第2話 エルフと鉄の馬車と犬の好みは薄い味

 この世とは思えないような場所で子犬と出会い、その子犬の導きでこの世の物とは思えない味を体験したベル。その感動もひとしおに、茶色い美味しい板を食べた建物から彼女たちは離れ、街道と思しき立派な道を行き先も決めずに歩く。


 正確には、現在地すら分かっていないベルには行き先を決める事が出来ないのであった。

 

 人が居なくなって傷んだと思われる箇所が散見されるものの、その街道はベルが今までに見たどんな道よりも綺麗に整地され、また幅も広く作られていた。もし王都までの街道がこの様であったらどれほど旅が楽であったろうかとベルは思っていた。


「こんなに綺麗な街道があるのに……この石塔の森は滅んだ国の跡地なのかしら。人はおろか、テオ以外の動物も見かけないなんて……」


 ベルは未だに自分たち以外の生き物を小さな虫くらいしか見かけていなかった。


「お前の親はずっとここに住んでたの?」


「わぅ?」


「分かんないか。変な事聞いてごめんね、テオ」


 ベルの問いにテオは答えを持ち合わせていないようだった。



 ――石塔の森。


 かつて見た亡国の石塔ひしめく墓地の如く、灰色の石で出来た塔のように高い建物が建ち並び。自分たち以外の気配を感じない酷く寂しいこの場所をベルはそう名付けていた。


「森で育った身としては木や動物が居ないと落ち着かないわね」


「わんわん!」


 ベルの言葉にすかさず、テオは自分が居るぞ言わんばかりに吠えて彼女の周りを回る。


「ふふっ。そうね、今はテオが居るから大丈夫よ。ありがとね」


 この寂しい石塔の森で出会った、とても頼もしい相棒にベルは笑顔で応えた。




「それにしても――」


 何かこの地を示す手がかりは無いかと改めて周囲を見れば、そこかしこで馬車のような物が傾いて佇み、今は通る者の居ない街道を賑わせている。しかしそれらの中にはベルの知っている馬車の大きさをはるかに超え、人が住めそうだと思えるほどの物があった。


 少なくとも、森の管理の手伝いのために滞在させられた小屋よりも立派だとベルには思えた。


「こんな家みたいな物をどうやって引いてたのかしら。御者台もながえも無いし……」


 四頭立てでも果たして引けるのかと言うその大きな馬車には、何故か馬で引くための装備が見当たらない。甘味で空腹も紛れたためか、興味を惹かれたベルはその車体にそっと触れてみる。


「え? 嘘っ! これ鉄で出来てるじゃない!」


 家ほどもある大きさの馬車に触れてみたベルは、その感触が異様に硬い事に驚き、拳で数度叩くとそれが鉄で出来ている事に気付いた。


 彼女の知る馬車は木製であり、全体が鉄で出来ている馬車など聞いた事がなかった。辺りを見回せば大小様々なそれらが数え切れないほど存在する。


「こんな沢山の鉄、森に持って帰ればみんな一生やじりに困らなくて済むのに……」


 ベルの生まれ育った大森林に於いて、鉄は外部からの購入に頼るしかない超貴重品であり、鏃はその利用法の最たる物の一つだった。狩においては着弾時に砕ける特性から骨や石製の鏃が多く使われていたが、貴重で貫通力に優れた鉄製の鏃は一人前の戦士や狩人と認められた者へ、族長から贈られる勲章のような扱いだった。


