CELEBRATION

同僚ふたり一周年記念作品です。 



 大袈裟に言えば憧憬で、有り体に言えば好意だった。

 新卒入社で配属されたチーム。最初に話しかけてきてくれたのが倉田さん、なかなか話しかけられずに苦戦したのが笹木さんだ。

 倉田さんは薄色のサングラスと鮮やかな柄シャツが醸し出す雰囲気に身構えたものの、関西弁のようなそうでないような独特の話し方が気安く、雑談を出来るようになるまでそう時間はかからなかった。

 対して笹木さんのパーカーにデニムのような僕もよくする服装は親しみやすかったが、とにかく強い目がこちらを否定しているようで怖かったことを思い出す。意外に細い声がそれに追い打ちをかけ、しばらくは社内SNSの文章でばかりコミュニケーションを取り、雑談なんてもってのほか。

 そんな笹木さんの印象が変わったのは、ある日の喫煙所だった。僕はいわゆる童顔と呼ばれる顔立ちらしく、大学を卒業しても酒や煙草の購入で年齢確認されるのが当たり前、居酒屋や喫煙所では弄られることが多い。

 子供はそんなことしちゃ駄目なんだぞ。身体に悪いって。会話のきっかけに使われることも多く、大抵の場合は僕も何も感じない。たかがそれだけの話だと思えるのに、繰り返されると僅かに何かが降り積もっていく。それが蓄積し、いちいち笑うのも面倒になるのは心が狭いんだろうか。

 喫煙所で壁に背を預けていた笹木さんは僕を一瞥した後、お疲れと煙を吐き出して目を細めた。強い眼光が弱まると途端にあどけない雰囲気が、それと同時に何度か笹木さんとここで遭遇しているが、彼からは一度もお決まりの台詞を聞いていないことに気づく。


「……笹木さんは」


 僕に興味がないだけかもしれないが。自然小さくなった声が僕ら以外にひとのいない喫煙所の空気を震わせる。


「ん」

「子供に煙草は、って言わないんですね」


 自虐というよりも疑問だと伝わればいい。後悔先に立たず、それでもやらない後悔よりもやる後悔を選んだ。笹木さんは何度か瞬きをした後、あぁと納得したよう頷いて、


「そういうコミュニケーション嫌いだから。日々木ひびきは大人なんだし、オレが何か言うようなコトじゃねぇだろ」


 さらりと僕の名字も口にし、また煙草を咥える。何でもないことのように出てきた言葉に表裏があるとは思えない。この人は僕を弄らない、多分これからも。ただそれだけのことだ。


「そう、ですよね」


 じわりと感じた嬉しさは顔にも出ていたらしく、笹木さんは今度はしっかりと口角を上げ、笑顔を見せてくれた。僕よりも余程幼く見える意外な顔は、大丈夫だと言ってくれた気がする。

 そして最初から好感度の高かった倉田さんは、一緒に仕事をするようになってから更に魅力的な部分が見つかった。

 彼は絶対に、気分で仕事をしない。どれだけ不機嫌であっても、前日に僕が酷い失敗で迷惑をかけていたとしても話す時には常に穏やかで飄々と接してくれる。

 笹木さんは元が不機嫌そうなので分かりにくかったが、倉田さんは険しい顔をしていても、電話の応対や接する声にトゲをつけることはなかった。後輩を持つようになった今は更に、意外とそれだけのことが難しいと知っている。仕事が予定通りに進まない時、焦っている時にはつい気持ちの色が声や態度についてしまう。

 予定外の仕事や理不尽な叱責に眉が下がるのは何度も見た。けれど僕へ仕事を教える時、倉田さんは常に、


「日々木、大丈夫か?」


 とサングラスの向こう側にある大きな目を細めていた。

 倉田さんとも喫煙所で話したことがある。煙草を吸う姿は結局一度も見たことがなかったが、自席に姿のない時は大抵ここで無糖の缶コーヒーを飲んでいた。たまに、よく似た微糖の缶を悲しげに持っていたが。


「倉田さんって凄いですよね」


 今日は他部署からの連絡が予定より遅れ、とにかく慌ただしい一日だった。笹木さんの眉間のシワはより険しく、リーダーも珍しく口調が荒ぶっていたのに、倉田さんはいつも通り進めていた気がする。それにしても先輩に対して失礼な発言だったかもしれない、と気づいた時には、


「ははは、何だかさっぱりわからんけど嬉しいわ」


 口を大きく横へ広げていた。


「全然不機嫌そうな感じとか、焦った感じとか見えないんで……凄いです。僕、すぐに顔とか出ちゃうんですよね」


 煙草の灰を落として呟くと、


「俺が嫌だからってだけやで。当たったところで何も変わらんし、日々木がそう言ってくれるのは有り難いけどな」


 自分本位やぞ、答えてから缶コーヒーをゆっくりとあおった。倉田さんにとっては当たり前のことでも、僕には有り難いんです。流石に言葉は続かず、凄いですよ、もう一度繰り返すと、少し照れくさそうにはにかんだ顔はまだ鮮明に残っている。似ているとかそんなことよりも、あのふたりはぴたり噛み合っていた。

