人間の王子様、進む
覚えのある森を進み、池にたどり着く。途中迷いそうになったが、不意に揺れた茂みから遠ざかるように進んでやっとここに至る道に進めた。
「確か、石碑にこの花を添えるんだったな」
チトセ夫人から渡された花を見つめる。見た目以上に重たい気がするのは、夫人からの想いと俺の想いがそうさせているのだろうか。
石碑はすぐに見つかった。馬車に揺られている時、あの時石碑の前で狐の耳を露わにしたソフィアを思い出していたからだ。
「──ここに最愛の友在り、か」
跪き、石碑に彫られた文字を読む。先代の精霊姫とも、この森の精霊とも取れるその文字を見つめ、微笑むソフィアは何を感じていたのだろう。
俺は果たして、ソフィアに想いを伝えられるのだろうか。
そして、精霊とのわだかまりを、俺や兄上が晴らしてゆけるのだろうか。
「お
だからと言ってこの話から、ソフィアから逃げないと決めた。
「ソフィアの元へ、行かせて欲しい。彼女が真に望むのなら……命すら、惜しくはない」
石碑に願う。贖罪ではないのは不遜だとは思うが、俺はソフィアの元へ続く道を開いて欲しい。
だから、願った。
その時だった。
「──矮小な、
ひゅうひゅう、と。黒い風が森を巡るように吹いた。
そうして陽炎のように揺らめいた石碑の後ろから姿を現したのは髪も服も黒いメイド。ケン殿に言葉を託した、アンと呼ばれるソフィアの侍女。
「ウィリアム殿下、改めて自己紹介致しましょう。私はソフィアお嬢様の侍女であり姉代わりであり──
小さく礼をする彼女の表情は無い。だが、どこか憂いを帯びた瞳をしている。
「魔法、か」
「ソフィアお嬢様はそうおっしゃいますね、厳密には違いますが。まぁ、貴方も馬鹿では無いでしょうから何か察するかと思いますが、私も大奥様やケン様と共にこちらへ渡った
「それは、つまり。手を貸してくれるのか?」
「……さっさとしろ、とはおっしゃらないのですね」
「ソフィアの侍女であっても、俺に忠誠を誓っている訳ではないだろう。それに自由意志はあって然るべきだ。俺としては手を貸してもらえると嬉しいが」
素直にそう答えると、アンは驚いたような顔から一転、なるほど、と目を伏せた。
「お嬢様は殿下のどこをお好きになったのか分かりませんでしたが、貴方のそういう甘さ……いえ、優しさを感じ取ったのでしょうね」
「印象は最悪だったと思うが?」
「聞く限りの印象は、はっきり言ってクソ男のソレでしたね。何度も臓腑をぶちまけてしまおうかと思いました。私やクエール伯爵家に利がありませんから自重しましたが」
冷たい刃物のような瞳が、割と本気ですよ、と言っているように思えた。それをされるだけの事はあったのだから、仕方ないのだが。
アンは石碑に触れる。彼女の指先から小さな光の粒がいくつも生まれ、石碑に染み込んでいく。
すると石碑のあった場所が、空間の穴のようなものに変わっている。重力も下ではなくその穴に向かっていくような気がするほど、どこか異質な穴だ。
「怖気付きましたか? お嬢様と会うにはここを入らねばなりません」
いつしか隣に来ていたアンにそう言われると、俺は腰に下げた剣に触れる。それは、覚悟のようなものだ。
──必ず、ソフィアに会う。
俺は穴の中へと足を踏み出し、不思議な洞窟の中を歩いて行く。
真っ暗だと思われた穴と違い、洞窟の中は彩り豊かな発光する鉱石で明るい。水が滴るのか、水の音に連なってそこかしこで不思議な音もする。
思わず、言葉が出た。
「これが精霊の力なのか……」
「失礼ながら、ここは聖域です。異空間の精霊の国といっても過言ではないでしょう。それにクエールの森は、いわばこの国の王城にも等しい聖域です。精霊姫が生まれる土地なのですから」
「精霊姫……その件に関しても、話をしなくてはな」
そう呟くと、アンは何も言わなかった。聞こえなかったのか、聞かなかったのかは分からないが、そもそもそれについて彼女が口にするべき事ではないのかもしれない。
真っ直ぐに伸びる洞窟をしばらく歩むと、その先に一層眩しい光があった。
「──あの先は、精霊長様の住まう領域。ソフィアお嬢様がいらっしゃる事でしょう」
こそりとアンが囁く。
あの光の先に、ソフィアが。そう思うと気が引き締まる。
馬車でのソフィアの姿を思い出す。今だけ許していただけますか、と美しい涙を流す彼女。ふわりとした耳が垂れているのが一瞬見えて、ああ、彼女は怖いのだと、守らねばとそう思ったのに。その後こうして手の届かないところへ行ってしまった。
そんな、はやる気持ちを抑えながらその光の先へと足を踏み出す。
──そこは、輝く森の玉座だった。
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