「持って帰ろうにも、そもそもここが何処かすら分からないんじゃ、話にならないわ……そうよね、闇雲に歩き回っていても一体 何処に辿り着くやら――」


 下手をすれば何処にも辿り着けず野垂れ死ぬかもしれない。そんな考えにベルは寒気を覚えた。思わず天を仰いだ彼女の目に、雲にも届かんばかりの高さの建物が映る。


「そうだ! これだけ高い建物だもの、上まで登って見渡せば何か見えるかも知れないわね! 行くわよ、テオ!」


「わぅ!」


 沈みかけた気分から一転。ベルは良い事を思いついたと、すぐそばにあったその大きな建物へオトモを連れて意気揚々と入って行った。


 まるで丘の上に愛犬を連れてちょっとピクニックにでも行くような気軽さで――





 それから一人と一匹が階段を登る音だけが世界に響く。


「はぁ……はぁ……はぁ……ごめん……テオ……ちょっと休憩」


 汗だくになりながらも階段を登り続けたベルの膝が笑い出し、彼女は堪らず壁際にへたり込んだ。


 その壁には『48F』と書かれている。ベルには知る由も無い事ではあるが、それは王城の一番高い尖塔を優に超える高さにあった。


「窓も無いからどの辺りまで登って来たんだか分りゃしないわね……」


 ベルたちがここまで登ってくる間に窓は一つも無く、『○○F』と書かれた文字が見えるたびに扉があるだけだった。そして窓が無いにも拘わらず、階段は明かりで照らされ、照明魔法を使うまでも無かった。


「魔法の灯りよね? 誰が維持してるのかしら――って流石に喉が渇いたわ」


 自身の喉の渇きに気付いたベルはバッグから水袋を取り出して喉を潤す。


「んくんく……ぷはっ――はぁ、あと何段登れば頂上なのか……早まったかしらね……」


「くぅぅん……」


 疲れた様子のベルを見てテオは心配そうにすり寄り、彼女の膝にアゴを乗せて見上げる。


「ありがとう、テオ。心配しないで、すぐに元気になるから。お前も水飲みなさい」


「わぅ」


 健気に自分を心配するテオにベルは優しく水を飲ませた。


 彼女はそんな心配性の相棒の頭を撫でながら、暫くその場で休憩を取った。





 テオをゆっくり撫でながら休憩をしていたベルだったが、何処からともなく聞こえてくる微かな音に首を傾げた。


「ん? 何の音?」


 それは小さくキュルキュルと、目の前の子犬の方から聞こえて来ていた。


「もしかして、テオ? お腹すいちゃった?」


「くぅん」


 図星を突かれたのかテオは少し申し訳なさそうに上目遣いをしている。


「そんなに申し訳なさそうにしないの! 甘味のお礼よ、今度はアナタのご飯を探しましょう! これだけ大きな建物だもの、何かしらあるでしょ!」


「わう!」


 立ち上がった一人と一匹は階段の脇にあった扉からフロアへと出た。


「あの甘味を見つけた建物と似た作りね。分かりやすくて助かるわ」


 ベルは並ぶ扉に適当にアタリを付けて入って行く。鍵は掛かっていなかった。





 短い廊下を抜けて奥の部屋に入った瞬間、飛び込んできた景色にベルは心を奪われた。


「なにこれ――私、階段登りすぎて夕日の上まで来ちゃったの?」


 濃紺から紫そして燃えるような赤へと綺麗なグラデーションをした夕焼けを透かした雲は、さながら極上の絵画を納めた額のように、光芒を放つ太陽を飾っていた。


 そんな夕日がベルの目線より下で、今まさに沈もうとしている。


 窓も無く果ても分からぬ階段を登り続ける苦行を続ける間に後悔を覚えていた彼女であったが、そんな苦しみもこの光景を見るためだったと言われれば、悪く無いどころかお釣りが来ると彼女には思えた。


