馬鹿にされた萌黄色の伯爵令嬢~婚約解消へのカウントダウン~

紺名 音子

第1話


「メリル……いい加減にしてくれないかな?」


 晴れた空の下のガーデンテラス、綺麗に切りそろえられた鮮やかな明緑の髪と目を持つ端正な顔立ちの青年は不機嫌そうにテーブルにネクタイを置く。


「何、この刺繍」

「何って……パトリック様のご依頼通り、つた模様の刺繍ですが……」


 青年の真向かいに座る、細かなウエーブがかった萌黄色の髪と目を持つ淑女がきょとんとした表情でネクタイを見つめ、答える。

 明緑のネクタイには緑色のイソギンチャクのような生々しい刺繍が施されていた。


「メリル……君の刺繍はとても丁寧で繊細で素晴らしいものだ。だから分かる。これ間違いなく蔦じゃなくて複数の触手を持つ緑色の魔物グリーンローパーだよね? 何で僕のネクタイに毎回毎回気持ち悪い魔物刺繍するの? 僕この間もう蔦模様でいいから、って言ったよね?」

「すみません、蔦だとやる気が出なくて……刺してるうちに触手の方が格好良いと思って……それでもなるべく蔦を意識してみたのですが……」


 明らかにイライラしているパトリックに対し、メリルはおっとりしている。優雅にお茶に口を付けて答える様は尚更パトリックを苛立たせた。


「触手だけならまだ誤魔化せるかもしれないけど、これ、中央に本体入ってるじゃないか! こんなの身に付けて人前に出られないよ!」


 人前に出られない――と言ってもメリルの刺繍の腕は悪くない。むしろ職人と言っても過言でない程細やかで見事な刺繍が施されている。


 問題はそのモチーフだ。刺繍されているのがでさえなければパトリックだって自分の技術より凄いと感嘆の声をあげて喜べるものだったのだが。


 最初はパトリックもメリルが魔物の刺繍をするのが好きだと聞いていたから定番のドラゴンを頼んでみた。返ってきたネクタイにはドラゴンゾンビが縫われていた。

 自分の頼み方が悪かったかと反省し、ガルーダを頼んだらガルーダをイメージしたゾンビを縫われた。


 (そうか、アンデッドが好きなのか……)と悪趣味な刺繍に引きつつも妥協してスケルトンを頼んだら人骨取り込んだスライムを縫われた。


 そして誕生日には小さなマンドラゴラがたくさん刺繍されたスカーフが贈られてきた。


 もう色々諦めて単純な模様なら縫ってくれるかもしれない、と僅かな望みをかけて蔦模様を頼んだ結果がこれだ。

 縫える技術があるのに頑なにちゃんと縫ってくれない――パトリックに限らずどんなに優しい人間でも一言言いたくなるだろう。


「あのねぇメリル……こういう事言いたくないんだけど、僕の立場も考えてくれないかな? 僕、次期侯爵なんだよ? こんなの身に付けたら皆に笑われるよ! それとも何? 誰か他に想い人がいるから僕に嫌がらせして僕から婚約解消されるの狙ってる?」


 そう、この2人――パトリック・フォン・フィア・アベンチュリン侯爵令息(18)とメリル・フォン・ゼクス・アルパイン伯爵令嬢(24)は婚約関係にある。


 アルパイン家はペリドット領とアベンチュリン領が接する領境に存在する小都市の1つを治める伯爵家であり、メリルはこの館の主であるアルパイン伯爵の妹にすぎない。

 本来であれば隣領の侯爵令息であるパトリックにこのような無礼を働くのは許されない立場なのだがパトリックがメリルにベタ惚れの為、メリルの無礼は全てスルーされている。


「パトリック様、私に想い人などおりません……そこまで私の刺繍がお気に召さないのなら、私以外の方に頼まれれば宜しいのでは……?」

「駄目だ! 僕の領地で夫と妻、互いに首元を飾るネクタイやスカーフ、ジャボに祈りを込めて刺繍して贈りあう守護刺繍の伝統がある以上、僕のネクタイの刺繍は婚約者である君に頼むしかないんだ! 他の女が刺繍した物なんて身に付けたら浮気じゃないか!!」


 アベンチュリン領は領土の約半分が『迷いの樹海』と呼ばれる程広大な大森林に覆われ、魔物が凶暴化する時期になると森に巣食う魔物や動物が街や村を行き交う旅人や商人を襲う事も多い。

 故にアベンチュリン領に住まう民は皆、糸に魔力と魔除けの願いを込めて刺繍したネクタイやスカーフを想い人に贈る慣習がある。


 今メリルの首元を飾っている明緑のスカーフにはパトリックが刺繍した萌黄色の華やかな花と蔦があしらわれている。

 が、パトリックの方は何の刺繍もされていない無地のネクタイだ。


「女性が駄目なら殿方に……」

「同性なら良いってもんじゃない!!」

「ではフィリップ様に……手先がとても器用だとお聞きしています」

「18にもなって『婚約者が気持ち悪い物しか刺繍してくれないので父上、僕のネクタイ縫ってください……』なんて言えるはずないだろう!?」


 『デザインが気持ち悪い魔物でさえなければ、君の刺繍はとても素晴らしいのに――』それをパトリックは何度も言っているのだが、メリルの心には全く響かない。


 メリルは人からの評判や賛辞なんて求めていない。ただ好きな物を縫いたいだけだ。

 自分が好きな物を同じ嗜好の人に認めて喜んでもらえたら、と思うけれど自分の嗜好が非常にマニアックな物だという自覚はあるので諦めている。


 『好きじゃない物を縫う気はありません』――メリルは何度もパトリックにそう言い返しているのだが、2人の主張はどちらも譲らず平行線。


 メリルは正直この6歳下の婚約者が苦手だった。


 いくら見目が良くて声も綺麗で基本的には優しく文武両道の侯爵令息でも、人から恥ずかしく見られたり笑われるのを過度に嫌い、刺繍に色々難癖をつけてくる所はどんなプラスもマイナスにする致命的な悪癖だった。


