一瞬の恋にも五分の魂

ジャックリーンあまの

一瞬の恋にも五分の魂

もうダメだ。

周りが急に暗くなったからあきらめて目をつむって固まったのに、また明るくなったのが分かって、そっと目を開けてみた。

指が遠のいて目が見えた。企んでいる時の流星くんの目。

やっぱりそうきたか。鉛筆の先で連続攻撃。

ほっ、よっ、折り目に隠れてやれ。

先生に見つからないように消しゴムサッカーをやってる最中で良かった。もしも教科書を平らに開いていたら僕の命はそこまでだった。

たぶんこの42ページの33÷5=の5の横にシミになって生涯を閉じた。

僕の名前はチャタテムシ。どこからが名前かって?

苗字はサンスウ。算数の教科書に住んでるからね。

流星くんのランドセルはいつもじめっとして、学校でしか開くことがないから住み心地はサイコー。給食のパンくずなんか見つけた時は、他の教科書の親戚も呼んで夜通しバカ騒ぎで盛り上がっちゃうんだ。最近読んで食べて身につけた知識を交換してさ、流星くんの個人情報を共有する大切な集まりなのさ。

だから授業中は消しゴムで遊ぶ流星くんの事を、音楽チャタテムシの叔母さんの二番目のご主人の弟の奥さんから聞いていたんだ。必ず右手の親指で圧死狙いで攻めてくるってね。

まあ基本的に人間の動きは単純だから、スプレーや乾燥剤のような大量殺りく兵器を使ってこない限りやられない自信はあるよ。

秘密だって我々にダダもれだからね。

生まれた時から見て聞いて教育されて、幸せを追求して生きなさいなんて言われるけど、幸せってなんなのかちゃんと説明できる人間に出会った事ってないぜ。

金持ちになる?いくらあれば幸せなんだ。有名人になる?生き方を制限されるだけさ。好きな人と一緒になる?相手がずっと好きでいてくれるとは限らない。

俺たちチャタテムシは平気さ。なんてったって本を食べて消化して本の栄養で出来上がっている生き物だから何でも分っているのさ。

流星くんが沙也加ちゃんを好きで好きでたまらないけど、保育園から一緒の大地君と恋のライバルになって気まずくなりたくないって、ずっと悩んでいるだろ。

ほんと、ばかばかしい。

恋なんて、得体の知れない迷い事だよ。四千年前の本にも書いてあるから間違いない。

俺たちみたいな高度な子孫繁栄システムで物事を追及していけば、少子化とか高齢化とか絶滅への道を免られるのに、恋とか絆とか幸せだとか見えない物に無駄な時間を使うなんて、人間ってまったくお笑い草だよ。

大地君より早く沙也加ちゃんと付き合えばいいだけじゃないか。大地君とは戦えよ。それだけさ。

住んでいる本の主が困っている事があったら、夢で教えてあげるのが我々チャタテムシがチャタテムシに生まれた幸せなんだ。

伝統っていうやつよ。


「だめっ、やめて」

突っ張っている腕に力は入っていなかった。むしろあごを突き出していたから唇を奪えた。

震えているのか、いや、震えているのは僕の方だ。

夢の通りだ。

沙也加ちゃんの唇ってこんなに柔らかいんだな。

大地君のことなんか気にせずに早くこうしていればよかった。ほんと、夢のようだ。

きのう学校から戻っていつものようにゲームをした。ジャンプするタイミングがつかめずに二時間も次に進めなかった。

「くそっ」

ランドセルを蹴飛ばした。

どさりと流れ出た教科書を枕にしたら、少し寝てしまった。

その時の夢が、偶然が重なって沙也加ちゃんと学校の階段でキス。そっくりそのままのお告げだった。


珍しく部屋で出されたから、開くのかなと身構えていたら枕にして寝てやがんの。

左の耳にジャンプして、穴から入り込んで前頭葉まで旅をした。

脳のシワから夢に入り込んで映像を確認した。

同じクラスの沙也加ちゃんが走ったり、給食を食べたり、お気に入りだけを繰り返し再生していた。

思考プラグを組み替えて行動切り替えスイッチを押していい夢をみさせてやった。

これで目覚めれば自信がついているはずだ。

それにしても、こんなに脳がシワだらけなのに使っている部分はほんの少しなんてもったいない。


夢もキスまでだった。

それにしてもまったく同じ現実になった。夢でリハーサルできていたお陰だ。

音楽室に向かう沙也加ちゃんと階段で二人きりになる事。ピアニカのケースからカワウソのキーホルダーが落ちる事。拾って渡すとありがとうと言われる。手を引き寄せるとやめてと小さく言う。でも女の子のやめては嫌じゃないんだと夢で誰かに教わった気がした。だから実行できたんだ。

