デイジー

倉木水想

デイジー




【デイジーがログインしました】

【デイジー:こんにちは。少し遅れました。】

【デイジーベル:こんにちは、大丈夫ですよ。では討伐に行きましょうか】

【デイジー:その前にログボ貰っていいですか。この前の討伐ぶりなので。】

【デイジーベル:もちろんです、私生活忙しかった感じですか?】




画面の中で女のキャラクターが長老に話しかけている。

隣で長剣を携えた男のキャラクターは頷くように顔を動かしていた。

しまった、と神山照馬はチャットを消した。

私生活を聞くつもりなどなかったが、社交辞令のような流れで書いてしまった。

女のキャラクターがこちらを向き、弓矢を出した。準備ができた合図だ。

神山はマウスをクリックし、画面を切り替えた。

画面から爆音がする。モンスターが翼を広げて威嚇している。デイジーがジャンプしながら弓を撃ちまくっていた。



神山がデイジーと出会ったのは半年前。

偶然マッチしただけだった。いつもなら1戦終わると別れるが、同じ名前だったから気になった。

デイジーはオンラインゲーム初めたばかりの初心者だった。

いつしか、教えながら進むことが当たり前になっていた。

神山は学生時代からソロプレイヤーだったから、誰かとゲームをすることが新鮮だった。

今日も約束の時間に集合した2人はモンスターの討伐に勤しむ。

電気を消した部屋で、四角い光をじっと見つめる。上はTシャツを着ているが下はパンツだけだ。椅子に胡坐をかく姿は、後輩が見たら幻滅するだろう。

だが、神山は今の自分に気づかない。すっかり画面の中のキャラクターに自分を重ねていた。



今日もまた2人で落ち合う。

【デイジーベル:出発前にアイテム購入します?】

デイジーは立ち止まるが、チャットの反応はない。

どうしたのだろか。なにかトラブルでもあったのか、もう1度、チャットをしようか迷っている時だった。


【デイジー:会ってみませんか?】


「は?」

思わず声が漏れた。

今までお互いの個人情報を話したことがないのだ。なんとなく、触れてはいけない気がしていた。

【デイジーベル:いきなりどうしました?】

【デイジー:周りにゲーム友達がいなくて寂しくて】

ネットで出会った人と実際会うのはどうか、と注意しようとキーボードに手を置いたその時、

【デイジー:やっぱり忘れてください、ごめんなさい】

【デイジー:メッセージを消去しました】

会ってみませんか、のくだりから全部消された。

「なんだよ……」

缶コーヒーに手を伸ばし、飲もうとしてやめる。

期待していたのだ、本当は。グシャ、と缶の潰れる音がする。

【デイジーベル:ゲームの祭典が明後日あります。もし良ければ一緒に行きませんか】



「デイジーベルさんですか?」

目の前の女性は肩上の髪を耳にかけ、伺うようにこちらを覗き込んできた。

黒い髪に赤いリップ。強そうな見た目に反してふわふわな声色をしている。

「はい」

なんとか声を出すと、女性は安心したように微笑んだ。

「初めまして、デイジーです」

会場へ向かう道中、簡単に自己紹介をした。

「私、デイジーの花が好きなので。デイジーベルさんも花から?」

「いえ、歌からです。音声合成で妙な魅力があるんですよ」

スマホから流してみせたが、デイジーはピンとこないらしい。

すごいですね、とあからさまなお世辞をもらう。

会場内は人で溢れていた。

ゲームが好きな同志がこんなにいるのか、と感動する反面、俺は1人で来ようとしていたのか、と絶望もする。こんなに人がいるのに、どうして繋がれないのか。

「デイジーベルさん、腕を借りてもいいですか」

デイジーが服の裾を引っ張る。彼女の方を見ると鞄を前に抱いている。

「人混みに流されそうになってしまいました」

そうだ、彼女はゲーム初心者で女性だ。初めての空間に戸惑っても仕方がない。それに人混みが苦手そうだ。

見たかった最新のゲーム機は断念して駅前のカフェに向かった。席に着き、ドリンクを注文したところでデイジーは息を吐いた。

そして、パンフレットを広げながら今日見たものを話していく。

デイジーは本当に無知だった。ゲーム用語を知らないなりに身振り手振りで話してくれる。

「デイジーさん、無理していない?大丈夫だよ、失礼じゃないから本音を言って?」

