初詣のはなし
「夏祭りのはなし」と緩やかに繋がりがありますが、単体でも読めます。
矛盾点については今後補填します。申し訳ありません。
鉛白の空、耳を削るやすりじみた風、あるはずがないのに感じる透明な、氷のような匂いと誰かの香水、そして今年初めて顔を合わせる人々が交わす挨拶がざわめきとして聞こえる。
今、味覚以外の全てで初詣を感じてんのか、そう思った瞬間倉田が微かに湯気の立つ小さな紙コップを差し出した。ほわり、アルコールと共に甘い匂いが顔の前へ漂う。
「さっさ、梅酒のお神酒だって。珍しいよな」
「これでコンプリートだな」
「ん? 初詣ビンゴでもしてるん?」
「いや、別に。サンキュ」
好奇心でのぞき込んだ紙コップの中では薄く黄味がかった梅酒と金箔が、とろりとした光を帯びていた。一息に飲み干せば身体が梅酒の熱とアルコールで温もる。横に立つ倉田も勢いよく紙コップをあおると白い息を吐き、にしても、と周囲を見回した。
「もう三が日も終わったのに結構な人やなぁ」
「今年は有給取れば週明けまで休みが繋がるし、出来るだけ休みたいのは人間の本能だから」
「本能には逆らえんな、確かに」
大袈裟な気もするが、少なくとも自分は生活に支障がないのならいくらでも休んでいたい。実際それで今日、明日は遠慮なく休みを取った訳だし、オマエもそうだろうという気持ちを込めて目を合わせると、倉田は琥珀の丸眼鏡の中で目尻を下げた。
夏に訪れた会社近くの神社へお礼参りに行くつもりだ。スマホでのやり取りでそう発言したのは仕事納めが終わってからで、倉田の返答は『殴り込みに行くのかと思った』という物騒極まりないものだった。
「高校時代にもしたことないわ、そっちは。あれからゴミの回収は無事にされてるし、初詣も兼ねて行ってくる」
もう何年も新年に神社を訪れた記憶はない。ここらで行くのも悪くないだろう、こちらの思いつきに倉田が乗っかり、どうせなら昼間に行こうとわざわざ有給の日に会社近くまで出てきたのだ。
夏祭りの時よりも数は減ったものの参道には屋台が軒を連ね、まだ冬休みの学生らしい若者と、晴れ着の呼び名に相応しいきらびやかな着物を着た女性達がそれを冷やかしている。焼きそばやたこ焼きなど鉄板を使用する屋台からはソースの焼ける音、そして立ち上る白い湯気はまるで匂いを可視化しているようだった。
そんな風景を眺めながら参拝を待つ列へ並んでいる。何万人と初詣客が押し寄せる大きな神社では三が日、通常の賽銭箱ではなく賽銭プールと呼んだ方がいいような大型のものを用意している光景を以前テレビで見たが、さすがにオフィス街の神社には必要ないらしい。
進みも時間の流れも緩やかで、お神酒からもらった熱はすっかり自分へ呑まれてしまった。寒さで強張った身体を上へと伸ばしていると、倉田があくびを嚙み殺しながら、
「そういえばお礼参りって具体的には何するん。賽銭入れて、願い事が叶いましたって報告する感じか?」
今更不思議そうにこちらを見る顔へ、伸びてきた前髪が細かな影を落とす。そういえば去年最後に会った時には蓄えていた髭がない。口元を眺めながら、
「それなんだけど、調べたら出来るだけ年末に行く方がよかったらしい。今年の恩は今年のうちに、ってことで。お守りとか買ってればそれをお焚き上げしてもらうらしいけど、ないから報告だけだな」
「そんな大掃除のキャッチコピーみたいな感じなんか。まぁ神様は細かいことは気にせんやろ」
神様なんだし、そこでこちらの視線に気がついたらしく、口の端を引き上げ誇らしげな表情を浮かべる。相変わらず、コイツのドヤ顔はタイミングがよくわかんねぇな。
「心機一転。新年だし、どお?」
「見慣れないクラが、見慣れたクラに戻った感じ。心機一転ってか、原点回帰だろ」
「いっそもっと伸ばすべきだったかー」
倉田が残念そうに口元を触っているうち参拝の順番が回ってきた。半年ぶりの社は変わりなく歴史を感じさせ、多少厳かな気持ちが湧き上がる。冷えた空気が澄んでいるように錯覚させるのか、それとも新年に対して浮かれているのか。倉田が鳴らした鈴の音に、雑念を払って自分も鈴を鳴らし、事前にポケットへ突っ込んでいた賽銭を投げ入れる。
いざお礼をする段になって、去年の願いに対して笑いが漏れそうになるのを必死に堪え、柏手を打つ。今後ゴミ回収が無事にされますように、叶える方も笑いたかったろう。とにかくあれからゴミはきちんと回収されている。そのことに対してお礼を述べ、最後に、と薄目で隣の男を見れば今回はしっかり目を閉じて手を合わせていた。
コイツにとって幸せな一年になりますよーに。
今度は年末に来るんで。こちらの視線には気づかなかったようで目を開けた倉田は、
「ちゃんとお礼できたん、さっさ」
俺は色々願ったわ、と親指を立てた。
「おう。バッチリだわ」
「じゃあ飲みに行くか。せっかく昼酒のチャンスやし」
「甘いモンでもいーぞ。どうせ年末年始は昼間から浴びてたから」
「やば。今年も健康診断あるんやぞ、知らんのか。さっさ」
目を見開く倉田の背へ軽く拳を押し当て、言葉をせき止める。次の参拝客からの迷惑そうな視線へ頭を下げて参道を歩き出せば、ちらほらと白いものが視界を舞い始めた。どうやら空は雪の重みに耐えかねたらしい。
「なぁ」
倉田の低い声に顔を向けると、
「やっぱパンケーキ食いたい」
「……粉砂糖たっぷりかかったやつか?」
「おん。さすが、さっさ」
「連れてけ」
並んで歩き出した肩へ、粉砂糖のような雪が落ちては消えていく。思わず触れれば微かな熱、指先が溶けた雪で僅かに潤んだ。
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