正体と掠れた声
「……遅なってもうたわ。」
仕事が終わった山崎は、町中を急ぎ足で歩いていた。向かうのは、試衛館。
だが、目の前に飛び出してきた男達に足を止めた。特に山崎に危害を加えようとした訳ではなかったが、山崎は、前を通り過ぎた彼らの会話に耳を傾けていた。
「……道場帰らないとヤバイだろ!」
「ああ?今日は、近藤先生の祝言だから大丈夫だろ。」
近藤先生、祝言
「あいつら、試衛館の人間か?」
世話になった恩師のめでたい日にこんな町中で何をしているのか?山崎は、気になって、また、聞き耳を立てた。
「でも、あの女。いい女だったよな。」
「あれで、14歳なんだろ?」
「本当かよ!」
「まぁ、脅せば、また、抱けるだろう。」
「声がデケェよ!」
「そんなに、ビクビクすんなよ。バレるわけねぇって…」
14歳の女を抱いた?
山崎の頭には、最悪の出来事しか思いつかなかった。それを確かめる方法は、聞き出すしかない訳だ。だから山崎は、怒りを押さえ込みながら、へらっと笑って男達に声をかけたのだった。
「――――なぁ、その嬢ちゃん。そんな、綺麗なん?」
「……ああ?誰だ?お前。」
不機嫌そうな男が、山崎の方へ振り返る。そんな男なんて無視で山崎は、ニコニコしたまま男達に近づいた。
「ええやん。今、聞こえてまってな。綺麗な子、気になるやん?」
「まぁ、教えるだけなら…」
「人形の様な子でな、髪が桜色なんだよ。」
「……へぇ。で?その子なんか言っとらへんかった?」
「――――は?」
「烝、助けて…。とか。」
男達は、先ほどまでニコニコしていた男の表情が、変わったのに気づき、後退する。
「……言っとったんやな?
よっちゃん、宗ちゃん助けて……」
『烝っ!よっちゃんっ!宗ちゃんっ!
――――助けてっっっ!!!』
確かに、彼女は、そう言った。しかし、目の前の男は、何故それを知っているのか?
「……なんで……?」
「そうか。だったら、助けたらな……。
安心しぃ。一瞬や。」
懐からおもむろにクナイを取り出した山崎。その、刃物を見て、ヒッと男達が声を上げ、そろって逃げ出した。
「逃げよったか。ふっ。――――でも、逃がさへんっ!
ちぃを傷付けて、逃げれると思うなよ。」
走った男らに追いつくのは、山崎にとっては容易い事だった。怒りで我を忘れていると言ってもいいほどに、腸が煮えくり返っていた。
自分が守る。と、そう誓った山崎。でも、それは果たされなかった。
目の前の男達の所為で――――。
シュッとクナイを投げ放つ山崎。それは、一人の男の腕を切り裂いた。
「ヒッ……」
腕を押さえて、立ち止まった男に、仲間も足を止め、山崎に怒鳴る。
「こんな事して、ただで済むと思ってんのか!」
だが、山崎は、男達に視線を向ける。その目は、まるで悪魔が宿っているかの様な、冷酷な冷たい視線。
「ただで済まんのは、お前らや。」
「何?」
「冥土の土産に教えたるわ。お前らが手を出した子はな、――――徳川御三卿、徳川斉昭のご息女。椿様や。」
「……徳川……」
「……御三卿……」
「俺がお前らを殺しても裁かれん。
お前らが、ホンマもんの姫様に手を出したんやからな。」
男達が目を見開いた瞬間、山崎のクナイが、男らを貫いた。
その場に倒れた男達は、痛みに呻き声を上げて、その後動かなくなった。男達から流れた赤が地を汚していく。
「早う楽になっただけ、感謝しい。
ホンマならもっと、なぶり殺したかったわ…」
そう言って、山崎は試衛館へと急いだのだった。
試衛館へ着いて、式が執り行われている母屋には見向きもせず、山崎は、道場へと足を向けた。土方と他の面々が千夜を見守る中、ただ、物陰から千夜の様子を見守る事しか出来ないもどかしさ。
腫れた頬を見て、顔を顰めた。
「……ちぃ……」
自分が見つけた時に、水戸に戻していれば、こんな事にはならなった。
あの男達を片付けても、収まることもない怒り
土方達が、式に参列する為に道場を出た瞬間、山崎は、千夜に近づいた。遠くから見るより、千夜の傷は酷く布団の傍に膝をつき、手を伸ばして、彼女の頬にそっと触れた。
