第6話夏・中原中也:思い切れない想い

中原中也の「夏」を読みました。

一九三四年発行の詩集『山羊の詩』の一篇です。

私が持っている抜粋詩集には入っていなかったのですが、夏の詩を探していて、下記サイトでみつけました

中原中也・全詩アーカイブ http://zenshi.chu.jp/mobile/


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       中原中也


血を吐くような ものうさ、たゆけさ

今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

ねむるがような悲しさに、み空をとおく

血を吐くような倦うさ、たゆけさ


空は燃え、畑はつづき

雲浮び、まぶしく光り

今日の日も陽はゆる、地は睡る

血を吐くようなせつなさに。


嵐のような心の歴史は

終焉おわってしまったもののように

そこからたぐれる一つのいとぐちもないもののように

燃ゆる日の彼方に睡る。


私は残る、亡骸なきがらとして――

血を吐くようなせつなさかなしさ。


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 「血を吐くような」という表現が、なにごとかと目にとまりました。


倦うさ、たゆけさ、そして、せつなさ、かなしさ と言う言葉に、「血を吐くような」という強い言葉が似合わないような気がするのですが、あえてそう表現しなくてはならない詩人の気持ちがあったのでしょう。


 詩の中には描かれてはいませんが、この詩を書いた心の奥には、長谷川泰子との別れがあったようです。


 中原中也は十七歳の時に、二十歳の女優、長谷川泰子と同棲していましたが、友人の小林秀雄との三角関係に陥り、やがて泰子は小林秀雄のもとへ行ってしまいます。


 そのようなことが背景になって「血を吐くような」という表現になったのでしょう。


 「嵐のような心の歴史は 終焉おわってしまったもののように そこからたぐれる一つのいとぐちもないもののように」と、詩人は終わってしまった過去のことだと、よくわかっているのですが、それでも尚、失ってしまった愛を思い切れない、「せつなさかなしさ」なのです。

(記:2016-07-11)

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