先輩語と翻訳家

野茨アザミ

並行する先輩Aと観測する後輩Bシリーズ

 ある日突然、先輩が奇妙な言葉を話し始めた。

 

 事の発端は、三ヶ月ほど前に遡る。先輩はとても優秀な人だった。どれだけ優秀かというと、私の拙い語彙ではとても言い表せないほど優秀で、母国語である日本語は当然として、英語や中国語、フランス語にドイツ語など、メジャーな言語はさることながら、少数民族のものから既に失われた文明のものまで、数え切れないほどの言語を巧みに操ることができた。

 言語に関する知識や才能が認められ、二十世紀最大の考古学的発見ともいわれる死海文書の解読に協力しているだとか、来たる地球外生命体との対話に向けて国際語を作成する極秘機関のメンバーであるとか、先輩にまつわる噂の内容も軒並み凄いものばかりだ。

 そんな先輩は時々、考え事なんかをしている時は特に、まるで宇宙と交信しているかような独特の独り言を呟いた。それは、様々な言語が混ざったようにも聞こえるし、意味のない音だけのようにも、メロディを奏でているようにも聞こえる。恐らく、自分の中に渦巻く流動的で掴み所のない感情や刹那的な思考の数々を、正確に、そして的確に表現できる言葉はないかと、頭の中にある数多の言語から探し出そうとしているのだろう。その姿はまるで、波打つ言語の海に深く潜水し、海底に眠る秘宝を一つずつ探しているように見えた。

 先輩が言葉を紡ぐまでの間、私は傍でその波飛沫を受けながら、ただ一人、光さえ届かないほど暗くて冷たい海の底へと落ちていく先輩の姿に思いを馳せる。そして時々、じっと息を潜めて眉間に皺を寄せている先輩が、もうこのまま浮上してこないじゃないかと、ある種の予感めいた不安に襲われて、静かに胸を震わせるのだ。

 先輩の事を知らない人たちは、呪文のように言葉を繰り返しているその姿に、好奇の視線を向けたり、あからさまに眉をひそめたりするけれど、当の本人は全く気にしていないようだった。先輩の思考は常に自らの内側に向かっていて、誰かが気にかけていなければ、食事すらも忘れるほどに、研究や勉強に没頭してしまう。

 出会った日の先輩は、農学部が所有する植物園の中で、いつもポケットに忍ばせているカロリーメイトを死にそうな表情で食べていた。もっとまともなものを食べさせないと、この人は死んでしまうのではないだろうか。お弁当に持ってきていたお握りを差し出すと、先輩は不思議そうな表情で私を見つめた。そして小さく頭を下げてお礼を言うと、少しずつ齧りながら食べ始めた。その姿が小動物のようで可愛かったというのは内緒だ。それから見かける度におにぎりを与えていると、いつの間にか私は先輩の姿を構内で探す様になり、気がつけばお昼休みの度に先輩の下を訪ねては、ランチに引っ張り出すまでの関係になっていた。

 食に拘りのない先輩は、食堂ではいつも日替わり定食を頼む。「美味しいですか」と訊ねても返答に困らせるだけなので、「今日も美味しいですね」と私は独り言のように言葉をかける。そんな変わった人の隣にいる私も、同じような視線を浴びることになるけど、今ではすっかり慣れてしまった。

 先輩は沢山の言葉を知っているけれど、誰よりも口数が少ない。そして、発言するまでにも凄く時間がかかる。でもそれは、先輩が言葉の重要性と不確かさを誰よりも知っているからだ。気持ちや考えをきちんと伝えようとし過ぎるあまり、何も言えなくなってしまうのだろう。私はそれを、とても美しいことだと思う。だから私が代わりに話をすることも珍しくはなくて、「まるで先輩の翻訳者のようですね」と冗談をぶつけてみることも偶にある。

