第35話何故詩をかかなければならないか・室生犀星:書かずにはいられない詩人の宿命

室生犀星の「何故詩をかかなければならないか」を読みました。


詩集『愛の詩集』(一九一八年感情詩社・刊)に掲載されている一篇。

青空文庫で読みました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001579/card53947.html

底本は『叙情小曲集・愛の詩集』(一九九五年講談社文芸文庫)です。


 室生犀星は一八八九年(明治二二年)生まれの詩人、小説家です。北原白秋に認められて白秋主宰の「朱欒さんぼあに参加、そこで萩原朔太郎と知り合い一緒に雑誌『感情』を発行しました。

 戦後は小説家としても活動。芥川賞の選考委員も務めました。一九六二年(昭和三七年)に肺がんのため亡くなっています。


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何故詩をかかなければならないか


          室生犀星


自分は何故詩を書かずに居られないか

いつもいつも高い昂奮から

火のやうな詩を思はずに居られないか

自分を救ひ

自分を慰め

よい人間を一人でも味方にするためか

ああ この寂しい日本

日本芸術のうちで

いちばん寂しい詩壇

詩をかいてゐると

餓死しなければならない日本

この日本に

新らしい仕事をするため

父母をにへにし

兄姉にうとまれ

世の中よりはのらくらものに思はれ

いつも不敵なる孤独に住み

それでゐて一日も早く

人類の詩であるやうに

わからずやの民衆を愛し

いつまでも手をつなぎ合つて

毎日毎日仕事をしてゐる私ども

善くならう善くならうとする私ども

ああ あらしが起り

波立ち

自分らの足もとを掻つさらつても

むすんだ魂は離れない

いまに見ろ

この日本の愛する人人が

私共の詩を愛せずに居られなくなる

よい暗示をあたへ

手をとるやうにしてゐるのだ

みんなで楽しみ

相抱擁し

それで初めてよい日本になりゐよう

おれだちを生んだ日本を

私は先づ讃へるのだ

そして根本から美しくなるのだ

吾吾詩人は餓死しさうで

餓死することがないのだ

飢えと寒さとは

いつもやつて来るけれど

吾吾は餓死しない

生きてゆくことの烈しさよ

おお 自分だちが詩をかくことは

生きてゆくことと同じだ

おお


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 かつて、二十代のOL時代のことですが、全国の詩人の詩集やアンソロジーを作っていた一時期がありました。


 詩人とは言っても、それを本業にしている人はほんのわずか。詩だけで生計を立てている人はいなくて、みなさん仕事を持って、そのかたわらで詩作を続けている人ばかりでした。


 この詩が語っているように「詩をかいてゐると 餓死しなければならない日本」は、今もそうなのです。


 書店の棚を眺めてみてください。小説はたくさん積まれていますが、詩集のコーナーなんて無いことが多いです、大型書店には少しはありますけれどね。


詩は売れないのです。


 ですから、この詩を読んでいて身につまされたというか、昔も今も変わらないのだなぁと思いました。


それでも、お金にならなくも、書かずにはおれないのが詩人なのですね。


 お金になるかならないかというよりは、「書きたいから書く」のが詩人であるように思います。小説家も同じかもしれません。


 室生犀星は小説を書くようになってから、一九三四年に詩と決別宣言をしたそうですが、詩作をやめることはなく、ずっと書き続けていました。


書かないことに決めても無理なのです。だって自然に詩を書いてしまうのですから。

(記:2016-08-29)

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