繰り糸囃子
かなぶん
小春side
序 寄り添う姿
そのお二方と出逢ったのは十四の冬。
寒々とした鉛色の海を背に身を寄せ合いながら、父に案内されてくる姿。年頃の娘であるわたくし、
殿方は、わたくしどもと同じく黒目黒髪ながら、整ったお顔立ちは異国の容貌。片方だけの眼鏡に、藍染の外套を纏うお姿は凛々しくも、ちらり袖から覗く指は、わたくしのそれよりはるかに女性らしいたおやかさをお持ちです。
ただ、長旅でお疲れなのか、眼光には険があり、近寄りがたい雰囲気でした。
そんな彼の肩にもたれかかるのは、この
けれど、幸せそうに微笑む艶やかなお顔は、我がことのように嬉しくなる、不思議なもの。
「小春!」
父に呼ばれ、ぼんやりと見惚れていたわたくしは、はっとして近づきました。
「この方は
紹介された名は、異国とは思えぬ近しい名前でした。
「宮内……くし……?」
困惑混じりのわたくしに対し、殿方はいっそう不機嫌な顔をされました。
「幸乃殿。貴殿の娘御は、初対面に対して呼び捨てを礼儀とするのカ?」
「あ、いえ、そんな。申し訳ございません。ほら、お前も謝りなさい」
慌てる父に合わせ、頭を下げます。
異国訛りの声は、冷たく刺々しいものでした。
汗を拭きながら、
「じゃあお前、喜久衛門先生のお宅までご案内なさい。――くれぐれも粗相のないようにな」
最後はぼそりと耳打ちし、父は足早に去っていきました。
詳しい説明もないまま取り残されたわたくしは、多少混乱に首を傾げながら、
「では――」
と、先導します。
小娘に案内されるのが気に入らない、そんな顔つきの殿方とは対象的な、柔和な笑みの女性に、勇気づけられて町中を歩いていきます。
見知らぬ顔に皆、足を止めては去っていく様へ、殿方はやはり不服そうなお顔。
対照的に女性があんまりにも優しい笑みを浮かべたままなので、わたくし、不謹慎ながら少々笑ってしまいました。
「何が可笑しイ?」
小さく笑ったのを見咎めて、殿方が低く唸られました。
へそを曲げられては大変です。
「いえ……ちょっと思い出してしまったもので」
そう言うと殿方は鼻を鳴らされました。きっと変な娘だと思われたのでしょう。
口をついた言葉とはいえ、過ぎったのは、殿方の師である宮内喜久衛門様のこと。
本島や異国では大変有名な人形師なのですが、父に連れられて最初にここへ来た時、宮内様はまさに今の殿方と同じく視線を集めていました。
幽藍島の情報は本島から一年近く遅れていましたので、誰も彼の方を知らなかったのです。
それでも宮内様はにこやかに笑っていらっしゃいました。
弟子の殿方とは正反対です。
なおも度々笑っていると後ろから咳払い。
大変ご立腹の様子に、わたくしはこれは父の使いだからと、気を引き締めました。
* * *
町を抜け、しばらく歩くと、切り立った崖の上に木造の小さな家があります。
外見はかなり古びておりますが、この島のどの家より強度があると、棟梁が仰っていました。
とはいえ、お客さまへ宛がうには、見た目はやはり不向きな住まい。
優雅な女性はもちろんのこと、一度も表情を和らげない殿方ならばなおのこと、驚きか不快か、そんな反応を予想していたわたくしは、多少緊張しておりました。
「こちらが、宮内喜久衛門さまのお宅です」
けれど、わたくしの紹介に、殿方も女性もお顔はあまり変わりません。
意外です。
と、視界にちらほら雪が。
風邪を引かれては大変と慌てて木の戸を開け、お二人をご案内しました。
「ホウ……。まあまあ、か」
さすが人形師のお弟子さんだけありまして、凡人にはガラクタ置き場にしか見えない作業場に感心したご様子。
ご加減も直ったようで、早速床に座られます。
そうして、今まで肩に抱いていた女性を、そのままゆっくり板間へ倒し――
「へ……? え、え、え?」
足を持ち上げる殿方。
目の前で展開される事象に混乱するわたくしは、出たものかどうか迷ってしまう始末。
とりあえず戸口に手をかけましたが、目はお二方の様子に釘づけ。
はしたないことでございました。
そんなわたくしへは目もくれず、殿方は持ち上げた両足を床に置くと、倒れた女性の脇で膝をつくと、腕を取っては自身の肩へ乗せます。
その間、終始女性は変わらぬ笑みをたたえたまま。
ここに来てようやく、わたくしは女性が人形であったと気づいたのです。
あまりに見事な出来栄え。宮内さまのお造りになった麗しい人形たちを、いくつも拝見させて頂いたわたくしでさえ見抜けぬほどなのです。
どことなく宮内さまの作風に似てらっしゃるものの、滑らかな肌質は失礼ながら宮内さまの人形では為しえなかったものでした。
しばし、惚けてしまうわたくしの視界から人形が遠ざかっていきます。
我に返り、次に起こした行動といえば、運ぶのを手伝おうと殿方から遠い人形の腕に、手を差し伸べたこと。
ぱんっ
短い音。容赦のない痛み。
「触るナ!」
鋭い拒絶。
わたくしは、惨めな思いを抱きました。
美しい人形が汚れる――そう言外に告げられた気がして。
確かにわたくしの手はあかぎれていて、綺麗とは呼べない代物です。
それでも父から案内を任されたお客さま。
ぐっと唇を噛んで悔しさを堪えました。
一通り家の説明を終えてから、礼。
出ては無我夢中で駆けました。
恥も外聞もなく泣いたのは、夜半、独りになってからでございます。
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