 そんな先輩が、突然、本当に聞き慣れない言葉で話し始めた。

 私はいつものように「また何か難しい事でも考えているんだろうな」とか「今度はどこの言葉を覚えたんだろう」と、はじめのうちは聞き流していたのだけど、どうも様子がおかしい。妙な気配に視線を上げると、先輩が私の顔をじっと見ていた。熱く交わる視線。必死に何かを打ち明けようとしている鋭い眼差しと滅多に見せない真剣な表情に、トクンと胸がときめきを訴える。

 えっ、ちょっと待って……。心の準備が―なんて思っていると、平仮名では表記できないような発音で、先輩が語りかけてきた。

「……は?」

 愛の告白にしては独特すぎる。せめて日本語で話して欲しかった。一体どこの言語だろう。言葉というよりも無秩序な音の羅列のようで、先輩に教わった言語分類はできそうになかった。ふざけているのかと様子を窺っていると、先輩の様子は少し変だった。いや、いつも変だけど、今日は尚更だった。何かを真剣に切実に伝えようとしているが、その口からこぼれてくる音を拾っても、何かしらのメッセージや意味をすくい上げることが私にはできなかった。一体何が起こっているのだろう。嫌な予感がした。

「どう、したんですか……?」

 恐る恐る訊ねても、先輩は私に通じる言葉で話してはくれない。先輩にも私の話す言葉は通じていないようで、怯えたように眉を寄せている。

「もしかして、何を言ってるのか解らないんですか?」

 動揺しているのか、先輩は大きく目を見開いている。しばらく、会話にならない会話を繰り返した後、先輩は漸く自分の話している言葉が本当に通じていないことに気づいたらしい。言葉を勉強するあまり、すべての言語がごちゃ混ぜになってしまったのだろうか。

 それともどこかで頭でも打ったのだろうか?

 もしかして脳に病気が?

 呆然としている先輩を引っ張るように、私は大学病院に向かった。そして二人で仲良く幾つもの科を渡り歩いた結果、得られたのは両足の疲労と不可解な現象への戸惑いばかりで、改善に役立つような知見は何一つとしてなかった。

 頭に傷害を受けた訳でもなければ、脳や神経系の病気でもない。そして、精神的なものでもなければ、当然、先輩がふざけているわけでもなかった。「どうしましょうか」と呟く私に、先輩はぎこちない微笑みを浮かべる。戸惑い、不安に思っているのは先輩のはずなのに、まるで私を励ましているように見えた。


 私にできるのは、先輩が普通に会話できるようになる方法を一緒に模索することだけだった。季節はちょうど夏真っ盛りで、大学は夏休みが始まったばかりだったから、先輩が講義や実習で苦労することは暫くない。しかしながら、言葉が分からないという問題は、日常生活全般に及ぶ。幸いにも文字の読み書きはまだできたので、その日から私たちは筆談によってコミュニケーションをとることになった。

 先輩の字はとても美しく力強いものだった。強弱のあるしなやかな線が踊るようにノートを横断し、はっきりとした文字は先輩の誠実さも伝えてくるようだ。それに比べて私の字はミミズが這っているようで、自信の無さそうな文字を見る度に、ボールペン字講座をもっと早く始めていれば良かったと恥ずかしくなる。先輩の祖母は習字の先生で、小さな頃から習っていたらしい。その経験が言語学に目覚めるきっかけになったと教えてくれた。そして、熟慮せずに発した言葉で大切な人を傷つけてしまった過去が、先輩の異常なまでの慎重さに繋がっているとも。

 筆談によって、私たちはこれまで以上に言葉を交わすようになったが、それも長くは続かなかった。日本語を話せなくなった先輩は、次第に日本語を読むことも、書くこともできなくなったのだ。日本語の文章に他国の言語が入り混じり、文法が乱れて時制もおかしくなっていく。力強く文字を形作っていた筆先が、無意味で無機質な線の連なりしか記せなくなる。それでも私たちは、必要以上に動揺することはなかった。そうなることを見越していた先輩の提案で、私たちは事前に先輩語を訳すための辞書作りに取り掛かっていたのだ。

