あ、危ない」
タンッ
目の前を針がついた小さな矢のようなものが通り過ぎ、真横の壁に突き刺さる。
驚いて一歩後退すると、突然ケラケラと笑い声が聞こえた。
声の方を向くと、短い黒い髪の前髪をアシンメトリーにした男性がベンチに座っていた。細い目が曲線を描き、クスクスと笑っている。
大学生のような雰囲気と格好に、エレンは慌ててプルートからもらった紙を見る。年齢の欄には二十二歳とあるので、あながち間違いではないだろう。
エレンの反応が余計面白いようで、男性の笑い声はどんどん大きくなり、エレンはキッと睨み付けた。あまりにも不快だ。
「ごめんごめん。驚き方が面白くて」
声が電話の主とかぶった。
「あなたが、西原和歩、さん?」
「そう。はじめまして」
言いながら、彼はエレンを手招きした。そっと彼の横に座ると、彼はエレンの方を見ずにまた矢を構える。
「それ、」
「あぁ、これ? ダーツっていうの。知らない?」
焦点を定め、フッと息を吐き、まるで紙飛行機を投げるようにダーツを投げた。ダーツは弧を描くことはなく、まっすぐ放たれる。三本の矢は綺麗にまとまって刺さり、和歩は満足そうに立ち上がり矢を抜いた。
「あんたに頼みたい仕事っていうのは、ソレだ」
彼が指差した場所にはひとつの大きなキャリーバッグが置かれていた。こちらを見ずに和歩はまたダーツを構える。
「ソレをある人物のもとまで送ってほしい」
ダーツをまた壁から引き抜くと、キャリーバッグの傍らに置かれたくすんだオレンジのバッグからたくさん紙が入ったクリアファイルを取り出す。
彼は相手の反応は気にせず話すタイプのようだ。エレンは気を害されても困ると思い、ジッと黙り込む。
「この人にね」
ファイルから出てきたのは小さな名刺だった。住所と名前だけの簡素なもので、印刷されたものではなく、誰かが手書きしたもののようだ。
「かしこまりました。期日はいつまでですか?」
「できれば今日の夜中には届けてほしい。大切な贈り物なんだ」
和歩の笑みは、こう言ってはなんだが胡散臭い。こんな稼業をやっているのだから当たり前だが、エレンは努めて彼の笑みを信用しないようにした。
タンッと、ダーツが木板に刺さる音がまた響く。矢を抜いた和歩が、「あ、そうだ」と跳ねるようにこちらを向いた。
「確か、あんたのとこは依頼品を綺麗に装飾もしてくれるんだっけ?」
「はい。ご希望であれば」
「できるだけ、キレイにしてほしいな。中に装飾品を入れてはあるんだけど、それを使って」
「はい。かしこまりました」
機械的に返すと和歩は満足そうにうなずいた。
装飾を依頼に追加するならばキャリーバッグの中身を確認しようと継ぎ目にエレンが手をかけたとき、グッと和歩がエレンの手を握った。驚いて見上げると、彼はニコッとほほ笑む。
「これを開けるのは、あんたが家に帰ってから」
「ですが、確認をして追加料金の査定を……」
「追加料金? そうか……どうしようかな」
和歩の顔が途端にしかめられる。金にはうるさい方のようだ。
「あ、中の荷物の大きさにもよります」
慌てて郵便鞄から追加料金の表が書かれた紙を取り出すが、渡す前に勝手に取られてしまった。眉をしかめながら表に目を通していた和歩だがふっとそれが解かれる。クスッと口角を上げた彼は紙をエレンに返した。
「なら大丈夫。そんなにかからない」
守銭奴でも満足する値段だったらしい。
和歩はジーパンのポケットから財布を取り出し、小銭を数枚取り出す。エレンはそれを両手で受け取り、表を確認してきっちりあるか数えてから自分の財布にしまった。
「はい、確かに」
「それじゃ、俺はここで。しっかり渡すんだよ」
依頼人の念押しする声に、エレンはしっかり腰を折った。
顔を上げたとき、彼はもうすでに目の前にはいなかった。
「(さてと……)」
置いていかれたキャリーバッグを手に取り、傾けてみる。
「うげっ、重っ」
ズシリと七歳児の腕には余るほどの重みが圧し掛かる。タイヤがギシギシと鳴り、エレンの身長ではうまく回転してくれない。
一人では運べないと即座に判断し、エレンは携帯で本見に連絡をした。
****
家に帰り、エレンは驚きで何も言えなかった。
ちゃんと地に足がついていることを何度も確認し、震える手で頬をつねる。
痛みが、これが現実であることを示す。
「なんで……」
キャリーバッグに入っていたのは、真っ裸にされている小さな
透き通るような肌を、光の加減で白にも見える長い金髪がふわふわと包んでいる。体を折り曲げて、睡眠薬でも飲まされたのか、ぐっすり眠っていた。
少女への衝撃を緩和するためか、それとも隙間を埋めるためなのか、少女が体を曲げてできた隙間には紙袋が入っており、そっと覗いてみると上品な白いドレスが入っていた。
「(運ばなきゃいけない荷物って……)」
確かに手紙屋は依頼されれば生きた人間も運ぶ。
しかし、エレンはまだ体も小さく人生経験も少ないのでそういう依頼は他のメンバーに回されていた。
初めての人身売買への関与。
嫌な汗が背中を伝うのがわかった。
「ん……」
「っ!」
少女がピクッと動く。エレンは反射的に後ずさると、タイミングを見計らったように少女がゆっくりと起き上がった。青い目がエレンとかち合う。
「あなた、だれ?」
おっとりとした話し方に、エレンはビクビクとしながら口を開いた。
「手紙屋です。あなたを運ぶよう、依頼されました」
初めて「あなたを運ぶよう」なんて言葉を使い、少しどもってしまった。うまく口が回らない。
