〈GOTHIC+JUVENILE〉
静沢清司
第一話 星の占い A
〈GOTHIC+JUVENILE〉
ゴシックジュブナイル
〝星の占い〟
「──俺とこの学校の怪談話を調べないか?」
窓の向こうから夕焼けが顔を出している。それが教室に光を注ぎ、その空間がオレンジ色に染まりつつあったときのこと。夕陽を背にして、僕の目をまっすぐに見据えるその瞳は好奇心という毒に侵されているように見えた。いや、それは違う。逆にその好奇心という毒を刃に塗るたくり、それを僕へ向けているのだ。
僕は被害者であり、彼は加害者。簡単な線引きである。でも、僕はそのとき冷静な判断ができなかった。この状況を具体的に例えるならば、僕はちょっとばかり顔見知りだった人から一緒に銀行強盗しないかと誘われている、という感じ。そして僕はあいにくと、あるいは都合良く金がない。だからその顔見知りの人のお誘いに心が揺らいでいる。
僕はなんて不幸なんだろう。
そう僕が唇を噛みしめ、実感するまで普通の日常を過ごしていた。まずはそう、その日常から映し出して、この出来事へとつなげるとしよう。
〝A〟
清々しい朝だった。朝日は僕ら人間たちに微笑みかけている。それにその白い陽ざしを邪魔するものは天上には一切なく、快晴というピースがぴったりと僕のなかの空き枠であった今日の天気情報にぴたりとはまった。
春。僕は一か月前に高校二年生へと上がったばかりである。まだ今は高校一年生という気分で、いまいち実感はなかった。
枕の裏にあった枕にあった携帯を取って、画面を光らせ、時間を確認する。現在、六時半過ぎである。今日はずいぶんと早起きしたものだ。いつもなら三十分遅れて起床しているというのに、いったいどうしたのだろう。もしかしたら今日の僕は昨日の僕ではないのかもしれない。と、これは昨日読んだ小説の表現だ。ぱくるなぱくるな。
今日は月曜日。憂鬱な曜日。学生なら学校に、社会人なら会社に行かなければならない記念すべきではない日。誰も今日という日を祝うことはない。いや、もし今日が誰かの誕生日であるのならそれはまた別の話です。
頭は微妙に冴えている。目覚めもまあまあ良い。そんな中途半端な気分で僕は寝間着を脱ぎ、制服に着替える。いざ制服に身を包むとなると、「あー学校に行くのかー」と脳が縮むような思いをする。僕は月曜日に毎回これを味わっている。なんとも嫌な習慣である。誰か助けて。
そんな僕を助けてくれるのは音楽である。僕は朝食であるトーストを口にして、すぐにまた自室へ颯爽と戻っていった。その動きを見た母はよく肩を落として、ため息をついている。が、僕は無視する。
部屋にこもったあと、僕は机に置いてあった携帯を手にとる。時間はリビングにいたときに見てきた。のらりくらりといつも家を出る時間まで残り二十分もある。こんなにも砂時計の砂は残っている。ならやっぱりここはギリギリまで音楽を聴くべきだろう。
僕は音楽アプリを開いて、そこからそのプレイリストをタップする。
「ばらばらーど」
そんなヘンテコな名前である。意味はそのまま。バラード曲をいろいろなところか採集してきたから、ばらばらーど。ひらがななのは単にそのほうが柔らかいイメージがあるから。僕は硬いものよりも柔軟性のあるものが好き、といういささかまたヘンテコなこだわりを持っているためである。
僕はそれから二十分間、そのプレイリストのなかにある曲を逆の順番から聴いていった。うん、実に素晴らしい。最高だ。もっと、もっとだ。そこでビブラートだ、いけ。なんてスポーツ観戦みたいな反応ばかりを僕は繰り返す。
やがて僕はのらりくらりと玄関を出た。
在間高校。偏差値はそれほど高くもないし、低くもない。良く言えば普通、悪く言えば中途半端な学校である。もとより僕はこの学校を選んだ理由なんて自分の成績に合わせたこと。それと単に家から近いからということだけである。大した理由なんてない。きっとみんなだってそうだ。
歩いて
たしか一週間ほど前にこの在間高校に訪れた謎の転校生。名前は忘れた。覚える必要性もない。別に彼と僕が友達になることはないし、僕自身そのつもりだ。近くにモテモテ転校生がいるとまるで僕が引き立て役みたいになる。そんなのはごめんなので無理です。ま、そんな偉い立場じゃないのは理解してるけど。
「いいよなあ、イケメン転校生」
クラスメイトが僕の隣まで来て、密かに舌打ちをしてそう言った。
「同じく」
「おまえはまだいいよ。まあまあ美形なほうだし。さすがにあの転校生にはかなわないが、けっこう人気あるんだぜ? おまえ」
