新聞とスキヤキ
――九六九年 花季二節
「……珍しい二人組だな」
その光景を目にした瞬間『ヤドリギ』はつい、率直な感想を言葉にしていた。
元よりそこに「常連」のデリック・ギルモアがいることはわかっていた。前回の案内の報酬として、彼が地上から持ち込んだ肉を調理してくれるというので、調理をデリックに任せて、鍋に入れるための香草を採りに少し席を外していたのだ。
近頃は肉と言っても既に調理済みのものが詰められた缶詰か、もしくはデリックが調理した『はらわた』の名前もわからぬ生物の肉であったから、地上の動物の肉は久しぶりに目にすることになった。
そこまでは、ある意味ではいつもの通りのデリックとのやり取りだ。契約、と言ってもいい。『ヤドリギ』がデリックに『はらわた』の生物に関する情報を提供、案内し、デリックがそれをその場で、もしくは持ち帰って調理し、案内の対価を『ヤドリギ』に渡す。そういう関係性。
が、その場にもう一人増えているのを目にするのは、『ヤドリギ』も初めてだった。
と言っても、その人物も『ヤドリギ』の知らない顔ではない。その証拠に、デリックと鍋を囲んでいた眼鏡の女は『ヤドリギ』を見た瞬間に明らかに安堵に似た表情を浮かべたからだ。それもすぐに取り繕った笑顔に隠されてしまったけれど。
デリックは『ヤドリギ』が戻ってきたのを見て「おーう、おかえり」とひらひらと片手を振る。なお、もう片方の手は調理用の長い箸――菜箸というらしい――を巧みに操っている。
『ヤドリギ』はデリックの正面、女の右横に座って、袋の中に詰めた香草を鍋越しにデリックに渡す。
「こんなものでいいか?」
「お、十分十分。これがよく合うんだよなー!」
ぎざぎざした、白っぽい葉を持つその香草の名前をもちろん『ヤドリギ』は知らない。ただ、人が食べても問題がないこと、少し苦味と癖はあるものの爽やかな香気を伴うものであること。知っていることといえばその程度。
鍋から漂ってくる香りは『ヤドリギ』の当初の想像に反して甘みが強く、今まで嗅いだことのないものだった。一体どのような料理を作ろうとしているのだろうか、と不思議に思っているところで、デリックが語りかけてきた。
「そういや、このおねーちゃんも『ヤドリギ』の常連なんだってな」
一体、『ヤドリギ』が席を外している間に、一体何の話をしていたのだろうか。そもそも『ヤドリギ』が彼女について何かを語ってもよいのだろうか……、と思ったところで、横合いからの視線を感じてそちらを見れば、彼女は口元に人のよさそうな笑みを浮かべながら、しかし、眼鏡の下から『ヤドリギ』を鋭く睨めつけていた。つまり「黙っていろ」という意味だ。故にデリックの言葉には小さく頷くに留めることにした。
デリックは鍋の中に香草を加えながら上機嫌に喋り続ける。
「ある実業家から派遣されて、『はらわた』に暮らしてる連中を陰ながら支援してるんだってよ。偉いもんだよなあ」
「そうだったのか?」
黙っていろ、という圧力をかけられていたにも拘わらず、その言葉にはほとんど反射的に疑問符を投げかけてしまった。次の瞬間、デリックからは鍋を隔てて陰になっている左手をすごい力で抓られた。
「そう。あんたには案内をお願いするばかりで、きちんとこちらの事情を話してなかったけど。ごめんね?」
――「そういうことなのだ」と、彼女は無言の圧力と、ついでに左手を抓る力で訴えてくる。
実際彼女の言葉は一から十まで嘘というわけではない。実業家からの支援、というのは大嘘だろうが、彼女が『はらわた』の住民を気にかけ、時には援助の手を差し伸べていることは知っている。理由は簡単、彼らは基本的に『ヤドリギ』の味方だからだ。彼らを敵に回せばろくなことにならないということを、『はらわた』の常連たちはよく知っている。
「それで、今日は前回のお礼を渡しに来た、ってわけ」
お礼、というよりは報酬だが。ここ一週間分の新聞に、雑誌。『ヤドリギ』が地上の情報を知るための、ほぼ唯一と言っていい手段。それをやっと解放された、すっかり爪痕が残ってしまった左手で受け取って、それから彼女にだけ聞こえるくらいの声で言う。
「本当の用事は、次の仕事の話だろう」
