第73話独楽・高祖保:廻り澄み高みへ昇って行くイメージ
高祖保の「独楽」を読みました。
一九四七年没後に刊行された『高祖保詩集』に収録された未完詩集『独楽』の中の一篇です。
底本は『高祖保詩集』現代詩文庫、思潮社・刊(一九八八年)。
青空文庫で読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001774/card56172.html
祖保は一九一〇年岡山県生まれの詩人、歌人です。中学卒業後頃に歌誌「椎の木」に参加、短歌と同時に詩作もするようになりました。
國學院大學高等部在学中に、詩集『希臘十字』を発表。一九四四年発表の第三詩集『雪』では藝汎論詩集賞を受賞しましたが、この年徴兵されて南方戦線へ送られ、一九四五年ビルマで三五歳で戦死してしまいます。
亡くなった後、遺族らの手によって『高祖保詩集』が刊行されました。
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独楽
高祖 保
秋のゆふべの卓上にて
独楽は廻り澄む
____青森大鰐、島津彦三郎作、大独楽が
____鳥取の桐で作られた古ひ独楽が
____玉独楽が
____陸奥の「スリバツ」独楽が
____土湯、阿部治助作といふ、提灯独楽が
____伊香保の唐独楽が
____九州、佐賀のかぶら独楽が
____三重、桑名のおかざり独楽が
まはるまはる
秋のゆふべの卓上にて
独楽が廻っている
麦酒樽のおなかを ゆさぶりながら 廻るもの
六角の体を
口笛を吹きながら 廻るもの
ころりころりと廻りながら 転がりおちるもの
仆れたのち 廻りはじめるもの
廻りながら 仲間に
はやくも寝そべって了うもの
独楽よ
廻り廻って澄みきるとき
おまへの「動」は
ちやうど 深山のやうな「静」のふかさにかへる
静にして
なほ動
____この「動」の不動のしづかさを観よ
秋のゆふべの掌の上
独楽 ひとつ
廻りながら 澄んでゆく
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はじめてこの詩を読んだ時。最初の「独楽は廻り澄む」という表現に魅せられました。卓上の独楽はただ廻っているのではなく、廻りながら澄んでゆくというのです。
純粋に、凜として、世俗から離れて、ひたすら廻ることだけに没頭しているイメージが浮かびました。また、透明で、冷たく、この世のものではない高みに上がって行くような魂のイメージもありました。
卓上で廻っているのは、各地方で造ら作られた、民族工芸品の独楽たち。名前が出ている島津彦三郎も阿部治助も、こけしなどの木工玩具を作っていた東北地方の職人です。
話はそれますが、最近は密かなこけしブームなのだとか。海外からの観光客が、日本の伝統民芸品をカワイイと興味を持つようになり、日本の若い女性達も興味を持つようになってきたとか、テレビの情報番組で見たように記憶しています。
詩人は卓上で色々な独楽を回しながら、さまざまな形の、それぞれの廻り方をする独楽から目を離せないでいるようです。そしていつしか、個性的な独楽の姿が人間の姿にも見えてくるのです。
知り合いやご近所にこんな廻り方をしている人がいるような、この独楽はあの人に似ている。なんて考えたかどうかはわかりませんが、そんな詩人の心を知らず、独楽は、ただひたすら廻っているのです。
冒頭では卓上で廻っていた独楽でしたが、最後には、「秋のゆふべの掌の上」でまわっています。仏様の掌の上、または神様の掌の上なのか、森羅万象を超えた大きな存在の掌の上で、というイメージが湧きます。
また、最初には複数の独楽がまわっていたのですが、最後に掌の上にいるのは「独楽 ひとつ」です。
それは、詩人自身なのか、それとも選ばれた誰かなのかわかりませんが、「廻り廻って澄みき」って、「「動」の不動のしづかさ」の境地に達した、最後のひとりなのかもしれません。
(記:2018-05-03)
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