余白を綴る

染井雪乃

2022年

枯渇した余白を取り戻す

 生来、僕はそんなに会話が得意じゃない。新型コロナウイルスが流行り出してからは、壊れた機械のように、「コロナ、怖いですね」と口にしていた。どこかに空いた穴に無造作に何かわからないものをぽいぽい投げこむくらいの、無責任さ。

 専攻していた学問や、仕事のことはいくらでも言葉にできる。曲がりなりにもそこに注力した時期が存在するし、仕事は今も好きだ。「上手くなれば、もっと好きになる」と言ったのは誰だったか。『フラジャイル』の岸先生だったかな。

 上手くなりたい。そう思えるから、仕事はもっと好きになれるだろう。

 専攻と仕事のことしか話せない僕にとって、「コロナ、怖いですね」は、そういう意味で便利な言葉だった。

 自分を見せずに、ただ相手と無為な時間を埋めるためにはうってつけの言葉なのだった。天気の話もこれに準じる使い方ができるけれど、さすがに毎日は使えない。毎日のようにあれこれ動きがあるからこそ、「コロナ、怖いですね」は同じ言葉なのに、その時々で違う意味合いを持ってくれる。


 そんな風に、強いられる会話を「コロナ、怖いですね」で切り抜け続け、転職の結果フルリモートワークになった僕は、必要なこと以外で会話を強いられることがなくなった。

 生来、会話が苦手な僕なので、会話を強いられなくなって、必要なことだけのテキストコミュニケーションの日々に、快適さを感じていた。

 その快適さたるや、頭痛が消え去ったときの爽快な状況にも勝るとも劣らない。必要なこと以外の会話、つまり雑談は、僕にとって、頭痛の種だったのだ。思ってもいないのに笑顔を作ることも、よくわからない他人の日常を聞き流すことも、苦行だった。

 雑談なんて、ない方が効率的じゃないか。この方が、断然効率よく仕事ができる。

 僕はそう思ったし、ある意味ではそれは正解だった。


 転職前の雑談は、僕にとって苦行だったのだけど、今の仕事においては、雑談と言いつつ、仕事と関係のあるおもしろい話が聞ける確率が高く、また、今の仕事で関わる人々の生活の話は、僕にとって非常に興味深い。

 そんなわけで、同業者や友人と時折作業通話や何をするでもない通話を繋いだりするのだけれど、そこで、はたと気づく。

 会話の糸口にと、「最近どう?」と問われても、僕には話せることがない。同業者なら仕事の話をすればいいように思うかもしれないが、機密の関係などで、仕事のことは話せないものも多い。

 つまるところ、「最近どう?」は仕事以外を指しているわけなのだけれど、僕の仕事以外の生活がどんなものか、自分自身でも言葉にできず、かと言って、そろそろ「コロナ、怖いですね」も使えなくなってきていて、おおよそ近況と言うには遠いエピソードを無理やり思い出すしかない。

 五月の終わりに話しているのに、「四月の頭に食べた、サイゼリヤのフレンチトーストがおいしかった」「四月の終わりに桜が咲いた」くらいしか話すことがない。

 僕は、わざわざ好きでもない人々と通話を繋ぐほど物好きじゃない。相手のことは好きで関心があって、それでも、自分から話せることが限られている。

 元々、会話、特に雑談は不得手だったけれど、ここまでだったか。話す内容が枯渇するほどだったか。


 転職してからの日記を読み返してみた。見事に仕事の話ばかり書かれていて、仕事以外のものが、余白と呼べるものが、相当に少なかった。

 それくらい今の仕事がおもしろいのだろう。いい仕事を見つけたと思う。

 けれど、僕は仕事のためだけに生命維持を行いたくはないし、生命維持と仕事のみの人生は送りたくない。

 それは何だか味気ない気がするし、何より自分の人生を自分のために使えていない。

 僕は枯渇した余白を取り戻したい。そのために、余白を綴っていく。

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