第2話 探偵気分
僕は現代文の授業中にも関わらず、山本先生から教わった指導を思い返していた。
「塚原の場合は、もう少し中段を上げると、出だしが早くなるはずだ。意識しながら練習しなさい」
僕の中段構えは、少々下がっていた様だった。
山本先生の指導で中段構えをほんの少し上げただけで、振りの出だしが早くなった気がした。
その感覚を何度も脳内でイメージする。
劇的とまではいかないが、ちょっとした癖を見抜く山本先生は凄いと思った。
通っている道場の細川先生と比べるのは良くないのだが、正直にそう思ってしまった。
決して細川先生を
僕の心の師匠はいつだって、細川先生ひとりだ。
しかしここまで初動が変わるのは、今まで味わったことがない。
それが身体で感じ取れた。
やはり県警で活躍していた程の事はある。
だが、目先を窓側に向けると、嫌でも安居院の姿が入ってくる。
彼は謹慎中だ。
しかも初日から。
佐々木部長に対しての、あの舐めた態度。
とてもじゃないが、剣道をやっている奴とは思えない。
信じたくはないが、細川先生の言う通り、
あの立ち合いで、まるで崩れ落ちるかの様に佐々木部長は竹刀を落とし、そのまま膝をついてしまった。
あれは一体何があの場で起きたのだ?
面打ちか、小手打ちか。
どちらかに何らかの影響があったと思う。
分からない。
どう思考を巡らせてみても、僕には想像がつかない。
山本先生は、安居院に一か月の謹慎処分を下したが、その後の佐々木部長の様子もおかしかった。
暫く立ち上がる事が出来なかったのだ。
これにはさすがの山本先生も、狼狽し保健室へ運ぶことを他の部員たちに促した。
面を外した時の、佐々木部長の姿が今も目に焼き付いている。
目の焦点が合っていない。
軽い脳震盪、もしくは柔道で言うところの『落とす』なのか。
僕が見た限り、面打ちはさほどの破壊力でもなかったし、小手打ちだってまるで剣先が触れた程度にしか見えなかった。
たまに面を打たれて、目を回す話を聞いた事はあったが、それは小学生剣道の話だ。高校生剣道で聞いたことがない。
安居院が何をやったのか。
僕は気になって仕方がないのだが……。
いや、違う。
細川先生が言われたあの言葉。
『剣術』
これを僕自身が認めたくないだけなのでは?
剣術を用いた剣道、そして安居院の粗暴な態度に人格否定に近い言動。
この全てを僕は許せないだけなのだ。
剣道を
しかし、圧倒的な強さを見せつけられた。
僕の目の前で。
認めざるを得ない。
だが、認める訳にはいかない。
安居院の強さ
だから安居院という男を、気にしてしまうのだ。
だったらどうする?
僕は全国中学校剣道大会二位だ。
決して過信している訳ではないが、自分なりに実力があると思っている。
この内から湧き上がる思いは、全て安居院に注がれている。
そう、これは怒りだ。
僕の思い描いている剣道を、
それが安居院貴久。
「えーっと、次のページの二行目から、塚原に読んでもらうか。塚原」
だとすれば、安居院にどう接触すればいいのか。
「塚原」
部活動謹慎中の安居院にどう接近すれば……。
「塚原! 聞いてんのか?」
僕は我に返る。
どうやら考え過ぎて、教師の声も耳に届かなかったみたいだった。
「あっ、すみません! えーっと…」
「三十八ページの二行目からだ」
周りのクラスメイトから、クスクスと笑いが起きる。
安居院もこちらを見ている。
さっきまで深刻に物事の考えを巡らせていた僕は、何だか急に恥ずかしくなってしまった。
現代文の授業が終わった。
「ぼうっとしてるんじゃないぞ」
教師に呼び出され注意をされた。
僕は恥をかいた。
これも全て安居院の存在が、疎ましくて起きた事。
逆恨みなど僕の
僕の頭の中では安居院の事でいっぱいだ。
まるで奴に洗脳されている気分だ。
こんな事、認めたくない。
だったら
部活動謹慎中の安居院は、剣道部に暫く顔は出せない。
ならば僕が奴の
奴は一般受験で、この学校に入学してきた事までは知っている。
だがそれ以外は謎だらけだ。
剣道部に所属しておきながら、何故剣道を冒涜するのか。
その真意が知りたかった。
我ながら、不毛な考えだと思っている。
それでも僕の心をかき乱す安居院の行動が、気になって仕方がない。
だったら何が目的で、何を企んでいるのかが知りたい。
その日を境に、僕は安居院の行動を目で追い、安居院の秘密を知るために目を離さなくなった。
学校生活でも何かを掴めるかもしれない。
僕の理想を、剣道を侮辱する安居院を、許せない為の行動だった。
もう少し他の方法があったのでは?