そうだったのか、とばかりに瞼を大きく開けた。実際こんな話は初めてだ。
「やっぱ知らなかったのか。まあとくに一年生には人気なんだとか。──ああ、ちっくしょう。なんで俺がこんなこと言わなくちゃならねえんだ」
と、乱暴に頭をかくクラスメイト。無理もない。今日は月曜日で呪われた憂鬱な日、そしてなにより友達がモテているという話を聞いたのであれば、苛立つのは当然。僕だって同じ反応をしたかもしれない。
僕らは一年時に知り合った。二年になるまでの時間を思い返すと、そのころは僕に恋人がいたわけではないので、ほぼこいつと過ごしたことになる。なんと虚しい一年生の日々。だがそれもさようなら。そしてこんにちは、またも同じく悲しき二年生の日々。
僕らは二年生に上がり、またも同じクラス。二年二組だ。僕の出席番号は七番で、そいつの番号はその後ろの八番。
一年のときも僕のうしろの番号だった。ここまで来ると運命なのかと奥歯がガタガタとなるが、そんな因果が結ばれることなど大噓でまみれた小説やドラマのなかでだけなので、ひとまず安心である。
僕とクラスメイトは校舎に入り、中央階段へ上っていった。つい癖で一階の時点で廊下へ飛び出して教室へ向かおうとしてしまった。それをクラスメイトが「おまえは留年の必要ないだろー?」と呼び止めた。
引き続き階段を一つ上って、そこでやっと二年生の領域である二階へ到着。左へ曲がってその奥にあるのが二年一組。その手前の教室が僕らのアジト、二組である。後方の扉付近に二組と書かれた札が、横へ飛び出すようにつけられている。
「そういえば、さっきの転校生ってどこのクラスだっけ」
僕は漠然と浮かんだ疑問をクラスメイトに投げかけた。
「となりの一組だよ」
「へえ」
窓際の席あたりに目を向ける。その手前、つまりは二列目の一番前の席が僕のもの。そのうしろが彼のものである。
「なんでそんなことを?」
「いや普通に気になっただけ。まあ意外と身近にいたんだねえ」
「まあそうなるよなあ。だって異次元だし」
異次元の存在、と彼は表現した。けど僕は違うのだ。あえて「意外と身近にいた」と言ったが、実際の心境は真逆。身近にいそうだったけど、とても遠い存在だった。まあ隣の教室なのだから思いきり的外れな感覚ではある。だけどなぜかな、僕は彼を近いようで遠い、例えるなら一メートル先のゴールテープが二十、あるいは五十メートルほど遠のいて見えるのと同じだ。
……まあ、いいか。
こんなことを考えたって答えは出ない。僕は今すぐに答えの出ない問題は嫌いだ。だからさっさと諦めて机に突っ伏して寝入ってしまおう。そうしよう。
その後、ホームルームが始まると同時に後ろのクラスメイトから体をゆすられ、僕は重い瞼を開けて背筋を伸ばした。
まだ二年生としての意識は浅いだろうけど、挨拶はしっかりしよう。ホームルーム時、担任はそんなことを言っていた。おそらくこの時間の始めにした挨拶が気に喰わなかったのだろう。まだ二年生初期であるからか、額に血管の筋を浮かべて声をがなりたてることはなかった。
ちなみに僕が寝ていたことに関してはスルーだった。厳しいのか緩いのか、よくわからない担任だ。
それからは普通に僕は授業を受けていた。一時限目は数学。数学担当の教師が黒板に例題を書き、重要なことを黄色チョークで記していく。僕らはそれをノートに写す。さらには教師はこの問題を解きなさい、と言い、僕らはそのとおりに教科書の問題を解くのだ。
退屈だが、ため息をするほどの退屈ではない。そもそも授業中に深くため息をつけば教師がそれを逃すわけないので、自粛するほかない。
昼休みになれば、親に作ってもらった弁当を食べるか、あるいは売店で弁当やらパンやらを買って食べる。そのあとは友人と映画やドラマ、あるいは恋愛に関する話をしたり、外で遊んだりする時間。
今日は弁当だったので、僕はそれを食しながらクラスメイトと話していた。
もっと変わった日常が欲しい。非日常じゃなく、変わりに変わった日常を求めている。それをもっと具体化するにはあまりに言葉が足りない。僕に語彙力なんて求めないでくれ。
そのあとは残り二コマの授業を受けて、放課後を迎える。月曜日と金曜日以外は七コマ授業があるので、かなり気力を使う。
放課後になったこの時間帯、僕がすることといえば帰宅以外にない。肝心のクラスメイトはサッカー部なので一緒には帰れない。だから僕は帰るときは一人だけなのだ。まあ仮に帰宅仲間になれたとしても、自宅の方向が真逆のため、正門前で別れることとなる。それでは意味がない。どっちにしろ独りなのだ。