「私無理してなんかっ……」

店員がドリンクを持ったまま固まっている。デイジーはすぐに笑顔を浮かべてドリンクを受けとった。2つのアイスコーヒーが並ぶ。

「私、無理してないです」

アイスコーヒーをストローでゆっくりと飲み始める。落ち着こうとしているのがわかりやすい。赤いリップがストローに移り、色素の薄い唇が現れた。

そこで、神山はずっと口元を見ていたことに気づき急いで視線を下げた。



デイジー。

物語のような出会いをした君に、恋をしたわけじゃない。

でもこのまま結婚するのもありかな、と思っていた。俺ならゲームばかりしないし、年に1度のイベントに付き合ってくれるだけでいい。デイジーを鉢に植えて、ベランダで育てるのも楽しそう。俺の住んでいる環境は排気ガスだらけだから、いっそ田舎で暮らしてもいい。



だから、デイジー。

殺すつもりはなかったんだ。



2回目に会ったのは、見知らぬアパートの屋上だった。

入っていいのか躊躇したが彼女は慣れた様子でエレベーターのボタンを押す。

デイジーは大学生だった。4年生で、ほとんどの単位が取れたので家庭教師のアルバイトを始めたらしい。

屋上へ続く扉に注意書きがあるが、外で響く花火の音に釣られて読もうとしなかった。

扉を開けた途端、視界一杯に花火が広がる。3階建のアパートだが、周囲に高い建物がないので花火は壮観だった。

「毎年花火大会の花火が見えるって教え子が言っていたの」

デイジーは興奮しているのか大声で話す。

「確かにすごいな、特等席だ……。教え子は見なくていいのかな」

「自分の部屋から見ていると思うよ」

横にいる彼女は、花火に夢中で幼く見える。今日はアルバイト帰りということで襟付きのシャツにタイトなスカート、ビジネスバッグを肩から下げているというのに。

「デイジーベルさんって夏休みあります?」

「一応あるけど今は繁忙期だから、秋に数日取れるかな」

「それはもう秋休みですね」

お互いの名前はまだハンドルネームで呼び合っている。本名を聞いた時、またはぐらかされたからだ。俺たちはネットで出会ったことを忘れてはいけない。まだ本名を名乗りあえる間柄ではないと言い聞かす。

ゲームの話はしなくなった。あれから連絡をしたのは花火大会の約束のときだけだった。

最近は仕事が忙しくてゲームにログインできていない。

花火は音とずれて咲き、散ってはまた咲いていく。火薬の匂いがここまでしてきそうだ。

「デイジーさんは内定取れたの?」

「え、就職しませんよ」

彼女の横顔を見つめると、デイジーの瞳は花火でキラキラと輝いていた。

「どうせ就職しても結婚して出産して、子育てが始まったら働けないでしょう?私、お嫁さんが将来の夢なので」

「デイジーさんは結婚願望があるんだね」

「ええ、ありますよ。デイジーベルさんはどうですか?」

俺?

いや、いつかはすると思っていたけどまだイメージがつかない。

「貯金ができて安定したらかな。むしろ30代でもいいし」

「そうですか……。ねえデイジーベルさん」

肩に手を置かれた。細くて小さい手なのに迫力がある。

「ごめんっ……」

軽く振り払ったつもりだった。彼女の細腕は半円を描き、そのまま柵の外へ放り出される。

あっ、と小さな悲鳴と共に彼女の身体は外側へ傾いた。

一瞬の出来事だった。

柵の倒れる音がして、コ、ココツ、とピンヒールの不安定な音がして。

そして彼女は視界から消えた。叫び声もない。いや、叫んでいたかもしれないが花火の音でかき消されてしまったかもしれない。

落ちた。ひしゃげた柵が揺れているところを凝視していたが、我にかえると一目散にエレベーターへ向かった。

手汗だらけの両手を擦り合わせ、彼女への言い訳を考える。

怒る?泣く?責任をとって結婚する?結婚してもいいかもしれない。

そうこう考えているうちにエレベーターは1階に着いた。

マンションを出て、花火を見ていた方角へ向かう。

大丈夫、3階だ。と安心していた。



デイジーはアパートの駐車場で倒れていた。

急いで近づいて絶句する。デイジーの腰から下、両足が曲がるはずのない方向へ曲がっている。しかも頭部から流れた黒い液体―……血がアスファルトに広がっていく。彼女の顔色は白く、食いしばっている表情が苦しそうだ。