目を開けた沙也加ちゃんが上を見た。僕も振り向いて上を見た。

踊り場に女子三人組。真ん中の女子はスマホを向けていた。

「どうしよう」

情けなく言ったのは僕の方で、沙也加ちゃんはカワウソのキーホルダーをケースに付けながら、仕方ないじゃないと平気そうだった。

「だってLINEとかで」

「私、やめてって言ったよね」


「なっ、単純だろ」

「びっくりしたよ。あんなにうじうじしてたのに夢をみさせたらその通りに」

「きっかけが欲しいだけなんだよ。人間ほどなんでもできる生き物はいないのにもったいないよな。それにしても沙也加ちゃん、昨日は大地君と、だぜ」

驚かせようと特ダネを国語チャタテムシに教えてやったら、沙也加ちゃんの目撃談はもっともっといっぱいあって俺の方が驚いた。

「算数って知らないんだ。あの子はクラスの男子ほぼ全員と。体育の井上先生も誘惑したし、例のキーホルダーをバスケ部のコーチの前でも落としてた」

「へえ、人間にしておくのもったいないな」

「うん、蜂に生まれていたら幸せだったね」

国語チャタテムシは本当に残念そうに言った。


沙也加ちゃんにLINEしてもうすぐ一時間。既読にならない。

「もしもし、沙也加ちゃん」

「いきなり電話して来ないでよ。なに」

「あのさ、ふたりの、階段のさ、撮られたでしょ、それで」

「どうせ碧衣か翠海だろ」

「やっぱり沙也加ちゃんにもきたの」

誰だよという男の声が近くで聞こえた。誰かと一緒のようだ。

「ばらまかれたらどうしよう」

「だからやめてって言ったのに。とにかくもう電話しないで」

切られた。

あの声って、放課後バスケットを教えに来てる大学生にそっくりだった。体育館に居たのかな、練習の邪魔をして悪かったかな。

一時間前、佐々山翠海から初めてのLINEがきた。

沙也加ちゃんとキスをしている動画だった。上から撮ったやつだ

後ろ向きだけど横に出た耳とうなじの毛深さで僕だって分かる。震えていた。

プルプル興奮してんじゃねーよとコメント付き。

撮られたショックよりかっこ悪い自分の姿より、沙也加ちゃんを見たくて何度も再生した。いつの間にか唇を触りながら見てしまった。

碧衣からも、グループLINEに載せようか?って届いた。

沙也加ちゃんに相談に乗ってもらいたかったけど、男らしく決断した。

消去して欲しいって碧衣に送った。

三十分後にコンビニで会おうって呼び出された。

碧衣の代わりに翠海と渡辺可愛と一緒に友達だという中学生の男子が二人いた。

ダウンロードカードを一人一枚づつ買わされた。

幼稚園から貯めていた六万円が二千円に減ったけど、動画は消去してくれた。

これで沙也加ちゃんに迷惑がかからない。悔しいけどすっきりもした。

夜、ベッドに入ってからなかなか眠れなかった。

また夢をみた。

神社のそばにある図書館の階段をのぼっていた。

三階でそのものズバリ『コンビニで金を巻き上げられたら仕返しはこうしよう』と太い文字の一冊を開いた。

挿絵が動き出してアニメが始まった。

ダウンロードカードを持っているのは渡辺可愛の友達の中学生で、コンビニの店員さんはいつも置いた途端に商品を読みとる早業の外国人。ピッピッとやって五万七千八十円になりますと言って支払を待っていた。

