金づる氏の話
――九六九年 実季一節
今日は彼女――『怪盗カトレア』が、妙に不機嫌だった。
ただ、持ち込まれた『ヤドリギ』向けの食事は豪華だったから、とりあえず『ヤドリギ』は今までの経験上の彼女の「気まぐれ」から分析をする。
「まず、あなたは先日の仕事の失敗を未だに引きずっている」
いささか『はらわた』には不釣合いな盛装で、けれど多分『ヤドリギ』以外には見つからないまま上手いこと『はらわた』にもぐりこんだのだろう彼女はそっぽを向いて動かない。だから『ヤドリギ』も彼女が無言で手渡してきた具だくさんのサンドウィッチを一口、地下では味わえない新鮮な野菜や肉の味と食感をよく確かめて、飲み込んでから、次の言葉を勝手に紡ぐ。
「けれど、その一方で、俺に報酬とは無関係な差し入れを持ってくる程度には、あなたの懐は潤っている。つまり、憂さ晴らしとまでに件の『金づる』氏を引っ掛けて遊んでみたが、それでも憂さは晴れなかったと見える」
「やたら冷静に分析するのやめてくれる?」
「珍しくあなたが大人しいから、俺が喋るしかないだろう。あなたと一緒にいるのに沈黙が長いのは、俺としても居心地がいいものじゃないからな」
否定されなかったところをみると、さして『ヤドリギ』の推測も的外れではなかったとみえる。彼女は整った顔の中で特徴的な部分といえるぽってりとした唇を尖らせて、やっと『ヤドリギ』に顔を向ける。
「何、あんた、もしかしてアタシがずっと喋ってるものだと思ってる?」
「八割方はそう思っているが、認識に相違があるだろうか?」
彼女はむっとしながらもそれ以上は何も言わなかったから、自分がよく喋っていること自体には自覚的なのだろう。
「それにしても、かの『金づる』氏は懲りずにあなたに引っかかっているのだな……」
『ヤドリギ』の言う『金づる』とは特定の一人の人物を指す。彼女の話題に度々登場する、彼女の「仕事」とは無関係に、彼女に惚れ込んで言われるがままに貢ぎに貢いだ挙句に捨てられる、という一連のパターンを繰り返す、名前も知らない男性のことである。
「懲りるって能力が無いからね。何せ三日くらいで忘れちゃうんだから」
そう、それが彼女曰くの『金づる』氏の不可思議な特徴だった。どうも、彼は三日程度で彼女の存在――というより、それ以前に起こった出来事を全て忘れてしまうのだそうだ。変装と演技を得意とする彼女が「演技に見えない」と言い切る以上、深刻な病を抱えているのではないかと『ヤドリギ』は懸念しているのだが、彼女はそれをいいことに気が向いたとき、もしくは気晴らしのために『金づる』氏を引っ掛けて貢がせることを繰り返している。
「流石に『金づる』氏に憐憫の情を覚えなくもないのだが」
「憐れむ理由なんてないわよ。ただ貢がせてるだけじゃなくて、気持ちいい思いだってさせてあげてるのよ。ギブアンドテイク、ってやつ」
そのバランスが極端に悪いのではないか、と思わなくもないが『ヤドリギ』は言葉を挟むことは差し控える。何せ今日の彼女は機嫌が悪い。余計なことを言って、彼女の逆鱗に触れてもいいことはない。
果たして『ヤドリギ』の沈黙をどう解釈したのか、フードの下から覗く『ヤドリギ』の目を一瞥した彼女はにた、と笑って言う。
「何、あんたも気持ちいい思いしたい? 特殊なプレイでも付き合うけど」
「俺がその手の話に乗る気になれないのは知っているだろう」
「そっか、発情期が来ないと女に興味持てないんだっけ」
「大筋は間違ってはいないが語弊のある表現は差し控えていただきたい」
『ヤドリギ』の切実な要望を華麗に無視した彼女は、サンドイッチの一つを掴むと大きく口を開いてぱくりと噛み付く。その無造作ながら色気を感じさせる仕草は、確かにある種の魅力があると『ヤドリギ』は思っている。多分かの『金づる』氏も、彼女のそのような一挙一動に魅入られてしまうのだろうな、ということを何とはなしに思う。
唇についたソースをぺろりと舌で舐めとりながら、彼女は眉を寄せて言う。
「そもそも、あたしの仕事が失敗するときは、かならずあの『金づる』が関わってんのよ。あいつ絶対に疫病神だわ」
「……それは初耳だな」
「『虹の雫』の時もそう! あれは『金づる』のせいじゃないんだけど、でもあの場に奴がいたのは間違いないのよ」
『虹の雫』は、怪盗カトレアの最初の失敗――というより行き違いというべき事件。そもそも「事件にすらならなかった」出来事。女王国最大の劇場『ハー・マジェスティ・シアター』で行われる劇の小道具として使われる、希少な宝石を使った首飾り『虹の雫』を狙ったものの、その『虹の雫』が、なんと彼女より先に盗まれていたという珍事だ。
