無自覚ヒロイン

koharu tea

第1話

「D組の飯田さん、ダメだったらしいね」


「そりゃそうでしょ。普通の子が月城にアタックしてもダメだって分かりきってるはずなのに」


 そりゃそうって、失礼すぎでしょ。

 私は心の中で呟く。


 月城隆久は校内一モテる男である。いや、校内一どころか他校の生徒からも圧倒的な人気で、ファンクラブまであるような男だ。

 眉目秀麗な上に文武両道。それに加えてどこか飄々とした性格。魅力的以外の何ものでもない。

 高二の一学期が始まってまだ二ヶ月足らずであるというのに、今学期月城に告白した生徒の人数は軽く二十人を超えていた。


「あっ! ハル、聞いたー?」


 私を見つけた七瀬が教室の前のドアから走って私の席にやってくる。相変わらず忙しない子だ。表情から察するにきっと大した話ではないだろうなと思いつつ、私は七瀬の言葉を待つ。


「D組の飯田さんがーー」


「月城に告って振られったて話?」


「なんだ、知ってたかー。ハルも意外と情報通だよね」


 私の言葉にあからさまにがっくりすると、七瀬は私の隣の席に座る。

 七瀬とは中学校からの友人だ。比較的大きな学校であったにも関わらず、何の因果か三年間見事に同じクラスであった。その頃から人の恋愛事情に詳しいタイプではあったが高校になってもそれは変わらず、高二になり再び同じクラスになった今も暇さえあればそんな話をしている。


「情報通じゃないってば。さっきからみんなその話題だもん」


 私は七瀬に向き合うように座り直し、そう答える。


「ほんとモテモテだよねー。ぽっちゃり男子が好きな私には全く魅力がわかんないけど。ていうかハルは学校に来るだけで毎日後ろから王子を見放題じゃん。好きにならないの?」


 七瀬は私の前の席を指差す。


 そう、今現在主が不在である私の前の席は月城の席だ。

 

「なるわけないでしょ」


 ならないわけがないでしょ。


 平然を装って本心とは真逆の言葉を言う私。情報通な友人でさえ知らない私の秘密。

 しかし言葉を発した瞬間、なんとなく早口だったのではないかという不安にかられ、私はすぐに話題を切り替えた。



「あのさ、今日だるいから早退するね。先生にはテキトーに言っといて! お願い!」


 私は顔の前で手を合わせると、そそくさと荷物をまとめ始める。もちろん具合が悪い訳でもなく、特に早退する理由もない。だけど何となく、七瀬と月城の話をした瞬間、自分の心が少しだけざわつくのを感じた。


「え? まあいいけど」


 七瀬は一瞬不思議そうな顔をしたものの、特に詮索することもなくすぐに納得してくれた。持つべきものはやっぱり友人だ。


「じゃ、また来週ね!」


 そう言うと私は重いカバンを手に取り足早に教室を去った。



 ーーーーー


 高校の入学式の日、私は月城に恋をした。所謂一目惚れだ。

 月城がどんな性格で、どんな風に喋って、何が好きで何が嫌いかも分からないのに、一瞬で恋に落ちてしまった。

 でもそれは私に限ったことではなくて、他の多くの生徒も同じ。

 入学当初からそれはもう凄いモテっぷりで、まさに学園の王子様状態だった。


 一年の頃の私は、月城が可愛い女の子たちから熱い視線を送られているのを遠くから眺めているだけ。たまに廊下ですれ違っては、一人で熱くなって、ドキドキして。

 何かを動かそうとするには遠すぎるくらいのその距離が、私にとっては一番居心地の良い距離だった。自分と釣り合う相手ではないというのはよく分かっていたから。今日は二回もすれ違った、なんて一人心の中で騒ぐ日々が楽しかった。


 だけど二年になり、私は月城と同じクラスになった。その上四月に行われた席替えで、月城の後ろの席というとんでもない席を引き当ててしまった。誰にも怪しまれず、合法的に月城を視界に入れることのできる、まさに特等席である。


