ケース3 旅館㊽


 

「おい!! 鈴木!! 起きろ!!」

 

 卜部は水鏡の顔をはたきながら言う。

 

 

 水鏡は目を覚ますと勢いよく起き上がってあたりを見渡した。

 

 

「ここは!? 化け物は!? 僕は無事なの!?」

 

 

「ああ。なんとか生き残った。お前のお陰だ」

 

 

 ニヤリと笑う卜部を水鏡は呆けた顔で眺めている。

 

 

 それを横で見ていたかなめと翡翠は笑いを噛み殺すのに必死だった。

 

 

 

 

「そろそろ行くぞ」

 

 

 卜部はそう言ってコートに包んだ蠢神の腕呪物の残骸を小脇に抱えて、忌沼の方角へ歩き出した。

 

 

 

 手足や身体を確かめる水鏡を残してかなめと翡翠も卜部に続いた。

 

 

 

 

 

「ぎゃああああああああああ!!」

 

 

 

 

 背後から水鏡の悲鳴が聞こえてくると二人は盛大に笑った。

 

 

 

 

 卜部の肩も小刻みに震えているのが背中越しに見て取れた。

 

 

 

 

 

「冴木くん!! 僕の髪がああああ!!」

 

 

「すみませんかなめさん。うちの先生が呼んでいるので行ってきます」

 

 

 翡翠はそう言っていたずらっぽく微笑むと水鏡の方へ戻っていった。

 

 

 

 

 かなめは前を行く卜部を追いかけた。聞きたいことは山ほどあるが卜部が全て話してくれるとは思っていない。

 

 

 

「先生!! なんで忌沼に行くんですか??」

 

 

 かなめは卜部の背中に向かって声をかけた。

 

 

 

「喉が乾いたからだ」

 

 

 卜部が振り向きもせずに答えた。

 

 

 かなめは卜部の隣まで走った。せっかく追いついても卜部の歩幅はかなめにとっての三歩くらいだ。息があがる。

 

 

 

 

「見てみろ」

 

 卜部がおもむろにそう言うので、かなめは顔を上げて前を見た。

 

 

 

 そこには目を疑うような景色が広がっていた。

 

 

 

 あれだけの豪雨と濁流が流れ込んだにも関わらず、忌沼の水は澄み渡って朝日に煌めいている。

 

 

 そのうえ水の面には雨で散った紅葉が浮かび忌沼を美しい紅に彩っていた。

 

 

 

「龍神様の粋な計らいってやつだな」

 

 卜部がつぶやいた。

 

 

「こんなに綺麗なのに忌沼なんて物騒な名前似合わないです……」

 

 

 

 感嘆の声を漏らすかなめに卜部が言う。

 

 

「忌の字には古来、清いとか神聖という意味がある。昔の連中は龍神が棲むこの沼を神聖な沼とみなし、畏敬の念を込めて忌沼と呼んだんだろう」

 

 

 

 卜部はそう言って水辺に近づくと丁寧に二礼二拍手して水を汲んだ。汲み終えるともう一度一礼して後ずさった。

 

 

 

 卜部とかなめが黙って忌沼を眺めていると翡翠の呼ぶ声が聞こえた。

 

 

 

 二人が振り返ると翡翠が水鏡のポラロイドカメラを向けていた。

 

 

 

 カシャ。ジーーーーーーー

 

 

 

 不意打ちで撮られた写真の中の卜部はどこか優しい顔をしていた……

 

 

 

 

 

 

 

「おい亀!! その写真を寄越せ!!」

 

 卜部が手を突き出して凄んだ。



「嫌ですー!! これは私が翡翠さんにもらったんですー!!」

 


 かなめは翡翠の影に隠れて舌を出した。

 

 

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 千代は百々の運転する車の助手席に座っていた。

 

 

 後部座席には坂東が座っている。

 

 

 一行の表情は明るかった。

 

 

 

 三人は相談の末、凄惨な事件に関して一切口をつぐむことにしたのだ。

 

 

 

 もともと脛に傷のある者たちを匿う治外法権の宿だ。

 

 世間からは消された者が本当に消えたとしても騒ぐ者など誰もいない。

 

 

 それに来る客は皆、旅館が持つ禍々しい裏の顔を知りながらも、素知らぬ顔をしている要人ばかりだ。

 

 

 怪異によって一夜にして滅びたとしても、障りを恐れて誰も深入りすることはないだろうというのが結論だった。

 

 

 

 

「土砂崩れが撤去されててよかったよ」

 

 

「ええ。あの霊媒師が事故して呼んだ保険屋か修理屋が通報したみたいですね」

 

 

 坂東が百々の言葉に相槌を打った。

 

 

 

 

 

「百々くん……これからはずっと一緒にいられるのね?」

 

 

 

 県道を走る色とりどりの車にすれ違うたびに、千代は目を輝かせている。

 

 自由を噛み締めながら千代が嬉しそうにつぶやくのを百々は横目で盗み見た。

 

 

 

「ああ。千代ちゃんのことは僕が守るよ。これからは誰にも邪魔されずにずっと一緒にいよう」

 

 

 千代は目を潤ませて百々の横顔を見つめた。

 

 

 二人の幸せそうな顔を後部座席から眺めながら坂東は声高に宣言した。

 

 

「この!! 残された命の日の限り!! 二人の未来を守るのが天命と心得ております!! 雑用でも運転手でもなんでも仰せ付けてください!!」

 

 

 

「ははは……大げさですよ!! でも心強いです。ありがとうおじちゃん。千代ちゃんにおじちゃんまでいて、僕はだな……」

 

 

 百々が笑顔で答える。

 

 

「ていうか!! 坂東のおじちゃん、明夫さんって言うんだ!? 僕知らなかったな」

 

 

「ええ!! 明るい夫で明夫です!! 明るさだけが取り柄だって妻にもよく言われたなぁー」

 

 

 

 坂東が窓の外を見ると一体のみすぼらしい人形が目に止まった。すれ違う人形の顔はいつまでもこちらを見ていた。

 

 

 

 

「私も知らなかった。明夫さんっていうのね……ふふ」

 

 

  

 

 

 

 

「ちょうどいい……」

 

 

 

 小声でつぶやいた千代の口から一瞬だけ……


 干からびた指が顔を出した……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケース3 旅館

 

 ーーー完ーーー

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る