彼女曰く、あの時『虹の雫』の在り処探しを買って出たのが、舞台関係者でもないのに楽屋にもぐりこんでいた『金づる』氏だったのだという。そして、見事に『虹の雫』の在り処を言い当てたのだという。どこぞの探偵小説に出てくる名探偵のごとく。
「しかし、何故件の『金づる』氏は楽屋にいたんだ? 普通は、専用の許可証などが必要と聞いたが、関係者ではなかったのだろう?」
「……まあ、あの時は劇場でデートの約束してたし、『今売れてる俳優のサイン欲しいなぁ』って言ってあったから、何かコネでも使ったんじゃないかなとは思ってるけど」
「あなたが原因じゃないか」
「しかも、『はらわた』の経路使って盗みに入ろうとしたら、あの『金づる』、勘がいいのなんのって楽屋から『はらわた』への抜け道見つけてアタシの邪魔してくるし!」
「完全に自業自得じゃないか?」
もはや『ヤドリギ』は呆れることしかできない。結果としては既に『虹の雫』は盗まれた後であって、彼女も『金づる』氏もいらない苦労をしたということになったわけだが。
「むかつくからデートキャンセルしてやったわよ。……まあ、あの勘の鋭さだと、流石に直後に合ったらバレそうだったから、ってのもあるけどね」
「なるほど」
氏は記憶に障害があるという話だが、その一方で思考能力には問題がないどころか、人より遥かに優れているのかもしれない、と『ヤドリギ』は思う。話を聞いている限りでは、いくら彼女に貢いでも、記憶が曖昧でも生活に困っているような雰囲気には感じられないため、氏の背景は『ヤドリギ』には全く想像もつかない。
「それで、今回の失敗にも彼が関わっていると?」
「そうなの! 今回は完っ全にしてやられたわ! まさか、ターゲットの家に普通にいるとは思わなかったわよ!」
今回の仕事に『ヤドリギ』の出番はほぼなかった。強いて言えば脱出経路の確保くらいか。これも彼女の仕事がつつがなく成功すれば使われなくて済む――はずのものだったのだ。だが、現実には明らかな苛立ちを隠しもしない彼女が『はらわた』にやってきて、そして『ヤドリギ』に多くを語らないまま逃げていったのだった。
というわけで、今回の事件の顛末を聞くのはこれが初めてになる。
「狙いはとある成金の家に保管されている
「そう。本当にちょろい仕事……、になるはずだったのよ。あの『金づる』さえいなければ!」
『ハー・マジェスティ・シアター』での失敗を踏まえて、それからの彼女は「事前に狙いを告知する」ことで怪盗としての存在感を主張することにしていた。予告状は標的となる宝石の持ち主の他に、警察、そして主要な新聞社や雑誌社へと届けられ、当然ものものしい警備が敷かれることになるが、そんな彼らをあざ笑うかのように華麗に標的だけを盗み出す。それが『怪盗カトレア』のやり口であり、彼女の矜持そのものであった。
やっていることの良し悪しについて『ヤドリギ』は既に口出しをやめている。もちろん犯罪は犯罪であるから完全に納得しているわけではないが、今となっては純粋に彼女の腕と矜持を賞賛する思いの方が強いといってもいい。……そう、『ヤドリギ』は彼女の「外連味」と呼べるものは嫌いではないのだ。もしくは、少年らしい憧れと言い換えてもいい。
「とはいえ、予告状は出した。警備は万全だった。外部者が立ち入る隙は普通ないだろう。件の氏が関係者だったと?」
「そう、間が悪いにもほどがあったのよ。その家のメイドに化けて潜り込んでたんだけど、この家のお坊ちゃんってのが、とんだわがままなガキでね。前任の家庭教師が夜逃げしちゃった直後で、次を探す間の繋ぎとして呼ばれた一時的な後任が……」
「『金づる』氏であったと?」
彼女は沈痛な顔で頷いた。
「それは……、何というか、ご愁傷様と言うしかないな……」
「あんなチャラいくせにきっちり家庭教師として仕事してみせるし、ガキを懐かせるのめちゃくちゃ上手いのね! 初めて知ったわよ! しかもアタシにもしつこく言い寄ってくるし、徹底的に化けてんのにいつもと同じ調子で声かけてくるの、もはやわかってやってんじゃないかって思うわよあれ!?」
しかし、『金づる』氏は彼女の言葉が確かなら記憶に障害があるわけで、彼女の顔かたちを覚えているはずはない。しかも、彼女が「化けた」というなら、普段『ヤドリギ』が見知った彼女とはまるで別人に見えていたはずだ。何度か彼女の変装を間近で見たことがあるが、一目で彼女と見破れたことは一度もない。何せ、老若男女、体格さえ大幅に変わらなければどのような姿にも化けてみせるのだ。「誰にだってなれるわよ」と不敵に笑う彼女に、純粋な感嘆を覚えたのはそう昔の話ではない。