「……ちぃ、堪忍……」
「…………す…すすむ?」
薄っすら目を開けた千夜は、山崎を見て言葉を繋げ様とする。
「お仕、事は?」
「……終わった。」
「何で、泣いてるの?どっか痛い?」
「……痛いのは、ちぃやろ?堪――――
「痛ないよ?」
また、自分の真似をする千夜に、胸が張り裂けそうになる。
「――――どこも、痛ない。だからそんな、悲しい顔しないで…?」
「ちぃ…」
「……っ!元気だしぃ。すすむ。」
痛みに顔を歪めても、笑おうとする千夜。
本当は、痛いのに、辛いのは千夜なのに、彼女は、誰も責めない。
「……私は、生きてるから大丈夫。」
そう言って笑った彼女を山崎は、そっと抱きしめた。
――――烝からした血の匂い……。
私は、言えなかった。彼らを殺しても何もならないと。それは、間違った事だと――――言えなかったんだ。
そして、翌日
千夜を犯した男達の遺体が見つかった。遺体の外傷は、全て一突きで仕留められており、相当の手馴れの仕業だとあっという間に知れ渡った。
試衛館の門人が何者かに殺害され、試衛館では、騒ぎとなった。それもそのはず。斬られた男達は、全員が試衛館の門人達だったのだから――――。
中には、試衛館が狙われてるのではないか?と、変な噂さえ流れた程だ。
「誰が、やったんでしょう?」
「――――。」
宗次郎のそんな問いに土方は、言葉を発しなかった。自分が手を下そうと思っていた。なのに、見つかった遺体に、様々な疑問が浮上したのだ。
あの医者といい、大判。そして今回の遺体の傷。全てが、腑に落ちないのだ。ただの捨て子の千夜。そのはずだ。なのに、彼女が絡むと何か大きいものが動いている様な感覚を土方は、感じた。そして、同時に千夜の正体は、一体なんなのか?
そう思いながらも、本心は、知りたくない――――。
知って仕舞えば、きっと、二度とこの手には帰って来ない気さえした。だから、土方は、試衛館の門人が誰に殺されたか。深く追求する事は無かった。
事件があった翌日、千夜は、家から出してもらえず、ただ、ボーッと空を眺める。
体が痛い。気怠い。昨日の事を嫌でも思い出してしまう。身体を触られ、ニタニタと笑い自分の中に欲望を吐き出す男達。
「————く、すり。」
掠れた声が現実を突きつけていく。
山崎にもらった薬を思い出した時、声を掛けられぬまま開かれた襖に視線がいくも、
ふすまが開く音にさえ身体が強張る。
「ちぃ。まだ寝てねぇとダメだろう?食いもんもって来たから。」
手にした握り飯を手渡そうとした瞬間、目を見開く千夜の表情は、恐怖の色を見せていく。ほんの僅か指先が触れただけ。
抱き締めてやる事も慰めてやる事も、何も出来ない。
「————ちゃんと食えよ?」
今は、すぐに部屋を出てやる事が一番だと握り飯と竹筒を置き、食べる様に告げて部屋を後にする。
覚悟はしていたんだ。吉原で働き出した時から――――。だけど、試衛館の門人に犯されるとは考えてなかった。ただ、たまたま、知り合いだっただけ。
何度も言われた。異人狩りが横行している事も、一人で出歩くな。そう口すっぱく言われた事も。全ては、自分を約束を破ってしまったがために、こうなった。
のぶ姐の啜り泣く声が耳に届き、己の現状に深く息を吐いていく。
山崎からした血の匂い。
私が逃げてたら、彼らは死なずに済んだ。烝が、人を殺さなくても済んだ――――。
カタカタ震える手を押さえつけ、唇を噛み締めた。
————全ては、私の弱さが招いた事だ。
千夜は、夜、家を抜け出し稽古をする事が多くなった。弱い自分を振り払うかの様に――――。
土方は、それを見つけても、口出しはしなかった。ただ、その姿を見るたびに、無意識のうちに手をぎゅっと握りしめ眉を寄せ溢れ出そうになる感情を押し殺すのに必死であった。
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