12日目(2) 蜂蜜とマンゴーと夜の森

「それでそれで、カミツカはここで何してたの?」


 ずいと私に一歩近づき、ニーナが聞いてくる。


「えっと、美味しいマンゴーが森にあると聞いたので、それを取りに。蜜蜂が蜂蜜を分けてくれるみたいなので、それをもらってからになりますが……」


 確か、りっくんと蜜蜂と話していた内容は、なんとなくそんな感じだった。

 はっきり聞き取れたわけじゃないけれど、りっくんの反応から察するとそんなことを言っていた、ような気がする。


「ミーツバーチビーのハチミツ! あたしもあたしもほしい!」

「◆◇◆◇◇◇♪」


 ニーナはアンバーの瞳を輝かせると、隣で大人しく羽をぱたぱたしていた蜜蜂に要求する。蜜蜂は了承するように、大きく前後に体を揺らす。


「わーい、ありがとう! あ、でもでも森の見回り中だった」

「お仕事ですか?」

「うん! ギルドの依頼。密猟者の問題もあったし、森の巡回を強化してるの。うー、でもハチミツ……」


 うんうん唸り出したニーナを見かねて、アリアさんがそっと息をつく。


「この辺りなら巡回警備の範囲内ですし、多少の寄り道は享受いたしましょう」

「ほんとほんと? やったー! ありがとう、アリア!」


 アリアさんの言葉に、ニーナの表情がぱっと華やぐ。背中越しに大きく左右に揺れる尻尾が覗く。


「◇◇◆◇◆◆◇◆◇◇◆◇!」

「うん!」


 蜜蜂が何か言うとニーナは笑顔で頷く。互いに手を取り合って、腕をぶんぶんと振りながらその場でステップを踏み出した。なんだか、どちらも楽しそうだ。


「◇◇◇◇◆◆◇◆◇◆◆◆◇◇」


 ひとしきり喜びを分かち合うと、蜜蜂はぱたぱたと羽を震わせて前に出る。そのまま先導するように、湖畔の道を飛んでいく。


 森を進んでいくと、どこからか、どろりと甘い香りが漂ってくる。それにつれて横切る蜜蜂の数も増えていく。

 蜜蜂が向かう先には、一本の木があった。どこぞの御神木と言われても納得できる立派な巨木の根元には、ぽっかりと大きな穴が空いている。そこに入っていく、無数の蜜蜂。


「きゅ?」


 自然と足が止まった私を見上げて、りっくんが、こてん、と首を傾げる。


「あの……これ、中に入るんですか?」


 そこに突っ込んでいこうとする蜜蜂とニーナやアリアさんに声を掛ける。


「◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◆◆◇◆◇◆◆◆◇◇◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇♪」

