第6話

 直前のトラブルはあったけれど、わたしたちにとってはじめての中間試験に突入した。

 わたしの部屋で翌日のテスト科目を二人で勉強した。いわゆる一夜漬けだ。とても全教科復習していられない。二箇月弱の範囲を一日でカバーできるわけがないのは当たり前だけれど。わたしたちの知識では、中学生は前日に勉強して試験に臨むものだということになっていたから、それにならった。失敗だったかもしれない。


 テスト最終日は部活が解禁になった。

「はじめての中間テスト、大変だったでしょう」

 サオリ先輩がもう家庭科室にきていた。

「知恵熱が出そうでした」

「愛音ちゃんは出てたよ、知恵熱。なんか熱かったもん」

「やっぱり!しばらく勉強しちゃダメだね。熱を冷まさないと」

「鉄は熱いうちに打てというよ、愛音ちゃん」

 最近はサオリ先輩もツッコミをいれてくれる。

「そうだよ、この調子で勉強すればノーベル賞だってとれるよ、愛音ちゃん」

「もうダメ。これ以上走れない。一歩も動けない。わたしを置いていって、美結ちゃん。美結ちゃんだけでもノーベル賞をとってぇ!」

「うん、わたしノーベル賞をとる!愛音ちゃんの死は無駄にしないよ」

 わたしに向けてのばされた愛音ちゃんの手を握って、わたしは夜空の星に誓った。

「ひさしぶりに楽しいコントが見られて、よかった」

 わたしもサオリ先輩の顔を久しぶりに見た気がして、落ち着く。サオリ先輩には癒しの効果がある。

「でもね、安心するのはまだ早い。中間試験が終わったら、答案が返ってくるんだよ、二人とも」

「ぎゃー」

「そんなー」

 サオリ先輩に地獄に突き落とされる二人。天を仰ぎながら、もがき苦しんで沈んでいった。これはただの予行演習に過ぎなかった。


 最初は社会だった。授業開始とともに中間テストの答案返却が始まる。出席番号順で名前を呼ばれて、前にとりにゆく。絶望の叫びをあげるものもいる。クールに席にもどるものもいる。わたしは、眩暈がして倒れるかと思った。

 席にもどって頭をかかえているところに愛音ちゃんがやってきた。

「美結ちゃん、どうだった?社会勉強したのに六十ニ点だよー。ババーンと九十点くらいとれるかと思ったのに」

「愛音ちゃん、わたし」

「うん?」

「わたし」

「どうしたの?」

「わたしね、ノーベル賞無理みたい」

 わたしは答案を愛音ちゃんの前に掲げた。

「うわっ、こりゃムリだ。美結ちゃん、ノーベル賞は甘くなかったよ」

「うわーん」

 わたしは答案を下敷きにして机に突っ伏した。

「美結ちゃん、大丈夫。ノーベル賞はダメでも、わたしが残念賞をあげるから。ねっ?」

「愛音ちゃん賞?」

「ううん、残念賞。愛音ちゃん賞はもっとずっと価値があるんだよ。ノーベル賞のつぎくらいかな」

「うわーん、残念賞なんてほしくないよー」

 もう一度机に突っ伏した。

「なに、点数悪かったのか?」

 前の席の男子が後ろを向いてきた。

「おれなんて、三十二点だぜ、バカだろ?」

「うっわーん。もうダメだー。わたしはドジでノロマなカメだー」

「美結ちゃん、二十八点」

 愛音ちゃんが、気の毒そうに前の席の坂本にわたしの点数を教えた。

「あ、あー、そうか。三十二点も二十八点もほとんど同じだろ?誰だって苦手なことはあるものだよ。他の教科で挽回すればいいんだ」

「本当?」

「ああ」

「本当にそう思う?」

「もちろんさ」

「期末も点数悪かったら?」

「期末はきっと大丈夫だ。今回は勉強をサボったから出来が悪かったんだ。次はちゃんと勉強すればいいんだよ」

「わたしやったもーん。社会の勉強やったもーん。勉強してもできなかったよー」

 わたしは絶望した。短い人生だった。残りの人生は勉強と関係ない世界で生きるしかない。

「はいはい」

 愛音ちゃんがいいかげんに慰めてくれた。

 答案の返却が終わって、みんな席につかされた。最高点とか、最低点とか、平均点とかが発表された。平均点は五十点台だった。社会の先生は、すこし出来が悪かったといった。二十八点には関係がないけど。むしろ平均点を下げている張本人だけど。