 太陽を見下ろす――そんなかつてない体験にベルは時間を忘れて夕日を見送った。気付けば辺りは暗くなりはじめ、頭上から濃紺の星空がその勢力を広げている。


「くぅぅん……」


 存在を忘れられていた子犬が媚びる様に鳴く。


「――はっ! ごめん、テオ! アナタのご飯を探さなきゃ――って暗っ!」


 階段は魔法の灯りで照らされていたと言うのに、日没を迎えた部屋へとベルが振り向くと室内は相応に暗くなっていた。


「部屋の灯りは魔力切れなの? 仕方ないわね。まぁ、こんな時こそ魔法の出番よね」


「――ラ・ルーミエ」


 静かに、そしてどこか得意げにベルが呪文を唱えると、拳大の光球が浮かび上がり、暗くなっていた部屋を優しく照らした。


「これで見えるわね。さ、探索再開よ!」


「わう!」


 改めてベルたちは食料を探してキッチンやパントリーと思われる個所を漁っていく。



「あの建物やここは宿屋だったのかしら? それとも兵士とか修道女の宿舎とか? どっちにしても嘘みたいな大きさよね」


 ベルは誰にともなくふと疑問を口にする。


 部屋毎にベッドがあるのは宿屋のようではあったが、客室にキッチンが備え付けられた宿屋などベルは見た事が無かった。


 宿舎なども近い様子ではあるが、やはりキッチンは共用であり、ベッドの数からして一人ないし二人という少人数に対し、このように広い部屋を設けた宿舎なども彼女はやはり聞いた事が無かった。


「そもそもコレ、キッチンなのかしら?」


 鍋の他にも木べらやお玉などの見慣れた調理器具に似た物が置かれたその場所はベルにはキッチンとして見えていたが、竈が見当たらない事が自分の知るそれと違い自信が持てずにいた。


「下の戸は薪をくべる所にも見えるけど――あら」


 果たしてそこは、ベルの予想とは違い普通の戸棚であった。しかし、そこに見慣れた物を見つける。


「わぁ、綺麗な刃物。ナイフ……と言うか包丁、よね?」


 戸棚の扉に納められた刃物を抜き出してみると、それは全体に波打つ細かい模様を持った綺麗な包丁だった。見た事も無い美しい刀身を持つ包丁にベルはすっかり魅入られてしまった。


「こんな造りの良い包丁なんて見た事無いわ……誰も居ないし……も、貰って行っても……良い……かしら?」


 ベルは誰にともなく呟いてキョロキョロと辺りを見回す。しかし当然のように周りにはテオしか居ない。


「ちょっと借りるだけ……返せって言われたら返すから!」


「わぅ?」


「か、代わりに私のナイフを置いていくから!」


 旅の途中で拾った使い古されたナイフを戸棚にしまいつつ、ベルは自分を見つめるテオにそう言い訳して、綺麗な包丁を自分のナイフシース――奇跡的に丁度いいサイズだった――にいそいそと収め腰に差した。その人目を憚るような様子はまるで泥棒である。


 ベルがほくほく顔で包丁を収め終えたその時。


「――! わん! わんわん!」


「わー! ごめんなさい!」


 テオが大きく吠え、何かに弾かれるように勢いよく戸棚に潜り込んだ。


 驚いたベルは両手で顔を隠して思わず謝ってしまった。


 しばしテオが戸棚を漁るゴソゴソとした音が響いた後、ベルはそっと指の隙間から辺りを見回し、ほっと一息つく。


「もう、テオったら……驚かさないでよ」




 やがて戸棚に潜りこんだテオが何かを鼻先で突きながら転がして来る。


「あら、テオ。何か食べ物見つけたの?」


 テオが戸棚から取り出して来たのはベルの手のひらより少し大きな銀色をした円筒状の鉄の塊のようだった。彼女がそれを手に取るとずっしりとした重みを感じ、やはり鉄の塊のようだと思った。


「何これ? 鉄の塊? テオ……アナタ鉄食べるの?」


「うぅ〜……わう!」


 違うと言いたげに唸るテオ。


「ここの物って絵とか文字が書いてある物が多いのに、これは何も書いてないのね。ん、何かベタつくわね」


 ベルの言葉通り、それは磨かれた鉄のように全面銀色をしており、ここに来てから見かけた物としては地味な部類であった。そして何故かベタつく所がいくつかある。


「端っこに小さく何か書いてあるけど、まぁ、私には意味不明よね」


 ベルは円筒状の鉄の塊をぐるぐると回しながら眺める。


「うーん。――あ、こっち側は取手みたいなのが付いてる」


「わうわう!!」


「え? これを使うの? でも指すら通る隙間が無いわよ?」


 テオは取手のような部分を引っ掻くように前足を動かした。


「ここに爪を掛ければ良いの?」


「わう!」


「まぁ、テオがそう言うならやってみるわ」


 しずく状の取手の広い部分に爪を掛け、それを起こすように力を籠めた。


「んんん~~」


 結構力が要るなとベルが思った途端、ふっと負荷が抜けた。




 ――カシュッ!