 手紙でのやり取りがいつしかメールに変わり、チャット形式にまで簡略化した現代。文字によるやり取りで重視されるのは、何よりも返信の速度だ。より早く、より多くのやり取りをするために、私たちは文書から主語をなくしたり、共通の略語を使ったりすることで、文章量を減してシンプルなものに組み替えてきた。そうして簡略化された文章は、一見すると意味の分からないものになっているが、それまでの流れや文脈、その人との関係性から失われた部分を類推し、無意識のうちに補うことで正しいやり取りとして機能する。

 時間がない事だけははっきりとしていたので、正しい文法としての形ではなく、これまで私たちが繰り広げてきた簡略的な口語的なやり取りをベースに、私たちの間でなら通じる辞書作りを始めた。しかし先輩は、こんな時でも可能な限りきちんとした文章を書き、とても丁寧なやり取りで筆談をするように心掛けていた。声色や抑揚、表情をなくした文章だけでは、伝えたいことが正確に届かないことを誰よりも知っているからだ。

 先輩と膝を付き合わせての作業は、とても心地良い時間だった。しかし、今の私たちには嘗てのようにゆっくりと、時間をかけて互いを理解していくだけの悠長にしている暇は一秒たりともなかった。とにかく今は、一つでも多くの言葉を記録し、訳していく必要があった。そうしなければ、私は永遠に先輩と満足な会話ができなくなってしまう。連日続く作業に疲れてしまったのか、それともこれからの人生を悲観しているのか、時々、思いつめたような表情で手を止める先輩を急かしながら、私は辞書作りに邁進した。

 翻訳作業は「おはよう」から「おやすみ」まで、日常生活の中で頻出する単語や会話文を中心に行われた。先輩が発した言葉の音を一つずつアルファベット表記に直して記録し、筆談を使ってその意味を添えていく。同時に先輩も、すっかり聞き慣れない言葉と化してしまった日本語を自分の言葉に訳し、英和辞典と和英辞典のように、それぞれの立場から辞書を作った。先輩は自分の言語を示す文字の発明からスタートとなるため、相当な負担を強いられていただろう。

 作業は夏休みの間ずっと行われ、たちまち私は先輩語の第一人者になった。大学の第二言語がフランス語じゃなくて先輩語だった余裕で満点なのに、と辞書を作りながら冗談を言ってみる。先輩はそうだなと微笑み返してくれるが、日に日にバランスを欠き、独自のモノと化していく自分の文字に、表情を険しくもするのだった。

 時間はいくらあっても足りなかった。いよいよ先輩は、完全に自分の世界の言葉しか認知できなくなった。私との筆談も不可能となり、二人の世界を繋ぐ唯一の鍵は、一緒に作り上げた辞書の中に書き記された言葉だけだ。これが無くなってしまったらと、私は一日中ノートを抱きかかえるように過ごした。そんな私を見かねてか、他学科の友人がPCへのバックアップ作成を手伝ってくれることになった。ついでに、音声ツールの開発にも協力してくれるという。渡りに船な提案だった。先輩の言葉を真似て発音してみたこともあるが、少しでも音が違うと正しく伝わらず、それなら録音した音を流せばいいのではないかと音声データも集めていた。そうして、先輩が孤独の住人と化した後も、先輩語の翻訳作業は精力的に続いた。共通の言葉が失われたとしても、珈琲や机のように実物のある固有名詞は、先輩が手に取ったり、指し示したりすることで、先輩語とモノを繋ぎ合わせることができた。私にできることは、まだまだある。きっと、初めて異国の人たちと交流した昔の人たちもこんな感じだったのだろう。互いに話す言葉の違いに驚きながらも、同じ人間なのだからと力を合わせて心を通じ合わせてきたのだ。


