夏祭りのはなし
※文披31題Day31「夏祭り」直後の話です。
まだ陽の名残で薄明るい空にビルから漏れる光が合わさり、夜は下りきらない。
いつもより心なしか多い人の合間を縫いながら、会社から徒歩十分程度の距離にある小さな神社を目指す。神棚へ安置するお札を貰いに行った日下へ一度同行しただけだが、浴衣姿の女性がちらほら見えるので道は合っているだろう。会社へ浴衣持ってきたんやろか。
軽く周囲を見渡してもマンションや住宅は見当たらない。実はオフィスビルと見まがうばかりの高層マンションに囲まれているんだろうかと思えば急に浴衣姿が数段高級なものに感じられ、現金な自分に鼻を鳴らしたところで笹木の申し訳なさそうな声が背へ、とすり刺さった。
「クラ、場所わかるから」
「おん?」
曖昧な言葉の意味を図りかねて振り返り、初めて自分が笹木の右手首を掴んだままだったことを意識する。鞄にしては熱かった。いやそもそも今日はリュックだ。思わず背中に重みがあることを確認し、会社からここまでずっと掴んでいる自分の手を凝視する。
通行の邪魔になるから、笹木は手首をそのままに歩道の脇へとずれ、俺も離すタイミングを失い、それに従った。大輪のひまわり柄が横をすり抜けていく。
「いくら方向音痴でもここまで来れば大丈夫だって」
以前待ち合わせた時、駅の東西口を間違えたことがあった。確かに、以来俺の中では笹木イコール方向音痴の図式が出来上がっている。今まで掴んでいたのは、だからなんだろうか。自分の無意識へ対し何とも言えない収まりの悪さを感じながら、
「ここから迷ったら奇跡レベルだな、確かに」
「石をパンにするよりは簡単そうだけど、オマエ信者にすると仕事がしにくくなりそうだし、止めておくわ」
ごまかしのような軽口に笹木は同じトーンで返してくる。ようやく離した手首は少し赤らんでいて、どれだけ連れて行きたかったのか自分へ問いただしたくなったが、笹木は口を少し斜めにしただけで特に気にする様子もなくただひとこと、あつかったと呟いた。
それはお前やん、さっさ。夏みたいだ、会社を出る前にも感じたことをもう一度思い出す。手のひらがしとり濡れていたことに対して謝ると、笹木は本当だと声を上げて笑い、また歩き始めた。今度は俺が笹木の背を追う。
次にすれ違ったのは艶やかな牡丹柄だった。
奇跡は起きず、ほどなくして辿り着いた神社は前に来た時よりも大きくなったように見える。敷地面積が物理的に、というわけではもちろんなく、感覚の問題だ。周囲をビルに囲まれた圧迫感にも負けることなく育った木が境内にいくつも並び、ようやく帳が落ちた空気の中、屋台の光で葉を浮かび上がらせている。子供の姿よりも、俺たちのような仕事帰りらしい姿が目立つ。
「思ってたより屋台出てるな」
「な、ビールなかったら面目潰れるとこやったしよかったわ。あ、先にお参りか」
鳥居を見上げる寸前、目を見開いた笹木の間抜けな顔が視界の端へ映った。
「……マジだったのか、祈りに行こうって。てっきり祭りの口実かと思ってた」
「それは否定しないけど、当たり前やん。さっさの今日みたいな顔が続いたら、俺は通知で仕事にならんぞ。何より俺が気になる」
むしろそっちがメインだからと鳥居まで進み、笹木へ向き直る。
「作法とか気にするほう? 俺はあんまり気にしたことないけど」
「同じく。参道は真ん中を避ければいい、くらいだな。参拝はあんまりしたことない。初詣もここ最近は全然」
「そか、じゃあ久しぶりのぶん聞いてもらえるかもしれんな」
「それは違うと思うけど期待してぇー」
参道の真ん中を避ける理由はわからないものの取りあえず横へ避け、歴史を感じる苔むした社の短い階段を昇る。
財布に入っていた小銭を数枚、賽銭箱へ入れてから合掌し目を閉じた。視界が閉ざされたことでざわめきが近づく。そもそも何の祭りかも知らないが来週は笹木のゴミが回収されますように。ってか、笹木に幸あれ。
澄んだ鈴の音に鳴らし忘れたことへ気づき、薄く目を開けて横を見れば笹木も目を閉じ、軽く頭を下げていた。
伸びてきた前髪が形のいい額へ幾筋も影を落としている。屋台の電飾や吊り下げられた提灯の橙な光に照らされた顔は、普段強い瞳の光で隠されているあどけなさをさらしていた。
目を閉じた顔なんて見ることないもんな、物珍しさにそのまま眺めていると予兆なく開いた目が俺を睨みつけた。
「あ、やば」
「やば、じゃねーよ。途中からめっちゃ視線感じたわ。こっち見るより大事な使命がオマエにはあるだろ」
「それはしっかり果たしたから大丈夫。そんなに見てないから目に力入れんで、怖いって、さっさ」
「脅してるんだから怖くてなんぼだろ」
あんま見るなよ、言いながら歩き出した笹木を追って階段を下りる。正面と裏手の二ヶ所に入口があり、そのふたつの参道へ沿うようにして屋台が軒を連ねていたが、やはり立地の関係か普段の祭りでよく見るような遊戯系よりも食べ物の方が多い。特に屋台の中に座席を用意し酒を提供する大型屋台は競い合うよう、参道を挟んでほぼ真向かいに二軒が出店している。
軽く様子を見ても、さしたる違いはない。偶然目が合った左側の屋台へ笹木の袖を引くと、笹木もこだわりはなかったようで大人しく俺に従った。