「きゃっ!」


 驚いたベルは思わず悲鳴を上げるが、テオは嬉しそうに彼女の周りを回っていた。


「わんわん!」


「ビックリしたぁ……もう。……ん? お肉みたいな匂いがする」


 口を開けた部分にベルが鼻を近づけると、そこからは確かに肉の様な匂いが感じられた。テオはその匂いに待ちきれないとばかりに、彼女の目の前でお座りをして千切れんほどに尻尾を振っている。


「わん!」


「なるほど、これがお前の好物なのね。ちょっと待ってなさい、食べやすくして上げるわね」


 ベルはフタが開いたようになった容器の口を広げ、手近にあった平皿に中身を盛った。


 その瞬間、テオは勢いよく食いつく。


「――がふがふがふ!」


「ふふっ。お前もお腹が空いてたのね。いっぱいお食べ」


 ベルは凄い勢いで食べ進めるテオの邪魔にならないように気をつけながら、これまた手近にあったスプーンを使って容器の残りも皿に出して行く。


「そんなに慌てて食べないの…………ねぇ、そんなに美味しいの?」


 脇目も振らず食べるテオの様子に、ベルは容器の中身の味に興味が湧いた。


「…………ちょっとくらい分けて貰っても良いわよね? 甘味の時はアナタが要らないって言ったんだものね?」


 子犬相手に自己弁護を終えたベルはスプーンでひと掬いすると、おもむろに口へと運んだ。


「あむ。……ぅ……ん……まぁ…………うん」


 一口食べたベルの口内に広がったのは、テオの食べっぷりから想像した物とはかけ離れた味だった。


 それは薄っすらと肉の味がするものの非常に薄味であり、その割に肉と何かを混ぜたような強い匂いが鼻腔を刺激し、味覚と嗅覚の祖語に頭が混乱する。


 更にそのねっとりとした粘土を噛んでいるような独特な食感のせいで、今自分は食べ物を食べているのだと念じないと飲み込む事が困難なほどである。


 お世辞にも美味しいと言える物では無かった事実に、先の甘味で味わった感動を期待してしまったベルは露骨にがっかりする。



「わぅ? わんわん!」


 そんなベルをよそに、お皿を舐め尽くしたテオが早く残りを寄越せと吠える。


「はいはい、もうアナタの分は取らないわよ。テオは薄味が好きなのね、覚えておくわ」


「わう!」


 ベルは容器の残りを余さずテオの前のお皿に出した。


「ここの食べ物にも当たり外れがあるのね。まぁ、それもそうか……」


 見つけた食べ物全部が美味しいなんて事がハズがそもそもある訳ないのだと、ベルは思い直した。旅の途中、立ち寄った町で食べた物ですら口に合わない物はそれなりにあった。


 しかしこの不思議な場所なら、まだ自分の知らない美味しい物があるのでは、と言う淡い期待もまた彼女の中には存在した。


「コレの取り出し方は分かったから、また見つけたらアナタに上げるわね」


「わぅん!」


 子犬はお礼を言う様に一つ吠えた。


「それにしても、こんな容器にまで鉄を使えるなんて……ここは一体どんな国だったのかしら――?」


 この国に人が満ち繁栄を極めていたであろう頃は最早ベルには想像すら及ばない。彼女は空っぽになった鉄の容器を眺め、その時代にこの国を訪れてみたかったと思いを馳せるのだった。


 その視線の先では、故郷の大森林で見る星空に引けを取らない夜空が広がりだしていた。

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