第84話歓喜に寄せて・シラー:第9は聴くより歌った方が楽しい

シラーの「歓喜に寄せて」です。

wikipedia歓喜の歌

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%81%AE%E6%AD%8C

Wikipedia で読んだため、訳者名はわかりませんでした。


ベートーベンの交響曲第九番「合唱つき」の第四楽章の歌詞となった詩です。


 ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(一七五九年~一八」〇五年)は、ドイツの詩人で劇作家、歴史学者です。

一七七六年、十八歳の時に処女詩集初の詩集『夜(Der Abend)』を執筆しました。


 正義と自由を希求する作品を匿名で発表するなどしたことから、若者達からは指示されましたが、権力者から目を付けられて、投獄されたり幽閉に近い状態にされたりしました。

やがて出奔して亡命生活の中で執筆活動を続けることになります。


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歓喜に寄す/An die Freude


     シラー  (*)ベートーベン



おお友よ、このような旋律ではない!

もっと心地よいものを歌おうではないか

もっと喜びに満ち溢れるものを


歓喜よ、神々の麗しき霊感よ

天上楽園の乙女よ

我々は火のように酔いしれて

崇高なる者(歓喜)よ、汝の聖所に入る


汝が魔力は再び結び合わせる

時流が強く切り離したものを

すべての人々は兄弟となる

汝の柔らかな翼が留まる所で


ひとりの友の友となるという

大きな成功を勝ち取った者

心優しき妻を得た者は

自身の歓喜の声を合わせよ


そうだ、地球上にただ一人だけでも

心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ

そしてそれがどうしてもできなかった者は

この輪から泣く泣く立ち去るがよい


すべての存在は

自然の乳房から歓喜を飲み

すべての善人もすべての悪人も

自然がつけた薔薇の路をたどる


自然は口づけと葡萄の木と

死の試練を受けた友を与えてくれた

快楽は虫けらのような者にも与えられ

智天使ケルビムは神の前に立つ


天の壮麗な配置の中を

星々が駆け巡るように楽しげに

兄弟よ、自らの道を進め

英雄が勝利を目指すように喜ばしく


抱き合おう、諸人もろびとよ!

この口づけを全世界に!

兄弟よ、この星空の上に

聖なる父が住みたもうはず


ひざまずくか、諸人よ?

創造主を感じるか、世界中の者どもよ

星空の上に神を求めよ

星の彼方に必ず神は住みたもう


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 冒頭の三行はシラーの詩ではなくて、第九の作曲に当たって、ベートーベンがつけ加えた部分です。

実は、この詩の中で一番好きなフレーズで、一番心を動かされた言葉です。


「このような音ではない、もっと心地よい、もっと喜びに満ちた歌をうたおうではないか」とは。音楽を奏でるものにとっては、永遠のテーマであり、また、人生を生きるものになぞらえても、同じではないかと思うからです。


 第九では、四楽章に入ると、一楽章から三楽章までのテーマが順に奏でられて、それを全て強く否定する音が鳴ります。


 その上で、歓喜の歌のテーマが奏でられると、今度はそれを肯定して喜び、バリトンの独唱で「おお。友よ……」と歌われるのです。


 そのあたりの音と声の絶妙なかけ合いが、四楽章を聴いていて、胸躍るところです。


 wikipediaの和訳は、前後を入れ替えた方がわかりやすいですね。倒置法のような感じになっていますが、おそらくこれは、ドイツ語の文法に由来するのではないかと推測します。


 なんというか、私の理解力では意味がわかるようで、わからなくて。第九のメロディーに紛れてなんとなく読んでしまったのですが、参考のYou Tube のテロップに出ている歌詞の方が、意味がわかりやすい気がします。

参考:ユーチューブ https://youtu.be/7tLdBtOBEGc


 第九の合唱は普通、ドイツ語で歌われますから、和訳で読むよりは、ドイツ語で読んだ方がもっとしっくり心に響くかもしれません。


 作者は詩の中で。喜ぶべき者は 、ひとりの友を得た者、心優しき妻を得た者、心を分かち合う魂があると言える者、だと言っています。


お金や名声や地位ではなくて、一人でも心を許せる人がいることが、喜ぶべきことだと言っているのでしょう。


 聖なる歓喜によって、切り離された者も、虫けらのような小さな者も、善人も悪人も、全ての人はひとつになり、解放されて、その道は天上にいる神の世界へ通じていると、そんな感じではないかなと思います。


シラーが十八歳頃のに書いた詩だそうですが、若者の情熱と理想、自由への解放と信仰が描かれているように感じます。


 第九の合唱部分では、曲の後半、歓喜が満ちて、やがて神の世界にまで、昇華して行くような高揚感が感じられます。


 若い頃、学生時代からずっと合唱をしていたもので、何度か第九を歌う機会に恵まれました。


 私はアルトパートしか歌えませんが(汗)一度覚えたものは二十年以上たっても、忘れることなく、たまに口ずさんだりすることもあります。


 第九は聴くよりも、歌った方が断然楽しいです。機会があったら、ぜひ参加して、あの高揚感を感じていただきたいと思います。


 各地方の市民合唱団なども、参加者募集をしているところもありますから、素人でもじゅうぶんに歌えるようになりますよ。

(記:2020-01-06)

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