スマホを取り出し、119を押そうとした時だった。

「もう死んでいるよ」

チュイーン、ドドドド、と陽気な音と共に少女がいた。アパートの裏口に座り込み、スマホゲームで遊んでいる。

「じゃあ警察……」

「事故か他殺か分からないのに?お兄さんが落としたの?」

「勝手に彼女が落ちて……」

「お兄さんって平沢先生と付き合っているの?」

子どもが顔をあげた。化粧っ気のない顔だが、小動物のような可愛らしさがある。

「平沢先生って誰?」

「その人。平沢栄華っていうよ。私の家庭教師だけど、お兄さん名前も知らない人と遊んでいたのか」

子どもは人差し指を死体に向けた。平沢栄華がデイジーの本名らしい。

「目の前に落ちてきたときは驚いちゃった。正確には私が裏口から出たときに目の前に落ちてきただけだけど。ぶつかんなくて良かったわ、これで私が死んだらやばかったよ。で、よく見ると知っている顔じゃん?どうしようかなって思っていたところ」

「君は救急車か警察を呼ぼうと思わなかったわけ」

少女は手元のスマホをこちらに向ける。

「平沢先生にスマホを没収されていたの。親でもないのに勉強勉強うるさくて。あんただって学生のくせにね」

悪態をつきながら立ち上がる。身長が思ったより高い。中学生ではなく高校生かもしれない。

「私、瀬尾累。田んぼに糸で、累。高校2年生の17歳。お兄さんは?」

「俺は神山照馬……」

「そ、神山さんね。神山さんって先生とどんな関係なの?」

「ネットで出会って、いや出会い系じゃないけど。今日で会うのは2回目で名前さえ知らなかった」

瀬尾は平沢栄華のそばにしゃがみ込む。彼女の肩にあるのは見覚えのあるバッグ。平沢のビジネスバッグだ。いつの間に持っていたのだろう。

瀬尾は彼女のポケットを漁るとスマホを取り出す。

「連絡で思い出した、ありがとう。コイツは処分しなきゃね」

「待て、そんなことをすれば殺されたと疑われるだろ」

なんなんだこいつは。

神山は自分のスマホを取り出したが、瀬尾が素早く腕を掴む。

「いいのよ、殺したからね」



強く掴まれていたわけじゃないのに腕に力が入らず、スマホは重力に沿って下へ落ちる。

「は……」

「平沢先生はまだ息があったのよ。足から落ちたから腰から下、複雑骨折だけだったかもね。このアパートの高さじゃ頭から落ちないと即死しないでしょうに。だからこいつで」

カバンの中からノートパソコンと取り出す。角に赤い液体がこびりついていた。血だ。

「こいつで殴ったのよ。足が折れていて良かったわ。もし花壇に落ちていたら動けていたかもしれないからね」

さっきから何を言っているんだこいつは。

普通、人間が突然落ちてきたらまず動揺するものではないのか。

口を開いたその時、駐車場に車が入ってきた。ライトが神山と瀬尾を照らす。車はスピードを落とすとゆっくり近づいてきた。そしてクラクションが鳴らされる。

まずい。

今の状況は非常にまずい。

運転手の影が左右に動いたと思ったら窓から顔を出してきた。

「すいません、どいてもらえます?」

運転手は平沢栄華の死体に釘付けになった。遠くから見ても足の方向がおかしいから、寝てしまったなんて言い訳はできない。

「お前も殴り殺すぞっ」

瀬尾の叫び声が響いた。叫びはそのまま笑い声になる。

運転手は固まってしまった。その隙に瀬尾は神山の腕を引っ張ると走り出す。

アパートの表へ回り、住宅街に紛れると思ったら駅方面へ向かう。

「このまま電車に乗って逃げようかな。お兄さんは駅員さんに保護してもらいなよ。殺人犯に脅されましたーって言って」

瀬尾は神山を引きずるようにしていたが、体格差に負けて走れず競歩のようになる。

「どういうことだよ、なんで君があの人を殺すんだよ」

腕を振り払う前に、瀬尾が手を離した。

「あの女は私の世界を奪ったからだよ。それに大学に行かないって言っているのに両親が入れ知恵されて受験する雰囲気になっちゃった。もう最悪」

「そんなことない、例えすぐに結婚することになっても大学に行って損はない。」

「じゃあその先も楽しいの?」

返答が言い淀む。その先って社会人のことか?