「こんな状況で仕事の話できるわけないでしょ」
「それもそうだ」
彼女の正体は、言ってしまえば泥棒だ。もう少し詳細に語るならば、現在地上を騒がせているらしい、宝石専門の泥棒『怪盗カトレア』。各所に予告状を出し、物々しい警備の中から華麗に標的だけを盗み出す彼女の活躍は、女王国首都の一つの「活劇」として日々新聞の一面を彩っている。
彼女が渡してきた大衆向け新聞にも、『怪盗カトレアの華麗なる活躍』などといった言葉が躍っていた。……彼女が渡してくる新聞が、どれもこれも『怪盗カトレア』の活躍を華々しく報道するものに偏っていることに『ヤドリギ』は密かに気付いているし、それが彼女のちょっとした虚栄心だと思うと、ほほえましいとすら思う。もし一言でも言及しようものなら面倒くさいことになりそうだから、今のところはそ知らぬ顔を貫いているが。
「まあ、折角居合わせたんだ、食べていけばいい。デリックの料理は美味いぞ」
「でも、この人、あれでしょ? 『はらわた』の動植物を採ってきて料理するゲテモノ料理人。上層で話題になってたわよ」
上層でも噂になっていたのか、と『ヤドリギ』は苦笑する。まあ、確かにデリックの挙動は『はらわた』の来訪者の中でもかなり特殊といえる。『はらわた』に生息する動植物の研究のため、という者は『ヤドリギ』も何人か案内したことがあるが、それを「食べる」というテーマに絞って行っているのはデリック一人であろう。最低限『ヤドリギ』が観測している範囲ではそうだ。
なお、その当人たるデリックは「ゲテモノとは失礼な」と薄い唇を尖らせる。
「今、当たり前のように食べられているものだって、いっとう最初は誰かしらが『食べよう』と言い出した結果なんだからな」
デリックの言葉にも一理ある。通常食卓に並ぶようなあれこれも、元はといえば「謎」としか言いようのない物体を前に、それが食べられるかどうかを判別した人間がいたからこそ、更に食べやすいように研究や改良を続けながら、人々の間で食されるようになったということだ。
「その点『ヤドリギ』の能力は便利だよな。植物に限るとはいえ、毒があるかどうか一目でわかるってのは相当羨ましいよなー、種類も大体見分けてくれるし」
「ああ、食糧の取得に限らず、探索において全般的に便利に使っている」
特に、毒を持つことが少ない、もしくは毒のある部位がある程度形から想定しやすい動物と異なり、植物は多かれ少なかれ毒を持っていることが多い。特に『はらわた』の植物は地上のそれとは随分異なる生態をしているから、毒の有無と、その危険度がわかるというのはありがたいことであった。いくら『ヤドリギ』個人に植物の毒が通用しなくても、案内する相手が毒にやられては世話はない。
「うちの父方の実家……、っつっても俺が実際に行ったことあるわけじゃないけど、極東じゃ、猛毒の魚の毒の部分だけを取り除いて食べることもあるから、一概に毒の有無だけじゃ言い切れないこともあるけど」
「極東の文化ってよくわかんないわね。そんなに貧しいの?」
「いや、島国だし気候もいいから別に食い物には困ってないし、その毒魚を生で食うってのはめっちゃ高級料理」
「更によくわかんなくなったわ」
彼女は呆れた声をあげるし、目の前でぐつぐつと音を立て始めている鍋への不信感も強まったようだ。そんな彼女の様子を見て、念のため『ヤドリギ』の方から補足を加えておく。
「今日のメニューは、俺が頼んで、地上の牛肉を持ってきてもらったから、そう不安がらなくても大丈夫だ。香草はその辺で摘んできたものだが、ゲテモノ度の低さは保証する」
「珍しいわね、あんたがそういう『報酬』を求めるなんて」
「たまには俺だって地上の味が恋しくなるときがある。缶詰以外で」
缶詰に飽きたわけではないが、やはりこうして、目の前で調理してもらったものを熱いうちに食べるという「贅沢」には敵わない。そういうことだ。
あともう少し煮込む、ということだったので、『ヤドリギ』は彼女から渡された新聞に軽く目を通す。首都ではそうそう大きな事件は起こっていない――強いて言えば彼女の活躍が最も大きな事件といえたか――ようだが、少しずつ『ヤドリギ』が一目では判断できない言葉が増えてきているように感じられる。読み取るには困らないが、地上との隔絶から来る、認識のずれ。知識の差。そういうもの。