だから、おそらく『金づる』氏も彼女の変装を暴いたわけではなく、単純に「メイドとしての彼女」に惚れ込んでしまったのだろう。『ヤドリギ』は「惚れっぽい」という感覚はよくわからないが、『金づる』氏の嗅覚は、もはや一種の特殊能力と言ってもいいのではないかと思う。
「もうこの時点から嫌な予感しかしなかったけど、ここで退いたら『怪盗カトレア』の名が廃るってもんよ。……って思ったのが運の尽きだったのよね」
「退き際を心得るというのは難しいものだな」
「本当に。徹底的に思い知らされたわよ。予告状が出てからあの『金づる』、アタシの正体には気付いてないくせに、こっちの退路を徹底的に断ってくるわ、こっそり誰にもわからないところに標的の場所を移動させるわ、流石にメイドに化けたままじゃ動けなくなったから途中で他の奴に化けたのに、警察と結託して追い詰めてくるわ、もうやってらんないっつーの」
「警察にもコネがあるのか、件の氏は……」
「何か、腐れ縁? みたいな感じでやり取りしてたわね。もっとも『金づる』の方は相手のことはさっぱり覚えてないみたいだったけど」
とにかく、今回に限っては、彼女はどこまでも一方的に『金づる』氏に追い詰められた挙句に、標的を諦めて逃げざるを得なくなった、というわけだ。
「だから腹いせに、『金づる』氏が忘れた頃を見計らって徹底的に毟り取ってきた、と」
憐れな氏から毟り取られた金で購入されたのであるサンドウィッチは、普段の『はらわた』では決して味わうことがないであろう美味であった。いつか『金づる』氏にめぐり合うことがあったとしたら、感謝の言葉の一つくらいはかけるべきなのかもしれない。あなたのおかげで、美味しい食事にありつくことができました、と。
しばし不機嫌面でサンドウィッチを咀嚼していた彼女は、不意に口を開いた。
「まあ、多分ね、『金づる』もそろそろ気付いてるとは思うのよね。何度もアタシに引っ掛けられてるっていうのは」
「……そうなのか?」
「会うたびにアタシの顔も名前も忘れてるのは間違いないんだけどね。でも、代わりにものすっごいメモ魔なの。しかも、そのメモが、アタシでも一目じゃ読めない暗号ときた。あれ、時計台の可逆圧縮暗号じゃないかしら。にしちゃあ、相当アレンジが入ってるっぽかったけど」
彼女の言葉のいくつかは『ヤドリギ』には聞きなれないものだった。それでも『時計台』という言葉が女王国軍本部を示すことくらいは心得ている。
「つまり、『金づる』氏は軍人なのか?」
「退役軍人ってセンは十分考えてるんだけど、何かそんな雰囲気でもないのよね。空気が違うっていうか……、うーん。絶対に時計台の関係者とは思うんだけど……」
空気が違う。つまり彼女の知る一般的な「軍人」のイメージと『金づる』氏には、明らかなずれがあるということなのだろう。確かに、家庭教師を二つ返事で請け負う辺りからしても「軍人」らしくないとは思う。
それに、『ヤドリギ』は彼女の経歴も背景も知らないが、彼女の観察眼が確かであることはここしばらくで思い知らされている。だから彼女が「違う」というなら、おそらくはそうなのだろう。結局『金づる』氏が何なのかは、今日も『ヤドリギ』にはわからないままということだ。
そして、この調子だと『ヤドリギ』の背景もある程度は察されているはずだと思っている。その上で、黙っていてくれているのだろうということも。お互いに、藪をつついて蛇を出すような真似はしたくない。そういうことだ。
「とにかく、過去のメモからアタシのことはバレててもおかしくないのよね。毎度名前も顔も変えてるわけじゃないし。その上でわかってて付き合ってるっつーんなら、ほんと、とんだ物好きっていうか、もう病気って感じよね」
『ヤドリギ』は手の中に残っていたサンドウィッチを口に含み、よく咀嚼してから飲み込む。それから、行儀が悪いと思いながらも指に残ったソースを舐め取って言う。
「しかし、『金づる』氏が疫病神で、しかもあなたの顔も割れてる可能性がある以上は、この際すっぱり縁を切ったらどうだ?」
「何、もしかして妬いてる?」
「いや、俺は名も知らぬ氏の心身と財布の健康を心から祈っているだけだ」
ごくごく生真面目に答える『ヤドリギ』の額を、彼女は容赦なく指で弾くのであった。
『ヤドリギ』と彼女の関係というのは、そんなものである。
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