★雪ルート第7話 今の彼女と元彼女
「ごめん、変なことに巻き込んで……」
「ううん、大丈夫。気にしないで」
ようやく部屋に上がり、俺と雪は一息つくことができた。
あの後、黒井姫子はそれ以上何も言わずに、1人闇の中へ消えていった。
今のあいつは、明らかに常軌を逸していた。
今後は黒井姫子の動向に注意を払った方が良いのかもしれない。
「武雄くん……」
突然、雪が肩へもたれかかってきた。
彼女の細い指先が、俺の手をそっと絡めとる。
「さっきの人って……」
「元彼女……高校の時付き合ってた……」
別にやましいことがあるわけではないので、素直にそう告げた。
しかし胸の内にはモヤモヤとした感情が渦巻いている。
「良かったら昔のこと聞かせてくれないかな?」
「俺の?」
「うん。知りたいの。できるだけたくさん、武雄くんのことを……だめかな?」
特に面白い話ではないのだけれど、雪がそう望むのならば……
俺は黒井姫子が言った通りのことを、自らの口で話し出す。
ついこの間までは太っていたこと。過去には体型が原因でいじめられていて時期があったなど。
自分でも驚くほど、饒舌に言葉が続いてゆく。
「俺さ、黒井姫子に、支配されてんだ……支払いも全て俺、好きなことは封じられて、逆にあいつには指一本さえ触れることができなくて……」
不思議と雪には俺の全てを知って貰いたい気がする俺がいた。
やがて俺が一通り話を終えた時のこと。
雪は自分の膝をポンポンと叩き出す。
「おいで」
「……?」
「良いからっ!」
雪は俺の頭をそっと抱きしめた。
そしてやや無理矢理に、膝枕を始める。
「大変な想いをして来たんだね。辛かったね。でも、もう大丈夫だからね……」
雪は膝枕をしつつ、俺の頭を優しく撫で始めた。
それがすごく心地よくて。すごく安らいで。
情けないのはわかっている。だけど、涙が堪えきれなくて。
「悪い、ほんと、こんな……カッコ悪いところみせて……男の癖にこんなことで泣いて……」
「男とか女とか関係ないよ。辛さとか大変さって他人と比べるものじゃないし、男も女も関係ないって。むしろこうやって大好きな人が私を頼って泣いてくれて嬉しいんだよ……」
この状況になって俺は初めて、雪に言われた通り、これまで辛かったのだと思い知った。
ずっと我慢し続けて。気持ちを抑え続けていて。でも、吐き出しどころがなくて。
例え痩せようとも、本当に大切にしたい人と結ばれようとも、さっきまでの俺の心の中には悪いガスが止まり続けていた。
だけど、雪へ全てを話すことで、悪いガスがすっかり抜けたような気がした。
「安心して。私は武雄くんを無理矢理縛ったり、私の都合の良いように染めたりしないから……約束するから」
雪は長い髪をそっと脇に避け、俺へ向けて頭を降ろしてくる。
お互いの唇が触れ合った瞬間、とても強い幸福感が湧き起こり、身も心も満たしてゆく。
「私ね、今すごく幸せなんだ。武雄君みたいな素敵な人が、私なんかの彼氏になってくれて……」
「なんか、とか言うなよ。それ雪の悪いくせだと思う」
「そだね。ごめん……」
「雪は自分が思っている以上に、凄く素敵な人だと思う」
頬を優しくあやすと、雪は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「もう私、あんまりマイナスなこと言わないようにするね。だって、武雄くんがこんな私のことを認めてくれてるんだから……」
「おいおい、言ったそばから悪い癖出てるぞ?」
「あっ……気をつけます。武雄君……」
「ん?」
「大好きっ!」
ーーもう格好をつける必要もない。我慢をする必要もない。
俺は雪の膝から起き上がる。
そしてそっと彼女を、床の上へ横たえた。
「……ここで……しちゃうの?」
雪は頬を朱に染め、やや呼吸を荒げつつそう聞いてきた。
抵抗する素振りは全くない。
むしろ俺を受け入れようと、明らかに身体から力を抜いている。
「やっぱり、ベッドの方が良いかな……」
「ううん。良いんだよ……どこだって武雄くんさえ良ければ私は……あっ! でも、これ一応買ったから使ってくれると嬉しいなぁ」
雪は床に置かれていた小さな紙袋を手に取った。
さっき"買い忘れがある"と雪が走ったものだった。
そこから出て来たのは、未開封の衛生器具だった
それを見た瞬間、俺は思わず吹き出してしまった。
「なんだよ、買い忘れがあるって、それだったのかよ?」
俺もまたずっとポケットに忍ばせてあった、缶入りの未開封の衛生具を取り出してみせた。
すると雪も破顔する。
「なーんだ。持ってたんだ?」
「今夜は必要かと思って……」
「ふふ……やる気満々だね? エッチだなぁ……」
「雪もでしょ?」
「も、もう! そういうことはあんまりはっきりと言わないでよ、恥ずかしいって……これ初めて買ったし、買うの凄く恥ずかしかったんだから……」
雪は顔を真っ赤に染めながら、わざとらしくそっぽを向いた。
そんな彼女が愛らしくて、思わず唇を重ねてしまう。
雪もそれに激しく応じてくれる。
「私、まだ染まる前の真っ白な布と一緒だよ。だから……私を武雄くんの色に染めてね……」
既に俺の心の中から、モヤモヤした感情が消え去っていた。
全て雪のお陰だった。
雪が側にいてくれたからこそ、俺は本当の意味で新たな一歩を踏み出すことができた。
これからも雪とはずっと、ずっと、楽しく幸せな時間を過ごしてゆきたい。
俺はそう強く願いつつ、何度も雪を求め、彼女を俺色に染めてゆく。
●●●
(やっぱり、もう私には鬼村さんしかいない……!)
