公爵令嬢は転生者で薔薇魔女ですが、普通に恋がしたいのです

瑛珠

プロローグ

プロローグ~ これ多分、異世界転生ってやつです



 バチィン!!



 

 静寂な部屋に甲高く響き渡った音。

 小さな手で持っていたカップが跳ねて、ガチャンと受け皿に落ち、傾いて中身が溢れている。鮮やかなブルーのテーブルクロスに黒い染みが広がっていく。まだ淹れたての紅茶だったので、ふうわりと湯気が立った。

 

 右側に立ち、少女を厳しい目で見下ろしている女性――白髪まじりのひっつめおだんごヘアに黒縁メガネ、多分アラフィフ――は険しい表情のまま、肩が震えている。彼女は驚きで目が点になっている、小さなレディを冷たく見下ろし、ふう、と息を整えて淡々と言った。

 

「……レオナ様。公爵令嬢たる貴方が、この程度のこともできなくてどうするのです」

 透き通るような白い肌に、癖のないプラチナブロンドで、公爵令嬢と呼ばれた幼女はそれでも動けないでいた。

 

 ――動けないのには、理由があった。

 まるで雷に打たれたかのように(実際に打たれたら即死なので、あくまでそんな感覚でしかないが)脳によぎる映像の奔流に溺れかけていたからだ。

 



 ちょっと待って! 私四歳よ? 幼稚園でいったら年少さんよ? 上品な陶器のカップに入った紅茶を持ち上げられただけでも凄くない!? ありゃ? 四歳? いやいや、私会社で――


 

 

 思い出した!

 私は中小企業のOLで、経理で、二十五歳。

 決算目前に現金出納帳の数字が合わなくて、徹夜覚悟で残業していたんだった。

 都内の中堅大卒でなんとなく事務職がいいな、どうせなら大学在学中に取得した簿記の資格を活かして、経理が良いかな? なんて理由で地元に戻って受けた面接。

 若者は少ないからっていう、これまた適当な理由で採用されたのは介護用品を扱う会社で、ほぼ身内経営。つまり、身内に甘い。

 

 本当は、社長か副社長(社長の妻)か、専務(社長の弟)か、はたまた営業(社長の息子)が伝票転記をミスったんだって分かっていた。だけど、誰もとがめられない。だって身内だから。

 私は真面目に原因を追求して、その箇所を正したかっただけ。正義感とかじゃなくて、それが仕事だから。

 

 で。なんとかその箇所が判明して、修正が終わって、帰るか〜と原チャリにまたがって――田舎だから交通の便が悪くて、車社会だけど車を維持するお金はない――夜道を走っていたら、深夜で飛ばしていたと思われるトラックにかれたんだった。



 

 ――うん、地味だな! 地味な前世だったな! でも今は公爵令嬢? しかも家庭教師が四歳からついてて、絶賛マナー教育中……これアカンやつ! なんか知らんけど、アカンやつ! だって、ウェブコミックの試し読みで読んだことあるよ、異世界転生。

 

 無料な範囲の、数種類の数話だけだけど、平凡だった現代日本人の女の子がなぜか別世界の貴族の令嬢に転生して、王子やら騎士やらと出会って、前世の知識を活かして~さあどうなる? 的な。

 

 どうにもならないよ! 平凡OLの経理知識なんて。しかも彼氏いたことない、地味喪女だったし。えっ、ちょっと待って、待って。公爵令嬢ってことは貴族の中でもトップクラスじゃない? てことは、恋愛どころか政略結婚! うそーーーん! ――



 

「レオナ様。今日のところはもうおしまいにして、お部屋に下がりましょう」

 ひっつめ女史が、蒼白な顔で促す。今更叩いたことを後悔しているかのような動揺だ。

 レオナはようやく女史を見上げて目線が合い、呆然とした瞳に光が戻るや否や

「うわぁああああああああん!」

 大絶叫ののち、大号泣した。

 女史は、あまりの声量に思わず顔をしかめる。

 しかし、幼女の手を打ち払った罪悪感からか、明らかに焦っていた。レオナは泣きじゃくりながらも、頭の中で冷静に場を分析していた。


 


 ――ねえ、家庭教師よ。四歳児を手の甲とはいえ叩いて、泣かないとでも思ったのか? 泣くよね? 普通だよね?

 まぁ、大人の方の私は痛みよりも、また今世も恋愛できないのかっていう絶望で泣いているけどね! だって、少女漫画を読み漁るくらい、憧れていたんだもん、恋愛。ちょっと逃避的に異世界転生ものに手を出そうとしたくらいね! 純粋に漫画が好きだったのもあるけれど、ドキドキするってどんなだろう? 好きな人に微笑まれたいな、手を繋いでみたいな、キスしてみたいな〜、なんて思っていたよ。地味喪女にはなかなかハードモードだったけどね。――



 

 慌てて走ってきた執事のルーカスを見ても、レオナの号泣は止まらなかった。


 まだ四歳。


 なかなか心の動きは制御できない。公爵令嬢といえども、幼児に過ぎないのだ。

 

 常に冷静沈着な采配を振るうルーカスが、激しく動揺しつつも、泣きじゃくるレオナを抱えたまま指示を始める。家庭教師に何事か伝えると、彼女は礼をして足早に部屋から下がった。レオナは、ルーカスに抱きあげられて初めて気づいたが、若いメイドが顔面蒼白で床にへたりこんでいるのが目に入り、不思議に思った。ワラワラと使用人たちが入ってきたかと思うと、そのメイドの両脇を抱えて立たせ、どこかへ連れて行く。



 ――私が叩かれてショックだったのかな……?