季節を問わず人気があるのか、はたまた仕込みが楽なのか黒く煮え立ったおでん用の四角い鍋の前でビールと焼き鳥の盛り合わせ、冷やしきゅうりを注文して奥の座席へつくと、それまでは全くわからなかった草木の匂いが急に立ち込めた。
すぐ横に木々が並んでいるせいか、目をやるとぼんやりとした明かりに照らされた緑はずいぶんと濃い色をしている。
「おまたせしましたービール二丁、焼き鳥、冷やしきゅうりですー」
「どうも。ほら、クラ」
「うっす」
まぁ俺のおごりですけども。軽い言葉に笹木は恭しく頭を下げ、すぐにプラカップを手に取った。俺もと掴んだプラカップは既に結露して手が濡れるのも心地いい、そんな気温がまだ続いている。
「ほんじゃ」「おー。今日はサンキュ、乾杯」
ビールが光って見えた。苦味よりも冷たさが喉へきて、すぐに胃の場所がわかる。ほとんど一息に半分ほどを飲んだ笹木がプラカップから箸へ持ち変え、きゅうりを口に運びつつ、
「この神社知ってはいたけど、初めて来たわ。結構広いんだな。屋台の数も思ったより多いし」
「俺は来たことあるけどこんなあるとは思わんかった。でもあれな、スーパーボールすくいとか、ないみたいだな」
カラフルなボールが水の中を泳ぐ様子は派手好きの心を弾ませる。小さな頃はやりもしないで屋台へ張りつき、最終的には屋台のバイトにいくつかスーパーボールを渡されて追い払われていた。別にスーパーボールが欲しかったわけじゃなく、俺はただぐるぐると回遊する色が鮮やかで、それこそ終わらなきゃいいと思っていた気がする。
「懐かしいな、スーパーボール。クラ、あったらやりそうだわ。すくったのどーすんのよ」
「やるとは言ってないけどな? えー……洗ってから風呂に浮かべるとかどうよ。で、風呂の電気も消して、光るボールとかも湯船に浮かべる」
「自宅でナイトプールか。いいなって言いたいとこだけどそれ、スーパーボールがなくてもいいんじゃねーの、むしろ邪魔そう」
「言いながら俺もそんな気がしてた」
笹木と顔を見合わせて笑い、もう一度無意味にプラカップをぶつけてみる。白いプラスチック製のテーブルは水滴でびちゃびちゃになっていた。
笑いながら隣の席へやってきたのは女性ふたり組で、どちらも浴衣を思い思いに着こなしている。暖色の照明に髪飾りが光り、朝顔ともうひとりの柄が映えていた。が、紺地に白で描かれたそれは、どう見ても。
「…………さっさ」
「ん」
笹木へ共有したい。だって絶対そうとしか思えない。潜めた声の意図を汲み取ったのか、笹木も小さな相づちだけで視線を横へと走らせる。阿吽の呼吸やん。
「あの柄、りんごやろ。夏なのに珍しい。うまく言えへんけどまるごと、四分の一だけ切り取ったみたいな……独創的なりんごやな」
「独創的な、リンゴ」
俺の言葉を繰り返して笹木が静かに目を凝らし、ふはと息を吐き出した。
「オマエの方が独創的だよ。でも、ま、言われたらそう見えてきたんだけど、本当は何の柄なんだろうな」
「いや本当はも何も、絶対りんごやって」
「独創的な?」
「おん」
視線を戻してから静かに肩を震わせる笹木のプラカップは空になっている。もう一杯頼むかと首を回した俺を手で制し、笹木は鳥もも串を咀嚼して、
「繰り返し言ってたらリンゴ飴食いたくなった。クラにも買ってやるよ、今日の礼」
デザートにしようぜ。焼き鳥の紙皿を俺の方へと差し出した。早く食えってことか。あと少しのビールを片手に鳥むね串を手に取れば、串を口にしたまま軽く頷く。
痩身の部類に入る男だが食事量は人並みかそれ以上で、しかもアルコールが食欲を増進するタイプらしく、気をつけてくれてはいるらしいが気づくとつまみが全滅するのもよくあることだ。
わざわざ差し出してくるということは、自分で言うように少しは恩を感じているのかもしれない。別にいいのに、聞こえないことへは言葉を返せない。
「俺にも?」
「おう。姫リンゴじゃなくて、でっかいの選んでやるよ」
「そんなんあるん? りんご飴とか実は人生初かもしれん。うわ、楽しみになってきた」
スーパーボールを眺めていた頃も今も、祭りではたこせんやお好み焼きなど塩気のあるものばかり追い求めている。りんご飴は最近専門店が話題になるほど市民権を得ているのは知っていたが、特に足を運んだことはなかった。笹木は甘いものも好きだし、俺よりも余程経験値を積んでいそうだ。
俺の発言へ笹木はあからさまに皺を寄せた。
「初めてのリンゴ飴って責任重大じゃん。ちょっと前言を撤回したくなってきたぞ」
「早いってさっさ。いいじゃん、でかいの選んでくれればいいんだし。礼だろ、礼」
俺のビールもなくなり、最後のきゅうりが笹木の口へ消える。軽く喉を潤しただけなのか、朝顔とりんごのふたり組も席を立つところだった。柔らかく結ばれた飾りのような帯が目の端をよぎる、まるで金魚の尾ひれのように。
立ち上がった笹木も同じものを見たのか、小さく、きんぎょ、と呟いた。金魚すくいは自分でやってな、尾ひれが消えていった先へ続く。参道にはそこそこの人波が流れ、その中でちらほらと見えるりんご飴は記憶の中よりも数段深く甘そうに光っている。砂糖の溶けるような匂いまで、漂ってくるような気がした。
その後笹木が選んでくれたりんご飴は笑うほどでかかった。実際笑い過ぎて、脇腹を小突かれるくらいに。
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