第48話 ここにいるよ

 10月になった。

 札幌の秋は、オリーブグリーンの風が吹く。

 木々が徐々に秋色に変わっていき、頬を撫でる風にひんやりした粒子が混ざるようになってきた。


 時田あおいはのんびりとした足取りでよりどりぐりーんイースト店に出勤した。


 「おはようございます」


 あおいが店内に入っていくと、本田美咲が床にひざをついてテーブルの下に入り込み、奥の隅の方まで丹念に拭き掃除をしていた。


 顔だけこちらを向いて、「おはようございます」と笑顔で言う。

 最近の美咲は表情が明るくなったようで、あおいも少しほっとしている。


「本田さん、そんな奥の方までいつも掃除しているんですか」


 あおいが言うと、美咲は拭き掃除を続けながら答えた。


「なんか最近、拭いても拭いても足りないぐらい……、どこもかしこもピカピカにしたくなっちゃって……」


 テーブルの下から出てきた美咲は、立ち上がって周りを見渡した。


「店内の飾りつけをやらせてもらうようになってから、なんだか愛着が出てきまして……。いつもピカピカにしておきたくなるんです」


「ありがとうございます。本田さんのディスプレイ、写真に撮って各店舗にも共有しようかなと思っています」


「それなら少し待ってください。今日から10月でしょう。秋のポップを画用紙で作ってきたんです」


 そういうと美咲は自分のバッグからお菓子の箱のようなものを取り出した。その箱のふたを開けると、そこには色画用紙でできたかぼちゃやらサツマイモやら柿、栗、もみじ、イチョウなどがたくさん入っていた。


「これを今日、飾りつけます」


「こんなにたくさん!」


「えーっ! すごいじゃないの」


 奥のパソコンで作業していた長谷川多津子もいつの間にか立ち上がってその画用紙作品を見に来ていた。


 あおいはその中の一つを手に取ってみる。かぼちゃだ。とてもていねいにできている。画用紙は二枚合わせになっていて同色のマスキングテープでふちが処理されている。かぼちゃの表面の模様などもポスターカラーで緻密に再現されている。リアルなかぼちゃではなく、マンガのようにデフォルメされたものだ。


「本田さん、絵が描けないって言ってたのに……」


 美咲はあおいの言葉に顔を赤くしてうつむいた。


「こんな、マンガみたいなのしか描けないんです。時田さんは、リアルに描けるんでしょうけど」


「いや、むしろこういう簡略化した線が難しいんですよ。いいですね! 飾りましょう。これ」


「じゃあ、開店前にやっちゃいますね」


 美咲は飾りつけ作業を始めた。多津子は奥のパソコンに戻って集中している。あおいは届いた段ボールの検品やレジの確認などの作業に没頭した。


 ふと多津子が声をあげた。


「できたわ!」


 あおいが手を止めて多津子のところへ行く。


「時田さん! ちょっと見てちょうだい。ようやくできたわよ。時田さんが言っていた販売管理表。こんなふうな一覧になっていて、シートごとに年度の変化と月次の変化と日報とそれぞれの時系列でチェックできるといいんでしょ」


「ちょっとみせてください」とあおいはマウスを借りてスクロールしていった。多津子の作った販売管理表はどの部分にも計算式が入った使い勝手のいいものだった。これならさまざまな場面で使えるデータが手に入りそうだ。


「すごい! 長谷川さん。細かいテクニック満載じゃないですか」


「でしょでしょ。ほんとはもっといろいろやりたいけど、まずは第一弾ってことでこれで使ってみましょ。慣れてきたら購買者プロフィールも入れられるようにしていくとあとで分析できますよね。そのうちもっといいレジになることを期待しているけど、今のところはこれで管理しましょうよ。手書きよりはいいでしょ」


 あおいは中央センター2階の総務課のデスクで、さまざまなアナログ仕事に心の中でぼやいていた日々を思い出した。


――黒沢課長はよく金曜日の帰りぎりぎりに、僕に集計表づくりを依頼してきていたな……。


――「よりどりぐりーんの5月月間の売り上げ数字なんだけどよ。ここ、計算間違いなんじゃねえかと思うんだよ。ほら、これ、イースト店はこの二行目がトンカツ弁当になってるけど、こっちのノース店では四行目がトンカツ弁当だろ。だから足し算するときに違うやつ足しちゃってると思うんだよな。元データはこれだけど、こっちはほら、この数字だしさ」


――「元データ」って、そのにぎりしめてる手書きメモのことですよね。その、商品ごとに正の字を書いたやつ。そもそもその段階からしてすごい信憑性低いデータなんですけど。


 手書きメモが散乱している黒沢課長の机の上を見て、何度危うさを感じたことだろう。みどり食品のさまざまな場面で感じたことだ。とにかくアナログなのだ。


 それに対してあおいは特に何も改善策を提案してこなかった。ただ横目に見てうんざりするだけで、言われた通り最低限の作業をした。それは一刻も早く帰りたいからだ。自分の業務量の負担が増えるのが嫌だったからだ。何か良いアイディアを提案しても、「じゃあやってくれ」といわれて責任をもたされるのが嫌だったからだ。


 かつての自分の感情が、今は少し懐かしく感じられた。


 いま目の前にいる長谷川多津子は、自分の知識が会社の役に立つのが嬉しそうだ。いきいきとした表情で説明している。


――多津子さんは、惜しげもなく自分の能力を出している。もっともっと出せると言っている。それに比べて僕は……。


 あおいは、自分がいったい何を出し惜しみしてきたのだろうと、多津子の笑顔を見ながらあらためて感じるのだった。


 統括になって少し出てきた意欲もまだまだ不安定だ。


 それなのに目の前の多津子の喜びは、何か安定した軸を感じる、はたらく喜びのようなものだった。


 これまではただのパートのおばさんだと思っていた多津子が、商社の札幌支店で長年キャリアを積んできた、自分より高い視座をもった仕事のステージを経験している人物に見え始める。


 ぼうっと立っているあおいの横に、いつしか美咲が来ていた。


「飾りましたよ!」


 美咲はそう言って二人を店の外に連れ出した。


「新規でいらしたお客様の気分になって、ここに立ってみてください」


 よりどりぐりーんの緑色のひさしが引き立つように、ファサード正面から見てバランスよい配色で秋色ポップが飾られていた。秋のおいしいものが売っているのだということが、そしてその秋の恵みをリスペクトして調理しているお店なのだということが、その巧みな配色と造形のセンスで見事に表現されていた。


「すげー……」


 あおいは驚きのあまり、そんな言葉しか出てこない。


 美咲はあおいの眼をまっすぐ見つめて言った。


「他の店舗も、こうして飾ってみてはいけませんか?」


 最初はおどおどと、そしてだんだん大きな声で、美咲は言った。


「サウス店も、ノース店も、ウエスト店も、全部の店舗のぶん作ってきたんです。私、四店舗の飾りつけいっしょうけんめいがんばります! 私がずっと大好きで読んできたインテリアの雑誌とかで得てきた知識、ここにぜんぶ出します! そして、そして!」


 いつしか美咲の眼を涙の膜が覆っていた。


「そして、ママに、気づいてもらうんです。おもしろい子がいるって。よりどりぐりーんに変化を起こしている子がいるって。どんな子だろうって。私、伝えたいんです。仕事を通して伝えたいんです。私、ここにいるよって!」






 



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