何せ『ヤドリギ』は隻眼な上に元々そう速読でもなかったから、揺れる炎の灯りで読みとれる内容など高が知れている。だから見出しだけ軽く追いかける程度に留まるのだが、ふと、紙面の一点に目を留める。
「……来年には、もう、次の女王が即位するのだな」
ちいさな記事だ。何せ、大々的に報じられたのは少し前のことであったから。新聞に記されているのは、即位の日である来年の灯花祭に向けた、次期女王シオファニアとその周辺の日々の動向だ。
「来年の灯花祭はとんでもない祭りになりそうね。何せ前回の即位式ってあたしらが生まれるより全然前だったわけだし」
そう、現女王ハルモニアが即位したのはゆうに八十年は前のことだ。何せ彼女らは『精霊』と呼ばれる、女神ミスティアが持つ「植物」にまつわる権能を譲り渡された、人とは異なる種の生命である。姿こそ人間によく似ているが、生態や寿命はいささか人間と異なる点も多いと聞いている。
「その間に戦争が始まって終わって、まあ色々変わったもんな。何だっけ、議会の方では新女王の即位に合わせて現行法を改正するって案も出てんだっけ?」
デリックの言葉に導かれるように、『ヤドリギ』の隻眼が周辺の記事を追う。確かに、議会の様子にまつわる記事がある。戦時中はかろうじて見逃されていた、もしくはそれどころではなかったが、戦が終わり平和に向かおうとしている今だからこそ、女王国民が守るべき法の見直しが必要なのだという意見が大多数であるらしい。
「女王国も古い国だからなー。今となっちゃ古臭くて使い物にならない法律もいっぱいあるもんなー、俺もそこまで詳しくは知らんけど」
「そうだな」
そういう、「現在では使い物にならない法律」の類は『ヤドリギ』もいくつか覚えがある。何せ女王国の法律に関して言えば、おそらくその辺の一般人よりはよっぽど詳しい自信がある。女王の威光が届かない地下迷宮『獣のはらわた』で暮らす今となっては相当無駄な知識と化しているが。
「何せ、帝国との戦争が始まるよりもずっとずっと昔。大陸から追われた者達が霧惑海峡を越えてこの島に辿りついたころ、手にした武器が剣と弓であったころにできた法律が未だにまかり通っているからな。当然見直すべき点は多いだろう」
貴族は「形式」として帯刀を義務付けられている。適切な手続きを踏んだ場合に限り「決闘」は罪にならない。そのような、極めて古臭いあれこれを『ヤドリギ』は頭の中で諳んじる。……何もかも、何もかも、新たな女王のもとでは遠い過去のものになってしまうのであろう、それらを。
新聞に書かれた文面をもう少し詳細に見やる。紙面には、次期女王シオファニアの婚約者――つまり次期王配たるマスデヴァリア公爵家の嫡男、ハロルド・マスデヴァリアの写真もあった。法改正の大枠に関しては、どうやらこの次期王配が主導しているらしい。
それも、女王国の歴史を考えてみれば当然のことではあるのだが、『ヤドリギ』はつい、写真に映る美貌の次期王配に向けて、苦笑を浮かべずにはいられない。
「お飾りの女王に、その権威を振るう王配。この仕組みも、そろそろ『古臭い』と議論されてしかるべきではないかと思っているがな、俺は」
現在の女王は女王国の象徴だ。かつて女神の権能を持つ女王は確かにこの島国に豊穣をもたらした。ただ、現在の女王は、確かに権能こそ持つ『精霊』なれど、それを実際に振るうことはほとんどない。この土地は、既に実りが根付いた土地となっているからだ。
故に、本来女王が持つべき発言力は、ほとんどは「人間」である王配が握ることになる。この国が女王ありきの存在であろうとも、この地に住まうのはあくまで人間であるが故に。
そんなことを考えていると、不意に横合いから彼女がぽつりと言った。
「……『ヤドリギ』って、案外まともな話もできるのね」
「あなたは俺を何だと思っているんだ?」
「いっつもぼんやりしてて、何考えてんのかよくわかんない、惚けたやつ」