 


 レオナはぼんやりとそう考えつつも、そのままルーカスのお姫様抱っこで部屋に運ばれている途中で、ついに意識を手放した。泣き疲れて体力を使い切ってしまったのだ。真っ赤に染まった頬に、涙のあとが痛々しい。



 

 ※ ※ ※


 


 ぼんやりとした視界の端に、見慣れたベッドの天蓋。目が覚めたのだと分かったレオナは、側に控えていたメイド――先程のメイドとは違う、最年長の熟練さんだ――が心配そうに覗き込んでいるのが分かり、それに応えて起きようとすると、そっと止められた。

 

「お嬢様は、高いお熱で丸一日寝ていらしたのですよ。まだ横になっていて下さい。すぐに奥様をお呼びいたします」

 

 散々泣いて、瞼はまだ腫れぼったいが頭痛はひいているようだ。微熱は残っているが。

 

 

「レオナ!」

 ほんの数分後、扉を開けるなり名前を呼ぶのは、公爵夫人であるアデリナ・ローゼン。レオナの母親である。

 ローゼン公爵家をその器量で盛り立て、かつ社交界にトップレディとして君臨し続ける手腕に、ここマーカム王国の貴族の間では氷薔薇夫人と呼ばれている。

 

 プラチナブロンドの髪を、上品に後ろでまとめあげたその夫人の水色の瞳が、心配そうに顔色を窺っている。さすが公爵夫人、娘を気遣う様子すら麗しい。冷たい手がそっと額に触れると、レオナの目がまた潤んだ。

 

「おかあしゃま…」

 うまく声が出ないことを恥じるかのようにモジモジするレオナに対し、

「まだ少し熱があるわね。気持ち悪いところはある? 痛みは?」

 優しく声をかけるアデリナ。

「らいじょうぶれしゅ」

 レオナが何を言いたいかは、拙い言葉でも分かるようだ。

「そう、良かった……お腹は? 何か食べられそう?」

 ううん、と軽く首を振る。

「びっくりしたでしょう。もう大丈夫だから、安心してね。果実水を持ってくるから、少しずつでも飲みなさい」

「あい………あの、しぇんしぇいは……?」

 と聞くレオナに、それはそれは綺麗な笑顔で

「気にしなくて良いのよ」

 と言い放ったので、安心してまたまぶたを閉じた。



 

 ※ ※ ※




 再びレオナの目が覚めた時には、窓の外はカーテンで見えないが、日は沈んでいた。昼から夜まで寝ていたようだ。

 

 そのままゆっくり身を起こすと、アデリナがそれに気付き、そっと背中に手を添える。ベッドサイドに用意されていたのは果実水のグラス。手渡されて素直に受け取り、コクコクと飲むレオナの顔色は、だいぶ良くなっていた。

 

「ベルナルドを呼んでちょうだい」

 アデリナが、メイドにそう指示を出したので、レオナは大変に驚いた。公爵家当主である父には、執務が多忙過ぎて滅多に会えないからだ。屋敷にいるかどうかさえ把握していないぐらいに、普段から会えていなかった。

「おとうさま?」

 アデリナは、黙って微笑んでいる。

 代わりに年配の熟練メイドが応えてくれた。

「はい。お嬢様の目が覚められましたこと、お伝えして参りますね」

 頭の下に敷かれていた氷枕を片付けてメイドが下がり、シンとした部屋でレオナは我に返る。


 


 ――どうしよう? いや、どうしようもないんだけど、どうしよう。前世を思い出して、変わらずに居られるかって言ったら無理……平凡OLとはいえ大人の記憶を持った幼児なんてちょっと気味が悪いよね。でも――



 

 ブランケットの上で手を何度かグーパーしてみる。自分の肉体の所在を確かめてみる。大変に荒唐無稽な経験であるが、寝て、起きて、身体も周囲の人物も正しく認識しているからには、夢ではなく現実としか思えなかった。

 産まれてから今までの記憶がある。これからも公爵令嬢として生きるのではないか。多少の心の違和感はあるが、受け入れていくしかないのではないか。



 

 でも、政略結婚は、嫌だなあ――



 

 貴族と言えば、だ。お家のために好きでもない相手と結婚して、さらに子供を作るだなんて、全然想像ができないし、したくなかった。嫌だなあ〜……という言葉しか浮かんでこない。

 せっかく王国だの剣だの魔法だのという『ファンタジー』な世界に生まれたからには、キラキラした恋愛とやらをしてみたいと思うのは、普通の女の子? の気持ちではないか、と独り思考の波にズブズブと浸ってしまっていた。