 その上、毎回自分が縫った物を回収し「やり直して」と新たなネクタイやスカーフを持ってくるパトリックの事がメリルは段々苦手になってしまったのだ。


 しかし下位貴族の方から婚約の解消を申し出るのは余程の理由がないと難しい。そのうえ自分の大好きな趣味を頑なに譲らずこれまで数々の縁談を袖にして行き遅れになってしまっているメリルの立場は悪い。


 依頼された物をその通りに縫えばパトリックも文句を言う事なく、メリルもアベンチュリン侯爵令息夫人として今より良い生活が出来るのだろう。しかし――


「メリル、君はとても美しいし、賢いし、優しい。僕は君と出会えて、君と婚約できて本当に嬉しいと思っている……ただ、君の嗜好とその頑なな態度だけは本当に理解できない……!!」


 パトリックの嘆くような言葉にメリルは大きなため息をつく。



「……パトリック様、後5ポイントです」

「5ポイント?」



 突然のメリルの謎の発言にパトリックは固まる。


「後5回私及び私の作品を馬鹿にしたら婚約解消させて頂きたいと思います」

「い、いきなり何を言い出すんだメリル!?」


 戸惑い狼狽えるパトリックを前に数枚の紙をテーブルに出す。パトリックが恐る恐るその1枚を手に取ると「気持ち悪い」「センスを疑う」「恥ずかしい」という言葉が日付別でまとめられていた。


 もしかして――と思う間にメリルはまだ余白の多い紙に何処から出したのか羽ペンで今言われた言葉も書き綴っていく。


「いきなりではありません。貴方がこれまで私が作った物を馬鹿にした回数です。先程の言葉も含めて45ポイント……50ポイントも溜まったらもう価値観の相違を理由に婚約解消してもいい、とお兄様から言われました」

「突然すぎるだろう!? 何だって君はいつだってそう自分勝手」

「パトリック様。解消したくなければ後4回私が不快に思う事をしなければ良いのです」

「うぐっ……!」


 しっかり自分勝手、という言葉もカウントされている。この状況に微笑みを浮かべるメリルにパトリックはたじろぐ。


「……わ、分かった。確かに、僕もこれまで言い過ぎたきらいはある。君を傷つけてしまったのなら謝ろう……だけど僕はそこまでおかしな事は言っていないはずだ。こんな物を身につけて人前に出る身にもなってほしくて……」

「後3ポイント」

「うぐっ……分かった、僕があれこれ言うのが嫌だったのなら、今後は言わない……」


 ギリ、とパトリックが歯を噛み締めた音がメリルの耳に微かに届く。


「……パトリック様、どうか無理なさらないでください。私の刺繍した物を身に付けたら仰られる通り、きっと貴族の方々に笑われますわ。でもこれが私なんです。私はこれからも自分の好きな物だけ縫い続けます。こんな私がお嫌であれば私から婚約解消を申し出る前にそちらから申し出てください。パトリック様はお若いのですから、こんな行き遅れの女を相手にせずとも素敵な刺繍をしてくださる良い女性が見つかりますわ」


 メリルにとってそれは優しさであり本心だった。だが。


「嫌だ……! 後3ポイントあるのなら逆に言えば3ポイント無くなるまでは解消するつもりはないという事だろう?」

「ええ、まあ……本当に言わないのであれば私も文句はありません。パトリック様は見るに耐える容姿をしていますしアベンチュリン邸は国中の小説や図鑑でいっぱいだと有名ですからその本を好きなだけ読めると思うと……できる事なら断りたくありませんわ」

「それなら」

「でも」


 目に強い光が宿ったパトリックをメリルは真剣な目で真っ直ぐに見据える。


「……パトリック様。私は自分が作った物を批判される事に疲れました。素敵な物が出来たと思ってお見せする度に『これは素敵じゃない』『気持ち悪い』『こんな物を縫う人間の感性センスを疑う』と逐一否定される生活は例えその他がどんなに恵まれていようと御免です」

「す、すまない……」


 初めて見るメリルの厳しい表情と厳しい声にパトリックは反射的に謝罪の言葉がまろびでる。

 メリルはそれ以上追撃の言葉を言わず、手元のハーブティーにそっと口をつけた。


「と……とりあえず今日はもう帰る」

「そうですか、それではお見送りを……」

「いや、今日はいい。また失言してしまいかねない。だけどメリル、君が言い出したんだ。0ポイントにならない限り僕が学校を卒業したら絶対結婚してもらう!」


 この期に及んでも小物の風格を漂わせるパトリックをメリルは目で見送る。見えなくなった後、しばらくして遠くで馬が走り出す音が聞こえてくる。


 音がする方を光のない目で眺めるメリルを影が覆った。


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