瀬尾は無言を肯定と受け取ったのか、苦笑いを浮かべまた走り出した。

舌打ちをして、小さい背中を追う。

「電車に乗ってもすぐに捕まるだろうが」

「いいよ捕まっても。未成年だもん」

瀬尾の頭が大きく揺れ、急にしゃがみこんだ。

「おいっ」

「いつもの立ちくらみだから大丈夫。水分とったはずだけどな」

スカートのウエスト部分をいじり、深呼吸を数回した後立ち上がった。

「無理するな、戻ったほうがいい」

「うるさいバーカ」

言い争っているうちに駅に着いてしまった。

もういい。ここまできたら、もう。

神山は瀬尾の首根っこを掴むと駐車場へ向かった。

「俺の車が置いてある。電車よりこっちの方がいいだろ」

鍵についているボタンを押すと、暗闇の中で赤いロードスターのライトが光った。



助手席に座った瀬尾は車の中を見渡した後シートベルトをした。

「このまま警察署か交番にいくぞ」

「嫌。海がいい、海見たい」

「はあ?」

鼻をすする音がして黙ってしまった。そうだ、まだこいつは未成年。人を殺したと笑っていたがサイコパスでもない限り、虚勢だったのだろう。仕方なく目的地を海にする。ここから1番近いのは湘南だった。

「海辺で朝日が見たいから、日の出の頃に着くようにして」

こいつ……。

今の時刻は21時。日の出までかなりの時間がある。とりあえず湘南付近まで行くことにした。

駅を通り過ぎた頃、救急車とすれ違う。さっきの運転手が呼んだかもしれない。

デイジー、もとい平沢栄華と俺の接点はゲームしかない。使っているパソコンの機種とアカウントが照合されたらおわりだ。あとは複数回連絡をしたが、こちらはドタキャンしたことにすればいい。

