異世界ボイコット(7日目(2))
夏の終わりのぬるい空気がカーディガン越しの肌を撫でる。水色の空高くに流れる筋雲は、もうすぐ訪れる秋を予感させる。
私の気持ちとは裏腹な晴れ模様の空に、はあ、とため息をつく。
「入らないの?」
山田太郎に指定されたカフェレストランの入り口で佇む私を見かねて弟が聞いてくる。
「……私も行かないと駄目かしら」
やっぱり、私は無関係だと思うの。だって、神様でもなんでもないもの。
……その神様っていうのもよくわからないのだけれど。
「姉ちゃんも誘われたんだから、来ればいいじゃん」
弟は気にせず、紙袋を片手に抱え直して入り口のドアを開ける。早く、と急かす弟に促されるまま、中に入る。窓際の席に案内されると既に三人の姿があった。
「神束さん、お疲れ様です」
「お疲れ様です」
声を掛けてきた山田太郎に反射的に返しながら、一番手前のイスに鞄を下ろす。そのまま鞄を背もたれにして浅く座る。私の向かいで弟も、持ってきた紙袋をソファーの上に置くと席に着く。
六人掛けのテーブル席は窓と仕切り板に囲まれていて、あまり人の目が気にならない作りになっている。よくわからない会合なのにレストランなんてオープンな場所を指定されて不思議に思っていたけれど、ここならまあ、問題はないのかしら。
「おねーさんが、おにーちゃんが言っていた、神様じゃないけど異世界に行っている人?」
声をかけられて顔を向ける。一番奥の席に座っていた女性が、大きな目を輝かせて私を見ていた。蜂蜜色のセミロングの髪の合間から翡翠色のインナーカラーが覗く。緩やかにカールを描く毛先がふわりと肩にかかる。
金曜日に山田太郎から聞いた話では今までの神様で、女性は彼の妹の一人だけだったはずだ。ならば、彼女がそうだろうか。メイクをしているせいか、あんまり山田太郎に似てないわね。
「ええ、まあ、不本意ではありますが……。えっと、花子さん、だったかしら」
「はい! はな、って呼んでください。おにーちゃんから色々お話は伺ってます!」
……どんな話を聞いているのだろう。語られるほどのことは話していないはずなのだけれど。
「今まで女性ってアタシだけだったんで、お会いできて嬉しいです! 今日は、リースースクワラルはお家ですか?」
「ええ、流石にお店には連れて来られないので」
山田花子の勢いに押されつつ、なんとかそれだけ返す。
「いーなー。カワイイですよね。あ、今度、お家に見に行ってもいいですか?」
「え、ええっと……検討させていただきます?」
「まあまあ、山田さんもそれくらいにして」
思った以上にぐいぐい来る山田花子の対応に困っていると、彼女の横から静止の声がかかる。
気弱そうな線の細い男性は前のめり気味な彼女を宥めて、私と弟に視線を向ける。
「とりあえず、何か食べますか? 僕たちもドリンクバーだけは注文したんですが」
その男性はメニューを差し出すと柔和な笑顔を見せる。
「ありがとう、ございます……」
メニューを受け取って料理を注文すると、ひとまずドリンクも持ってくる。男性は改めてテーブルに座る面々を見回してにこりと笑う。
「これで全員揃ったみたいですね。今回は新しい方がお二人いらっしゃるので改めて自己紹介でも。僕は鈴木一郎と申します。山田さんとは高校のクラスメイトで、大学も一緒でした。一応、三代目の神様になります。異世界での主な実績は魔道具や生活関連の魔法の確立と改良ですかね。今は家電メーカーで営業をしています」
鈴木一郎は笑顔のままそう言うと、よろしくお願いします、と頭を下げる。
山田太郎も真面目そうではあったけれど、それとは別方向で彼も真面目そうだ。何よりも、一見常識的な対応に戸惑った。……話している内容はおかしいけれど。
それにしても、彼が人感センサーやコンロやトースターを異世界に普及させたのね。
「次はアタシね。名前はさっき言ったからいいかな。おにーちゃんの次、二代目の神様やってました! 異世界では、石けんとかシャンプーとか作ったり、ハーブやお花の生態をまとめたりしてました。今は異世界系のユーチューバーやってます!」
そういえば、攻略本には石鹸やシャンプーの作り方も載っていた。まだ時間がなくて作れていないけれど、あれは彼女がまとめたものだったのね。
……ところで、異世界系のユーチューバーって何かしら。
「次は自分ですかね。えっと自分は一応、全員と面識があるので軽く。山田太郎です。一応、原初の神から業務を引き継いで一番最初に神様をやっていました。今はこちらの神束さんと同じ職場で働いています」
山田花子の言葉に疑問を抱いていると全員の視線を感じた。弟が「次、姉ちゃんの番」と小声で教えてくれる。
「えっと、神束、弥生、です」
よろしくお願いします、と言うのも変な気がしてとりあえず名前だけ告げる。他の人が言っているような実績なんて、私にはないし。
「最後は俺だねー。俺は神束広世。五代目の神様やってます。今は中途半端に手付かずになっていた通信環境を整えている最中です。ゆくゆくは自宅からリモートで管理できるようになるのが、当面の目標かなー」
「あー、やっぱり
弟の自己紹介に鈴木一郎が困ったように笑いながらそう呟く。
「零クンって四代目の神様だっけ?」
山田花子の問いかけに鈴木一郎は頷く。