「うん! クイーンに紹介してくれるって!」


 ニーナがそう言うと、蜜蜂はその場でくるくる回る。


「クイーン?」

「クイーンミーツバーチビー。ミーツバーチビーを束ねている女王ですね」


 私の疑問にアリアさんが答えてくれる。なるほど、女王蜂ってことかしら。

 小型犬くらいの大きさの蜜蜂の女王蜂……あまり想像したくはない。


「◆◆◇◆◆◆◆◆◆◇◇◇◆◇◆◇◆◆◆◇◇?」


 その場から動かない私を心配するかのように、そわそわと蜜蜂が周りを飛ぶ。

 この蜜蜂に害がないことは分かっているけれど、大量の蜜蜂の中に飛び込む勇気も、女王蜂と謁見する勇気もまだ、私にはない。


「えっと、私は、ここで待っています」

「えー! クイーンに会わないの?? ほらほら、ミーツバーチビーも残念がってるよ!」


 そう結論付けた私に、ニーナがたた、と駆け寄ってくる。その後ろで蜜蜂がしょんぼりしている。


「いや、私にはハードルが高いというか……恐れ多いというか……。あ、でも蜂蜜をいただくには、その女王蜂の許可が必要なんでしょうか?」

「◇◇◇◆◆◇◆◇◆◆◇◆◇◇◇◇◆◆◇◆◆◆◇◆◆◇◇◇」

「そんなことないよ。それにそれに、そんなに気構えることもないって!」

「ええ、臣下思いの優しい方でしたよ?」


 ニーナとアリアさんの言葉に、蜜蜂は前足をぶんぶん振って、こくこくと頷く。


「でも……」

「……まあ、無理強いするものではないですからね。クイーンもそんなことで不敬に思わないでしょうし」


 渋る私にアリアさんはそう了承してくれる。ニーナは少し不満そうにしていたけれど、結局は折れてくれた。

 なんだかんだ、この二人にはいつも気を遣わせてしまっている。でも、この蜜蜂には少しは慣れたけれど、それでもやっぱり大きい蜂は怖い。


「すみません、ありがとうございます。あ、でもりっくんも気になるなら、行ってきていいからね」

「きゅー!」


 りっくんはそう返事をすると、たん、と蜜蜂の頭に飛び移る。

 そして洞穴に入っていく三人とりっくんを見送った。



「もらってきたよー!」


 ランタンの明かりの下。木の根元に腰を下ろして攻略本アプリを眺めていると不意にニーナの声が聞こえてきた。

 そっと顔を上げる。ニーナは何やら大きなものを抱えて、私の元に走ってくる。


 あれは……一体、何かしら。洞穴から少し離れたここから見ても畳一畳分くらいの大きさはある。


「はい、これ! カミツカの分!」


 一瞬で駆け寄ってきたニーナは、どん、と私の前に持って来たものを下ろす。


「えーと……これは?」


 目の前に下ろされた飴色の板? を見上げる。

 近くで見るそれはとても大きい。厚みはそれほどないけれど、高さがある。でも、どろりと甘い匂いや葉っぱの隙間から覗く六角形を見るに、蜂の巣の一部かしら。

 ニーナはよくこれを抱えて持ってこられたわね。


「◇◇◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◆◆◇◇!」

「ミーツバーチビーの巣蜜です。クイーンから沢山頂戴いたしました。私達の分はマジックバックに仕舞ってありますので、こちらはカミツカさんがお受け取りになってください」


 ニーナの到着から少し遅れてやって来た蜜蜂が私の前まで飛んでくると、大きく旋回して何か伝えようとする。その後に続いて戻って来たアリアさんが詳細を教えてくれた。


「はあ、なるほど」


 やっぱりこれが蜂の巣……巣蜜なのね。


「きゅるー」


 ふと、ご機嫌そうな声がして、とん、と肩に軽い衝撃がくる。私の肩の上でりっくんは満足気に尻尾をゆるゆると振り始めた。

 反射的にりっくんを撫でながら、巣蜜を見上げる。よく見たら、巣蜜の上部が一部欠けている。あれはりっくんが食べたあとかしら。それにしても、この大きさ、どうやって持って帰ろう。明らかにエコバッグの容量は超えている。


「あの、すみません。せっかく持って来ていただいたところ申し訳ないのですが、この四分の一……いや、八分の一の巣蜜を一つだけで大丈夫です。残りはニーナとアリアさんの二人で分けてください」


