第47話 それぞれの『朝飯前』

 松雪店長が迅速に送ってきたメールには、ノース店の業務分担表が添付されていた。


 それを見ると業務のほとんどがアルバイトたちに割り振られていた。店長の欄には、チェック項目確認、業務補助、その他突発的事項の対応や本社とのやりとりとなっており、基本的に店はアルバイトだけで回るようなしくみができていた。


 業務分担表には時系列でやるべきこととそのやり方、業務の精度を高めるためのチェック項目、一日を終えての振り返り項目などが書かれており、これなら今日入ったアルバイトでもいま何をすべきか理解できるだろうというような詳細なものだった。


 あおいはその内容に驚いて、松雪店長にメールを返信して感謝を伝えると、さっそくその表を3部プリントアウトして長谷川多津子と本田美咲に渡した。


「ノース店の松雪店長に、これを送ってもらいました。前に、ノース店は仕事の仕方をアルバイトさんたちと共有してうまく行ってるって聞いていたから……」


 業務分担表を読み込みながら多津子が賛美するように何度も頷いた。


「これサイコーですね! かゆいところに手が届くって感じ。松雪店長って前に一回電話で話したことあるけど、なんだか声が小さくてモソモソしゃべる愛想のない人だと思ったけど、意外だわー。どうしてこんなに細かいところまでやるべきことを網羅できるようになったのかしら……」


 同じように業務分担表を読んでいた本田美咲が「あれ?」と声を上げた。


「ここにそのヒントが書いてあるかもですよ、多津子さん」


「どれどれ」


「ほら、この一番下に書いている言葉。これすごくないですか?」


 美咲が指さしたところにはこう書いてあった。


<※気づいたらすぐ改善すること。最終改善日:9月15日>


「つい先週も、改善してるんですよ。だからきっといつもこの表を上書き更新しているんですね」


「ほんとね! ありがたいわあ。ねえ、これをもとに私たちも今日からお仕事してみましょう。ねっ、いいでしょう? 時田さん」


 多津子の言葉にあおいは嬉しくなった。


「よし! そうしましょう! 長谷川さんと本田さんが主役の店にしていきましょう!」


「ふふ」、と美咲が口元を緩ませた。


 多津子は、「ええと、まずは開店準備の欄のところからね。あらまあ、本社からのPOPの印刷と掲示なんてのがある。そういうのはええと、そのパソコンのメールに来ているのかしら。でもパソコンは、触っちゃだめよねえ……」


 あおいは勢いづいて言った。


「長谷川さんも本田さんも、このパソコンのこの店舗代表メールアドレスでここにログインしてください。IDはこれ、パスワードはこれです。最新情報のメールチェックも、業務分担表のタイミングでお願いします。夕方の割引シールもこちらから印刷して貼り付けをお願いします」


 多津子が見たことのないような表情をして、胸を張った。


「じゃあ、レジの数字をいつもそこのノートの日報に書いていたけれど、表計算ソフトで管理してもいいかしら。私、案外そういうの得意なのよ」


「えっ! 長谷川さんパソコン得意なんですか?」


「私ずっと、商社の札幌支店で事務やってたのよ。むしろ販売よりパソコンのほうが得意だったりするわ」


「じゃあ、僕作ってほしいイメージがあるんです。各店舗からアナログに総務に来ていた数字データを表にするのを仕事にしていたんですけど、そもそも各店舗で作ったらいいのにと思う表がありまして……」


「多分、私そういうの朝飯前よ」


 多津子の顔が上気して、頬がバラ色に染まっている。


「とても嬉しいわ」


「多津子さん、すごい!」


 美咲の表情も明るくなっていた。


「さあ、セッティング終わらせましょうか」


 あおいが店内清掃と什器のセッティングなどの力仕事をし始めた。


 その様子を見ていた美咲がふと話しかける。


「あの……」


 作業に集中していたあおいは突然美咲に話しかけられて胸がどきんとした。


「は、はい」


「あ、ごめんなさい。あの、前から思っていたんですけど、うちの什器ってなんか全部白でベニヤとプラスチックみたいな感じで、無味乾燥というか、そっけない感じがしませんか」


「ああ、確かにあんまりおしゃれではないですね」


「すみません。なんか変なこと言っちゃって……。なんか冷たい感じがするんです。素材と色の感じが業務用っぽくて……。それであの、海外のデリみたいにもうちょっとおしゃれにできないかと思うんです」


「へえ……」


 あおいは思わず手をとめて美咲の方を見た。


「こういうところ、プラスチックじゃなくて籐のかごにしたらどうでしょう。それからこちらには、なにか布を敷いてそのうえにトレーを置くだけで、視覚的にだいぶ暖かみが出てくると思うんです。あとは季節の、今だったらモミジとか栗とか柿とかを画用紙でつくって、こういう『秋のまくのうち弁当』とかのポスターの周りをちょっと飾るとか、いいと思うんですよ。色で季節感の表現できますし、お客さんも楽しくなるんじゃないかしら。それからそれから、外に置いている黒板の案内ボードも営業時間だけ書いてますけど、ちょっとチョークでイラスト描いたりして、「今日寒いですね」とか「新じゃがの季節」とか一言あったらすっごくいいと思うんです。あ、だからと言って私がイラスト描けるわけじゃないんですけど……」


 一気にしゃべりまくった美咲は、急に恥ずかしそうな顔になって口をつぐんだ。


 その様子を見ていた多津子が大きな声で笑った。


「こんな美咲ちゃん、見たことないわね。どうしたの? 突然覚醒した?」


 美咲は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして首を横に振る。


 あおいは驚きのあまりすぐに声が出なかったが、ゆっくり話しはじめた。


「どの案も、すごくいいですね。ひとつずつ、実現させていきましょう。それにしても、驚きました。そんなふうに思っていたんですね」


 恥ずかしがっていた美咲は、瞳に意思を宿らせてすっと顔をあげてあおいのほうを向いた。


「はい、私ずっと、インテリアショップのショールームに居たんです。そこでインテリアの基礎を学びまして……。面白くって海外のインテリアの写真とか見るのが趣味になりました。それで、あの、いつか商業空間のビジュアルマーチャンダイジングのお手伝いするのって、夢だったんです。いま人に言うの初めてですけど、そういうのやってみたいです。あの、もしかしたらインテリアのこと考えるの、私朝飯前かもです!」


 多津子が大きな声で笑った。


 あおいも美咲の言葉に表情をほころばせた。


「言ってくれてすごく嬉しいです。ありがとう。じゃあ、よりどりぐりーんをあったかく見せるプロジェクト、まずはここイースト店で美咲さんがプロジェクトリーダーになって進めましょう」


 あおいは二人に向き合ってあらためて言った。


「長谷川さんのパソコンスキル、本田さんのインテリアの知識とセンス……。二つの強みを合わせたらすごい面白いことになりそうだ。このメンバーならではの仕事ができそうですね! ……ところで、黒板に描くイラストですが、よかったら僕が描きましょうか?」


「えっ?」


「時田さんが絵を描くのかい?」


 あおいはにやっと笑って言った。


「実は僕、絵を描くのが朝飯前なんです」


 開店前のイースト店に三人の笑い声が響いた。

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