ケース2 プール⑩

 かなめは卜部の言いつけどおりに、更衣室では着替えなかった。かわりに人気の少ないエリアのトイレで着替えていると、隣の個室から微かな泣き声が聞こえてくる。一瞬、かなめに緊張が走ったが、どうやら女の子がだれかと通話しているらしく、小さく話し声も聞こえてくる。

 

「うん……うん……そう。グスっ……マジでどうしよう……お……すなんて……お金もないし、バ……たらママにも学校にも……」

 

 水の音がして個室から出ていく気配がした。かなめは急いで着替えを済ませて後を追ったがすでに人影は無く、どちらに向かったのか検討も付かなかった。

 

「今の子……」かなめの心はざわざわと落ち着かなかった。

 

 この建物に立ち込める塩素の清潔な臭いとは裏腹に、この建物の中で行われている何かおぞましい行為は、生臭く腐敗した経血のような臭いを撒き散らしている。その行為はある種の不浄で隠匿な儀式のように感じられた。儀式には必ず対象が存在すると先生が言っていた気がする。では一体、ここで行われている儀式の対象とは何だろうか? 何に捧げる儀式なのだろうか?

 

 かなめはそんなことを考えながら、卜部と待ち合わせしたエントランスに向かった。そこにはまだ卜部の姿はなかった。

 

「あれ? いつもなら遅いぞって小言を言われそうなものなのに。先生はどうしたんだろう?」

 

「あらぁ! かなめちゃん!」突然後ろから声をかけられた。振り向くとそこにはホーリーがこちらに駆けてくるところだった。

 

「ホーリーさん」

 

「あなた独りでこんなとこに突っ立てどうしたの? 良かったら私達と一緒にランチしない?」ホーリーはかなめの手を両手で掴んで大げさに目配せしてみせた。

 

「ありがとうございます。でもすみません。連れと待ち合わせしてるので」かなめは笑顔で明るくハキハキと伝えた。

 

「まっ! 彼氏かしら!? 今度紹介しなさいよ! それじゃあまたね!」ホーリーはそう言って取り巻きの婦人たちと自動ドアから出て行った。去り際にこちらに向かって投げキッスするのが見えたので、かなめは少し困ったような笑顔で手を振って返した。

 

「遅くなった」ちょうどそこに卜部がやってきた。

 

「遅いですよ! いっぱい人がいるからストレスでお腹が痛くなっちゃったんですか?……痛っ!!」かなめがここぞとばかりにしたり顔で言いい終わるよりも先に、目にも止まらぬ速さでチョップが頭に飛んできた。

 

「調べ物をしてただけだ。行くぞ。かめ」そう言って卜部は仏頂面で自動ドアの方に歩いていった。 

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