これでって出したスマホって僕のだ。そうだ、金額が一緒じゃないか。

次のページをめくると駅前のファミレス。上にカラオケがあるビルだ。

三人並んで座ってる翠海と可愛に碧衣がスマホを見せて笑っている。

画面に大地君とキスしてる沙也加ちゃん。あのカワウソのキーホルダーも。

こっちはいつ見せに行こうかって碧衣が言いながら再生したのは、体育の井上先生が沙也加ちゃんを抱き寄せて跳び箱の後ろに消えた様子だった。

「どうしようもねーな、教師のくせに」

テーブルの反対側に例の中学生が二人。

「お待たせ~」

沙也加ちゃんが登場した。どうして。

「日曜の昼に代々木駅のこっち側ね」

「さすが沙也加さん、これどうぞ」

中学生がさん呼びで、どうぞって渡したのはコンビニで僕の金で買ったゲームカード。封も切っていなかった。

アニメはまだ続いて、日曜日の僕の行動が詳しく映しだされた。

「沙也加ちゃんとキス出来たのも夢のお告げがあったからだろ」

誰かが言ったその声で、僕は目が覚めた。


夢と同じ9時4分起床。

電車でスマホを確認すると、これまた夢と一緒で充電がデッド間近の7%。

大丈夫、撮影地点の窓の下にコンセントがあるはずだから。

となりの車両に体育の井上先生が座っていた。ジーンズ穿くんだ、似合わないな。

先生と違う改札から出た。

代々木駅は初めてだったけど、迷わなかったのは夢で見た通りだからだ。

沙也加ちゃんが先生の前を歩き出した。

二人のずっと後ろから五人の男女、そのまた後ろを僕が尾けている。

ガラス張りのブティックに入った。

僕は道の向かい側の雑居ビルの非常階段でスマホを構えた。野鳥観察レベルの収音マイクモードにしたから会話もきれいに拾ってくれた。

服を何点も選んでいる沙也加ちゃんに、どれにするのって先生が聞いている。

「全部。だって一人に一つ欲しいから」

外から碧衣と翠海と可愛がのぞいているのに気付いた。

沙也加ちゃんが先生の耳に背伸びした。

「この前さ、私にした事って犯罪だよね」

沙也加ちゃんがおいでおいでをすると、入って行った可愛が先生にスマホを見せた。

先生は黙って清算していた。

大きな紙袋を持って可愛が店から出て来たところで撮影をやめた。コンセントからケーブルを抜いた時にスニーカーの足が見えた。ドキンとした。

夢でもびっくりしたのに、やっぱりびっくりした。

「流星もか、沙也加ちゃんと」

「なにが」

「隠さなくていいよ。みんなそうなんだ。おい」

中野君と初谷君が階段の下にいた。夢でも会ってるのに初めてのように振舞った。

駅に戻る井上先生を大地君が呼び止めた。

みんな沙也加ちゃんに騙されて恐喝されたから仕返ししたいと訴えても、騙されたのも社会勉強だから、彼女らにも将来があるからって。じゃあ被害にあった僕たちはどうなるんだよ。最悪だ。

だけど先生のこの言い訳も夢と一緒だった。

どうせ先生は、コンビニ前で中学生に暴力をふるった疑いで、来週の火曜日に警察の取り調べを受ける。どうせなら夢と違って勇気を出していたら、先生は学校を辞めずに済んだかも。

電車で僕はみんなを図書館に誘った。

神社のそばの図書館の三階。脚立に登って茶色い表紙のぶ厚い本を取った。

テーブルで開くと、何かがパッと散った。


「危なかったな」

「ああ、目がいっぱいあったぜ」

「どうせこの本読んだって、理解できないガキのくせにな」

復讐マニュアルチャタデムシの集団が三年ぶりの光に慌てて隠れた折り目で囁いた。


「この本を参考にして仕返ししよう」

「漢字ばっか」

案の定、初谷君がブーブー言った。

「一応借りるから、回し読みで」

僕が最初で二日で次の人に渡すことにした。

読まなくても、部屋に置いておけばうまくいく。

それが僕の作戦だ。


「そろそろ行こうか」

「ちょっと待て、もう少し熟睡してから」

チャタテムシに生まれて生涯一度巡り合うかどうかの大仕事だ。失敗は許されない。

中野君と大地君に関してはすでに任務は完了している。最後の初谷君でしくじるわけにはいかない。

これまで通り、長老の復讐マニュアルチャタテムシの合図を待った。

「よし、今だ」

長老が白くなった触角を振った。

ジャンプして耳の穴から奥に駆けた。産毛が残るトンネルを抜けて三半規管を左に曲がれば目的地だ。

小学生の前頭葉はいつ見ても美しい。まるで新緑の山並みのようだ。

そこに一本、出来たばかりのシワを発見。

夢に入り込んだ。

四人に同じ夢を見させた。

長老の話では、本能寺の変以来の大仕事かもしれないと日本史チャタテムシも言っていたそうだ。

初谷君の耳から復讐マニュアルチャタデムシが跳び下りてミッションは完了した。


土曜日の夕方、コンビニの駐車場に例の中学生が居ると中野君から連絡が入った。

「僕を覚えていますか」

スマホから顔をあげた中学生がニヤリと笑った。

「なんだ、震えてたガキか」

「なんだ、バカ中学生のくせに記憶力あるんだ」

「なんだと」

胸倉をつかまれた。

「痛っ」

中学生の鼻とごっつんこした。

僕が頭突きを食らわせたわけじゃない。後ろから体当たりされた反動だ。

もうひとりの中学生が離れながらスマホを構えていた。

バイクのヘルメットを被ってジャージを着ている井上先生そっくりの大地君が、鼻をおさえている中学生にパンチした。

「パトカーだ」

中野君の叫び声で中学生たちは走って逃げた。

本当の井上先生は今頃、中野君の沙也加ちゃんなりすましメールで呼び出されて公園で待ちぼうけを食らっているはずだ。

すべて計画通り。

初谷君が地域の話題サイトに、南小の井上先生じゃないかと動画を投稿した。

その日のうちに二万件も再生された。誰が手に入れたのかコンビニの駐車場を映した画質の悪い防犯カメラも公開されて、卒業生たちも会話に入って盛り上がった。

井上先生が警察に呼ばれた火曜日、代々木のブティックの動画をあげた。

コンビニ駐車場の暴力の謎解きをしたのに、期待に反して盛り上がらなかった。

二日しか経っていないのに、あんなに盛り上がったのに。

警察で全部正直に話したら、相手が未成年だからといつも自分が言っている事を言われて気力が萎えた井上先生を夢で見た。

井上先生は南小から居なくなった。

それから僕は、大地君がニュージーランドのラグビーチームに入る事や、沙也加ちゃんがバスケ部のコーチと十年後に結婚する事を夢で見た。

僕はチャタテムシに感謝している。

だからWebのカクヨムもいいけど、これからもできるだけ本を開くようにしていきたい。


































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一瞬の恋にも五分の魂 ジャックリーンあまの @hkn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