「わたしはマリア。あなたが、手紙屋?」
「そう、です」
「あのひとが言ってたわ。わたしを天国へ運んでくれるんでしょう?」
「天国……?」
彼女はニコニコとほほ笑んでいる。
邪気という言葉が似合わないその笑顔に、エレンは顔をしかめた。
たぶん、「あのひと」とは和歩のことなのだろう。
「えぇ。わたしがこれから行くところは、天国なんだって言っていたわ。フワフワのベッドに、きれいなお洋服がたくさんあって、甘いお菓子がいっぱいあるって」
夢心地のようにうっとりと彼女は言う。
きっと、マリアに刷り込まれた世界とはまったく違う世界がこれから待っているのだろう。
エレンには、彼女の身にこれから何が起こるのかは想像できないが、絶対に天国ではないだろう。それは確信を持って言える。
だが、それをあえてマリアに伝える必要はない。
彼女は「商品」。
恐怖を与えて、今後彼女に課せられる「仕事」に支障が出ては困るのだ。
エレンはできるだけ慎重に口を開く。
「とりあえず、その格好では風邪を引きます。着替えましょう」
「あら、そうね」
きっと彼女の中で、エレンは同い年だと認識されたのだろう。なんのためらいもなく立ち上がり、紙袋の中を漁りだした。
エレンも慌ててその作業を手伝った。
下着と洋服を着せ、髪を綺麗に整える。慣れない手つきで準備をするエレンにマリアは口を出すでもなく、静かに待っていた。
すべての準備が整い、エレンは紙袋の底にあった薬を取り出した。汚い字で「準備が終わったらこれを飲ましてもとの状態で」と書かれた紙が貼ってあり、きっとあの男が貼ったのだろう。渋るマリアに薬を飲ませ、またぐっすりと眠った彼女を、バッグを開けたときと同じように寝かせた。
「(こんな……)」
和歩は「
こんな小さな子を買い、自分の思い通りに楽しむ人種がいることが驚いた。
エレンはバッグの蓋を握り眠る彼女の横顔を眺める。
この子はきっとこれからも外の世界を見ることはないのだろう。「天国」以外の世界を知らない彼女が、もし外の世界を知ったら。いや、想像しないでおこう。
エレンはそっとマリアの手をバッグの中へ入れ、意を決してキャリーバッグの蓋を閉めた。
****
キャリーバッグをきちんと届け、受取人の家を出るとすでに夜になっていた。
エレンは帰る気がせず、仕事を終えたその足で彼女と依頼人と出会ったあの場所へ向かった。
真夜中で誰もいない。
エレンは手近なベンチに座り、星空を見上げた。
からっぽの空に星が点滅する。
「おつかれさま」
突然後ろから声がした。
驚いて振り返ると、酒瓶とお猪口を持ったプルートが真後ろの背中合わせに置かれたベンチに座って手酌酒をしていた。
お猪口に注がれた日本酒に星が映る。
自分が来たとき、真後ろには誰もいなかったはず。
エレンは目を見開いたが、すぐに顔を伏せてベンチの上で膝を抱えた。
「どーしたの、浮かない顔して。本見から聞いたよぉ。ちゃんと仕事こなしたじゃない」
「あんな、聞いてなかった……」
シルクハットが海風に吹かれて飛ばされる。しかしエレンは顔を上げずにギュッと膝を抱きしめた。後ろでプルートが立ち上がった音がする。
「あの仕事は誰しもが通る道」
「律斗は、もう?」
「いやー? あの子はもう少し学んでから」
そう言ってプルートはエレンの横に座って、彼の小さな頭にシルクハットを被せてくれた。
なぜ自分だったのだろう。なぜ律斗ではなく、自分がこの仕事だったのだろう。考えるだけ頭が混乱する。
人間が人間を買う。
動物を買うように簡単に売買の道具にする。
平和な時代に生まれ、平和に生きていたエレンにとって、こんなに衝撃的なことはなかった。マリアの無垢な笑顔が、先ほど受取人の家で見たマリアと同じ年頃の少女たちの哀れな姿が脳内に焼きついている。
「どうして、ボクなんかを手紙屋にしたの?」
「気分」
「そう……」
プルートの即答に迷いはない。
もし、自分がマリアの立場で、届け先で起こることを知ったら……。絶望感が全身を駆け巡り、涙が頬を伝った。プルートが浴衣の袖で涙を拭ってくれる。
「人間が人間を買う。こんなに滑稽なものはない」
そう言ったプルートの声は、不機嫌時のソレでも、常時のソレでもない、まったく聞いたこともない声だった。驚いて彼を見上げると、いつものプルートが目を細めてほほ笑んでいた。
「あの子は、幸せになると思う?」
「さぁ。朕は人間ではないからねー、人間の考えることは分からない」
流れ星が頭上を通り過ぎていった。
****
暗い部屋の中、少女は小さく歌っていた。
天国には、ふかふかのベッドと、ふかふかのクッション、可愛いお人形、たくさんのぬいぐるみ、そしてたくさんのお菓子があった。
ただ、少女がそれらに触れることはなかった。
触れることが、できなかった。
「~♪ あぁ、神様、天国って素敵なところね」
うつろな瞳には、もう何も映っていない。
少女は切り落とされた両手両足をめいいっぱい広げて、ふかふかのベッドに寝転がる。
ふかふかのベッドと、ふかふかのクッション。可愛いお人形に、たくさんのぬいぐるみ。むせ返るほど大量に詰まれた、たくさんのお菓子。
あぁ、天国はなんて素敵なところでしょう。
おわり
手紙屋と素敵な贈り物 緑丸 鉄弥 @hyakuzaku
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