第13話 恋する乙女は知りたがり

「ご案内いたします。この列車は特急北斗12号、函館行きです。停まります駅は、新札幌、南千歳、苫小牧、白老、登別、東室蘭、伊達紋別、洞爺、長万部、八雲、森、大沼公園、新函館北斗、五稜郭、終着函館です」


 清野マリアは、札幌駅でパンとコーヒーを買い、函館行きの電車に乗り込んだ。

 この特急北斗は札幌を出て苫小牧まで行くと、そこからほぼずっと函館まで海沿いを走る。マリアはときどき函館に行くときは自由席に乗るのを好む。そして海側の席に座る。

 今日も自由席車両7号車の8D席。窓際で、しかも海側だ。


 列車がガタンと揺れ、出発した。


 マリアは、ふうとため息をついて買ってきたコーヒーを飲もうと紙コップを覆っているプラスチックの蓋を開けようとしたが、うまく開けられない。

 指が震えているのは、電車が揺れているからか、それともマリアが極度の緊張をしているからか。

 

 高校の頃、映画部の先輩風見透に憧れた。

 そして持ち前の積極性と早急さで「先輩、私、マネージャーやってもいいですか?」と、風見に向かってまっすぐ質問をした。


 それ以来マリアの高校三年間は、風見を追いかけることに終始した。


 風見透の映画への情熱はマリアにとってあまりにもまぶしかった。風見が見せるその情熱は、近寄れば怪我をするんじゃないかというようなナイフのように鋭利な情熱だったから、誰もが少し遠巻きに風見に憧れていた。


 だがマリアは違った。ほぼ体当たりで近づいていった。

 飲み物買ってきましょうか、傘貸しましょうか、お菓子食べませんかとひっきりなしに話しかけた。

 思索に集中しているときが多い風見は、そのほとんどの申し出に対して頭を横に数ミリ振るか、あるいは聞こえないような声で「いらない」と言うか、または完全に無視をするかのどれかだった。


 それらはマリアを傷つけなかった。それほどに、風見が映画作りに集中している姿は、神々しくてそしてまぶしくて、もうそこに存在しているのを見ているだけでマリアは溢れるほどに幸せなのだった。


 冷たくされたマリアを友人がなぐさめようとしても、マリアは呆けたように「はあ、とうとい」と風見に見惚れている始末だった。


 マリアは風見のすべてを知りたかった。高校生のマリアが考える「すべて」はかわいいものだった。風見がお腹が空いていないかどうか、のどが渇いていないかどうか、寒くないかどうか、アメを舐めたくないかどうか、窓からの陽射しがまぶしくないかどうか、流れる汗を拭くハンカチの替えをもっているのかどうかなどを知りたい気持ちが次から次へと湧き起こってくるのだ。


 風見の卒業が近づいてくると、マリアの耳にさまざまな情報が入って来た。

 それは風見が卒業と同時に親戚のいるドイツへ行ってしまうという噂だった。ドイツで写真家をやっている叔父さんのところで、写真を勉強するのだという噂だった。誰かが聞きつけてきたその情報に、映画部の女子たちは蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。


 てっきり卒業してもふらりと遊びに来るものだと思っていたマリアはそれを聞いてぼうぜんとした。そして体中全部が「知りたい」でいっぱいになった。


 それから毎日のように風見を追いかけ、待ち伏せをし、真相追求をした。


 本当のところを知りたいのだった。

 その知りたい気持ちは、先輩後輩の礼儀の枠を少し越えてしまった。


 ある日、風見の家族のことまで質問をしたマリアに、初めて風見は表情をしかめた。


「マリアちゃん」


 立ち止まってこちらを向き直った風見に、マリアはびっくりして固まった。


 風見は続けた。


「マリアちゃん、ちょっとうるさい。知りたがりすぎ」

 

 その言葉を投げかけられて以来、さすがのマリアも風見を追いかけて真相追求するのをぴたりとやめた。そこからなんとなく距離ができて、華々しく卒業していく風見を、映画部の一員としてみんなの後ろに隠れて静かに見送った。


 その風見から、マリアに数年ぶりにメールが来たのだ。

 最初は写真だけ、それから<ただいま>という短文。そしてそのあと、種明かしみたいに、今函館に撮影できていることをメールで書いてきた。


<函館に、会いに行ってもいいですか?>


 マリアはひさしぶりの風見からの連絡が嬉しすぎて、思わず直球の質問をした。

 風見から返信が来た。


<札幌からだと5時間とかだよね。無理しないで。こっちは朝から晩まで撮影なんだ。メールもあんまり見れないし>


 ああ、シャッターが閉まっちゃう。

 時田あおいがよくやるように、はい開店時間は終了ですというようにシャッターが閉まる。


――でも! 風見先輩から連絡してきたんだから。もう一言だけなら言っていいはず!


 マリアはそう自分を奮い立たせてもう一回メールを送った。


<だめもとで行きまーす! 明日の夕方ごろの撮影場所はどこですか?>


 数分間、着信音は鳴らなかった。


 あきらめかけたころ、ピコンとメールが来た。


<大森浜。札幌駅のくるみパン食べたいな>


 かくして今、マリアは特急北斗12号の7号車8D席に、どっさり買ったくるみパンを抱えて座っている。


――私、何やってんだろ。


 窓外を流れるカラフルな屋根の住宅街を見ながらマリアはもう一度ため息をついた。

 

――函館まで4時間半。最近忙しかったから、景色を見ながらぼんやりする時間にしよう。海側の席が取れてよかった。


 そう思い、シートに深く体を沈めて、コーヒーを飲む。


「お客様にお願いいたします。携帯電話はマナーモードに設定の上、通話の際はデッキをご利用ください。それでは目的地までごゆっくりお過ごしください」


――お昼、食べちゃおう。


 マリアは、どっさりくるみパンが入ったパン屋の袋から自分のお昼用に買ったクイニーアマンとサンドイッチを取り出して食べ始めた。


 まだ緊張で指が震えている。

 マリアはなんとなくクイニーアマンの袋に貼られたシールの表示を読んでいた。


――クイニーアマンって、そういえばどんな意味なんだろう。


 マリアはスマホを取り出して検索を始めた。ウィキペディアや個人ブログの記事などを閲覧して、ブルトン語由来のブルターニュ地方のお菓子であることなどを調べているうちにあっという間に時間が経ち、気がつけば電車は苫小牧を出発しているところだった。


――あ、またやっちゃった。せっかくぼんやり休息する時間にしようと思ったのに。私はどうしてこう、知りたがりなんだろう。こんなになんでも知りたがりな自分が、本当に嫌だわ……。


 何かに好奇心を感じると、それを解明するまで何もかも忘れて猪突猛進してしまう自分の性格を感じ、それによって風見からうとまれた過去の痛みが再発し、マリアは三度目のため息をつくのだった。


 

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