 先輩が言葉を失って、早くも半年が過ぎた。音声ツールのプロトタイプも出来上がり、これで少しはスムーズに会話ができるようになると期待していたのだが、大きな問題が発生していた。先輩語は依然として変化を続けており、数か月も経てば、それまで集めたデータが意味をなさなくなってしまったのだ。言葉は時代によってその意味が変わる。死んでいく言葉もあれば、新しく生まれる言葉もある。時間軸を変えて見たら、まるで生きているみたいだよなと、いつか先輩が私に話した言葉を思い出した。

 想定外の事態に、辞書の更新は次第に追いつかなくなってしまったが、私たちは諦めなかった。話す言葉が変化し続けても共通の意味を持つ動きさえ決めてしまえば、互いの言語に一対一の関係を結ばなくても意志の疎通は可能だろうと、日本手話をベースとしたジェスチャーを作ったのだ。言葉のスペシャリストだった先輩は、当然のように手話も覚えていたが、肝心の日本語がわからなくなっているため、手の動きとその意味がバラバラになっていた。ある意味一からの作業となったが、一度動きを見せると覚えがあるようで、パズルのピースを嵌めていくように、軽快なスペースで単語を再学習していった。

 進化を続ける先輩語は、次第に唄を歌っているように変成していった。そこに手話をつけると、さながら優雅に踊っているようにも見える。音楽を聴くと情景が浮かんだり、心を揺さぶられたりすることがあるが、先輩語ももしかしたらそんな風にあらゆる物事を繋げて表現できる新しい言語なのかもしれない。

 先輩は時々、作業の合間にピアノを演奏してくれる事があった。「作曲なんてできたんですね」と伝えると、「これは円周率だよ」と怪奇ながらもどこか懐かしく、心地良いメロディを奏でた。数学はこの世の理を書き示す言葉であり、音楽もまた一種の言葉だ。そう説明しながら、先輩は、自身の孤独を癒す様に夜の静寂に音を溶かし込む。

 数学や音楽までも統括された言語で理解し、表現する先輩は、きっと私たちとは違う方法で世界を認知しているのだろう。先輩の考えを理解することはできないけれど、先輩の作った曲が美しいということだけは確かだった。もっと多くの人に聞いて欲しい。そう思って音楽をネットで公開してはどうかと進言すると、先輩は少し迷った末にアップロードすることにした。

 一度音楽が有名になると、数奇な人生を送る先輩の存在は、瞬く間に世界中の注目を集めることになった。時には音楽家として、また時には数学者として、天才的な才能を発揮し始めたのだ。聴いた人を熱狂させる作品や新しい定理を次々と発表する先輩は、様々なインタビューを受けることになった。しかしその場には通訳者が同席する必要があり、白羽の矢は当然のように私に立った。先輩は私がいなければ他人と関わりを持つことが困難になっており、私もまた、先輩語の第一人者という有難くはあるが望んだ関係ではない形で傍に居続けることになった。

 先輩は他の人との会話が終わる度に、本当に申し訳無さそうな表情で、ありがとうという意味らしき言葉を私に伝える。先輩はきっと、私が同情して隣にいると思っているのだろう。だけど、決してそうではなかった。私が先輩の傍にいたいから、先輩の力になりたいから一緒にいるのだ。

 しかし、私たちの間には、その想いを正確に伝えるだけの言葉は永遠に失われてしまった。どうして伝えられるうちに、気持ちを言葉で表さなかったのだろう。どうしてもっと、私と先輩の心を繋げる言葉のやり取り行ってこなかったのだろう。二人の間に特別な想いを込めた合い言葉の一つでも作ることができたなら、先輩が表情を曇らせる度に、私はその言葉を何度でも口にし、貴方は独りじゃないと、その苦悩を減らすことができたかもしれないのに。

 共通の言葉を失った今ならわかる。先輩が可能な限り丁寧に筆談しようとしていた理由を。想いは伝えられるうちに、形に残しておくべきだったのだ。これから私がどれだけ愛を伝えても、もう先輩には伝わらないのだと思うと、とても悲しい。

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先輩語と翻訳家 野茨アザミ @noibaraazami

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