彼女の秘密、わたしの嘘

九乃カナ

第1話

 目が覚めたとき、いつもと違う感覚が体からやってくることに気づいた。別に巨大な虫になったというわけではない。体がすこし大きくなったように感じるのだ。

 布団から出して手のひらを見る。もちろん、ちゃんと人間の手だ。

 でも、やっぱり。

 わたしの手って、もう少しだけ小さくなかったっけ。

 慎重にベッドから抜け出して、姿見に自分を映す。少し成長した自分が映っている。

 わたしは今日から中学生だ。鏡の中のわたしも年齢相応で間違いない。高校生や、逆に小学生という感じでもない。と、そう言いたいところだけれど、成長が早いほうではないので、まだまだ小学生っぽさが大いにある。この間まで小学校に通っていたのだから仕方ない。

 それでも、昨日まではもう少しだけ子供だったと感じる。

 いままでも、たまにこんな感覚に襲われることはあった。けれど、今回は特別な変化がある。気のせいではない。

 胸が、ふくらんでいる。

 パジャマのまま階下へ降りる。

「お母さん。わたし、胸がふくらんだ」

 朝食の支度をしていたお母さんは笑う。こっちは真剣で、笑いごとではないのに。

「なあに?もう。そんなことは大声で報告しなくていいのに」

 しかたのない子ねという風にあしらわれて、部屋にもどされた。わたしは、お母さんから下着のつけ方をレクチャーされた。いつの間に用意してくれていたのか知らないけど、中学入学と同時にブラジャー・デビューだ。

 お母さんに教えられて、ブラジャーというのはちょっとメンドクサイものだということを発見した。キャミソールを頭からかぶるようにはいかないのだ。

 パンツをブラジャーとおそろいのにはきかえた。

 朝食の席についたときお父さんは、美結も中学生だからな、寝て起きるたびに体が成長してもおかしくないといった。

 中学生というのは、そういうものだろうか。同級生に、ランドセルが不釣り合いなくらい大人体形の子はいた。そんな風に成長するためには、お父さんの言うように、寝て起きるたびに体が成長しないと追いつかないかもしれない。

 中学生はずいぶん大人のような気がしていたけど、今日から中学生といっても大人になった実感は湧いてこない。下着はかわったけれど、中身はまだまだ子供だと思う。


 お母さんと一緒に家を出る。お母さんも保護者として入学式に出席するのだ。お父さんは仕事に行った。お父さん、今日くらい仕事を休めばよかったのに。

 家の前で愛音ちゃんと合流する。愛音ちゃんは、一番仲のよい友達だ。わたしたちは、生まれたときから仲がよいと聞いている。お母さん同士は、わたしたちが生まれるまえから仲がよい。愛音ちゃんのお父さんも仕事に行ってしまい、お母さんだけが一緒だった。

 お互いに中学校の制服姿をはじめて披露する。かわいいと褒めあう。制服のサイズあわせのときはバラバラになってしまったし、せかされて着替えていたからオシャベリしている余裕がなかった。

「愛音ちゃん、わたし急に体が大きくなった気がするのだけど」

「うん、大きくなったね」

 愛音ちゃんが左手を自分の頭に、右手をわたしの頭にのせてくらべる。同じくらいの身長だ。

「胸もね、ふくらんだ気がする」

「本当?」

「うう、恥ずかしい。むにゃあ!」

 愛音ちゃんが後ろから胸を鷲づかみにしてきた。わたしは、悲鳴をあげて飛び上がった。体をよじって、すぐに逃げ出す。お返しに愛音ちゃんの胸をムギュっとやってやろうかと思ったら、察しよく逃げられてしまった。

 愛音ちゃんは、わたしよりもっと前から胸ふくらんでいて、可愛い下着を買ってもらって嬉しかったのだという。愛音ちゃんがそんなことになっていたとは知らなかった。でも、いま見たらなぜ気づかなかったのかというほど、制服の胸がふくらんでいる。

 なぜ黙っていたのだと愛音ちゃんを追い回しながらふざけて詰問する。

「だって、秘密があった方が素敵でしょう?」

 愛音ちゃんは、たまにこんな素敵なことを言う。そんな風に考える愛音ちゃんの素敵さといったら、表現する言葉を知らないくらいだ。

 満開を過ぎた桜の花に冷たい風が吹きつけて、あちこちで桜吹雪に遭遇した。

 今年は桜が散るのが早いのだろうか。入学式に桜が満開というイメージがある。でも、卒業式のときという気もする。この地域は平年いつが満開の時期だったか。自分の入学式のときでないと気にもならないものだ。小学校のときはどうだったか、小さかったから記憶にない。

