第80話令和の由来・梅花の歌三十二首序:万葉集巻第五

 四月三十日に天皇陛下が退位され、今日から令和がはじまりました。(二〇一九年五月一日現在)

令和のはじめの日に、出典となった、万葉集巻第五 梅花の歌三十二首・序を読んでみました。


 万葉集は、奈良時代の末期頃に編纂されたと言われている歌集です。掲載されている歌は約四千五百首。


 編纂者については諸説ありますが、最終的に大友家持おおともの やかもちによって全二十巻にまとめられたものと言われています。


 当時はまだ仮名文字がなかったので、日本語の発音を漢字に当てて書いた「万葉仮名」で表記されています。

  いわゆるヤンキーお兄さんたちが落書きする「四露死苦」的な表記で、昔も今も考えることは似ているのかなんと思ってみたり。


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万葉集巻第五 梅花の歌三十二首・序


天平二年の正月の十三日に、師老そちろういへあつまりて、宴会うたげぶ。


時に、初春の令月にして、気 風和やわらぐ。


梅は鏡前のふんひらく、蘭は珮後はいごの香をくゆらす。


しかのみにあらず、あしたみねに雲移り、松はうすものを掛けてきぬがさかたぶく、ゆうへくきに霧結び、鳥はうすものぢらえて林に迷ふ。


庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁こがんあり。


ここにあめやねにしつちしきゐにし、膝をちかづけ さかづき飛ばす。


言を一室の裏に忘れ、きん煙霞えんかの外に開く。


淡然たんぜん自らゆるし、快然くわいぜん自ら足る。

もしかんゑんにあらずは、何をもちてかこころべむ。


詩に落梅の篇をしるす、古今それ何ぞ異ならむ。


よろしく園梅をして、いささかに短詠を成すべし。


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言葉が難しいので、口語訳は間違っている可能性があります。なんとなくこんな感じということでご了承ください。


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訳:万葉集巻第五 梅花の歌三十二首・序


天平二年正月十三日に、そちのご老人のお宅に集まって宴を開いた。


時は初春の麗しい月で 、空気は清らかで風はやわらかくそよいでいる。


梅は鏡の前に座す人の白粉のように白く咲いているし、蘭は匂袋の香りのように甘く匂っている。


それだけではなく、夜明け時の峰には雲がかかり、松は薄絹をまとって衣笠をさしたようだ。夕刻の山の祠には霧が湧き、鳥は霧に閉じ込められて林の中を飛び交っている。


庭には春に生まれたばかりの蝶が舞い、空には秋に渡来した雁が帰って行く。


ここで天を屋根にして、地を座所として、みんなで膝を合わせて杯を交わす。


一同みな言葉を忘れ、うっとりとして雲霞の彼方に向いて胸襟をひらいている。


心は淡然として自由であり、快然として満足している。


もしも文章で表現するのでなければ、どうやってこの心を表現できようか。


漢詩にも落梅の作品があるのだから、昔も今も違いがあるだろうか。


この園梅をお題にして、このひととき、歌を詠もうではないか。


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 師老のそちは、長官の意味で、この寒梅の宴が開かれた太宰府の長官のことです。万葉集の編者と言われる大友の家持の父親、大友旅人おおともの たびとが当、時の太宰府の師でした。


 天平二年の正月十三日は、旧暦の正月なので、新暦で言えば二月半ば頃でしょうか。春でもまだ寒そうですが、太宰府、九州は暖かいので、梅は都よりも早く咲くのかもしれませんね。


令月は麗しい月というような意味ですが、別に2月を表すこともあるようです。


 梅花満開。初春の麗しい景色の中で、膝突き合わせて旨い酒を酌み交わしていると、伸び伸びした気持ちになって興が乗ってきて、歌でも詠まずにはいられなくなる、というのです。


お酒が入って一同みんな砕けた気分になって、少し浮かれているような宴席のようすが想像されます。

(記:2019-05-01)

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