それは何かわかるなあ、とデリックまでもがくつくつと押し殺した笑いを立てながら言う。これには『ヤドリギ』も流石に不服を表情に出さずにはいられない。右肩から生えた蔦も無意識ながらぴたんぴたんと抗議がましく地面を叩いている。
「まあまあ、ほら、ちょうどいい具合に煮えたとこだから、これに免じて」
と、デリックはいつも抱えている荷物の中から、ほとんど『ヤドリギ』専用となってしまった椀と箸を取り出して、そこにたっぷりの肉と野菜をよそい、明らかに甘い香りを漂わせる汁を注いでくれる。
そして、彼女の分も丁寧によそうデリックを横目に、『ヤドリギ』は首を傾げて問いかける。
「これは、何という料理なんだ?」
「スキヤキ。本場では生卵を絡めて食べるらしいけどな」
「うえ、生卵とか絶対無理無理。やっぱ極東の食文化ってわけわかんないわ」
彼女が明らかに嫌な顔をする。鶏卵の生食は危険を伴う、というのは流石の『ヤドリギ』も知っている。実際、デリックも「流石に俺もやったことないな」と言ってから彼女に椀と箸を渡しながら「箸、使える?」と問いかける。
「東方の食器よね。一応、触ったことはあるわ。あんまり上手くは使えないけど」
その言葉に、デリックはにぃと薄い唇を持ち上げて笑みを浮かべる。
「ならよかった。どうせ俺ら以外に誰も見てないんだし、作法とかは気にせずどうぞ。『ヤドリギ』なんて、結構一緒に飯食ってるのに、全然箸使い覚えてくれないしな」
「俺は左利きじゃないんだ、不器用なのは大目に見てくれ」
唇を尖らせながら右腕の蔦で椀を抱えて、左手で箸を持つ。持つ、と言っても二本の棒を握りしめるという、明らかにデリックや彼女の手つきとは違う形ではあったけれど。
ほんとに下手くそね、と茶化す彼女の声を無視して、椀の中の肉を突き刺して一口。香りの通り甘さが強いが、しかし決して甘ったるくしつこいという類のものではない。今まで食したことのない味わいだが、不思議と食が進む。
彼女も恐る恐るといった様子で一口食べてみて、「美味しいじゃない」と驚きの声を上げる。『ヤドリギ』よりはずっと食通であろう彼女が率直に「美味しい」と言うのだから、これは純粋にデリックの調理の腕によるものだろう。つい言葉もなく食べ進めてしまいながらふと目を上げれば、デリックも自分の椀を手にしながら、心底嬉しそうに笑っていた。
『ヤドリギ』はデリックが何故こんな場所まで来て、未知の食材にこだわるのかは知らない。道楽、と言ってしまえばそれまでなのだろうし、まあ、それ以上に説明のしようがないだろうとは思っている。
ただ、彼の食に対する真摯さについては『ヤドリギ』も疑いようがないと思っているし、何より、このような地下の暗闇の中でも、地上と変わらぬ味わいと温もりを提供してくれるというだけで、『ヤドリギ』はデリックという人物に好感を持っていた。
そして、もしかするとデリックも、同じくらいには『ヤドリギ』に気を許してくれているのかも、しれなかった。
「ほんとは」
懐かしい味わいの肉を飲み込んだデリックが、『ヤドリギ』に視線を向けて、笑う。
「もっと、色々食わせてやりたいんだけどな。……地上でさ」
地上で。
どうしても『ヤドリギ』にとっては遠すぎる場所。いや、誰も『ヤドリギ』を止めることはない。自ら望めば、いつだって霧に満ちた地上を歩いていくことはできる。霧明かりの中に紛れて暮らすことだって、決して不可能ではないと思っている。
それでも『ヤドリギ』は首を横に振る。
「いや、これで十分さ」
強がり、のように聞こえたかもしれない。
実際、半分くらいは強がりだ。近頃やっと、強がりであると認められるようになった。『ヤドリギ』の地上への未練はそう大きなものではないが、それでも「やり残したこと」は考えてみればいくらでもある。デリックの、地上での料理を食べることだってそう。
ただ、……もう半分は本音だ。
そうだ、『今は』これで十分だ。
右腕から生えた蔦の一本が、傍らの新聞を握り締めていた。自分の決意を確かめるために。『これから』のために。
けれど『ヤドリギ』はそれ以上を語ることなく、デリックに空になった椀を差し出す。
「おかわりを、貰ってもいいかな?」
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