 私の言葉に一瞬顔を輝かせたニーナは、慌てて表情を引っ込める。


「でもでも、せっかくカミツカがもらったんだし、悪いよ!」


 ニーナの後ろで蜜蜂もこくこく頷いている。


「いや、でもこんなに持って帰れないですし、エコバッグにも入りきらないですから」

「それなら、私達のマジックバッグで預かっておきましょうか? まだ容量に余裕はありますし」

「本当ですか? そうしていただけると、助かります」


 私の了承の言葉を受けて、アリアさんは何事か小さく呟く。巣蜜の上に見たことのない幾何学的な文様が浮かび上がり、ぱっと八等分にされた。

 そのうち一つを取ると、葉っぱで包み、その上からさらに魔法でラップをかけてくれる。これは、前回の食事会の時に見たわね。


「どうぞ、こちらを」

「ありがとうございます」


 それをもらうと、エコバッグの中にしまう。八等分して両手に抱えられるくらいの大きさになった巣箱は、どうにかエコバッグに収まった。

 ニーナはアリアさんから残りの巣蜜を受け取り、袋の中に仕舞っていく。


 三人とはそこで別れて、森の先へと向かう。ワイドパンツのポケットからスマートフォンを取り出し、ロックを解除する。攻略本アプリのマップを開いて確認する。


「うーん、もう少し、先かしら」


 リュックを背負い直すと、ランタンを掲げる。

 目指すはこの先にあるはずのマンゴーの群生地。月明かりが照らす夜の森をさらに進んでいった。



 ×××××



 黒茶色の木の間をのんびり歩いていく。りっくんと二人だけになった森の中はとても静かで、先程までの賑やかさが嘘のようだ。

 私は一度、スマートフォンの地図に視線を落とす。


「もうそろそろのはずなのだけれど……」


 案内によれば、もう間もなく目的地が見えてくるはずだ。


「きゅるー!」


 不意にりっくんが肩の上から飛び降りると、たた、と駆けていく。

 そよりと吹き抜けた風に乗って、ふわりと鼻先に届く、のったりと濃厚な甘い果実の匂い。

 左腕に提げたエコバッグを持ち直し、匂いの元へ近付く。


 次第に見えてきたのは、少し開けた森の広間。淡い月明かりが、柔らかに地上を照らしている。

 中心には、数本の果樹がまとまって生えている。そこに実る赤橙色の果実は遠目から見ても、かなり大きい。


「きゅー」


 一足先に辿り着いていたりっくんは、枝の上に立ち上がってかじかじと果実を齧っている。その実は抱えきれないと悟ったのか、枝に付いたままだ。

 りっくんが食べ始めると、甘いマンゴーの匂いはより強く香る。

 私も我慢しきれず、急ぎ足で中心の木に向かう。


 間近で見たマンゴーは、ラグビーボールよりも大きそうだ。赤く熟れたオレンジ色の果実からは芳醇な香りが漏れ出ている。

 はやる気持ちを抑えて、リュックの前ポケットから多機能ツールを取り出す。一旦、地面にランタンを置くと、ナイフをセットする。背伸びをして、そっと手を伸ばす。


 軽く触れたマンゴーは、少し力を入れただけでぐにゅりと指先が沈み込む。ずっしりと重い果実を慎重に支えて、細い枝の部分をカットする。

 支えを失ったマンゴーは、どさりと手の中に落ちてきた。


「……はー、すごい香り」


 抱え込んだマンゴーは柔らかく、香り高い。早く食べたいけれど、ここでは道具も足りないし、ひとまずログハウスまで戻らないと。でも、この大きさ、エコバッグに入るかしら。


 片手に抱えると、エコバッグを広げる。梨だけなら問題なかったけれど、今は蜜蜂からもらった巣蜜も入っている。


「入らないことは、ないかもしれないけれど……」


 そうなると、マンゴーも巣蜜も潰れそうだ。流石にそれは、もったいない。

 私はマンゴーを抱えたまま多機能ツールをリュックに仕舞う。そのままリュックを背負うとエコバッグを左腕にかける。左手のマンゴーを抱え直し、右手で地面に置いていたランタンを取る。


 その頃になってマンゴーを食べ終えたりっくんが左肩の定位置まで戻ってくる。

 りっくんの頭を撫でたいけれど、今は両手が塞がっている。


「あ、そうだ。スマートフォン」


 帰りの道順を確認するのを忘れていた。ポケットに入ったままだけど、音声操作ってできるのだろうか。

 私は少し考えた後、左手の先でランタンを持つ。空いた右手でりっくんの頭を撫でると、ワイドパンツのポケットからスマートフォンを取り出す。アプリのマップの音声案内をタップすると、ポケットに戻す。ランタンを右手に持ち直した。


『直進、三十メートルです』


 無機質な女性の声が道順を告げる。その案内に従って、夜の森を歩いていく。

 途中、通りかかったきのこの群生地でビハダケやビハクダケを採取しながら、ログハウスまで戻った。

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