 コンコン……



 と、控えめなノックとともに扉が開かれ。

 こちらの返事を待たず入ってくるのは、

「レオナ? 起きているかい? 入るよ」

 ローゼン公爵家当主である、ベルナルド・ローゼン。レオナの父である。

 

 シルバーブロンドを後ろへ撫でつけ、ローゼン家特有の瑠璃色の瞳を持つ美丈夫は、三十五歳で既婚にも関わらず未だにモテまくりらしい。一夫多妻を認められているこの国で、第二夫人の地位を狙われても不思議ではない。おまけに長身で、その上質な服の上からでも鍛えられていることが分かる体躯である。執務の合間に筋トレでもしているのだろうか。


 そして、傍らにはレオナの四歳年上である兄のフィリベルト・ローゼン。父であるベルナルドに瓜二つで、同じくシルバーブロンドに瑠璃色の瞳。美形が確約されているも同然なので、まだ八歳にも関わらず方々から縁談が舞い込んでいるらしい。

 

「おとうさま、おにいさま」

 公爵家大集合だ。美形の圧がすごい! 眩しい! と、レオナは見慣れているはずの家族の顔に気圧される。

「ああ、良かった、レオナ。大丈夫なら、少しだけ話をしてもいいかい?」

 アデリナが場所を譲り、今度はベルナルドがベッドの脇の椅子に腰掛け、しっかりと目を合わせてレオナの手を握る。フィリベルトはその隣に立ち、小さな妹の頭を撫でる。アデリナはベッドの反対側に周り、娘の顔が見えるように直接マットレスに腰掛けた。

 

「ごめんなしゃい……」

 超絶多忙なベルナルドを呼んでしまうほどのことだったか、と今更ながら自己嫌悪に陥った様子のレオナに、ベルナルドは苦笑を漏らす。

 兄のフィリベルトも、別の教師のもとで英才教育中のはずだ。邪魔をしてしまった! と、俯いて顔が上げられない小さな公爵令嬢に、家族の皆は優しい目線を向けている。

 

「レオナ、謝る必要はない。無事で何よりだ。あの教師とは父様がしっかり話をしたから、もう安心していいぞ。驚いただろう。とにかくすまなかった!」

 公爵閣下の突然の謝罪に面食らうレオナは、言葉を発することができないでいた。兄のフィリベルトは、その間神妙な顔でずっと頭をなでなでしている。



 

 八歳に撫でられるって、なんかいいな……兄様、超絶美形だな――


 


「レオナ? 許してくれるか?」

 は、と飛んでいた意識を慌てて手繰り寄せるレオナ。

「もし気になるのなら、もちろん教師はすぐに別の人に変えさせるが……何かして欲しいことはあるかい?」

 黙っている間に勝手に慌て出したベルナルドは、実は子煩悩でも有名である。

「わがままも、何でも言って良いんだぞ!」

 

 レオナは、教師は別に変えなくてもいいかと思い直した。恐らくだが、公爵家の家庭教師は人材選定すら大変だろう。求められるレベルはものすごく高く、自分自身も至らなかった。ベルナルドが直接先生に注意をしてくれたのなら、今後は大丈夫だろう、という結論に至った。

 

「――せんせいは、よいかただとおもいます。わたくしが、わるかったのです」

「レオナは良く頑張っていると聞いているよ」

 お父様はお忙しい中でも、私のことを気にかけていてくれているのだな、とレオナは嬉しく感じた。

「レオナはまだ四歳なんだから、遠慮しなくて良いんだよ。何かして欲しいことはないの?」

 今度はフィリベルトの援護射撃だ。まだ八歳であるのに既に紳士であり、思いやりが深い兄である。

 

 ならば、思い切って言ってみよう、とレオナは自然と拳を握った。

「あの……じつは……きょうせんせいに、おとうさまとおかあさまは、『だいすきでけっこんした』と、きいたのです」

 全員、レオナが何を言い出すのか予想がつかないままに、黙って見守ってくれている。

「えんだん? というものも、いつかわたくしにあるだろうとおききして……すこし、かなしくなったのです。わたくしも、おとうさまやおかあさまのように、だいすきなひとをさがしてみたいとおもったのです!」

「レオナ……」


 マナー教育を始める前に、ひっつめ女史が言ったことはこうだ。『ローゼン公爵家夫妻は恋愛結婚であらせられるけれども、公爵令嬢たるもの、いつ何時どこから縁談が舞い込むか分かりません。例えどこへ求められても良いように、今日からしっかりと学びましょう!』と。

 

「わかった! 縁談は全部断る!」

 ギューッと小さな娘を抱きしめるベルナルド。

 フィリベルトは、その横でウンウンと強く頷いている。

 レオナの位置からアデリナの顔は見えないが、多分苦笑している。



 っていうかもう縁談来てたんかい! まだ四歳ぞ! 恐ろしいな貴族社会! ――と、独り心がザワつくレオナであった。




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お読み頂き、ありがとうございます!

私にとって初めて書いた小説です。

少しでも、気に入って頂けますように。


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