僕はコンクリート製の階段を気だるげにゆっくりと降りながら、家に帰ったら何をしようかなんて愚問を自分に投げかけていた。そう、愚問なのだ。帰ってすることなんて入浴、食事、勉強、そして読書、あと欠かすことのできない音楽。本当に典型的な生活リズム。調子の良い歯車のように一定のリズムを毎日繰り返すしていくのだ。そんなの、ゼンマイで動く人形と変わりないじゃないか。
僕はだんだんと苛立ってきていた。
ああ、やめだやめ。
ストレスを溜めてどうするってんだ、深崎司。
「あ」
あれ、なんか違和感があると思って僕は肩口に視線を移した。そう、体育服が入っているサブバッグがないのだ。
「ちくしょうめ」
僕はとうとう毒を吐いた。
僕はそれほど焦らなかった。すぐに引き返せば取りにいける距離だし、たかが体育服だ。明日に体育の時間があるわけでもないから、もう諦めて明日持って帰ろうという選択だってできた。
だから僕は歩いていた。のらりくらり。たんたん。焦ることない、急いで走ることなんてない。どうせならそうだな。中央階段じゃなくて、向こう側の階段から行くか。
──思えば、ここで言い聞かせることなく自然にしていればよかったのかもしれない。だって僕はこうして自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、自分のなかで焦りが芽生えてきたのだから。
僕は階段を一個上りきったところで、走り出した。中央階段ではなく、この教室棟の端にある階段を。
走る途中で見かけたものはわからない。とにかく教室、教室と頭のなかで唱えるように繰り返し、そのテンポに合わせて両足を交互に前へ出していた。たったそれだけを意識して駆けていたのだから。
二年二組の札。僕はそれを目にとめる。そしてそこで足も止めた。膝に手をついて、呼吸を整える。ある程度、呼吸が一定の速さに戻った。僕はそのタイミングで膝から手を放して、前の扉から教室へ入った。
夕暮れ、である。朱色の陽が教室を照らしている。
この教室に入った瞬間、その内装を見て「あれ、こんなんだっけ?」と首を傾げた。いや、違うな。それ以上に首を傾げたのはもっと他のことだ。
その教室に、たった一人で机に腰かけて過ごしていた男がいた。もちろんそいつはクラスメイトではないし、僕の友人というわけでもない。言ってしまえば単なる顔見知り。それも一方的な。きっと彼は僕の顔を知らない。
僕が彼の顔を知っている理由は、彼がこの在間高校で現在大注目を浴びる有名人だから。それ以外に理由はない。
麗人であった。綺麗でまっすぐな鼻筋。白く透明な肌。桜色の艶やかな唇。長く吊り上がったまつ毛。よく洗練された流麗な黒髪。微笑む顔は性別問わず人を惑わす悪魔。
僕は見惚れていた。その人間の顔の作りに。ありえないぐらい、僕はそいつにいかれてしまったんだ。
ああ、あれは。
そう、彼は。
彼こそが──。
「──キリサキサツキ、それが俺の名前だよ。あのもやっとした霧に、桜咲くの咲き、皐月はこう書く」
霧咲皐月──彼は鞄からノートとペンを取り出して、そう書いて僕に見せつけてきた。そしてその麗人は机から腰を離して、僕の近くに寄ってきた。
「おまえ、ホラーが好きそうな顔してるな」
僕の顔をじっと見るなり、そんなことを言い出した。人の顔を見るとき、普通ならばどんなことを言うだろうか? たとえばまつ毛長いね、鼻が高いねなんていう顔の形に対する感想。あるいは鼻毛出てるよ、米粒が唇の端についているとか相手の不手際の指摘。僕のなかではこれがノーマルな言葉である。
しかしこの男はホラーが好きそうな顔してる、と言った。まあたしかに僕はホラーは好きである。食いつくほどの好きではないにしろ、書店でホラーものを主に買ったり、週に一度はホラー映画を観たりするぐらいには好きだと思う。
「いや、たしかに好きだけど」
「よし、なら俺と付き合え」
一瞬告白の言葉に聞こえたが、おそらく彼の付き合え、は自分のやりたいことに付き合えと同じニュアンスなのだと思う。
「何に?」
「そんなの決まっているだろ」
このあとに彼が口にした言葉は、ある種の洗脳でもあり呪いでもあった。とにかく人を縛り付ける意味のある言葉であれば、ぴたりとピースがはまったかのように簡単におさまるだろう。
「──俺とこの学校の怪談話を調べないか?」
僕はたった今、この男に呪われたのだ。
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