と思ってしまうが、同じ剣道部員の中山にも手伝ってもらう事にした。
違うクラスではあるけれど、視覚に入ったら目で追うだけでもいいし、出来る事なら尾行してもらいたいと頼んだ。
中山は最初こそは気乗りしなかったが、徐々にその気になっていた。
気が付けば中山も僕と同じ様に、安居院を尾行する様になった。
「まるで探偵気分だな」
中山は楽しんでいる様だった。
※※※※※
「さてさて、情報交換でもしますか」
僕と中山は昼休みに、屋上で一週間で知り得た情報を僕と共有する様になった。
中山の情報では、県外から一般受験で入学してきて、現在入寮しているという。
寮での暮らしは二人一部屋だという。
お互いに情報交換したのだが、二人一部屋については、全く知らなかった。
さらに中山個人が疑っている生徒が浮上してきた。
中山はいつも食堂で昼食を済ませている様なのだが、この食堂で毎回安居院と同席している生徒がいるという。
高身長で外見も整っており食堂で通りすがる女子生徒たちと、仲良くしている姿を見ているという。
そういえば、高身長で思い出した。
剣道部の女子たちが、バスケ部の部員で高身長、外見がイケメン、と騒いでいた。
時折女子部員たちが、体育館の方に向かってから、道場に向かってくる様子を僕は見た事がある。
寮が二人一部屋、食堂で安居院と常にいる高身長のイケメンで、バスケ部の部員。
間違いない、安居院のルームメイトだ。
部活動謹慎中は、道場に入る事は許されない。
それを逆手に女子部員たちをターゲットに、ルームメイトを使って、剣道部の様子を探っているに違いない。
だとしたら安居院は剣術に長けているだけではなく、人海戦術も上手い、相当の切れ者だ。
まだ半月も経っていないというのに。
そう考えると、なんて恐ろしい男だ。
だとすると……僕たちの挙動も、安居院に勘付かれている?
僕は中山に、これ以上の安居院への
「えーっ、こんな面白い事、中々出来ないっていうのに」
申し訳ないとも思うがこれ以上、中山を巻き込むわけにはいかない。
中山を誘った僕がいけない事は、
だがこれで、中山が安居院に目を付けられてしまったら、それは僕の責任だ。それだけはどうしても避けなければいけない。
中山は少しふて腐れていたが、とりあえず、
「何か
と、これでカタがついた。
「しかしさぁ、安居院とそのイケメンバスケ部員。やたらと仲良いのは、間違いないんだよな。意外だと思わねぇか?」
確かに言われてみればそうだ。
僕と中山の勝手な先入観では、安居院は例えていうなら『孤高』というイメージ。
「安居院が笑ってる表情、初めて見たぜ。あいつ、笑うんだな」
中山の何気ない一言に、僕は非常に驚いてしまった。
笑う、だと?
「な、なぁ」
「何だよ?」
「本当に笑ったのか?」
「あぁ、道場で見せたあの不気味な笑みじゃなくて、普通の笑顔だ。何気ない会話で見せる笑顔ってやつだ。食堂で見かけた時に、普通に笑顔を見せてたぜ?」
僕は安居院に、驚かされてばかりいる。
奴に
あるとするなら、悪意だけ。
剣道を冒涜する悪意。
それのみだと思っていた。
やはり僕は、安居院に振り回されてばかりいる。
冷静に考えてみれば、奴だって血の通った人間だ。
ロボットでも何でもない。
改めて自分の『先入観』というものが、恐ろしく思えた。
これが僕の、心の弱さだ。
考え方ひとつで、
だから僕は全中で二位という成績で終わったのだ。
「おーい、どしたー? 聞いてんのかー?」
中山の声で、思考の海から這い上がる。
「とりあえず俺はもう、安居院の行動を尾行も、詮索もしなくていいって事だよな?」
「あ、あぁ。しなくていいよ。悪かったな、中山。今度、何か驕るよ」
「んじゃ、一週間、部活後にジュース一本でどうだ?」
「一週間! 一週間ってのは長くないか?」
「塚原の懐事情なんて知らんがな。誘ってきて、暫くしてもういいって断ってきたのはお前だろう?」
「しょうがないか、確かにその通りだし」
「よし。これで、商談成立だな」
中山は悪戯っぽく笑い、屋上を後にした。
ここから先は、僕が安居院と接触して、奴の企みを直接聞き出すしかない。
今日は運良く、部活が休みだ。
だったら
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