頭の中でアリバイをつくっていく内に湘南に着いた。近くのパーキングエリアに入り、奥の端に落ち着いた。首を流れる汗に気づき、冷房を入れていないことに気づく。

「悪い、暑かったな」

エアコンが作動するのを瀬尾はじっと見ていた。

「お兄さんって動揺しないの?」

「十分している、というかこっちのセリフだよ。そんな動機で人を殺すなんて聞いたことがない」

「理解されたくてやった訳じゃないから、理解しなくていいよ。お兄さんって平沢先生に惚れていたの?」

車内にエアコンの風が流れる。角度を調整してやると瀬尾の前髪が浮いた。

「どうだかな。恋人ではないけど結婚してもいい人だった」

「なにそれ」

瀬尾はスマホでゲームを始めたが、通知音が止まらない。結局スマホの電源を切り、バッグからパソコンを取り出した。

「朝までゲームしようよ、パソコン持っているなら」

「ああ、あるけど」

パソコンなら後ろに積んであるはずだ。



運転席と助手席で並びながらパソコンを開く。

「仕事用だからゲーム入っていないや、そう言えば」

「先に言ってよ」

「このゲームなら取り込めればできる」

海外風のポップなゲームの画面を見せる。

「これってパソコンの授業の時にやったやつじゃん。子どもっぽいから嫌」

「子どもだろ、これで十分」

神山はキーボードに指を滑らし、ログイン画面を表示する。瀬尾は渋々同じゲームを開いた。



暗い車内で2つの画面が光っている。キーボードを叩く音が2重になり、他はエアコンの音しかしない。

沼っていたステージをクリアし、神山は瀬尾を盗み見た。

少女はこちらに気づかず画面をまっすぐ見ている。キーボードの上の指が、迷いながら文字を打っていく。

『もう1度遊びましょう』

画面の中で、キャラクターが笑顔で話しかけてきた。

「違う、次のステージに行きたいだけ。メッセージがこれしか選べなかったの」

「わかっているよ」

次のステージに入ると妙に安心する。会話しなくて済むからかもしれない。

「そういえばデイジーと話したことなかったな」

「え?」

彼女の視線を感じたが構わず続ける。

「オンラインってボイスを繋げることができて、むしろ繋げたほうがコミュニケーション取りやすいけどデイジーはボイスを嫌がったな」

あんなに可愛い声をしているのに勿体無いと思う。

「お兄さんと平沢先生ってどんなことをしていたの?」

「言い方が嫌だな」

「教えてよ」

瀬尾がエンターキーを強く叩いた。

「どうってことないよ、半年ぐらい前から一緒にゲームをやり始めただけ。それでこの前のゲームイベントに一緒に行った」

「幕張の?私も行きたかったやつだ」

「今日会ったのは2回目、花火が見られるところがあるってお誘いしてくれた」

「うちの屋上だけど」

画面から花火のような音がする。ステージクリアだ。指が止まり、デイジーを思い出す。

「本当はデイジーの花でも渡そうか考えた。でも2回しか会っていないのにどうかなって思ってやめた」

「デイジーの花?」

「彼女の好きな花らしい。ハンドルネームはそこからつけたって」

瀬尾は失笑した。

「笑うなよ」

「お兄さんのハンドルネームは?」

「デイジーベルだ。曲名だ」

ハンドルのボタンを押して曲をつける。男の声と無機質な音が流れ出した。

「聞いたことあるよ、気になって調べたらこの曲が出てきた。」

「聞いたことがある人に初めて会ったわ。なんか感動する」

瀬尾は黙った。窓の外を見ているが、反射している顔は眠そうだった。

「寝ていいよ、夜明け前に起こすから」

「じゃあそうしようかな。ゲームもできて満足したし」

背もたれを倒すと寝転がる。パソコンは膝に置いたままだ。足元がもぞもぞ動いていると思ったら靴を脱いでいた。

神山は2つのパソコンと閉じ、同じように座席を倒した。

俺は殺していない、俺は殺していないとずっと思っていたが、本当は助けられた。

彼女が前のめりになった時、引っ張れる時間があった。でも恐ろしくなってしまった。

脳裏に一瞬、結婚の2文字が過ぎり、そのまま傍観して見殺しにしたのだ。



目を開いたことで寝ていたことに気づいた。横を見るとすでに背もたれが戻っていた。

瀬尾がパソコンを開いてなにかを打っている。

「ごめん寝ていた、今何時?」

「んー」

前方を指差す。車のテレビをついていて朝のニュースが流れていた。

平沢栄華は身元不明の死体になっていた。身分を証明するものは持っていないしアパートの住民でもいない。しかし、アパートに住む女子高生の行方不明が関連しているかもとアナウンサーが続ける。

「あはは、私が被害者になっていて笑える」

「いいよ」

「え?」

座席を戻し、顎を掻くと髭がうっすら生えていた。2、3日前に剃ったままだった。

「俺があんたを誘拐したことにしていいよ。本当は助けることができた、でも見殺しにした。だからあんたが殴った時、彼女は既に死んでいたのかもしれない」

「いや呻き声を上げていたね。私が確実にとどめを刺した。これは紛れもない事実だから」

こいつ……。

瀬尾累を見ると大きな茶色い目が潤んでいる。

「いいよ、もう。どうせ同じ毎日の繰り返しだから。昨夜の答えを言ってやろうか。大学を卒業したら無だ。金の為に同じ作業を繰り返す。肝心の金は食いつなぐ分しか貰えない。この車だって中古を知り合いから譲り受けただけだ」

ささったままの鍵を最後まで回し、ハンドルを切った。



湘南の海沿いに出たのでスピードを落とす。

「ちょうど日が出てきたよ。すごい、初日の出みたい」

瀬尾が神山越しに海を眺める。

太陽が海から出てきたところだった。海面に映る光がだんだん伸びていく。瀬尾はパソコンを胸に抱きしめながら窓を開けた。潮風がエアコンの風と混ざる。

「私、今が1番楽しいかもしれない」

そう言うと外に向かって叫びだした。

「ばかやろーっ、人生楽しくないんだよーっ」

「言っていることがめちゃくちゃだぞ」

「毎日同じことを繰り返して、全部将来の為だあ?その将来もどうしようもないことの繰り返しだろうがーっ」

後半は俺の感想だろうが、と呟く。

神山は自分の口角が上がっていることに気づかない。

遠くでサイレンの音がする。自分達は確かに目的地に向かっているはずなのに先に捕まるかもしれない。

もう2度と見られないかもしれない海を目に焼きつけながら、片手でボタンを押した。音量を今まで1番大きくする。流れるデイジーベルに、口ずさむにいられなかった。



【デイジーがログインしました】

【デイジー:デイジーベルさん、お久しぶりです。】

【デイジー:家庭教師にパソコンを没収されていました。】

【デイジー:私の名前は花じゃないよ。】

【デイジー:立ちくらみが激しいからディジーだよ。】

【デイジー:ゲーム始めた頃はディが打てなかったの。】

【デイジー:本当はボイスを繋げたかったの。でも隠れてゲームしていたから。】

【デイジー:だからデイジーベルの声が聞けて良かった。】

【デイジー:一緒にゲームができて楽しかった。】

【デイジー:ここは私の世界のすべてでした。】

【デイジー:ありがとう。】

【デイジーがログアウトしました】



                            








      


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デイジー 倉木水想 @kuraki_suisou

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