「うん。
「『今度こそ異世界で無双するんだ!』って言って、別の世界に行っちゃいましたねー」
「まあ、零くんって異世界に夢見てるタイプだったからね」
なんだかとても軽い調子で話しているけど、言っている内容がおかしい。そもそも、他の世界なんてそんなに簡単に行けるものなのかしら。……まあ、私が言うのもあれだけど。
「なんだかねー、神様ネットワーク? っていうのがあるらしくて、わりと簡単に世界間を行き来できるらしいよ。まあ、そもそもその存在が秘匿されてるから、知っている人限定だけど」
私の疑問を感じ取ったのか、弟がそう話す。
「元々あの世界にいた原初の神も、別の世界にバカンスに行ってますしね」
「はあ、なるほど?」
山田太郎の補足に首を傾げつつも、ひとまず頷いておく。
そこに丁度、料理が運ばれてくる。
「それで、今、向こうの世界はどうですか?」
器からドリアを剥がしながら鈴木一郎が弟に聞く。
「平和っすよー。一瞬、密猟と密輸の問題が出ましたけど、現地の人たち優秀なんで早々に解決してましたし。何かあっても俺、何もやることないんで助かってます。それに、戦争とか物騒な話もないですしねー」
弟の言葉にフォークが空振り、アラビアータを避けてかつんとお皿に当たる。
問題、という単語だけ拾ってフラッシュバックしてきたのは、アガットの瞳と木に刺さった弓矢。それを押し込めるように、パスタを刺すと口に運ぶ。
「おねーさんは、街にはもう行きました?」
山田花子に話しかけられて、びくりと肩が震える。
「えっと、いいえ、まだ……」
「街に行ったら、ぜひ小鳥亭に行ってください! アップルパイがほんと、絶品で。あの店はどの料理もハズレなしでオススメです! それに店長さんが大の甘党らしくて、スイーツ系の充実度も半端ないです!」
アップルパイは以前の食事会の時にニーナやアリアさんが持ってきてくれたわね。お店の名前は聞いていなかったけれど、そこかしら。確かにパスタもリゾットもどの料理も美味しかった。
あの食事会は楽しかったな。二人とも久しく会っていないけれど、元気かしら。
「あ」
そこまで考えて、思わず声が漏れる。
「どうかしましたか?」
「……いいえ、何も」
零した声を拾った山田太郎にそう返すと、ジャスミンティーを一口飲む。
「姉ちゃんって全然、街に行かないんすよ。いつも森をふらふらしてばっかで」
私への話題はまだ続いていたらしい。逸れていた意識を目の前に戻す。
「だって、興味ないんだもの」
それだけ答えると、ストローをくるくる回しながら視線を外す。
そもそもの話、異世界なんてものに興味など一つもなかった。……今までは。
「あそこは自然も豊かですからね。僕も異世界にいた時はいろんな場所を散策しましたよ。夜霧の森の奥にあるレストランにはもう行かれましたか?」
「あそこはお肉やきのこの料理がおいしいんですよね。アタシも何度か行きました!」
鈴木一郎の言葉に山田花子もそう続ける。
「夜霧の森? いいえ。その森はどこにあるのですか?」
「まあ、あそこはパラレリア王国からちょっと離れて、魔の国に近いからなー。姉ちゃんの行動範囲からはズレてるかも」
「そうなの?」
夜霧の森、レストラン、お肉やきのこ料理が美味しい。行くかは分からないけれど、一応記憶に留めておこう。
「森を散策してるなら、マンゴーマンゴーもオススメです! 果肉がとろとろでやわらかくて、すっごいおいしいんですよ! うーん、でもちょっと旬の時期が外れちゃってるかな?」
「マンゴーマンゴーなら、この前オッキーナの森で見かけたよ」
「探してみます」
帰ったら攻略本アプリのマップで検索をかけてみよう。
ふと、視線を感じて顔を向ける。にまにまと笑う弟と目が合う。
「何よ?」
「別にー」
弟の反応に眉を寄せる。カップを置き、フォークを手に取る。
異世界から足が遠ざかる前、確かに怖いことはあった。でも、それだけじゃなかった。
ニーナとアリアさんとの交流は楽しかったし、森で見た景色は綺麗だった。それに何よりも、食べるもの全てが美味しかった。
自然と緩みそうになる口元を誤魔化すように、パスタを食べる。ぴりり、と舌先を刺激する辛味の後からトマトの風味がふわりと広がる。
向こうにあるトマトはどんな味なのかしら。やっぱりこっちよりも大きくて、味が濃いのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、弟たちが話す異世界談義に耳を傾けた。
神様会は結局、予定時間をオーバーして終了した。
弟を見送った部屋の中で、スマートフォンを手に取ると攻略本アプリを開く。肩に飛び乗ってきたりっくんの背中を撫でながら、目的の果物を検索する。
気乗りはしなかったけれど、今日、あの会合に参加してよかった。
「次は、今度の火曜日か」
向こうに行ったら食べたいもの、行きたいところがたくさんできた。
「火曜日が、楽しみね」
「きゅー!」
顔を上げたりっくんと目が合って、小さく笑う。
明後日、異世界に行ったら何をしようかしら。
ほんの少しだけわくわくしながら、攻略本アプリで見つけたマンゴーをお気に入りに登録した。
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