 ふたりそれぞれの当たり前が嬉しかったと伝えられるようになる前に僕は関西地方の事業所へと異動し、業務で関わることはあまりないまま月日が流れた。まだまだ未熟ながらも後輩も出来、今月には学生時代から付き合っていた彼女と結婚する。参列者の相談をしている時に浮かんだのが懐かしいふたりの先輩だった。

 一年にも満たない期間、後輩だった男の結婚式に呼ばれても困るだろう。彼女も、今の職場の先輩方と一緒のテーブルでいいのか、お互いに気まずいのではと困惑顔をしていて、言い出した僕自身も頭の中では納得していた。にも関わらず招待状を出したのはいつかも発揮した、やらない後悔よりもやる後悔の精神で。出席に丸がついた招待状の返信を見た時には思わずガッツポーズをしたくらいだ。


「本日はお日柄もよく……で合っとる? とにかくおめでとう、嬉しいわ」

「合ってる合ってる、いちいち聞くなよ。ご結婚おめでとうございます」


 一緒に仕事をしていた時には一度も見ることのなかったスーツ姿で、変わらないふたりが今、目の前にいる。ふたり共にブラックスーツに、倉田さんはネクタイとカフスをシルバーで統一して緩やかに波打つ髪を丁寧に整えていた。色付きレンズじゃない姿も初めてな気がする。

 笹木さんはネクタイとカフスを白、短い黒髪をしっかりと撫でつけて形のいい額があらわになっていた。強い目も今日は最初から細められている。

 彼女はお色直しで退席し、僕のところには代わる代わる瓶ビールを持った友人達がお祝いの言葉をかけに来てくれていた。その合間を縫い現れたふたりの手にも、それぞれ瓶ビールが握られている。


「倉田さん、笹木さん、今日は本当にありがとうございます。今は業務じゃほとんど関わりがないですし、休日にわざわざ……すみません」


 小さなグラスを差し出すと、


「謝るようなことはひとつもないし、俺らにもお祝いさせてくれて嬉しいけど。なぁ、さっさ」


 半分位までビールを注ぎ、同意を求めて横を向く。


「当たり前だろ。そもそも嫌なら来ねぇよ。気にしないでしっかり祝われとけ」


 笹木さんからもビールが注がれ、小さなグラスがいっぱいになる。ありがとうございます、もう一度同じ言葉を繰り返してからグラスをあおると喉の奥につかえていた何かも、滑り落ちていくような気がした。変わらない笑顔にはあの頃同様裏も表もないんだろう、間近で見たことでそう思える。

 空にしたグラスを置き、


「おふたりのスーツ姿初めて見ました。すごく様になってるっていうか、着こなしてらっしゃって格好いいです」


 改めて、珍しい姿に素直な気持ちを吐露すれば、


「前は死ぬ程来てたからな。昔とった杵柄がまだ有効で良かったわ」


 あまり好きではなさそうな笹木さんの渋い声と、


「あんがと、でも今日イチは日々木やろ。タキシード似合ってんで」


 愉しげな倉田さんの明るい声が返る。


「さっさは俺の次で三番目な。日々木、俺、さっさ」

「何番でもいいけどよ。ネクタイ曲がってんぞ、クラ。色男はそういうところに気を配れ」


 笹木さんが倉田さんの胸元を指差して、なぁと僕の方を見た。確かに結び目が僅かに襟元から外れている。慌てて頷くと、眉を下げた倉田さんが、


「何で少し動くだけで曲がるん、これ。直った?」


 意外にも、もたつく手つきでネクタイを触り、定位置へと持っていった。


「曲がりたいからじゃねーの。直った」


 そういえばこのふたりはこんな感じだった。懐かしい調子に吹き出した瞬間、ふたり揃って僕の方へ視線を移し、不思議そうに顔を見合わせる。どうしてそんなに揃うんですか、疑問を込め、


「すみません。……おふたりとも、相変わらず仲がいいんですね」


 知ったような口に、


「前よりも仲ええと思うけどなぁ」

「特別いい気もしねぇぞ」


 ばらばらの言葉を同時に発した。僕の笑い声を合図にしたようなタイミングで場内が暗転する。彼女のお色直しが終わったらしい。また後で、軽く頭を下げたふたりは声を重ね、「おめでとう」と笑った。並んで戻っていく後ろ姿はやっぱり似ていない。僕も一礼して彼女を迎えに歩いていく。君にも紹介したい、変わらない僕の先輩達を。

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