武雄と雪に、こっ酷くやられた黒井姫子は、散々鬼村との関係を嫌と言いつつ、彼の所へ走った。
私は不幸でかわいそうな女の子。
きっと、そんな姿を見れば、鬼村は考えを改めてくれる。
必ず……。
鬼村の住むタワーマンションのエントランスへ飛び込み、遮二無二彼の部屋番号を押し、インターフォンを鳴らす。
しかし反応がない。こういう時に限って留守らしい。
すると、黒井姫子の背後をいつも隣に乗せてもらっている高級外車が過ってゆく。
黒井姫子は藁をも縋る思いで、車を追い、併設されている駐車場へ入ってゆく。
そして彼女は訳が分からない光景を目の当たりにした。
車種も、ナンバーにも相違がない。
しかし車からでてきたのは、身なりが立派な壮年の男性だった。
きっと鬼村が歳をとったら、こんな風になるだろうという出立ちだ。
「あ、あの……!」
「なんだ、君は?」
急に声をかけられた壮年の男性は黒井姫子へ訝しげな視線を送る。
しかしややあって、合点がいったような表情を浮かべる。
「もしや君は、英治の知り合いか?」
英治……そういえば、鬼村の名前は"英治"だったと、黒井姫子は思い出す。
彼女が声を震わせながら「そうですけど……」と答えると、壮年の男性はため息を吐いた。
「バカが……また私の部屋を勝手に使って……申し訳ないが、息子はここにはいない」
「えっ……?」
「むしろ、ここは私が仕事の用事で使用している部屋だ。この車も私のもので、英治のものではない』
「な、なにそれ……」
「申し訳ないが、帰ってくれたまえ。君のような若い子と一緒にいるとなにかと面倒なのでな」
鬼村の"父親"らしき人物は、そう言い放って黒井姫子の脇を興味なさげに過ってゆく。
年収1000万円越えで、タワーマンションに住んでいて、良い車に乗っていてーーその全てが父親からの借り物であり、嘘だった。
親の脛齧りで、好き放題しているだけの男。それが黒井姫子が頼りにしていた"鬼村英治"という男の真実だったらしい。
そして僅かな失意の後に、黒井姫子の中に湧いてきたのは激しい憎悪だった。
騙された。欺かれた。そんな自分が腹立たしくて。その怒りがすぐさま、鬼村への怒りに置き換わって。
黒井姫子は何度も鬼村英治へ音声通話を試みる。
だが、彼は一向に出ようとはしない。
"騙したな。このクソ野郎"
"騙したな。このクソ野郎"
"騙したな。このクソ野郎"
黒井姫子は何度も呪詛の言葉をスマートフォンへ叩きつけて行くのだった。
●●●
「ねぇ、英くん! なんかさっきからすっごくスマホ鳴ってるよ!」
クラブミュージックに混じって、今日遊んでいる女が、鬼村英治へそう叫ぶ。
鬼村はうんざりした様子でスマートフォンを手にとる。
そして黒井姫子から送り付けられた無数の呪いの言葉に背筋を凍らせた。
そして彼の嫌な予感が的中する。
父親から電話がかかって来たからだ。
鬼村はクラブを飛び出して、電話を取った。
相手は父親からで、また勝手に自分の部屋を使用したことを責められた。
良い加減車も返せ。まともに仕事をしないか、と嫌な説教が続いてゆく。
全ての叱責が終わった時、鬼村の中に沸いたのは、黒井姫子への怒りだった。
そしてもうこの女は潮時だと思った。
「ウェーイ! どしたの英君! 難しい顔をしちゃってさ?」
柄の悪い友人たちが、鬼村へ声を掛けてきた。
瞬間、彼は黒い陰謀を思いつく。
「あのさ、お願いしたいことがあるんだけど」
「なんだよ、急に改まってさ?」
「この女なんだけどさ、みんなでやっちゃってくれない? 勿論、金も払うしさ!」
「ひゅー、良いね!」
「あと、こういう動画も撮って欲しいんだよね」
鬼村は黒井姫子との行為動画を悪い仲間へ見せるのだった。
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