 桜吹雪の中をゆく制服姿の愛音ちゃんは、なんだか絵を見ているようだ。わたしも愛音ちゃんからは、同じように見えるのかな。


 体育館での入学式が終わった。遠くの席にすわっているお母さんに小さく手を振って教室へもどる。愛音ちゃんとわたしは同じクラスだった。一年間たのしく過ごせそうだ。

 教室では出席番号順にすわることになっていた。机には教材が載っている。新しい教科書と資料集だ。小学校の教科書よりサイズが小さくなっていて新鮮に感じる。

 席について一冊づつパラパラと中身を見る。わたしは生物に興味があるから、理科の教科書にときめいてしまう。

「この教科書、今日全部もってかえる?」

 愛音ちゃんがわたしの席までやってきた。

「うん、もってかえって名前書かなくちゃ」

「いま書けばいいよ。わたしはもう書き終っちゃった」

 愛音ちゃんが差し出した手には、サインペンが握られていた。わたしの手を取って、サインペンを握らせようとする。

「あ、手冷たい」

 愛音ちゃんの手に力がこもって、わたしをイスから引きあげる。わたしの体を包むように抱きしめた。

「体育館寒かったから、体冷えちゃったね」

「ちょっと疲れたけど大丈夫だよ」

 女の子同士でも、抱きつかれるのは恥ずかしい。

 まわりの生徒たちは、ハシャいでやかましかった。三校の小学校から集まった中学校だから、新鮮な顔があちこちに見える。

 結局、教科書には教室で名前を書いて、理科はカバンの中、理科以外はロッカーにしまった。

 帰りは、わたしとお母さんと、愛音ちゃんと愛音ちゃんのお母さんとでオシャレにランチをした。いままでオシャレなカフェでランチなんてしたことがなかった。すこしお姉さんの扱いをしてもらった気分だ。ファミレスとは雰囲気がぜんぜんちがった。


 数日は校内を案内されたり、身体検査があったり、行事をこなした。

 さっそく授業が始まる。いろんなことが小学校のときとちがって新鮮だ。

 大学ノートに、シャープペン、機能的な消しゴム。シンプルなデザインの筆入れ。持ち物だけでもお姉さん気分になる。シャープペンは、中学校にはいって解禁になった。小学校のうちは鉛筆を使うべしという両親の方針で、ずっとシャープペンを禁止されていたのだ。

 算数が数学になったり、教科ごとにちがう先生が授業を担当したり、体育が男女別になったり。小学校のときとは、いろいろなことがちがう。中学生になったのだなあと実感する。

 テストも小学校のときとちがう。小学校のときはテストをしょっちゅう受けていたけど、中学校はテストがたまにしかないらしい。そのかわり、いい点を取るのがむづかしい。


 放課後。

「美結ちゃん、部活決めた?」

 愛音ちゃんがやってきて、わたしの机に手をつく。

「ううん。文化系ってことまでは決めたけど」

 やっぱり教科書を学校において帰ることに違和感があって、毎日家にもって帰ることにした。カバンに勉強道具をしまう手を動かしつづける。

「そうだよね。美結ちゃんに運動系はないよね」

「なんか悔しい。そういう愛音ちゃんは?」

「美結ちゃんと一緒の部活にしようかな」

「うれしいけど、いいの?愛音ちゃん、意外にも運動できるのに」

「意外にもは、余計でしょう?」

「へへへー。ふぃかふぇし」

 愛音ちゃんはわたしのほっぺを両手でつまんで伸ばした。

「文化系ってどんな部活があるの?放送部とか?」

「わたしシャベるの得意じゃないよ?」

「知ってる。部活紹介で何があるっていってたかな。お華、お茶?お茶はなかったか。文芸部はありそうじゃない?」

「文芸部って、本読むのかな。星の王子さまとか、不思議の国のアリスとか読んでみたいかな」

「お子ちゃまだな、美結ちゃんは」

「てへへ」

「褒めてないよ、いまのは」

「むー」

「きっとあれだよ。太宰治」

 あのムヅカシそうな顔をして写っている写真を思い浮かべる。

「えー、顔がむづかしそうだよー。無理だよー」

「ほかには、演劇部はなかったか」

「あってもわたしにはやれそうにないし」

「そんなことないよ、美結ちゃんならきっと笑いをとれるよ。あ、吹奏楽部!」

「いま音が聞こえてきたからでしょう」

 そのまえに失礼なことをいわれていた気がする。

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