 授業では、テストの答えが読み上げられた。赤ペンで正しい答えを書いていったら、答案用紙が真っ赤になった。情けない。わたしの心は地中深くに沈んでいった。


 この日は、数学の答案も返ってきた。

 社会科ショックのせいで、わたしの心はすさんだままだ。目の前で、ちいさな女の子がアイスクリームのアイスの部分を地面に落としてしまっても、なんの感慨も抱かないだろうというくらいに。

 数学教師が次の人の答案が見えないようにしながら、わたしに答案を返却した。点数は九十八点だった。間違えた問題はたった一問で、すぐに見つかった。はじめの計算問題だった。

 わたしは席について窓の外に広がる空を眺めた。中学校ではない世界が広がっている。地球の半分は、いま夜だ。人類の中で中学生なんて、ほんの一部に過ぎない。この中学校にいる生徒なんて、砂浜の一つまみの砂みたいなものだ。その中で点数がいいとか、悪いとか、そんなことにこだわっても仕方ないのだ。わたしは真理に到達しようとしていた。

「おい、数学はいい点だったぞ」

 砂の一粒が、わたしを俗世間に引き戻す。

「えっ?」

「なに、ぼおっとしてんだよ。せっかくいい点だったから自慢しようと思ったのに」

「ああ、すごいね」

「まだ点数いってねえし」

「そう、何点だったの?」

「九十五」

「うん、いい点だね」

「だろ?社会の分は挽回した気がするだろ。で、お前は?また点数悪かった?」

「ううん、今度はいい点だった」

 いつの間にしまったのか覚えていないけど、机の中から答案をだして坂本に見せた。そこに愛音ちゃんもやってきた。

「あ、すっごーい。美結ちゃんすごいね。あー、なんでこれまちがっちゃったかな。二を消し忘れたんだ。ドジだなー、あとちょっとで満点だったのに」

「くー、負けたー。お前、バカなんじゃなくて、ただ社会が苦手なだけなんじゃないか」

「社会が苦手なのかなー。小学校のときはいい点だったけどなぁ」

「美結ちゃん、忘れっぽいから」

「忘れっぽくないもん。忘れ物が多いのは愛音ちゃんだよー」

「そうだったかなー?」

「ほらー、忘れてるー」

「あー、なんかズルい」

 愛音ちゃんはわたしのほっぺを手の平ではさんで、わたしのことをタコにした。

「鳴くよウグイス?」

「ヘイアンキョー?」

 愛音ちゃんがほっぺから手をはなす。

「あ、ヘイジョウキョウだ。え?どっちだっけ」

「それ、小学校で習ったやつだよ?」

「知ってるもん」

 ふたりが苦笑していた。

「じゃあ、平安京は誰がつくった?」

 愛音ちゃんからの第二問だ。

「あー、誰か天皇でしょう!」

「たぶんね。大工とかいわないだけましか」

「あ、愛音ちゃん冷たい目してる」

「あら、不出来な子を見るあたたかな母の目ではなくて?」

「んーん。芸をおぼえられないバカ犬を見る目」

「よちよちー、バカ犬ー」

 愛音ちゃんはわたしのアゴやら首やらをなでてきた。

 わたしは社会の教科書をバコッと机の上に広げながら出して調べた。あった。

「まだ勉強してないところだ!」

「中学ではね。小学校で一度やったけど」

「まだ勉強してないところだ!」

 もう一度いって、愛音ちゃんを見上げた。

 教科書には、中国人みたいなジイさんが大きい椅子にすわっている絵があった。コーブ天皇?この人が平安京をつくったらしい。小学校で勉強したっけ?平安京に住んでいるわけじゃないし、興味がわかなかった。ナントカいう武将のナントカの戦いとかのほうが興味が湧くというものだ。

 東京って誰がつくったのかな、ナントカ天皇?と、チラと思った。すぐにどうでもいいと思いなおして、口にしなかった。どうせまたバカにされる。

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