 勿論、そんな席を引き当てたことが嬉しくない訳がない。

 でもこんなにも近づいてしまうと、嫌でも叶うはずのない恋の沼に引き摺り込まれてしまうし、嫌でも自分の大きすぎる気持ちに気づいてしまう。


 遠くから月城を眺めて、ああ好きだな、と他人事みたいに思うくらいが丁度よかったのに。ちゃんと身をわきまえていたはずなのに、気づけば私はうっすらとした望みを抱いてしまっていた。あの瞳に私だけを映してくれる日がやってきたら、それはどんなに幸せなことだろうかと。


「あーもう全部めんどくさいなあ」


 教科書の詰まった重いカバンを持ちながら、私は駅までの道を歩いていた。

 

 飯田さん、のことはよく知らない。だけど確か小柄で可愛い女の子だったはず。ぼんやりとした記憶を辿り彼女の姿を思い浮かべる。クラスの誰かは普通の子と言っていたけれど、私からしたら充分可愛い女の子だ。


 本来であれば、彼女の告白が失敗に終わったことは私にとっては嬉しい出来事のはずだ。特に想いを伝える予定がないとは言え、彼女は私のライバルであったのだから。

 だけど何故か私の心は晴れやかじゃない。


 私はふと空を見上げる。まだ五月だというのに今日は日差しが強い。

 今朝見た天気予報では、今年初の真夏日だとお天気キャスターが伝えていた。

 強い日差しに加え、コンクリート続きの道が余計に暑さを倍増させている気さえする。


 こんな晴れやかな空には似つかないような私の気持ち。

 彼女の失恋に大喜びはしないまでも、少しの安堵くらいはあっても良いはずなのに、私の心の中にはどんよりとした今にも泣き出しそうな重苦しい雲が渦を巻いているようだ。でもその理由は自分がよく分かっている。


 だって私が月城を好きで好きで堪らないように、彼女もまた月城のことが好きで好きで堪らないはずだったから。

 

 ただ、それだけ。


 聖人ぶるつもりは毛頭ない。もしも彼女の告白が成功していたら、きっと私は彼女に嫉妬するだろうし、醜い感情でいっぱいになっていただろう。


 だけど、彼女が月城を想う気持ちは痛いほど理解できる。いや、できてしまう。

 

 すれ違うだけでドキドキして、同じ場所にいるって思うだけで嬉しくて。出会えたことは運命なんじゃないか、とか馬鹿みたいに思っちゃったりして。

 人生最高って叫びたくなるくらい嬉しい日もあれば、反対に人生のどん底に突き落とされたような日もあって。

 きっとそうやって彼女も毎日を送っていたんだろう。私と同じように。そしてそれは彼女や私だけではなく、月城に想いを寄せる多くの人がまた同じように嬉しさや悲しさに溢れた日常を送っているのだ。

 でもそうして誰かの気持ちに想いを馳せたところで、何かが解決する訳でも私の気持ちが晴れる訳でもない。全くの無意味だ。それは分かっているのに、私は考えることを辞められない。だから全部がめんどくさいのだ。

 

 駅まではあと十五分程度。すでに額にはじんわりと汗が浮かんでいて、駅に着く頃には汗だくになっているだろう。この暑さの中、教科書が詰まった重いカバンを持って十五分も歩くのは、高校生といえどなかなかにきつい。こんなに重いカバンとほろ苦い気持ちを抱えていてもなお、太陽は容赦なく私を照らし続けてくる。まったく少しは手を緩めてほしいものだ。

 本当はすぐにでも家のバスルームにワープして、バスタブの中でぼーっとしながらとりとめのないことを考えたいけれど。残念ながら、そんな魔法は存在しない。


 ふうっとため息をつく。


 私は物語のヒロインにはなれない。悲しいけれど。お嬢様でもなければみんなの人気者でもないのだから。


 だけど今はまだ、物語の結末は知りたくない。甘美な白昼夢の中に身を委ねていたい。

 

 いつかちゃんと、現実と向き合うから、今はまだ、このままで。

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